「記録よりも記憶に残る名馬」という言葉がある。
例えば、時に凄まじいまでの大逃げでファンを魅了し、重賞を3勝したツインターボ。反対に、強烈な追込みを武器に前を行く馬を次々とかわしさり、6つの重賞タイトルを獲得したブロードアピールらは、GIを勝利することこそ叶わなかったが「記録よりも記憶に残る名馬」といって間違いない。
片や、無敗で三冠を達成し、最終的にはGIを7勝。種牡馬となってからも数々の記録を塗り替えたディープインパクトは、「記録にも記憶にも残る名馬」であることに異論の予知はないだろう。
「記憶に残る馬名」を所有馬に次々と命名したのが「マチカネ」の冠号でお馴染み、故・細川益男オーナー。競馬シミュレーションゲーム、ダービースタリオンから足を踏み入れたファンにとって、種付け無料種牡馬マチカネイワシミズと初期繁殖牝馬オオシマナギサの配合は誰しもが通った道だし、マチカネチコウヨレやマチカネホレルナヨ、マチカネシルヤキミといった馬名は、なぜか一度聞いただけで頭から離れない。
そして97年には、マチカネフクキタルが神戸新聞杯・京都新聞杯・菊花賞と3連勝。見事、クラシックのタイトルを手中に収め、マチカネ軍団を代表する名馬となった。
また、細川氏は92年に待兼牧場を開場。01年からは生産事業を本格化させるなど、オーナーブリーダーとしての一面もあったが、数々の外国産馬も所有していた。中でも、マチカネランはデビュー戦からアグネスデジタルと激闘を繰り返し、同期のマチカネホクシンも朝日杯3歳SとNHKマイルCで3着に好走している。
──そして、デビュー戦の衝撃度でいえばマチカネキンノホシ。
同じ96年生まれのマル外のスター・メイショウドトウでさえも、おそらくマチカネキンノホシのそれには及ばなかったのではないだろうか。
父は米国史上初の無敗三冠馬シアトルスルー。母は米国二冠馬アリシーバの全妹で、さらにその父は大種牡馬アリダーという、誰もが羨むような超良血の外国産馬。マチカネキンノホシと名付けられたその馬は、名門・藤沢和雄厩舎から98年11月にデビューを果たした。
初戦の舞台となったのは、東京芝1800mの新馬戦。トップトレーナーが送り出す超良血のマル外に注目が集まらないはずはなく、単勝オッズは1.2倍と断然の支持。故・大橋巨泉氏が「府中の千八展開いらず」と評したことは有名な話だが、その格言どおり、マチカネキンノホシは初戦から素晴らしいパフォーマンスを発揮した。
スタートでいきなり出負けしたマチカネキンノホシと岡部幸雄騎手は、前半1000mが1分4秒1の遅い流れにもかかわらず、道中は無理に挽回せず、そのまま最後方を追走。向正面では、先頭との差がおよそ15馬身に広がっており、馬券を握りしめたファンをやきもきさせる。
それでも、3コーナー過ぎから徐々に進出を開始し、4コーナーでは最内を通って一気に前との差詰めると、直線、坂の途中からいよいよエンジン全開。先行各馬を次々とかわしさり、残り100mで早くも先頭に立つと、最後は流すようにしてゴール板を駆け抜けたのである。
この時の上がり3ハロンは、当時、特に3歳新馬戦ではめったにお目にかかれない33秒8。超スローペースを、最後方から一気の末脚で差し切ったレース内容は、まさに「展開いらず」の格言そのもの。断然の支持を集めていたため、馬名のとおり金星ではなかったものの、マチカネキンノホシは初戦から秘めたるポテンシャルを爆発させてみせた。
それだけに、続く2戦とも4着に敗れたのは、やや物足りない結果だった。とはいえ、前者はこの血統にしては適性がなかったか、生涯唯一のダート戦。なおかつ、最内枠が影響したのかもしれない。そして、後者はGIの朝日杯3歳Sが舞台。むしろ、健闘といえる内容だった。
