[有馬記念]その走り、かくも偉大なり。 - 2013年有馬記念・オルフェーヴル

オルフェーヴルの走りを想うとき、吉川英治の描く「宮本武蔵」が想起される。

ふと。おのれッと思う。
満身の毛穴が、心をよそに、敵へ対して、針のようにそそけ立って歇(や)まない。
筋、肉、爪、髪の毛——およそ生命に附随しているものは、睫毛(まつげ)ひとすじまでが、みな挙(あ)げて、敵へ対し、敵へかかろうとし、そして自己の声明を守りふせいでいるのだった。その中で、心のみが、天地と共に澄みきろうとすることは、暴雨(あらし)の中に、池の月影だけ揺れずにあろうとするよりも至難だった。

──講談社 吉川英治歴史時代文庫21 「宮本武蔵(八)」p.362,363

1935年に新聞小説として連載を開始した、吉川英治の「宮本武蔵」。
人間・宮本武蔵がその内に宿す暴力的なまでの野性、それがゆえに目指した孤高の剣。
数々の有縁の人との出会い、別れといった人の世の織り成りの中で、剣の精進を通じて求めた道、あるいは明鏡止水のごとき境地。
そこに描かれる宮本武蔵を取り巻くドラマは、読む人を武蔵ともに戦いに誘い、ともに涙を流させ、ともに快哉を上げさせる。

吉川英治の描く「宮本武蔵」。
それは、当時リアルタイムで読んでいた読者のみならず、映画、大河ドラマ、漫画の原作を通じて、今なおそれに触れる人々のこころを揺さぶっている。

オルフェーヴルもまた、同じようにその走りを観る人のこころを、揺さぶり続けている。

勝利を飾った2010年8月のデビュー戦で、ゴール後に池添謙一騎手を振り落とすほどの気性の激しさ。
震災禍のため府中での開催となった2011年の皐月賞、暗い世相に希望の光を灯すような豪脚。
泥だらけの不良馬場を力強く突き抜けた、日本ダービー。
ディープインパクト以来の三冠を達成した菊花賞でさえ、入線後に池添騎手を振り落とす大暴れを見せた。

3コーナーで逸走しながら猛然と追い込んで2着と、狂気と闘争心の狭間で揺れた、前代未聞の2012年の阪神大賞典。
調教再試験後の天皇賞・春では、気の抜けた炭酸のような凡走。そして、宝塚記念での復活。
凱旋門賞、残り300mから魅せた規格外の末脚、日本中が言葉を失ったゴール前の闇。
1歳下の三冠牝馬、ジェンティルドンナと文字通り「激突」した、ジャパンカップ。
捲土重来の2013年凱旋門賞では、怪物牝馬・トレヴが同世代にいたことの不条理を嘆いた。

オルフェーヴルが走るたびに、それを観る人の感情は揺さぶられ、剥き出しにされるようだった。
時に歓喜し、時に落胆し。
時に目を丸くし、時に肩を落とし。
時に快哉を叫び、時に絶望の淵に追いやられ。
時に地団太を踏み、時に拳を突き上げ。
時に声を枯らして応援を送り、時に落涙し……。

オルフェーヴルの走りから、目を離すことができなかった。
一つのレースがドラマであるならば、オルフェーヴルの馬生もまた、一つの大きなドラマであるかのように、その走りを見る者の心を、そして魂を揺さぶり続けた。

人は、オルフェーヴルの走りのなかに、自分の忘れかけた何かを見つける。
あの金色のたてがみをたなびかせながら走る、その姿。
時に激情に任せ、時に雄々しく、時に破天荒に、時に答えを探すように、時に孤独に、時に美しく走るその姿に、人は自分のかけらを見つける。
それは、どこかでなくした自分なのか、いつの間にか忘れていた自分なのか、いつか夢見ていた自分のかけらなのか。
だからこそ、感情は揺れ、胸の奥底から涙はあふれ、いつしか情熱の炎は灯り、やがて明日への希望は宿る。

だから、オルフェーヴルの走りは、吉川英治の宮本武蔵を想起させるのかもしれない。


吉川英治の宮本武蔵は、当初200回程度の予定だったという。
しかし、連載中の反響の大きさから、結果的に最終章を書き終えたときには、1000回余りの大作にまで発展した。
ただ、どれだけ物語が膨らんでも、宿命の好敵手・佐々木小次郎と巌流島の対決をピリオドに持ってくることは、不動の構成だったのだろう。

オルフェーヴルにおいても、その3年余りの激動の現役時代のラスト・ランが有馬記念になることは、予定調和だったのかもしれない。
2013年、秋。2度目となったフランス遠征から帰国した陣営は、暮れのグランプリ、有馬記念を引退レースの舞台に選んだ。

暮れの中山を舞台にしたグランプリは、するすると落ちていく夕陽のやわらかな光に包まれ、ある種の様式美ともいえる寂寥感を覚える。
それは、激情と波乱、挑戦と蹉跌、そして絶望と歓喜の馬生を送ってきたオルフェーヴルのラスト・ランには、とてもふさわしいようにも思えた。

2013年12月22日。
毎年季節が規則正しくめぐるように、有馬記念もまた規則正しくやってくる。
同じ中山競馬場、同じ3コーナーのスタート地点、同じゴール板。
されど、そのドラマは一つとして同じものはない。
それを観る数多の人の生が、一つとして同じものはないように。

冬至の日の穏やかな夕陽を浴びながら、16頭が飛び出す。
逃げ馬不在の中、福永祐一騎手のルルーシュがじわりと先頭に立つ。
内からカレンミロティックが差のない番手につけ、3番人気のアドマイヤラクティはクレイグ・ウィリアムズ騎手が先団の5,6番手あたりに収める。
2番人気のゴールドシップは、ライアン・ムーア騎手が一呼吸ごとに気合をつけながら、後方からの追走。

