筋肉の鎧を纏うスプリントの絶対王者が、すべてを薙ぎ倒すように抑えきれない手応えで淀の坂を駆け下りる。その直後に迫るのは研ぎ澄まされたマイルの女王。場内のボルテージが上がる。一転、2頭の周りは静寂に包まれる。2頭だけの世界、これが最後の戦い──。
馬体を合わせた2頭はそこから数十メートル。互いの力を確かめ合うように、力の全てを出し切るように鍔迫り合い──それから彼女は悠々と飛翔した。まるでこれが最後のフライトだと知っているかのように、大きな翼を拡げて、最後のゴールへと。
マイルに花咲く恋の道…そんな思いを抱くことがある。
オトコとオンナの争い、煌めく個性のぶつかり合いに、私は勝手な個性を投影し、睦まじさを覚え、各々への想いを昇華する。
たとえばダイタクヘリオスとダイイチルビー。
武骨なヘリオスと可憐なルビー…。重厚さと軽やかさ。2つの異なる大きな才能は感情を前面に出し、時に意地を張りあっているように思えた。多くの競馬ファンはいつしか2頭をカップルになぞらえ、アオハルを思わせる純愛の行方を見守っていた。
たとえばダイワメジャーとダンスインザムード。
同じ年に生を受けた皐月賞馬と桜花賞馬。同じ父を持ち決して交わることのない禁断の恋は、それ故の許されざる魅力に満ちていた。メジャーの背を追いかけるダンスインザムード。がっぷり四つの正攻法を見せるアンカツを一閃せんとするユタカの意地。名手2人に導かれた2頭の戯れは地の果てまでも駆け抜けるランデブーを思わせた。
たとえばソングラインとシュネルマイスター。
同じ勝負服を纏う2頭の戦いは「しなやかさVSしなやかさ」。現代のマイル戦に求められるスピードと持続力をいずれ劣らぬ高いレベルで具有し、府中の長い直線でその能力を全開にした。2頭はどちらも高い総合力を持つ生真面目な優等生。実直に駆け抜け、鼻面を並べながら互いに一歩先んじようとゴールを目指した。
1994年。スプリント界に君臨していたのはサクラバクシンオー。その名に違わぬ重厚な力強さはまさに驀進の王。力任せのスピードですべてを薙ぎ倒し、ライバルを圧倒し、無人の野を突き進み、短距離界の王者として君臨していた。
そんな彼の前に現れた一輪の花はマイルのヒロイン、ノースフライト。華やかな桜の舞台に乗ることは叶わなかったけれど、遅れてきたシンデレラはたった1年半。11戦の蹄跡で眩いばかりの輝きを放った。
私はそのとき、可憐な彼女に惹かれ、彼と繰り広げるに恋物語にときめいていた…と、言われている。
彼女が輝いた1994年の競馬は、とても華やかで、彩り豊かで、楽しかった。
三冠路線をひた走るナリタブライアンがいた。古馬王道を平定するビワハヤヒデがいた。突出した2つの光が交わる日をファンは心待ちにした。
女傑ヒシアマゾンがいた。春のクラシックへの出走権を持たない彼女は6つの重賞を次々に射止め、同期のオークス馬チョウカイキャロルとの熾烈なマッチレースを制して最強を宣言した。
アイドルホースの妹・オグリローマンが桜咲く仁川でみんなを笑顔にした。芦毛の遺伝子は、兄が果たせなかったクラシック制覇の夢を掴み取った。
サンデーサイレンス産駒の長兄、フジキセキがいた。サンデーサイレンス旋風の先頭を走り、新しい時代の到来を告げる風がターフを吹き始めた。
武豊騎手が海を渡った。スキーパラダイスでG1を制し、ホワイトマズルで世界の頂に手を掛けた。名手が今なお続く大願への挑戦を始めた年。日本と世界の距離が確かに近づいた。
1994年はとても幸せな時代だった。サンデーサイレンス以降の新時代が到来する直前の、まだ少し昔の競馬が残っている時代だった。
北海道浦河町、大北牧場。