さらにマチカネキンノホシは、そこから中1週。そして関西遠征という厳しい条件にもかかわらず、GⅢのラジオたんぱ杯3歳S(現・ホープフルS)に出走。出世レースとして名高いだけあり、そこには自身と同じ超良血のアドマイヤベガが待ち受けていたが、マチカネキンノホシは再び非凡な能力を発揮する。
レースは序盤、中団に構えるマチカネキンノホシを、アドマイヤベガがマークする展開。しかし、勝負所で先に仕掛けたアドマイヤベガが馬群の外をスムーズに上がっていったのとは対照的に、内に進路を取ったマチカネキンノホシは直線入口で進路を失ってしまう。
坂下で先頭に立ったアドマイヤベガとの差は1馬身半。相手が相手だけに、既に決定的ともいえる差で、並の馬ならここから一方的に突き放されてしまう展開。しかし、進路を見つけたマチカネキンノホシは鋭く伸びてライバルとの差を体半分まで詰め、残り150mから、文字どおり一騎打ちを展開した。
結局、体半分の差を逆転することはできず2着に終わったものの、間もなく迎える新シーズンへ向け、大きな希望を抱かせるには十分な内容だった。
ところが──。
NHKマイルCの有力候補に躍り出たはずのマチカネキンノホシは、ここから一転。およそ1年にわたり挫折を味わうことになってしまった。
まず、年明け初戦のニュージーランドトロフィーは、道悪が響いたか8着に敗れると、本番のNHKマイルCで巻き返すも4着。そして、1番人気に推されたラジオたんぱ賞で9着に敗れ、上半期を終えてしまう。
さらに、自己条件に戻った白秋Sで4着に敗れると、1ヶ月後のノベンバーSでは良いところなく11着。よもやの大敗を喫し、デビュー2戦目からの連敗が8に伸びてしまったのだ。
わずか1年足らずで同世代のライバルと開いてしまった、あまりにも大きな差。
遠い遠い2つ目の勝利。
デビュー戦で見せた衝撃や、後のダービー馬と演じた一騎打ちは幻だったのか……。
そんな評価も出かねない中、陣営は有馬記念前日のアクアラインSにマチカネキンノホシを出走させた。
朝日杯3歳S以来、およそ1年ぶりとなる中山競馬場でのレース。素晴らしい走りを披露したデビュー戦と同じ距離とはいえ、展開いらずの東京芝1800mとは正反対のコーナー4つで小回りという条件。それでも、この舞台こそが自身の輝ける場所といわんばかりに躍動したマチカネキンノホシは、ついに念願の2勝目を掴み取ったのである。
大敗を喫した前走から、わずか1ヶ月半の間に馬体重が16kgも増加。2着ショウナンハピネスとタイム差なしの接戦とはいえ、本格化を感じさせる内容。こうなると、高いポテンシャルを持つマチカネキンノホシの勢いを止めるのは、簡単なことではなかった。
勢いそのままに出走した、年明け初戦のアメリカジョッキークラブC。このレースで激突したのは、競馬界屈指の人気者で、まさに「記録よりも記憶に残る名馬」を地でいくステイゴールドだった。
GIで2着4回の実績がありながら、7歳にしていまだ重賞未勝利のライバルと、それを後押しする大きな声援。しかし、デビュー当初から期待されながら、いまだタイトルを手にしていない境遇はマチカネキンノホシも同じだった。
レースは、ステイゴールドが、直線早目先頭に立ち、念願のタイトルをはっきりと視界に捉えた。しかし、直後まで迫っていたマチカネキンノホシが、まるで「俺にも注目してくれよ!」と言わんばかりに、残り100mでステイゴールドを強襲。かわしさった瞬間、場内には悲鳴にも似た歓声が響き渡ったが、情け無用とばかりに、そこからライバルをさらに2馬身半突き放し、待望の重賞タイトルを獲得したのである。
こうして、完全に本格化を印象づけたマチカネキンノホシは、宝塚記念を目指して4ヶ月の休養を挟み、その叩き台として目黒記念に出走。再びステイゴールドと相まみえることになったが、今度は、直線半ばで抜け出しを図ろうとしたマチカネキンノホシを、内からステイゴールドが強襲。先頭に立つと気を抜くこともあるライバルだが、武豊騎手に乗り替わったこの日に限っては内ラチ沿いをしっかりと伸び、先んじてゴール板を駆け抜けたのである。