オルフェーヴルは、その後ろにいた。
ゴールドシップとは対照的に、池添騎手は繊細に手綱を引きながら、いつも通り折り合いに専念しているように見えた。

逃げたルルーシュを、番手のカレンミロティックがつついて楽にさせなかったことで、レースは淀みのないペースで流れていく。
一度も1ハロン13秒台に落ちることないペースで進む馬群は、日陰になるスタンド前から、再び日の当たる1コーナー、そして向こう正面へ。淡々としながらも、しかし確実に地力の問われる展開となった。
折り合いと位置取りと、そこから導き出される仕掛けのタイミング、16頭の思惑が交錯する、向こう正面。
その張り詰めた緊張感に、息を殺していた刹那だった。

動いた。

静から動への移行は、想像していたよりも早かった。
3コーナー過ぎから、オルフェーヴルの赤い帽子が進出。
残り600mの標識を過ぎ、前に置いていたゴールドシップをあっという間にかわして、ほぼ一団となっていた馬群を大外から一気に捲っていく。
その勢いは、すでに先頭を射程に捉えていた。

あの2012年凱旋門賞の、フォルスストレートを抜けた直線のように。

2度の凱旋門賞挑戦、その両方とも乗り替わりとなっていた池添騎手。
その胸中を推し量ることは、できない。

けれど栗毛の馬体と赤い帽子は、そうした邪推や喧騒をも置き去りにするように、上がっていった。
躍動するその走りは、どこか、静けさとともにあった。
そして、なぜかその静けさは、オルフェーヴルが生涯で見せてきた激情と狂気、暴力的なまでのエネルギーと、相似であるようにも思えた。
それは、吉川英治の宮本武蔵が、最後の巌流島の決戦で到達した、精神あるいは求道としての剣と、どこか重なるのかもしれない。

4コーナーで早くも先頭に立ち、直線へ。

伸びる。
どこまでも、伸びる。
2馬身、3馬身と、離していく。

内ラチ沿いを、まっすぐに。
もはや、併せる相手も、競う相手も、何もなかった。

独走。
突き抜けた。

ゴール前で、池添騎手はすでに手綱を緩めていた。

オルフェーヴル1着。
大きく離れた2着には後方から脚を伸ばしたウインバリアシオン、ゴールドシップはそれに1馬身半届かずの3着。

ラスト・ランの有馬記念で魅せた、圧巻の8馬身差。

サラブレッドではない、なにものかが駆け抜けたようにも見えた。
見た目の派手な着差、大歓声の上がるスタンドとはうらはらに、どこか静けさを纏っているようにも見えた。
ただ、己がこころの思うままに、駆け抜けたようにも見えた。

それは、ラスト・ランとしては、あまりにも強く、あまりにも速く、あまりにも美しすぎる走りだった。


時にドラマやものがたりは、それを見る人の魂を救う。

吉川英治は、ある京都の画家から、「宮本武蔵」に救われたと告白されたと述べている。
その画家は、生活苦の果てに一家心中を決めたが、その日の新聞の夕刊に掲載されていた「宮本武蔵」の中で、武蔵が朝熊山を登る一節を読み、死を思いとどまったと言う(講談社 吉川英治歴史時代文庫14「宮本武蔵(一)p.5より)。

さもありなん、と思う。

もしオルフェーヴルの走りが、その戦績が、一つのドラマであるならば。
その走りに救われた人が、いる。

オルフェーヴルが残したもの。
偉大なる戦績。
ディープインパクト以来のクラシック三冠達成、そしてGⅠ6勝の栄光。
日本調教馬唯一の、凱旋門賞2度の2着。

あるいは、その受け継いできた偉大な血の力。
父・ステイゴールドの狂気と歓喜の血、そして歴史に埋もれかけていた母の父・メジロマックイーンの血を、日本競馬の血統史のなかに深く刻んだこと。
その血からは、ラッキーライラック、エポカドーロといったGⅠ馬や、オセアグレイド、トゥルボー、ジャスティンといった個性派、果ては、アメリカのブリーダーズカップ・ディスタフで日本調教馬初の海外ダートGⅠ勝利の快挙を成し遂げた、マルシュロレーヌが輩出されている。

けれども、オルフェーヴルの走りを観る人たちの心に宿したものもまた、大きなものなのだろう。
「辛くなった時、しんどくなった時、あの2013年の有馬記念のオルフェーヴルの走りを見返すんだ」と語る知人がいる。
あのラスト・ランを観て、競馬に憑かれた人を知っている。
「あの走りを観て、勇気を出そうと思った」と語る人がいた。

人は、なぜ生きるのか。
馬は、なぜ走るのか。

命の尊さに理由などないように、その問いに正解があるはずもない。
けれど、一つの答えとして、「誰かに影響を与えるため」とは言えるのではないか。
言葉を変えるならば、「誰かのために生きる」とも表現できるのだろう。

それは決して、自己犠牲的な意味ではなく。
危ういまでの気性と激情、あるいは大いなる栄光と、その対にある挫折も。
己の抱えたすべてを、世界に晒して生きる、という意味だ。

オルフェーヴルの走りは、命の輝きであり、生命そのものだった。
その白眉といえるラスト・ラン、2013年有馬記念。突き抜けた8馬身差。
その差は、オルフェーヴルが己の内に抱えた、激情と静けさの彼岸のようだった。

それは、時を経ても、いつまでも。
観る者の魂を揺さぶり、そして燃え尽きた心にも希望の炎を灯す。

その走り、かくも偉大なり、オルフェーヴル。

写真:Horse Memorys

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