[マイルCS]タイキシャトルにダイタクヘリオス……マイルCSを連覇した名マイラーたち。

1984年、日本中央競馬会(のちのJRA)が大きな改革を実施した。

1つ目が重賞競走にG1、G2、G3を設けるグレード制の導入。今までの八大競走(皐月賞、日本ダービー、菊花賞、桜花賞、オークス、天皇賞・春、天皇賞・秋、有馬記念)をはじめとした、15個の重賞競走がG1レースとして格付けされた。

もう1つは短距離レースの競走体系における地位向上である。天皇賞・秋の距離が3200mから2000mに距離が短縮されるなど、スピード重視の競馬番組となった。そして、芝1600m(マイル)のG1レースとして、春はハンデキャップ戦であった安田記念を定量戦にして、G1レースとして位置づけ。さらに、秋には新しくマイルチャンピオンシップ(以下マイルCSと略)というレースが、G1レースとして新設された。

2021年で38回目を迎えるマイルCS。このレースを連覇した馬がこれまで5頭いる。その中から4頭を紹介したい。

※馬齢はすべて現在の表記に統一しています。

ニホンピロウイナー(1984年・1985年)

短距離路線が拡充された元年、1984年。1600m以下の距離での成績で『18戦14勝2着3回』という安定感を誇るスターホースが登場した。彼の名前は、ニホンピロウイナーという。

2歳(1982年)時にはデイリー杯3歳ステークス(現在のデイリー杯2歳ステークス)を制したニホンピロウイナー。3歳(1983年)には芝1800mのきさらぎ賞を制し、皐月賞に向かった。ところが、道悪競馬が苦手なニホンピロウイナーにとって不良馬場で行われた皐月賞はかなり厳しい条件。結局、勝ったミスターシービーから4.9秒差の最下位(20着)に終わってしまう。

ここで服部正利調教師はある決断をする。ニホンピロウイナーを日本ダービーには進めず、当時はマイナーだった短距離路線で歩むことにしたのだ。そして拡充されたばかりの短距離路線に進んだニホンピロウイナーは、初戦となった6月の阪急杯こそレース中の落鉄もあってか9着に敗れたが、秋以降はCBC賞を含む3連勝を飾り、この年の最優秀スプリンター(現在の最優秀短距離馬)に輝いた。

4歳(1984年)になったニホンピロウイナー。当然、安田記念を目標にしていたが、マイラーズカップ2着後に骨折が判明。ニホンピロウイナー不在の中、安田記念を制したのは2つ年上のハッピープログレスだった。そのハッピープログレスはスプリンターズステークス(当時はG3 以下スプリンターズSと略)、京王杯スプリングカップ、安田記念の「春の短距離三冠」レースを制した。

秋になって骨折から戻って来たニホンピロウイナー。初戦の朝日チャレンジカップ(今のチャレンジカップ)では60Kgのハンデを背負いながら快勝を収める。続けて挑んだのが、マイルCS前哨戦のスワンステークス(以下スワンSと略)。ここで、春の短距離三冠王のハッピープログレスと対峙することになるが、レースは予想外にあっけない決着となる。なんと、ニホンピロウイナーが2着のシャダイソフィア(1983年の桜花賞馬)に7馬身(1.1秒)差を付ける圧勝。ハッピープログレスは3着に終わったのであった。

迎えた、第1回マイルCS。

単勝1番人気はニホンピロウイナー。1.2倍と圧倒的な支持を得た。2番人気は3歳のダイゼンシルバーが9.7倍。春の短距離王者ハッピープログレスは単勝10.3倍の3番人気に支持された。オッズからも、ニホンピロウイナーがどんな勝ち方をするかが焦点となっていたと言って良いだろう。

先行するニホンピロウイナーに対して、追い込み競馬に徹するハッピープログレスが何処まで迫るかのか──。そんな戦前のイメージ通り、ゲートが開くとニホンピロウイナーは4番手に付け、ハッピープログレスは最後方に構える展開で京都競馬場名物の3コーナーの坂を上る。ところが、坂の下りで田原成貴騎手が一気にハッピープログレスを捲り気味に上げて来た。対するニホンピロウイナー・河内洋騎手は、冷静に馬をインコースに入れる。