古くは1965年の桜花賞馬ハツユキから、京都新聞杯と京阪杯を制して鋭い末脚で大舞台を沸かせたテンザンセイザ、国分恭介騎手との名コンビだったテイエムオーロラ、金色のたてがみをなびかせるバビットまで、時代を超えて数多くの活躍馬を輩出してきた老舗牧場である。
この牧場が掴み取った大きな勲章のひとつは、ライトカラー。1989年の優駿牝馬では10番人気の低評価を覆し、断然人気のシャダイカグラを僅かに抑えてクラシックタイトルを手にした。20年以上ぶりのビッグタイトルを勇気に変えた大北牧場代表の斎藤敏雄氏は、翌年、次なる基幹繁殖を迎え入れようと社台の繁殖セールに足を運んだ。
セールで氏の目に留まったのはシャダイフライトという高齢の牝馬だった。自身が条件クラス止まりだったことに加えて産駒成績に特筆すべきものがなく、左目に弱視を抱える彼女への注目度は決して高くなかった。お腹の中に凱旋門賞を制した気鋭の新種牡馬トニービンの仔を宿しているにも関わらず、410万円という破格の安価で落札が叶った。残り少ないキャリアの中で産駒を何頭か取れれば、その中から後継牝馬が産まれてくれれば、そんな思いだっただろうか。
4月、立派な体躯を持つ1頭の鹿毛の牝馬がこの世に産み落とされた。母名と牧場名から授けられた『ノースフライト』の名には、「牧場に無事に戻ってきて欲しい」という思いもあったのかもしれない。ノースフライトは牧場の名義のまま、デビューに向けてじっくりと育成プロセスを進められた。
ノースフライトの存在を初めて知った日のことは、今でもよく覚えている。
それはデビュー2連勝で迎えた秋分特別。ふとテレビを見ると、春に一度も名前を聞いたことのなかったクラシック世代の牝馬が2戦2勝の戦績から単勝1.2倍の断然人気に支持されていた。
戦績を見ると、桜もすっかり散った5月新潟でのデビュー戦を9馬身差、続く小倉・足立山特別も8馬身差で圧勝しているようである。この頃にはベガとウイニングチケットの大活躍で、父トニービンの名前はすでに大きなブランドとなっていた。そして鞍上には今を時めく武豊騎手。
動画やインターネットが充実している今と違って、まだ全国の競馬の情報が手に入りづらく、映像も見られない時代。文字面から想像される彼女のプロフィールはワクワクに満ちていた。「遅れてきた大物」と評判の女の子の中央場所初見参。もしかしたら。ひょっとして……?その走りを見逃してはならぬとテレビにかじりついた。
結果は中団から伸びを欠いて5着。外枠を利して好位置に取りついたまでは良かったが、勝負処では手応え劣勢となり、そのまま盛り返すことができなかった。「こんなものだったのかなぁ…」と夏の幻に肩透かしを食らった気持ちを抱いた。
けれどその素敵な名前と聡明な顔つき、品のある所作はレースが終わってからも、「いい馬やったな」と妙に印象に残っていた。
2か月後。牝馬三冠最終戦、京都・エリザベス女王杯。
調整過程の狂いを乗り越えてなんとか間に合わせてきた二冠牝馬ベガ、3連勝でローズステークスを制した夏の上がり馬スターバレリーナ、春二冠連続2着の雪辱を期す可憐で可愛らしいユキノビジン。目移りするようなキラキラしたメンバー表の中で、私は彼女の名前と再会した。
秋分特別の敗戦で一度は閉ざされたかに見えたG1への道は、彼女自身の強さで再び切り拓かれていた。強行軍で東上した府中牝馬ステークスで最軽量50kgを利して年長のお姉さま方を一蹴し、大舞台への挑戦権を掴み取っていた。鞍上にデビュー5年目にして全国リーディングトップ10入りを果たしている気鋭の若手、角田晃一騎手を迎え、魅力あふれる伏兵の一角として5番人気の支持を集めていた。
