[有馬記念]中山の野に陽炎を断つ覇王、テイエムオペラオー - 2000年有馬記念

私は人混みが苦手だ。

四半世紀前、進学のため東京に出てきた私は、何も知らずに大学から「電車で20分」の街にアパートを借りた。

1限目の授業に出席するために電車に乗ると、私が幼少期を過ごした田舎町の総人口を凌駕する乗客を一編成にのみ込んだその電車は、大学の最寄り駅に着くのにその倍近くの時間を要した。東京の通勤ラッシュの過酷さを私は知らず、「電車で20分」の下に(※ただし平日朝を除く)と書かれていることを私は見逃していたのだ。

アパートの契約期間2年を待たずして、私は大学に自転車で通えるアパートに引っ越した。

「有馬記念、見に行こうぜ」

2000年冬、私はそう声をかけられた。私には「クリスマスイブだけど……」と前置きするような気づかいが不要であることは、周知の事実だった。

迷った。

有馬記念はそれまでずっとテレビで見ていた。

人混みの苦手な私は、映し出されるスタンドの、その立錐の余地もない様を見るにつけ、二の足を踏んでいたのだ。

「いや……ちょっと……中山は、混んでるから……」

友は言った。「ステイゴールドが勝ったらお前一生後悔するぞ」

「行く」

即答していた。

あぁ、「行く」と言ってしまった。

「有馬をまともに見たいなら……」友は続けた。

一、昼飯は持参すべし。

一、飲み物も持参すべし。ただしトイレには行けないと心得よ。

一、馬券は土曜に買っておくべし。

こうなったら後には引けない。

友の言いつけを忠実に守った私は、前日にステイゴールドの単勝をウインズで買い、水分を控え、リュックにコンビニで買ったおにぎりとペットボトルの水を1本、そして双眼鏡を詰め込んで、夜明け前、船橋法典駅に向かった。

どこの入り口から入ったかとか、どういう経路を通ったとかの記憶はない。ただ開門と同時に友が導くまま走りに走り、気づけばゴール前、やや高いところにある席を確保できていた。

見下ろせば、あとからあとから押し寄せてくる人の波。通路もあっという間に観客で埋まった。

時が経つにつれて、友の言った三カ条が身に染みた。

馬券を買いに行こうとか、飯食いに行こうとか、ちょっとトイレとか──そんな悠長なことを言っていられる状況ではなくなっていた。何かをしようとすれば、十重二十重の人混みに突っ込んでいかなければならない。一度席を立つと、もうここには戻れない。有馬記念をこの目で見ることは不可能になる。

「な!」

友の視線が、そう言っていた。


20世紀最後の1年となった西暦2000年、中央競馬は一頭の名馬が古馬GⅠを席巻していた。

テイエムオペラオー。

前年、皐月賞を大外一気で完勝し、クラシック戦線でダービー馬アドマイヤベガ、菊花賞馬ナリタトップロードとの「三強」対決を演じた彼は、年末の有馬記念でグラスワンダー、スペシャルウィークの死闘に食い下がって3着に健闘した。

2000年になると、京都記念、阪神大賞典、天皇賞(春)、宝塚記念、京都大賞典、天皇賞(秋)、そしてジャパンカップ……テイエムオペラオーは出走したGⅡ3戦、GⅠ4戦すべてで1番人気に推され、そして全部勝った。

ナリタトップロード、ラスカルスズカ、メイショウドトウ、グラスワンダー、ステイゴールド、そしてファンタスティックライト。数多の強豪の挑戦をことごとく跳ね返すその姿は、まさに「世紀末覇王」の二つ名がふさわしいものであった。

そしてクリスマスイブ。

テイエムオペラオーは年間8戦8勝、重賞8連勝、年間GⅠ5勝、そして史上初の秋古馬三冠完全制覇をかけて、中山競馬場に乗り込んできたのである。

冬至を過ぎたばかりの12月24日、午後3時を過ぎた中山競馬場のターフには、返し馬のキャンターに入る各馬の影が早くも長く伸び始めていた。

テイエムオペラオーの前にGⅠ3度の2着と苦杯をなめ続けてきたメイショウドトウがいた。

前年の「三強」から転じて挑戦者の立場になったナリタトップロードがいた。

98年クラシック世代の誇りをかけて引退レースに臨むキングヘイローがいた。

春の目黒記念の歓喜以降、再び善戦マンに戻っていたステイゴールドがいた。

そして私の眼下には無数の人の群れが、さざ波のように揺れながらスタートを待っていた。

そこから立ち上る熱気のせいか、私の目に映る中山の芝コースは、まるで陽炎が漂っているかのように、小刻みに震え、ゆらゆらと揺れているように見えた。

スターターがスタート台にむかって歩を進めた。

真っ黒に染まったスタンドに白が浮かび上がってきた。競馬新聞、レーシングプログラム…。それぞれが思い思いの何かをメガホン代わりに片手に握りしめて掲げ、その時を待った。

