稀代の名牝・シーザリオ - 受け継がれる血と、その記憶

「もし、これから先の人生で迷うことがあれば、自分の生まれた土地と、自分の血筋を調べてみるといいですよ」

還暦に近い、ある経営者の方から、酒席でそう言われたことがある。
当時の私はといえば、二十代の半ばくらいだっただろうか。
歳を重ねていくと、そんなこともあるのかなと聞いていた。

果たして十数年後、その方の言葉のとおりになった。
生きることに疲れ、迷い、希望を見出せなくなったとき。
私は、故郷を訪れた。

「血」と「地」は、誰にとっても、逃れられないアイデンティティだ。
自分は、何を受け継いできたのか。何を、受け取ってきたのか。
歳を重ねるごとに、それは強く意識されるようになった。

それは、歳を経るごとにシーザリオに惹かれることと、どこか似ているような気がする。


時に、2005年。
ディープインパクトの無敗三冠の年と記憶される、その年。

シーザリオもまた、その年に鮮烈な記憶を残す走りを見せてくれた。
引退まで、たった6戦。
されど、その6戦には、日米オークスを含む5つの輝かしい勝利が刻まれる。

シーザリオは、現役を退き繁殖生活に上がってからも、幾多の名馬を送り出した。
日本競馬の未来を担うと思われるほどの、名馬たちだ。

その飛びぬけた競走成績もさることながら、引退してからもなお、シーザリオはその血で日本競馬に影響を与え続けている。
それは、輝かしいまでの現役時代を、いわば前哨戦にしてしまったようにすら見える。
そのことが、シーザリオの凄みを際立たせている。

考えてみれば、クラシック競走が優秀な種牡馬・繁殖牝馬の選定競走という位置づけであるように、引退後の血を残す戦いは、競馬の本質に近いのかもしれない。
目の前のレースは、過去から連綿と受け継がれてきた、偉大な名馬たちの血と歴史の終着点であり、そして出発点でもある。
そういった意味では、シーザリオは実に本質的な「名馬」であり、「名牝」であるといえる。

競馬とは、記憶の芸術でもある。
時を重ねるごとに、血統やレース、あるいは騎手に乗せる記憶は、多くなっていく。
シーザリオの名を血統表に見かけるたびに、青毛の雄大な馬体を躍動させる、あのストライドの大きな走りを想起させてくれる。
シーザリオに想いを寄せることは、競馬の本質と、その楽しみを、教えてくれるようでもある。


2004年12月25日。
阪神のマイル戦でデビューしたシーザリオは、見事に新馬勝ちを収める。
栗東の角居勝彦調教師のもと、鞍上は福永祐一騎手が手綱を取った。

2戦目は年明けの中山、寒竹賞。
骨っぽい牡馬が揃ったメンバーに加え、新馬戦から中1週で遠征という臨戦過程も嫌われたか、シーザリオの人気は4番人気にとどまった。
しかしレースでは、好位追走から危なげなく抜け出して連勝を飾る。

白眉は、3戦目のGⅢフラワーカップ。
前走と同じように好位追走から、4コーナーで馬なりのまま先頭に並びかけ、そこからは独走だった。
2着馬に楽々2馬身半差をつける圧勝は、メンバー最速の上り34秒4に、レースレコード(当時)のおまけまでついた。

この2005年のクラシック戦線は、前年のGⅠ阪神ジュベナイルフィリーズを勝ったショウナンパントル、2着のアンブロワーズがトライアルで結果を出せず、春が近づくにつれて混迷を深めていった年だった。
そんな中、フラワーカップでのシーザリオの快走は、主役候補に名乗り出るのに十分なものだった。

迎えた4月10日。
本番のGⅠ桜花賞で、好枠の7番を引いたシーザリオは、1番人気に支持された。
この日の鞍上は、公営名古屋競馬の吉田稔騎手に乗り替わりとなっていた。

デビュー以来の手綱を取っていた福永騎手は、ラインクラフトの背にあった。
シーザリオとは、それほど差のない2番人気。
前年11月のGⅢファンタジーステークス、そしてトライアルのGⅡフィリーズレビューを、ともに強い勝ち方で制し、出走馬中唯一の重賞2勝の実績を持っていたが、17番枠という外枠が敬遠されたのかもしれない。