レースは激流となった。ハナを奪ったケイウーマンは、開催が進んでそこかしこが掘れ上がった淀のターフを1000m58秒2の猛烈なラップで逃げる。緩むことのない速いペースでレースが進行する中、番手追走のスターバレリーナとユキノビジンは機先を制そうと更に前掛かりに淀の坂下で進出する。ノースフライトはベガと馬体を並べてじっと息を潜めている。
直線、大きく馬群が拡がる。深追いが祟って脚が鈍ったスターバレリーナとユキノビジンの間隙を縫って、海老色の勝負服のノースフライトが脚を伸ばす。残り200mで敢然と先頭に躍り出る。
最内を突いたデンコウセッカが、外からベガが追いかけてくるが、いずれも前に迫る脚色はない。ノースフライトの戴冠なったか!?と私は強く拳を握り締める。
次の瞬間、デンコウセッカの更に内に飛び込む水色の勝負服を視界が捉える。画面から見切れそうになるほどの激しい勢いで、その勝負服が一気に先頭に躍り出る。
「ベガはベガでもホクトベガッ!!」
実況アナウンサーが高らかに、大きな輝きを放つ東の一等星の名を叫んでいる。「砂の女王」となる前の、ホクトベガ伝説第一章の幕開け。ノースフライトが掴みかけた栄誉はあと一歩のところでスルリとその手から零れ落ちた。悔しい悔しい敗戦だった。
だが彼女にとって長丁場だったはずの芝2400mで強いレースを魅せた。ホクトベガにもベガにも劣らない輝きをノースフライトも放っていた。未来は明るいと思えた。
以降のノースフライトは、デビューが大きく遅れた馬とは思えぬほど順調にキャリアを積み上げた。
G1の激走から1か月後には当時芝2000mで施行されていた暮れの阪神牝馬特別に駒を進め2つ目の重賞タイトルを獲得。馬齢をひとつ重ねた1月の京都牝馬特別では57キロを背負いながら6馬身差の圧勝し、マイルに替わって一層の強さを見せつけた。返す刀で臨んだ3月のマイラーズカップでは同年の天皇賞・秋を制するネーハイシーザーとジャパンカップを制するマーベラスクラウンに完勝。
気が付けば、彼女は性別の枠を超えたマイルの強豪として全国区になっていた。
ノースフライトを担当する女性厩務員の石倉幹子氏も大きな話題を呼んでいた。京都大学を卒業して女性ホースマンの先駆けとしてこの世界に飛び込んだ才媛は、「フーちゃん」の愛称でパートナーの名を呼び、彼女が無事に次のレースに向かえるように心血を注いでいた。石倉厩務員とともにリラックスした様子のノースフライトの姿が報じられる度、競馬場では見られないプライベートな一面を垣間見た気がして、それが嬉しかった。
幼心の私にも女性ホースマンが活躍することは難しい環境だと感じていたから、女性厩務員とのコンビは一層麗しく見え、彼女らの大願成就を心の底から祈った。好きになる要素、応援したい要素がどんどん積みあがっていった。
迎えた6月、安田記念。3連勝と勢いに乗るノースフライトは、案外なことに5番人気の支持に留まった。
その理由はマイラーズカップと並ぶもう一つのステップレース、京王杯スプリングカップで海外勢、スキーパラダイス、ザイーテン、サイエダティ、ドルフィンストリートが上位を独占していたことにあった。迎え打った日本勢はホクトベガの5着がやっとの完敗。まだ海外と日本の力差があった1990年代。海外との力量差にショックを受けた多くの競馬ファンは、素敵なレディが目の前にいるにも関わらず、すっかり海外勢に『浮気』していた。
ノースフライトの前に立ちはだかったのは海外勢だけではなかった。ノースフライトを上回る支持を集めた日本代表はサクラバクシンオー。前年、日本一の座を掴み取った不世出のスプリンターは、強心臓の小島太騎手を背に海外勢に伍すことができる数少ない快速馬として期待を集めていた。
