[全日本2歳優駿]アグネスデジタルにラブミーチャン、ルヴァンスレーヴ…ダートの2歳王者決定戦で輝いた名馬たち。

全日本2歳優駿は「東京優駿(日本ダービー)」がレース名の由来とされる。川崎の3歳(現表記では2歳)戦を盛り上げるため新設され、当初は優勝賞金が日本ダービーの半分もあったという。

現在では2歳唯一のJpnI、またアメリカ・ケンタッキーダービーへの出走馬を選定する対象レースの1つとして、地方・中央問わず全国の有力な2歳馬が集結するレースとなっている。

また南関東で一番古い重賞であるといわれ、第1回が開催されたのは1950年。歴代優勝馬には、天皇賞・春を大差勝ちしたヒカルタカイや日本馬で初めてイギリスのGⅠを制覇したアグネスワールドなど一流の名馬がズラリと並んでいる。

今回はその歴代優勝馬の中から筆者の独断と偏見で、特に印象深く残っている3頭について触れていきたい。

アグネスデジタル(1999年)

1999年9月、阪神ダート1400mのデビュー戦は2着に敗れたものの、2002年まで同じ開催内であれば最多で4回新馬戦に出走することができる「折り返しの新馬戦」を利用し2戦目で初勝利をマークしたアグネスデジタル。

3戦目は芝のオープンレースに出走するも8着に敗れ、ダートに戻ると、500万下のレースをクビ差2着→7馬身差の圧勝で勝ち上がる。そして、全日本2歳優駿へ駒を進めた。

節目となる第50回目となった全日本2歳優駿には、

  • 道営競馬では5戦負けなし、前走は交流重賞の北海道3歳優駿を勝利した北海道・タキノスペシャル
  • アグネスデジタルにもちの木賞で0秒5差に迫ると、続くポインセチア賞(500万下)を5馬身差で圧勝したツルミカイウン
  • 前走交流重賞の兵庫ジュニアグランプリを勝利したアドマイヤタッチ
  • 前走船橋の重賞平和賞を制覇した船橋・ワンダーグルーム

ら12頭が集結。ただ、中央代表格のツルミカイウン、アドマイヤタッチともに2走前のもちの木賞でアグネスデジタルが先着していたこともあり、前走で遠征・左回りマイルを克服したアグネスデジタルの優位は揺るがないとみられていた。

そしてこのレースには、別の意味でも注目が集まっていた。

全日本2歳優駿から3日後に行われる有馬記念ではグラスワンダー・的場均騎手とスペシャルウィーク・武豊騎手の対決が予定されていた。そのライバル関係にある両名が、ここでも激突。的場均騎手はアグネスデジタルに、武豊騎手はアドマイヤタッチに騎乗することになっていたのである。ファンの視線は、暮れの大一番を控えた馬上の両雄にも注がれていた。

レースはアグネスデジタルがスタートで躓き3番手からの競馬になったものの、的場騎手は慌てず内ラチ沿いに寄せて前をいつでも交わせる態勢をとる。そして逃げるツルミカイウンを直線で鋭く差し切り、ツルミカイウンに2馬身半差をつけ優勝した。

武豊騎手とアドマイヤタッチは前の中央馬2頭をマークする位置につけたが、伸び脚鈍く3着まで。武豊騎手が的場騎手を後ろからマークするも、末脚届かず惜敗──奇しくも同年の有馬記念と似た展開である。世紀の名勝負の布石は、すでに川崎で打たれていたのであろうか。

その後の活躍は、誰もが知っての通りである。3歳になった翌2000年にマイルチャンピオンシップを、今も語り継がれる末脚で芝GⅠ初制覇を遂げると、4〜5歳には南部杯からフェブラリーSまで国内外の芝ダートGⅠを4連勝。最終的にはGⅠ級競走で6つの勝ち星を積み上げる名馬へと成長したのである。

ラブミーチャン(2009年)

馬主はコパノリッキーのオーナーでも有名なDr.コパこと小林祥晃氏。2009年10月に笠松競馬場でデビューすると、2戦目の地元重賞であっさり楽勝する。3戦目にはJRAに挑戦し小倉2歳Sで4着の実績もあるサリエル相手に2歳コースレコードで逃げ切り勝ち。

さらに中8日で出走した兵庫ジュニアグランプリでは、過去にここを制した地方馬は1頭のみという不利な条件ながら、2着アースサウンドとの一騎打ちを制してデビューからわずか1ヶ月半でグレードレースを制覇したのだった。

こうして強敵に揉まれながら無傷4連勝で臨んだ全日本2歳優駿には、

  • 前走で中央馬相手のJpnⅢ北海道2歳優駿を3連勝で制した1番人気の北海道・ビッグバン
  • 道営競馬所属ながら鎌倉記念、平和賞と南関東重賞を連勝中の北海道・ナンテカ
  • 地元佐賀では4戦無敗、前走は差がの2歳重賞を8馬身差で圧勝した佐賀・ネオアサティス
  • 未勝利、もちの木賞(500万下)と連勝中のJRA・サンライズクォリア
  • 前走でラブミーチャンの2着だったJRA・アースサウンド