最後の直線。内回りとの合流地点で河内騎手がステッキを入れると、加速してきたニホンピロウイナー。馬場の大外を通ってハッピープログレスが進む。シャダイソフィアも必死に抵抗するが3番手まで。当時のスプリント・マイル戦線でトップクラスのハッピープログレスとニホンピロウイナーの追い比べとなった。

しかし、最後はニホンピロウイナーが1/2馬身(0.1秒)差を付けてゴールイン。初代王者に輝いた。一方のハッピープログレスはまたしてもニホンピロウイナーに敗れる悔しい結果に。3着にはダイゼンシルバーが大外から迫った。

ハッピープログレスが引退し、残るは安田記念の勝利のみとなったニホンピロウイナー。5歳(1985年)はマイラーズカップを60Kgのハンデで制した。続くサンケイ大阪杯は8着に敗れたが、京王杯スプリングカップ、安田記念を制し、秋春のマイルG1レースを制圧。

秋は毎日王冠(4着)を挟み、天皇賞・秋へと出走する。勝ったギャロップダイナとは0.2秒差の3着(同着)と健闘した。

連覇の掛かったマイルCSでは天皇賞・秋から中2週というローテーションが懸念されたのか、前年は1.6倍だった単勝オッズは1.9倍と上がっていた。新興勢力として挙がって来たウエスタンファイブや前哨戦のスワンSを制したコーリンオーがライバルとして名乗りを挙げていた。……が、やはりニホンピロウイナーは強かった。2着のトウショウペガサスに3馬身(0.5秒)差を付けての快勝で、マイルCS連覇を飾った。

引退し、種牡馬入りを果たしたニホンピロウイナー。1992年、1993年と安田記念を連覇し、1993年の天皇賞・秋を制したヤマニンゼファー、1996年の高松宮杯(現在の高松宮記念)とスプリンターズSを制したフラワーパークといったG1ホースを輩出した。また、フラワーパークは母として、安田記念2着に食い込み種牡馬入りも果たしたヴァンセンヌを送り出している。

ダイタクヘリオス(1991年・1992年)

短距離戦であれば人気に応え堅実に走るニホンピロウイナーとは対照的に、1番人気で重賞制覇どころかオープンレースを制していない馬も、マイルCSを連覇した。彼の名は、ダイタクヘリオス。

4歳シーズン(1991年)のダイタクヘリオスを振り返ると、4番人気で制したマイラーズカップは5馬身(0.8秒)差の圧勝をしたものの、1番人気に支持されたダービー卿チャレンジトロフィーは4着に敗退。続く京王杯スプリングカップでも6着と敗退し、10番人気で挑んだ安田記念ではダイイチルビーの2着に激走した。しかし、2番人気に支持されたCBC賞では5着に終わる。

5番人気で臨んだ高松宮杯(当時は中京競馬場・芝2000mで7月に開催)は、主戦の岸滋彦騎手が他の馬に騎乗したものの、ダイイチルビーの猛追をハナ(0.0秒)差でしのぎ切った。夏を挟んで出走した毎日王冠では5番人気で臨み、2着と好走。かと思えば、次のスワンSでは4番人気に支持されて9着に沈む。こうした中でマイルCSを迎えた。

1番人気は安田記念を制し、スワンSで2着に入ったダイイチルビー(単勝1.8倍)。2番人気にはスワンSを制したケイエスミラクル(4.3倍)。以下、短距離G1レース2勝のバンブーメモリー(10.6倍)と続き、ダイタクヘリオスは4番人気(11.8倍)だった。

ゲートが開くと、カシワズパレス、パッシングルートが逃げる。独特である首の高いフォームで走るダイタクヘリオスは、先団に取り付いた。バンブーメモリーは中団の外を付き、ダイイチルビーとケイエスミラクルは後方待機。ただ、隊列は間伸びせず、ひと固まりとなって3コーナーの坂を登った。

3コーナーの坂を登り切って、先頭に立つダイタクヘリオス。バンブーメモリーも続いて坂を下る。その後からダイイチルビーが馬群の真ん中から進む。馬群の大外から、ダイユウサクがやって来た。