武豊騎手がフランスの名マイラー・スキーパラダイスの手綱を選んだことで空席となったノースフライトの背には、再び角田晃一騎手が戻ってきた。サクラバクシンオーとノースフライト。20歳以上年の離れた2人の勝負師、小島太と角田晃一。歴史に名を残す名スプリンターと名マイラーの邂逅だった。
レースはマザートウショウとマイネルヨースが果敢なハナ争いで幕を開けた。前半1000m56秒9はいかにも速かったが、日本一のスプリンターサクラバクシンオーは「スピード比べはお手の物」と言わんばかりに唸りながら追走する。スキーパラダイスは中団に構え、ノースフライトは早いペースに戸惑ったか、いつもより後方のポジションでなんとかリズムを整える。
直線入り口で勢いを失った逃げ馬勢を呑み込んでサクラバクシンオーは抑えきれない手応えで先頭に躍り出る。スキーパラダイスにステッキが入るが反応は薄い。その他の海外勢いも既に一杯。そんなライバル達を横目にノースフライトは勢いよく進出を開始し5~6頭広がった馬群の大外に出される。角田騎手のステッキにグンと反応すると、ザイーテンを、サイエダティを、スキーパラダイスをあっという間に撫で切り、サクラバクシンオーを追いかける。
小雨降る府中の長い長い直線。馬場の真ん中と大外で、力任せに先頭を突き進むサクラバクシンオーとしなやかに翼を拡げたノースフライトが競り合う。
──はじめまして。ごきげんよう。
──今日は負けても、いずれまた。
しばしの語らいの後、サクラバクシンオーを置き去りにしてノースフライトは鮮やかに抜け出していく。
更に後方に控えていたトーワダーリンが大金星を狙って飛び込んでくるが脚色は最後まで優勢だった。ノースフライトは歓喜のゴールに飛び込んだ。
「こんなにも強いのか」
海外勢に浮気した日本のファンは、ノースフライトの強さに脱帽し、不明を恥じ、そして日本の誇りだとに惜しみない喝采を送った。
夏場を休養に充てたノースフライトは秋、スワンステークスからマイルチャンピオンシップへのローテーションを発表する。挑戦者ではなく女王として、受けて立つ戦いが始まった。
彼女の歩む道に再び立ちはだかるのはサクラバクシンオー。例えマイルの舞台であったとしても、自身の強さを示すために負けたままでは終われなかった。オトコの意地とオンナの矜持のぶつかり合い。忘れられない最後のシーズンが幕を開けた。
第1ラウンドはスワンステークス。スプリントとマイルの丁度中間の芝1400mでの決戦。
快速のエイシンワシントンが飛ばしに飛ばし、59kgを背負ったサクラバクシンオーが番手をがっちりとマークする。ノースフライトは中団に控えて、サクラバクシンオーを射程に捉えてレースを運ぶ。
勝負処でサクラバクシンオーがいつものような唸る手応えでエイシンワシントンを呑み込み先頭に立つ。中団に構えたノースフライトは馬群を割って追撃する。逃げるサクラバクシンオー、追いかけるノースフライト。じわりじわりと差が詰まるが、バクシンオーの速さに削がれたフライトの末脚に安田記念ほどの迫力はない。バクシンオーの脚色は衰えない。馬体を併せることも許されない。
サクラバクシンオーはノースフライトを完封し、今度は最後まで先頭を譲らずゴール板を駆け抜けた。その勝ち時計は日本で初めて1分20秒の壁を破る1分19秒9。日本レコード決着となるスピード勝負の土俵で、サクラバクシンオーはノースフライトを圧倒して見せた。
第2ラウンドは1か月後のマイルチャンピオンシップ。
ノースフライトにとってはこれが引退レース、1勝1敗で迎えたオトコとオンナの、正真正銘最後の戦いだった。ノースフライト1.7倍、サクラバクシンオー3.3倍。3番人気のフジノマッケンオー11.4倍を大きく引き離し、2頭の一騎打ちをファンも支持していた。パドックでも本馬場でも2頭に大きな声援が送られている。バクシンオーは気の入った素振りを見せノースフライトは芝生の感触を確かめるように入念にウォーミングアップを行っている。ファンファーレが鳴り響き、スタンドのボルテージは最高潮に達する。