ステイゴールドにとっては、これが悲願の重賞初制覇。土曜日にもかかわらず、東京競馬場がGIデー並みの大歓声と拍手に包まれる中、マチカネキンノホシは引き立て役に回らざるを得なかった。
この敗戦が尾を引いたのか定かではないが、続く宝塚記念で11着と大敗したマチカネキンノホシは、秋初戦の毎日王冠も伸びきれず8着。良いところなく連敗を喫し、1年前の悪夢が頭をよぎりかける。
それでも、叩き2戦目でしっかりと巻き返すのが本格化した証し。そこから中3週でアルゼンチン共和国杯に出走すると、直線で前をいくメジロロンザンとサンデーセイラをかわすのに手こずったものの、最後はきっちりと捕らえ優勝。見事に2つ目のタイトルを獲得してみせた。
そして、続くジャパンCでも、残り150mで一時は先頭に立つなど、国内外の強豪相手に見せ場たっぷりの内容。テイエムオペラオー、メイショウドトウ、ファンタスティックライトと、同世代3頭の叩き合いには加われなかったとはいえ0秒5差の6着と善戦し、ステイゴールドにもきっちりと先着。十二分に存在感を示したのである。
その後、大舞台で金星をあげることはできなかったものの、メイショウドトウが制した01年の日経賞や、ナリタトップロードが制した02年の京都記念で2着と好走し、7歳まで現役を続けたマチカネキンノホシ。GIで連対することは叶わなかったが、アドマイヤベガや、2つ年上のステイゴールドという競馬史に残るスターホースとの激闘を通して、この馬もまたファンにとって忘れ得ぬ存在となった。
また、同世代のテイエムオペラオーは、間違いなく「記録にも記憶にも残る名馬」だったが、一方で、マチカネキンノホシのような「記録よりも記憶に残る名馬」がいたからこそ、その存在もひときわ輝いたと思わざるを得ない。
マチカネ軍団にしては、どちらかといえば「ソフト」な馬名を授けられたマチカネキンノホシ。ミレニアム前後の日本競馬でスターホースが輝いた名場面には、必ずといっていいほど彼の存在があった。そんな名場面を振り返るとき、もし彼が言葉を話せたとしたら「俺のことも忘れないでくれよ!」とでも、言うだろうか。
だとしたら、私はこう答えるだろう。「心配しなくていい。ファンの記憶はそんなヤワじゃない。引き立て役なんかじゃなく、君も立派な主役だった」と。
※馬齢は当時の表記(旧表記)です。
写真:かず
テイエムオペラオーの世代にスポットライトをあてた新書『テイエムオペラオー伝説 世紀末覇王とライバルたち』が2022年10月26日に発売。
製品名 | テイエムオペラオー伝説 世紀末覇王とライバルたち |
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著者名 | 著・編:小川隆行+ウマフリ |
発売日 | 2022年10月26日 |
価格 | 定価:1,199円(本体1,090円) |
ISBN | 978-4-06-529721-6 |
通巻番号 | 236 |
判型 | 新書 |
ページ数 | 240ページ |
シリーズ | 星海社新書 |
内容紹介
君はあの完璧なハナ差圧勝を見たか!
90年代後半に始まるサンデーサイレンス旋風。「サンデー産駒にあらずんば馬にあらず」と言っても過言ではない時代にサンデー産駒の強豪馬たちと堂々と戦いあった一頭の馬がいた。クラシック勝利は追加登録料を払って出走した皐月賞(1999年)のみだったが、古馬となった2000年に年間不敗8戦8勝、うちG15勝という空前絶後の記録を達成する。勝ち鞍には、いまだ史上2頭しか存在しない秋古馬三冠(天皇賞、ジャパンC、有馬記念)という快挙を含む。競馬ファンのあいだで「ハナ差圧勝」と賞賛された完璧な勝利を積み重ね、歴史が認める超一流の名馬となった。そのただ1頭の馬の名をテイエムオペラオーという。