スターターを乗せたスタート台がせり上がる。待ちきれない観客が思い思いのテンポで手拍子を打つ。

ファンファーレが響く。

ばらばらだった手拍子が、いつもより若干速いファンファーレのテンポに収斂していった。

そして地鳴りのような大歓声。

──私は、すべてに圧倒されていた。

視線の先には陽炎の向こうに揺れて歪んで見える芝コース、耳をつんざくは私の田舎の総人口にゼロを2つ足した数のヒトが一斉に放つ歓声。視覚と聴覚は、私のキャパシティを超えかけていた。

私はただ「すげぇ……すげぇ……」と、うめくのが精いっぱいだった。

有馬記念のスタートが切られた。

私は持ってきた双眼鏡で、何とかステイゴールドの姿をこの目に焼き付けようと必死だった。

しかし、歓声に揺れるスタンドと、陶酔感でふるえる両腕と、陽炎にゆがむ視野とで、道中のステイゴールドの様子をとらえることは、ほとんどできなかった。

常に中段内目を進んだ後藤浩輝騎手鞍上のステイゴールドをようやくレンズの先にとらえた2周目3、4コーナー。ステイゴールドは急に態勢が崩れたように見えた。一瞬肝が冷えた。その時友が言った。

「テイエム、これ負けるぞ……!」

その声に、私は双眼鏡を外した。

テイエムオペラオーは、前と左右を完全に固められたまま、4コーナーを回ってくるところだった。

最高潮に達しゆく歓声の中に、悲鳴とうろたえが混じって聞こえてきた。

揺れる視界の中、固まる馬群の後方で、テイエムオペラオーは行き場を失っていた。テイエムは来ないのか。そう思った。

次の瞬間、友が言った。

「テイエムが来た!」

私の視野で揺れていた陽炎を切り裂いて、はっきりとテイエムオペラオーの姿が見えた。

本当だ。テイエムが来た。テイエムが来た!

馬群の隙間を縫ったのか、自ら進路をこじ開けたのか、テイエムオペラオーが物理的にあり得ないところから突き破って抜けてきたように、私には見えた。

外には一歩先に抜け出したメイショウドトウ。

テイエムが突き抜ける。

メイショウドトウが差し返す。

メイショウドトウと、テイエム……!

ゴール板を、2頭がもつれるように通過した。

わずかに、テイエムオペラオーがかわし切っていた。

歓声が、感嘆に変わっていった。

「すげぇ……」私はうわごとのように繰り返していた。そう、友があとで教えてくれた。

私が放心状態から我に返ってみれば、日は既に傾いていた。


あまりの喧騒にあてられて前後不覚になりながら何とか帰宅した私は、しばし息をついたのち、録画していたビデオテープを巻き戻して有馬記念を繰り返し見た。

最後の最後に大外から突っ込んでくるキングヘイローの姿がそこにはあった。

鐙が外れるほど大きく体制を崩しながらもそこから遮二無二盛り返し、直線あわやのシーンを作ったステイゴールドの姿がそこにはあった。

そしてテイエムオペラオーが直線絶望の淵に立たされた理由が、少しだけわかった。1周目の4コーナーから武豊騎手とアドマイヤボスがテイエムオペラオーを外からマークし、テイエムオペラオーの外への進路を完全に遮断していた。鳥肌が立った。

しかし、どうやってテイエムオペラオーが直線幾重にも立ちふさがる壁を突き抜けて来たのか、それだけは当時の私には理解できなかった。それがテイエムオペラオーの「強さ」なのだと、納得するしかなかった。

何せ、幾たびも大一番を伝えてきた大ベテランの実況アナウンサーですら、我を忘れんばかりに、そして滑舌が崩れるほど、テイエムの絶体絶命とそこからの奇跡を叫んでいたのだから。

テイエムは来ないのか!テイエムは来ないのか!

テイエム来た!

テイエム来た!

テイエム来た!

テイエム来た!

テイエム来た!

テイエム来た!

抜け出すか!

メイ’ヒ’ョウ’ロ’トウと、テイエム!

テイエム!

テイエム!

テイエムかぁ!テイエムかぁわずかにテイエムかぁ!

──2000年12月24日、フジテレビ「スーパー競馬」より

あれから幾年もの月日が流れた。

年間重賞8連勝、年間GⅠ5勝。

20世紀末の1年間でテイエムオペラオーが作った記録は、今ももちろん健在だ。おそらく今後も「アンタッチャブル・レコード」であり続けるのではないか。

そして私も、今でも人混みが嫌いだ。

私は迷わず地元にUターンしての就職を選んだ。朝のラッシュ時でも、電車の所要時間は変わらない。

最近では人混みに「密」という二つ名が付き、大義名分を得た私は存分に密を避けまくっている。

一方で競馬中継を見ると、そうした性質とは裏腹に、どこからか寂しさがこみあげてくる。

たった一度経験した中山の、あの熱気と、喧騒と、陽炎と、歓声と、震えは、もう望んでも二度と経験できないモノなのかもしれない……と、考えてしまうのだ。

次に訪れる有馬記念は、どのような有馬記念になるだろうか。狭き門を潜り抜けた入場客の歓声代わりの大きな拍手と、全国からテレビの画面に送られる熱い熱い視線で、中山の芝に陽炎がたつほどの熱戦になってほしい。

そしていつの日か、またあのスタンドで押し合いへし合いしながら声の限りに叫べる日が来るといい。

……いや、「行く」とは言ってないけど。

写真:かず

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