ゲートが開く。スタートを決めたサクラバクシンオーはハナを主張するフジワンマンクロスをやり過ごし番手に構える。背後にピタリとノースフライトが構える。
──見据えるのはライバルのあのオトコのみ。アイツを負かせば勝てるレース。
──見据えるのはライバルのあのオンナだけ。アイツを振り切れば勝てるレース。
追いかけているのか、追いかけさせられているのか。そこは2頭だけの世界。互いが互いを意識し、一瞬の踏み遅れが明暗を分ける静かな駆け引きが繰り広げられる。
4角で先に踏み込んだのはサクラバクシンオーだった。逃げたフジワンマンクロスを一息で呑み込んで先頭に立ち、ノースフライトを引き離しゴールへ突き進む。「速さ比べならば負けない」と言わんばかりの、スピードに勝るバクシンオーとフトシの勝負手だった。
マークしていたノースフライトは進路を外に切り替える。「ここはマイルの舞台。速さだけでは勝てないよ」と言わんばかりにグッと身体を沈ませて加速する。フライトと角田騎手が翼を拡げる。
一瞬開いた2頭の距離が再びじわじわと縮まりはじめた。周囲の音が消えたように思えた。
残り300m。フライトが尻尾を掴む。バクシンオーが逃げる。大柄なバクシンオーと、しなやかなフライト。2頭の逃避行。
残り200m。フライトとバクシンオーの馬体が並ぶ。バクシンオーは必至の抵抗を見せ、食らいつく。だがフライトの身体が前に出る。
残り100m。バクシンオーは止まっていない。けれどそれ以上にフライトが速い。じわりじわりと差が広がる。3着争いは遥か後方。
最後のゴールを駆け抜けたノースフライトは、有終を飾って春秋マイル女王の座に就いた。音を取り戻した競馬場んには大歓声が響いている。
最後の旅を終えたノースフライトの傍らでは石倉厩務員がホッとした表情で寄り添っている。レースを終えた後にも拘わらずノースフライトの表情は穏やかで優しげだ。夕日に照らされた淀のターフを競馬場を暖かい空気が包んでいた。とても美しい光景だった。
2着に敗れたサクラバクシンオーもまた、3着以下を大きく突き放し、強さの在り処を存分に示した。傑出した2頭の織り成した美しくも激しい戦いだった。1994年秋。淀のターフで、競馬の歴史に彩り豊かな1ページが加わった。
故郷・大北牧場に帰ったノースフライトにはノーザンテースト、ブライアンズタイム、サンデーサイレンスと時のリーディングサイアーたちが配された。その中の一頭、ミスキャストはオープンまで出世し、種牡馬として天皇賞馬・ビートブラックを輩出した。
複数の後継繁殖にも恵まれた。ハウオリから連なるラインは金子真人ブランドとなり、JRAで複数の勝ち星を挙げる素質馬を毎年のように輩出している。フェルメールブルーから連なるラインは重賞制覇にあと一歩まで迫ったエーブダッチマンを産み、曾孫の代では2023年に無傷5連勝でハイセイコー記念を制したダテノショウグンを輩出した。
直仔の代で大きなタイトルを獲ることは叶わなかったけれど、芝ダートを問わず大きく枝葉を拡げた彼女の遺伝子が尽きることはなさそうだ。
僅か1年半の濃密なキャリアの中で多くのファンを魅了したノースフライト。2018年1月にこの世を去ったけれど、彼女の血を継いだ子たちはこれからも競馬場を駆け続けることだろう。きっといずれまた、彼女に匹敵する駿馬も現れるはずだ。
私は楽しみにその日を待ちたい。しなやかで美しかった彼女の面影を残した仔に、再び恋する日が来ることを。
写真:かず