2006年に改装されて、外回りコースができる前の阪神マイルは、スタート直後にコーナーを迎える難コースだった。外枠は著しく不利とされ、鬼門ともいえた。
しかしゲートが開くと、ラインクラフトは旺盛な前進気勢に任せて、あっさりと好位を確保する。
一方、シーザリオはスタート後のポジション取りで後手を踏み、中団やや後方のポジションに押しやられていた。

道中はハイペースで流れたが、直線を向いてもラインクラフトの脚色は衰えない。
抜け出したデアリングハートをかわして、力強く抜け出す。
一方、シーザリオも中団後方から、馬群の狭いところから追い込んできた。
最後は外から鬼気迫る末脚で迫り、内のデアリングハートをわずかにかわしたものの、前を行くラインクラフトにはアタマ差届かなかった。

生涯初めての、敗戦。
デビューからの連勝を重ねていた馬が、初めて敗戦を喫すると、その後不調に陥ってしまうことがある。
その反対に、敗戦を糧に己が弱さを知り、真の強さを磨いていくこともある。

敗戦や挫折に沈むのか、それとも、それを機に立ち上がるのか。
その時に頼れるのは、自らのアイデンティティであり、それは言い換えれば「血」と「地」なのかもしれない。


シーザリオが受け継いでいた、偉大なる「血」。

父は、スペシャルウィーク。
最強世代と謳われる「1998年世代」の主翼を担った。
日本競馬を根底から変えたサンデーサイレンスと、日本の在来血統の流れを汲む牝系が融合した、稀代の名馬でもある。
日本ダービーを勝つなど、早くから第一線で活躍しながら、古馬になっても天皇賞春秋連覇や、ジャパンカップ制覇など、豊かなスタミナと成長力を有していた。

母・キロフプリミエールはイギリスからの輸入牝馬であり、その父は1990年代の欧州のチャンピオンサイヤーである、サドラーズウェルズ。その直仔のみならず、孫の世代まで大きく広がりを見せている、稀代の種牡馬である。

そのようにシーザリオは、日本、北米、欧州が紡いできた奇跡のような血を、その青毛の馬体に内包していた。

桜花賞での蹉跌から、42日後。
クラシック二冠目のオークスに、舞台は移る。


桜花賞を制したラインクラフトは、距離適性を考慮しNHKマイルカップに出走し、牡馬相手に見事に勝利を収めていた。
桜の女王不在の、オークス。
シーザリオにとっては、巻き返しを期しながらも、負けられないという一戦となった。

そのオークスは、前半1000mが63秒1と、超スローペースでの展開となった。
桜花賞とは、真逆の展開である。
再び福永騎手の手綱に戻ったシーザリオだったが、スタートで後手を踏み、後方から3,4番手あたりの位置取りになっていた。
考えるほどに不利な状況の中、それでも道中、福永騎手は動かなかった。

迎えた最後の直線。
狭いところからようやく外に持ち出し、追い出す福永騎手。
その檄に呼応して、末脚を爆発させるシーザリオ。
上がり3ハロン、33秒3。
3歳牝馬には極限ともいえる末脚で、エアメサイア、ディアデラノビア、エイシンテンダーを、外からまとめてかわした。

府中のチャンピオンディスタンスで、その受け継いだ血が、爆ぜた。
巻き返しというには、あまりにも鮮烈な末脚での戴冠だった。

オークスが終われば、多くの馬は秋に備えて休養に入るものだが、シーザリオは新しい挑戦のために渡米する。
7月3日、アメリカのハリウッドパーク競馬場で行われたGⅠアメリカンオークスに出走した。前年、ダンスインザムードが2着に入った舞台である。

シーザリオと福永騎手は、大外12番枠からの発走から、道中は内の3番手のポジションをキープ。
前に馬を置きながら、折り合いに専念すると、楽な手応えのまま3コーナーで早くも先頭に立つ。

直線に入ると、後続馬との差を広げていき、2着のメローエインダに4馬身もの大差をつけて、栄光のゴールを駆け抜けた。
日本調教馬による、アメリカGⅠ初制覇の偉業が達成された瞬間だった。

