![[追悼]ありがとうマイネルウィルトス。心に刻んでおきたい彼の蹄跡](https://uma-furi.com/wp-content/uploads/2025/06/0O9A9861-scaled.jpg)
いぶし銀の9歳オープン馬たちが、次々とターフを去って行く…。
ダービーデーの最終レース、目黒記念で9歳馬ハヤヤッコが故障発生で引退したのは、記憶に新しいところ。その前々日の金曜、同じく9歳馬のボッケリーニが引退し種牡馬になることが発表されていた。長い間重賞戦線に顔を出し、「今度こそ!」の夢と希望を乗せた1票で楽しませてくれた古豪たち。ピークを過ぎても3歳4歳の若馬たちを相手に同じ土俵で戦い、時折まとめて打ち負かすシーンと共に高配当をもたらす。競馬場には、彼らと時間を過ごし、応援したファンたちが多くいたはずだ。
そして、宝塚記念デーでメイショウタバル&武豊騎手の鮮やかな逃げ切りが決まった日。同じく9歳馬、マイネルウィルトスの訃報が発表された。
マイネルウィルトスの死去は、レース中や調教中の事故ではない。目黒記念(13着)のあと、放牧先で疝痛を発症し、腸炎を併発して亡くなった。ボッケリーニもハヤヤッコも去って行ったが、マイネルウィルトスは、まだまだ競馬場でがんばってくれるものだと思っていた。2000m以上の重賞レースの出走表で頻繁に登場する、マイネルウィルトスの名前。この秋のアルゼンチン共和国杯で、その名が刻まれていないことに気づいた時、きっと寂しさを実感するに違いない。
マイネルウィルトスは、生涯戦績45戦5勝2着11回。彼が駆け抜けた45戦は、中央競馬が開催する競馬場10場全てで記録されたもの。重賞勝ちこそないが、2022年の目黒記念、函館記念、2021年&2023年のアルゼンチン共和国杯と、通算で4度の2着を記録している。春夏秋冬、東西南北。マイネルウィルトスは、2歳秋の新馬戦から9歳時の目黒記念まで、一生懸命走り続けた正真正銘の「無事之名馬」である。

マイネルウィルトスといえば、新潟で行われた2021年の福島民報杯(リステッド競走・2000m)を思い出す。当日は雨が降り、ブルーグレイに染まったバッグストレッチからスタートした16頭が、不良馬場に苦戦する。1番枠でマイネルウィルトスに騎乗した丹内騎手は、どこを通っても同じとばかり最内の4番手につける。ショウナンバルディが先導する展開で直線に入ると、マイネルウィルトスは最内から馬場の四分どころに進路変更し、ショウナンバルディに並びかける。新潟の長い直線、各馬が脚を取られもがき苦しむ中、マイネルウィルトスは楽に先頭に立つ。後続の各馬の脚が鈍り、逆にマイネルウィルトスが丹内騎手の鞭に応えて末脚を繰り出すと、その差はどんどん開く。残り200m時点で独走態勢に入り、内からヨレヨレになって追い上げてきたプレシャスブルーに大差(1.8秒差)で勝利した。
オープンクラスのレースで優勝馬が大差勝ちしたのは、1998年の金鯱賞で優勝したサイレンススズカ(1.8秒差)以来23年ぶりのこと。ローカル競馬場のリスッテッド競走で不良馬場だったとはいえ、オープンクラスでの大差勝ちは凄いことである。2021年の福島民報杯でマイネルウィルトスの名を記憶した人も、きっと多かったはずだ。

福島民報杯以降、マイネルウィルトスの重賞挑戦が始まる。それは9歳の目黒記念まで18戦を数え、2着4回3着2回、5着までの入着率は55.6%を記録した。つまり、出走した半数以上の重賞レースで、マイネルウィルトスは掲示板に載っている。彼は、誰もがその名を知る名バイプレイヤーである。
マイネルウィルトスが、重賞レース出走時に1番人気になったのは、2022年函館記念と2024年のアメリカジョッキークラブカップの2度だけ。どちらも雨の重い馬場で、誰もが福島民報杯の不良馬場大差勝ちを思い出し、マイネルウィルトスを1番人気に押し上げた。
函館記念は楽な追走から、直線の入り口で先頭集団に大外から並びかけたものの、最内にいた同年齢のハヤヤッコの抵抗に遭い、悔しい3/4馬身差の2着。
アメリカジョッキークラブカップは、横山武史騎手が不良馬場を見越して逃げの戦法を取る。絶妙の逃げで後続集団を直線の坂の上まで抑えて先頭を死守したが、最後はボッケリーニ、チャックネイトらの追撃に飲み込まれ、0秒3差の5着に敗れる。
そして同期生のハヤヤッコと共に臨んだ、9歳時の目黒記念が引退レースとなった。

決して主役ではなかったマイネルウィルトス。それでも直線で外から伸びてくるのではという期待感をいつも持たせてくれた。
「今回は駄目だったが、次はアッと言わせてくれるはずさ!」
「スタンドを濡らす雨を見て、マイネルウィルトスの笑顔が思い浮かんだ…」
「マイネルウィルトスの年齢を感じさせない走りに、いつもパワーをもらった」
マイネルウィルトスには、コアなファンが多くいた。
人生の第4コーナーに差し掛かったおじさんたちは、「最後のひと踏ん張り」を共有し、競馬を始めたばかりのUMAJOたちは、おじさん馬の「本気のがんばり」が愛おしくて仕方なかった。

彼を応援し続けた人たちにとって、マイネルウィルトスは間違いなくスターホースである。重賞ウイナーで無くとも、同期のハヤヤッコやボッケリーニとは一線を画した、記憶に残る名馬だ。
雨に煙るブルーグレイのターフ。直線先頭で駆け抜けるマイネルウィルトスの雄姿を、いつまでも心に刻んでおきたい。
ありがとう、マイネルウィルトス。
そして、安らかに。
Photo by I.Natsume