4コーナーを曲がると、ダイタクヘリオスがその独特なフォームを披露しつつ、先頭で踏ん張りをはかる。そうはさせまいと、いつの間にか外に出したダイイチルビーが迫ってきていた。さらにダイイチルビーの内側からケイエスミラクル、大外からダイユウサクまでもがやってくる。

しかし、ダイタクヘリオスは高いフォームを崩さないままで先頭のままゴールを切った。優勝タイムは1分34秒8。メンバー中、唯一の1分34秒台でゴールした。

ダイタクヘリオスの父はビゼンニシキ。3歳春にはシンボリルドルフの前に立ちはだかり、弥生賞・皐月賞はともに2着に入線。日本ダービーの14着を機に短距離路線へ転向して1984年のスワンSに挑んだが、レース中に故障が発生し12着と敗れた。仮に無事に走っていたら、ニホンピロウイナーの短距離路線王座に挑んでいたかも知れない。ビゼンニシキは引退後に種牡馬おなり、地方競馬を中心に活躍馬を送り出していた。種牡馬ビゼンニシキにとってダイタクヘリオスが初めてのG1ホースとなり、その後も福島記念などを制したハシノケンシロウなどを送り出した。

5歳(1992年)のダイタクヘリオスも相変わらずの"気まぐれ"ぶりを発揮する。60Kgというハンデが嫌われ2番人気で出走したマイラーズカップでは2着に5馬身(0.9秒)差を付けての圧勝を演じた。かと思えば、1番人気に支持された安田記念で6着、2番人気に支持された宝塚記念で5着に終わった。

そして秋初戦の毎日王冠。4番人気で出走したが1分45秒6の当時の芝1800mにおけるJRAレコードタイムで逃げ切った。続く天皇賞・秋は3番人気に支持されたが、メジロパーマーとの逃げ争いで共に倒れ8着に終わった(メジロパーマーは17着)。

そして、2連覇を目指しマイルCSに出走。1番人気こそ3歳牝馬のシンコウラブリイ(4.1倍)になったが、差のない2番人気に支持された(5.0倍)。以下、安田記念を制したヤマニンゼファー、悲願のG1レース制覇を目指すナイスネイチャが続いた。

大外18番枠のスタートを切ったダイタクヘリオス。内からホリノウィナーやイクノディクタスが上がってくる中で、3,4番手を追走する。すぐ後ろにヤマニンゼファー、シンコウラブリイが続き、ナイスネイチャは中団よりやや後ろでレースが進む。

前年と同様に、3コーナーの坂を登り切ったところでギアをあげるダイタクヘリオス。ぴったりとマークするように、シンコウラブリイやヤマニンゼファーが続いていた。さらに馬群の外からナイスネイチャも勢いがある。

4コーナーを回り、ダイタクヘリオスが先頭に立ち、直線に入って差を広げにかかる。外からはヤマニンゼファーやナイスネイチャ、シンコウラブリイが迫ってきていた。大外からはヌエボトウショウも突っ込んでくる。

しかし、相変わらず首の高いフォームを維持したまま、残り200mでも先頭のダイタクヘリオス。外からシンコウラブリイが迫ってくるが、ダイタクヘリオスは先頭のままでゴールイン。シンコウラブリイには1馬身1/2(0.2秒)差を付けての勝利。しかも、走破時計の1分33秒3は京都芝1600mのレコードをマークした。

後にダイタクヘリオスの戦績を振り返ると、京都芝1600m・外回りコースという条件であれば、3歳時のマイルCSでこそ17着に敗れたが、2歳時にも勝利を挙げていて、3歳時にはシンザン記念2着と、ほぼパーフェクトな戦績を残していた。もしかしたら、ダイタクヘリオスにとってのベストな条件といえば、京都芝1600m・外回りのコースだったかもしれない。

また、パドックや返し馬で暴れたりするなどの気の悪い面を見せた方が走るタイプだったことも特徴的。逆にパドックや返し馬では落ちついた良い動きをしている場合は走らないことが多かった。パドックで一般的な相馬眼が通用せず、1番人気に支持されて優勝したのは2歳時の400万下(現在の1勝クラス)のさざんか賞のみ。とは言え、2番人気でマイラーズカップなどを制し、10番人気以下での激走は4歳時の安田記念1回のみではある。あとは1桁人気、しかも4~5番人気で激走したから、程よい伏兵を追い続けるタイプのファンにとっては狙い目の馬だっただろう。

