巷で話題になっているゲームアプリ「ウマ娘 プリティーダービー」。
実際の競走馬をモデルにしたこのゲーム。登場するウマ娘たちの中に現役で走っている馬をモチーフとしたキャラクターはいませんが、子供、孫あるいは親戚にあたる馬が現役で駆けている例はたくさんあります。
そういった競走馬を「ウマ娘 プリティーダービー」から競馬を持った方々にも応援してもらいたい。そんな思いからこの「今も駆ける スターの血を引く者」では、ウマ娘にも登場するキャラクターのモデルとなった競走馬と血縁関係に当たる馬を、その週のレースからピックアップして紹介していきたいと思います。
今週は合計2頭の新馬を紹介します。
土曜阪神6R ブルックレット
阪神のダート1800mでデビューするブルックレット。この馬の母父ディープスカイはアグネスタキオンの産駒であり、アグネスタキオンが故障で断念した日本ダービーを制した孝行息子でした。
先週は「3強対決」で大いに盛り上がった天皇賞秋ですが、このディープスカイが出走した2008年の天皇賞秋も「3強対決」と評されていました。
1頭は先述のディープスカイ。その年の日本ダービーを制した後、秋の復帰初戦神戸新聞杯も勝利で飾り、距離適性を考慮して天皇賞に駒を進めました。
残る2頭は1世代上の最強牝馬2頭、ダイワスカーレットとウオッカでした。
ウオッカはダービー制覇後、長らく勝てないでいましたが、その年の安田記念を3馬身半差で完勝しダービー馬としての貫禄を見せつけました。毎日王冠は折り合いを欠いて逃げる形になり2着に敗れていましたが、折り合いがそのポテンシャルの高さは疑いようがなくこの天皇賞でも1番人気を集めていました。
ダイワスカーレットはウオッカの「爆発的な強さ」とは対照的に「大崩れのない安定感」が魅力。対牡馬・古馬との対戦になった後も有馬記念2着、大阪杯1着とコンスタントに結果を残していました。しかし、この天皇賞はその大阪杯以来の休み明け。力を100%発揮できるかは微妙とされていました。
この3頭だけが単勝オッズ10倍を切る人気で4番人気ドリームジャーニーの単勝オッズは14.6倍。多くの人が「この3頭の争い」と考えていました。
レースはダイワスカーレットが休み明けのせいかややかかり気味に逃げの手に出る展開。ウオッカとディープスカイのダービー馬2頭は中団でその様子をうかがっていました。
1000m通過タイムは58.7秒。当時のレコードタイムが1.58.0ですから、やや速めの流れと言えるペースでした。そこから直線に入るまでの400m。ダイワスカーレットとしてはやや息を入れたいところでしたが、外から仕掛けてきたトーセンキャプテンにつられてペースを緩めることが出来ず、200m毎にはかるラップタイムはスタートから200m地点を過ぎてから11.1-11.5-11.9-11.6-11.6-11.7と一度も12秒台になることなく直線に向いていきます。
直線に入り残り400mまで先頭をキープするダイワスカーレット。しかし、そこから中団を走っていたダービー馬2頭、ウオッカとダイワスカーレットが襲い掛かってきます。
残り200m馬体を併せて追ってくるウオッカとディープスカイが一旦は完全にダイワスカーレットを抜き去ったように見え、そこからはダービー馬同士の一騎打ちが始まる。誰もがそう思いました。
しかし、残り100m、ディープスカイとウオッカの叩き合いをウオッカが制しややウオッカが前に出たその刹那、内からもう一度巻き返してくる栗毛の馬体。ダイワスカーレットが差し返してきました。
明かに一度は限界を迎えたはずなのにそこから差し返してくる底力、負けたくないと言う意志。筆者にとって競馬で「鳥肌が立つ」経験をしたのはこのレースが初めてでした。
最後は内外でウオッカとダイワスカーレットが横一線でゴールイン。ディープスカイは僅かに遅れた3着でした。
「どっちが勝ったんだ?」