このアメリカンオークスで、シーザリオが退けた馬の名を見ていると、2010年代の日本競馬を彩った名馬たちの母の名前が見つかる。
3着に入ったシンハリーズは、2016年の桜花賞を勝ったシンハライトや、2011年のGⅢラジオNIKKEI杯2歳ステークスを制したアダムスピークの母である。
またこのレースでハナを切ったものの、9着だったイスラコジーンも、馴染みのある名前ではないだろうか。2014年の皐月賞を制し、ダービーでも2着に入ったイスラボニータの母である。
そして11着だったシルクアンドスカーレットの産駒で、外国産馬として輸入されたのが、2011年のGⅠマイルチャンピオンシップを勝ったエイシンアポロンである。

これらの牝馬が出走したレースを、圧勝したシーザリオ。
その底知れない能力の高さを、世界に知らしめた。

しかし、残念ながらシーザリオの戦績は、ここで終わりを迎える。
繋靭帯炎を発症、そして再発により、2006年4月に現役を引退することとなった。


通算6戦5勝、2着1回。
もし、脚元が無事だったら、次はどこでその走りを見せてくれたのだろうか、という夢想は尽きない。

しかし、そんな「タラレバ」も、その後の繁殖実績を見ていると、霧散してしまう。
生まれた地であるノーザンファームに戻ったシーザリオは、次々と活躍馬を輩出する。

3番仔のエピファネイアは、菊花賞とジャパンカップを制覇。
種牡馬となってからは、2020年の無敗の牝馬三冠馬デアリングタクト、2022年の年度代表馬エフフォーリアといったチャンピオン級の産駒を輩出し、2022年度の種付け料は社台スタリオンステーションの中で最高額となる1800万円を記録している。

4番仔のロザリンドは繁殖に上がってから、オーソリティらを輩出。

6番仔のリオンディーズは、GⅠ朝日杯フューチュリティステークスを制し、種牡馬入りしてからは、2021年のサウジダービーを勝ったピンクカメハメハから、京都2歳ステークスを制したジャスティンロック、ダイヤモンドステークス勝ちのテーオーロイヤルといった、多彩な産駒を輩出している。

さらに9番仔のサートゥルナーリアは、ホープフルステークスと皐月賞とGⅠを2勝し、種牡馬入り。初年度から多くの繁殖牝馬を集め、その産駒は2024年にデビュー予定である。

そして、シーザリオ最後の産駒となる、12番仔のサートゥルナーリアの全妹は、2022年に2歳を迎える。

産駒から、3頭の牡馬GⅠ馬を出したシーザリオ。
さらにその3頭ともが、種牡馬として人気を集め、すでに産駒がデビューしたエピファネイア、リオンディーズは、重賞馬を複数出している。

さらに、前述のロザリンドをはじめとした牝馬からも、その血は広がり続けている。


冒頭に書いた通り、シーザリオは競馬の本義的な意味において、稀代の「名馬」であり、「名牝」だった。

その肉体としての生は2021年2月27日に、繋養中のノーザンファームで終わりを迎えた。
あまりにも突然の、悲しい報せだった。

しかしながらシーザリオが受け継ぎ、遺した血は、今日も生き続け、いまなおその広がり続けている。
その名は、今後長きにわたり、日本競馬の血統史に刻まれ続けることだろう。

その血の大河が流れ続ける限り、これまで先人たちが連綿と積み重ねてきた歴史が失われることはない。

数奇な運命から日本競馬を根底から変えたサンデーサイレンスや、マルゼンスキーの強さと持ち込み馬ゆえの悲哀や、シラオキ・フローリスカップといった日本競馬の礎となった牝系。

欧州の粋たるサドラーズウェルズや、そこに内包される名牝スペシャルの血──。

それらの名が、血が、走りが、記憶とともに残っていくのだ。

これから血統表にシーザリオの名を見つけるにつけ、おそらく何度も、そんなことを思うのだろう。

それは、これからも競馬を見続ける喜びであり、この上ない楽しみでもある。

参考文献
「ROUNDERS vol.5」治郎丸敬之、主婦の友社
「競馬 伝説の名勝負 2005-2009 ゼロ年代後半戦」小川隆行・ウマフリ、星海社

写真:Horse Memorys

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