その後、1番人気に支持されたスプリンターズSは4着に終わり、連闘で挑んだ有馬記念(12着)で引退したダイタクヘリオス。引退して種牡馬になり、産駒からは2000年のスプリンターズSで最低人気の中で勝ったダイタクヤマト、大井競馬のアフター5スター賞を制したスピーディドゥなどが活躍した。父ビゼンニシキと同様、地方競馬で活躍馬を送りながら、G1ホースを送り出す馬となった。

タイキシャトル(1997年・1998年)

NHKマイルCが創設された1996年前後の競馬界は、外国産馬の活躍も目立った。1997年、1998年のマイルCSを制したタイキシャトルは外国産馬でも傑出した戦績を残した一頭だろう。

脚元の不安等で3歳(1997年)の4月と遅いデビューとなったタイキシャトルは、負担を考慮しデビュー戦にダート戦を選んだ。その頃には新馬戦は終わり、未勝利戦からのスタートとなったが、2連勝を飾ると、脚元の不安が和らいだ3戦目以降は芝の短距離路線にシフト変更。菖蒲ステークス(芝1600m)を快勝し、4戦目の菩提樹ステークス(芝1400m)は2着に敗れたものの、4月のデビューから3ケ月の間に4戦3勝2着1回という戦績を残した。

秋初戦のユニコーンステークスも快勝したタイキシャトルだったが、ここである問題が出てきた。次のスワンSではこれまで5戦全てのレースに騎乗してきた岡部幸雄騎手が、他の馬に騎乗するため騎乗出来なくなったのである。そこで白羽の矢が立ったのが、横山典弘騎手だった。

しかし、鞍上が変われども、タイキシャトルはタイキシャトルだった。2着のスギノハヤカゼに3/4馬身(0.1秒)差を付けての快勝。マイルCSに進むことになった。

1997年のマイル戦線は3歳馬が席巻し、マイルCSの上位人気馬は3歳馬が上位を占めていた。1番人気は3歳で安田記念に挑み、タイキブリザードと僅差の競馬をしたスピードワールド。2番人気はタイキシャトル。3番人気はオープンレースのアイルランドトロフィーを制したトーヨーレインボー。その他、桜花賞馬キョウエイマーチ、展開の鍵を握るサイレンススズカも3歳馬であった。

ゲートが開くと、キョウエイマーチが先頭に立ち、サイレンススズカは待機して2番手。続いてヒシアゲボノが続く。タイキシャトルは4番手、トーヨーレインボーは前年の覇者ジェニュインと共に6番手付近でレースを進めた。真っ白い馬体のスピードワールドは後方からの競馬を選択。

前半の800m通過が44.6秒。前年(1996年)のジェニュインが勝った時の通過タイムが46.2秒で、1995年に直線一気で差し切ったトロットサンダーの通過タイムが45.9秒である。それらと比べてかなりのハイスピードの中で競馬が進む。こうなったら、先行しているキョウエイマーチ、タイキシャトル、サイレンススズカが失速し、後方からスピードワールドが差してくるのではないか……と思うファンも、少なくなかっただろう。続く1000m通過が56.5秒と、マイルCSレース最速の流れで進む。先行馬の中から2番手追走のサイレンススズカが完全に息が上がり、後方に下がる。その直後に付いてきたタイキシャトルが直線で抜け出そうとした。並走する様にトーヨーレインボーも追走するが、スピードワールドはまだ後方にいた。

単独で逃げさせたら、キョウエイマーチはしぶとい。1000~1200mの通過ラップが12.1秒と下がっていく中でも先頭を引っ張る。むしろ、キョウエイマーチが刻んだラップで、後方にいたスピードワールドですら道中にある程度は脚を使わざるを得ないような展開だった。そのため、後方待機組の中で伸びてきたのはマイネルマックスのみである。