スタンドにいた観客も、テレビの前で見ていた視聴者も、固唾を飲んで見守る中、競馬中継が終わるかどうかギリギリの15時56分。電光掲示板の1着のところにはウオッカの馬番である「14」が映し出されました。
筆者はダイワスカーレットを応援していたこともあり
「あれだけのレースをしたダイワスカーレットが勝者になれないのか」
と少し悲しい気持ちになりましたが、それでもこんな素晴らしいレースを見れた満足感の方が上回っていましたし、そんな素晴らしいレースを見せてくれたウオッカ、ダイワスカーレット、ディープスカイにはいまだに感謝の念しかありません。
少しディープスカイの話からはそれてしまったかもしれませんが、2008年の天皇賞秋はそれくらい素晴らしいレースです。個人的には「21世紀最高のレース」と思っているので、まだ見たことない人は是非見てみてください。
日曜東京5R ナイキグロ
東京の芝1800mでデビューするナイキグロ。父はゴールドシップ(その母の父メジロマックイーン)、母の父はアグネスデジタルです。
アグネスデジタルは2001年に天皇賞秋を制しています。
当時の天皇賞は外国産馬に出走枠が解放されて2年目。とは言え、その枠は制限が設けられており獲得賞金上位の2頭だけの出走が許されていました。
1頭はその年の宝塚記念を制したメイショウドトウ、もう1頭はその年のNHKマイルカップを制したクロフネ………、のはずでした。
しかし、直前になってアグネスデジタルが出走を表明したことによりその出走枠はアグネスデジタルのものとなり、クロフネは出走することが出来なくなりました。
当時、クロフネはアグネスタキオン、ジャングルポケットなど「ハイレベル世代」と目されていた3歳世代の中でも随一のポテンシャルがあるとされていた馬。また、前年の宝塚記念からその年の宝塚記念まで中長距離G1のすべてがテイエムオペラオーとメイショウドトウのワン・ツーで決まっており、「この2頭の覇権に風穴を開ける存在」として期待されていた馬でした。
一方のアグネスデジタルは、前年のマイルチャンピオンシップを制したとはいえ、それ以降の芝のレースでは目立った成績を上げられていませんでした。一方で、ダートでは日本テレビ盃、マイルチャンピオンシップ南部杯と2連勝を飾り「アグネスデジタルはダート馬」と言うイメージが固定されつつありました。
その為、ファンの間では「クロフネに出てほしかった」「なんでアグネスデジタルが出てくるんだよ」と言う声も少なくなかったことを記憶しています。
降りしきる雨の中行われた天皇賞。アグネスデジタルを管理する白井寿昭調教師は鞍上の四位洋文騎手に指示を出します。
「観客席に向かって追え!」
開催が進んでいたことと、雨が降ったことでそれまでのレースでボコボコになったインコースを通るのではなく、距離損覚悟で馬場の比較的良い大外を回ってこい。そう伝えました。
四位洋文騎手はその指示に従い4コーナーで大外に持ち出すと、その作戦はピタリと的中。内目を通って抜け出したテイエムオペラオーを、マイルチャンピオンシップでも見せた自慢の末脚で差し切り優勝。白井寿昭調教師はスペシャルウィーク以来2度目の天皇賞秋制覇となりました。
これ以降アグネスデジタルは香港カップ、フェブラリーSと連勝し「芝・ダート問わない名オールラウンダー」として歴史に名を刻んでいくことになります。
一方のクロフネは、天皇賞秋前日に行われた武蔵野Sに矛先を変え、このレースを当時のレコードタイムを1.2秒上回るタイムで9馬身差圧勝。続くジャパンカップダート(今のチャンピオンズカップ 当時は東京2100mで施行)をこれまた当時のレコードタイムを1.3秒上回るタイムで7馬身差圧勝。残念ながらこのレースの後に故障で引退してしまいますが、たった2戦で「歴代ダート最強馬」と多くの人に思わせるほどの強烈なインパクトを残しました。
ゆえに、この2001年の天皇賞秋は2頭の競走馬にとって大きな岐路となったレースと言えるでしょう。
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