1200m~1400mの通過ラップが12.3秒。ここでキョウエイマーチを捉えてタイキシャトルが先頭に出た。キョウエイマーチは粘り強く抵抗し、逆にトーヨーレインボーらの後続勢もは脚が上がってしまい伸びてこない。結局、タイキシャトルがキョウエイマーチに2馬身1/2(0.4秒)差を付けての快勝を収めた。3着にトーヨーシアトル。スピードワールドは12着、サイレンススズカは15着に沈んだ。3歳馬のマイルCS制覇は1988年のサッカーボーイ以来9年ぶりの事だった。

その後、再び鞍上を岡部騎手に戻し、スプリンターズS(当時は12月開催)も単勝1.9倍の圧倒的な支持を得て、2着のスギノハヤカゼに1馬身3/4(0.3)差を付けて快勝。タイキシャトルは、1997年の最優秀短距離馬に輝いた。

4歳(1998年)になったタイキシャトルは、蹄に亀裂が入るなどのアクシデントが発生し、始動戦に5月の京王杯スプリングカップを選択。東京競馬場芝1400mのレコードタイム(当時)となる1分20秒1で快勝すると、フランス遠征に向けての壮行レースとなった安田記念では大雨のため稀に見る超不良馬場となったが、先団から抜け出し、香港から日本に挑戦してきた2着のオリエンタルエクスプレスに2馬身1/2(0.4秒)差を付けて快勝。

さらにタイキシャトルは、フランスのマイルG1レースの最高峰の1つであるジャック・ル・マロワ賞をも制する。検疫の都合でムーラン・ド・ロンシャン賞やブリーダーズカップ・マイルには行かずに日本に帰ったタイキシャトルは、3頭目のマイルCS連覇を狙いに出走した。単勝オッズは1.3倍とダントツの支持。キョウエイマーチが前半の800mを44.8秒と快速ラップを刻む中、3番手を追走したタイキシャトルは、2着のビッグサンデーに5馬身(0.8秒)差を付ける圧勝を演じた。

引退レースとなったスプリンターズSはマイネルラヴの徹底マーク、大外から強襲してきたシーキングザパールに差され、3着に敗れたタイキシャトル。スプリンターズSのレース後には引退式が行われた。スプリンターズSには敗れたものの、この年の最優秀短距離馬はもちろんの事、最優秀4歳以上牡馬、並びに年度代表馬に輝いた。さらに翌1999年には短距離馬として初のJRA顕彰馬(殿堂入り)に選出されている。マイル戦ではダート戦を含めて7戦7勝と、無敗の戦績を残した。

引退後のタイキシャトルは種牡馬になり、産駒のウインクリューガーがNHKマイルカップを制し、メイショウボーラーがフェブラリーステークスを制している。種牡馬引退後の現在は、北海道の牧場で余生を送っている。

デュランダル(2003年・2004年)

1990年代に日本の競馬史を変えた種牡馬と言えば、サンデーサイレンスだろう。そしてその前の時代、1980年代の日本の競馬史を変えた種牡馬と言えばノーザンテーストの名前が上がるはずだ。ただ、そのベストとベストの配合であるはずの「父サンデーサイレンス・母の父ノーザンテースト」の配合からは、ローゼンカバリー、プライムステージといった馬は出てきたものの、G1レースではなかなか結果を残せずにいた。そして2003年、ようやくこの配合から、デュランダルという名馬が登場してきたのだった。

全兄(父も母も一緒の配合)には中日スポーツ杯4歳ステークス(現在のファルコンステークス)を制したサイキョウサンデーがいる血統。デビューした後は芝1200m~芝1600mのレースを中心に使い、3歳だった2002年にはマイルCSにも挑戦していた(結果はトウカイポイントの10着)。

4歳(2003年)の中山記念(9着)を使った後に休養に入ったデュランダル。秋初戦はセントウルステークスを使い、そこでラスト600m(上がり3ハロン)のタイムを最速の33.3秒をマークし、3着に健闘した。管理する坂口正大調教師は次走をスプリンターズSと同じ週の芝1600mのオープン特別のポートアイランドステークスに出走させる計画を立てていたが、騎乗した池添謙一騎手の勧めもあって、スプリンターズSに駒を進めたという逸話がある。

迎えたスプリンターズS。道中は最後方からレースを進め、引退の花道を飾ろうとしていた1番人気のビリーヴを大外から猛追し、最後ハナ差(15cm)差でデュランダルが差し切った。この勝利で「父サンデーサイレンス母の父ノーザンテースト」の競走馬として、初G1ホースとなった。

次走をマイルCSに定めたが、いくつかの不安要素はあった。マイルだとスプリンターズSで見せた瞬発力が鈍るのでは……母のサワヤカプリンセスが芝1600mのレース未出走であり全兄のサイキョウサンデーも芝1600mでの戦績が僅か1勝という血統からも、やや長いのでは……。これらの不安点もあってか、マイルCS当日の単勝オッズは5番人気で8.1倍という評価に収まった。

しかし、そんな不安も一掃される。道中は15~17番手でレースを進めたデュランダルは、ギャラントアローとマグナーテンの2頭が大逃げを打つ中、馬群の大外から猛然と追い込んだのである。結局は、2着のファインモーションに3/4馬身(0.1秒)差を付けての快勝。上がり3ハロンのタイムは33.5秒。2番目に速かったファインモーションが34.1秒であり、デュランダルは出走場で唯一、上がり3ハロンのタイム33秒台を叩き出したことになる。秋2戦のパフォーマンスで、デュランダルはこの年の最優秀短距離馬に輝いたのだった。

5歳(2004年)のデュランダルは脚元との戦いに苦しんだ。裂蹄が発症してしまったのである。坂口調教師曰く、デュランダルの蹄は薄く表層部に亀裂を生じやすい構造。それは、デュランダルの近親馬に共通する傾向であった。それでも、ぶっつけ本番に出走した高松宮記念では2着に好走し、意地を見せる。だが、安田記念の1ケ月前に再び裂蹄が発症し、安田記念を回避した。

秋に入り、デュランダルは連覇を狙いスプリンターズSに出走。しかし、スプリンターズS当日は追い込み馬に不利とされる重馬場となり、最後方から出走馬中最速の上がりを見せたものの、逃げたカルストンライトオを交わすことができず2着に終わった。続いて、デュランダルはマイルCSに出走。前年のこのレース2着馬ファインモーションに加え、この年の桜花賞馬ダンスインザムード、海外からはクイーンエリザベス2世ステークスを制したラクティなど豪華なメンバーが揃っていた。しかし、前年と違うのはデュランダルの単勝オッズが1番人気の2.7倍に支持されていたことだろう。前年のような不安説は、囁かれなくなっていた。

レースで、デュランダルは後方2番手を追走。京都競馬場の3~4コーナーの坂でも、じっと抑えてファインモーションと共に後方で待機していた。

そして直線。

馬群の大外から、デュランダルがやって来た。瞬く間に後続を交わし、ゴールと同時に池添騎手がガッツポーズを放った。馬名の由来である、『聖剣』の如く、前を走っていた馬をなで切った。

続く香港マイルは5着に終わり、この年の短距離G1レースは1勝しか挙げられなかったものの、高松宮記念・スプリンターズSの2着もあり、デュランダルは2年連続で最優秀短距離馬に輝いた。

6歳(2005年)のデュランダルの脚元は限界に達していた。馬にとって致命的な疫病の1つである蹄葉炎(蹄が腐る病気)が発生。競走生活の続行は不可能とされたが懸命の治療の結果、スプリンターズSに出走。上がり3ハロンのタイム32.7秒の豪脚を見せたが、当時世界最強スプリンターの1頭とも言われていた香港のサイレントウィットネスには及ばず2着。3連覇を目指して出走したマイルCSは8着に終わり、引退した。

引退後は種牡馬入りしたデュランダルは、自身譲りの切れ味を持った馬として芝1600mの中京記念を制したフラガラッハを送り出したが、それだけではなく中・長距離でも強い馬を送り出した。その中には2011年のオークスを制したエリンコートが含まれている。デュランダル自身は2013年にこの世を去ったが、母の父としては統一ダートG1レース3勝を制し、ドバイワールドカップ2着のチュウワウィザード、函館記念を逃げ切ったトーセンスーリヤなどがいる。

その後、「父サンデーサイレンス・母の父ノーザンテースト」の配合からは2006年と2007年のこのレースを制したダイワメジャーが登場。当初の評判を上回る馬を送り出した。ダイワメジャーは、カレンブラックヒルなどの後継者を送り出している。

写真:かずぅん

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