といった、中央・地方からハイレベルなメンバーが集まり2歳ダート王者決定戦に相応しい雰囲気を漂わせていた。

さらにこの年は“セミナイター”として開催されレース発走が19時からとなっていた。当日は真冬のような冷え込みだったが、ラブミーチャンの爽快な走りが、寒さを吹き飛ばした。

14頭立て12番枠から好ダッシュで先手を奪うと、2番手にアースサウンドがつける。3コーナー過ぎでアースサウンドがラブミーチャンに並びかけ、3番手以下を引き離し直線は2頭の一騎打ちに。ここまでは兵庫ジュニアGと同じ展開である。しかし直線半ばでラブミーチャンがじわじわと差を広げ、馬群から抜け出した北海道のブンブイチドウの猛追も1馬身半退け、見事JpnⅠ制覇を飾った。

レースレコード、笠松所属馬初のJpnⅠ優勝(97年以降)と記録尽くめの勝利に検量室で濱口楠彦騎手は「強いし、速い!」と叫び、馬主の小林氏は「中央の桜花賞かドバイへ挑戦したい」とインタビューで答えたという。

その後のラブミーチャンは、ドバイも桜花賞にも出走しなかったものの、短距離界のエースとして6歳まで現役を続け、交流重賞5勝を含む重賞16勝をマークした。現在は繁殖牝馬として、同じ小林氏所有のコパノリッキーなどと種付けを行っている。

ルヴァンスレーヴ(2017年)

ファンの中で囁かれる『競馬の最強世代』といえば、スペシャルウィークやエルコンドルパサーなどを出した’98年クラシック世代や、トウショウボーイ・テンポイント・グリーングラスら’73年生まれの“TTG”世代などが有名かもしれない。

──では、ダートでの最強世代はどうだろうか。

おそらく、2015年生まれの世代を真っ先にあげるファンも多いだろう。

東京大賞典4連覇のオメガパフュームを筆頭に、ドバイWC2着&GI級4勝のチュウワウィザード、ダート1600mの日本レコードを樹立したアルクトスなどがいる世代だ。

彼らダートの強豪ひしめく世代の中で、わずか10戦ながら世代最強と謳われ伝説になった名馬がいる。今回ご紹介するのはその世代最強馬、ルヴァンスレーヴである。

彼は、デビューから伝説だった。スタートで大きく出遅れ、さらに内側から5~6頭分外を回らされる不利な展開。そこから向正面で一気に先頭に立つと、そのままインに切れ込みながら直線へ向かう。

通常の馬ならこんなメチャクチャな展開で力尽き、惨敗してもおかしくない。しかし直線、脚色は衰えるどころかもうひと伸びし、気づけば2着に7馬身の差をつけていた。

2着のビッグスモーキーは後に2歳コースレコードを樹立し、3・6・8着馬もその後勝ち上がるなど、レースレベルは決して低い訳ではなかった。そんな状況でのレースぶりにファンは度肝を抜かれた。

続くプラタナス賞では、芝スタートや距離短縮もなんのその、ムチを入れることなくあっさり2歳コースレコードを叩き出し、鞍上のM.デムーロ騎手が「素晴らしい馬! この馬ヤバイよ!」と興奮気味に話すほど、ルヴァンスレーヴの潜在能力は同世代と比べても図抜けていた。

2戦2勝で迎えた全日本2歳優駿。この年から全日本2歳優駿はアメリカ・ケンタッキーダービーへの出走馬選定ポイントレースに指定され、この日は第9レースの本馬場入場前に、ケンタッキーダービーの馬場入場のとき観客が合唱する『マイオールドケンタッキーホーム』が独唱されるなど、大レースを前に興奮と熱気が競馬場を包んでいた。

そんな中行われた全日本2歳優駿には、

  • 圧倒的なダッシュ力で兵庫ジュニアグランプリなど無傷3連勝中のハヤブサマカオー
  • 3連勝でJpnⅢの北海道2歳優駿を制したドンフォルティス
  • こちらも3連勝でハイセイコー記念制覇の船橋・ハセノパイロ
  • 兵庫ジュニアグランプリで3着に好走した北海道・ソイカウボーイ

ら、「例年以上にハイレベル」といわれる14頭が集結した。その中でルヴァンスレーヴは1番人気の支持を集めた。

スタートではいつものスタートの悪さと、隣のドンフォルティスとの接触により序盤は後方3番手からレースを窺う。そして第3コーナー。ルヴァンスレーヴのエンジンがかかる。1頭だけレールの上を滑るように、直線入口でスーッと先頭に立つと、大外から強襲するドンフォルティスを全く相手にせず余裕綽々と1馬身差でゴール。

ファンやマスコミに「来年はアメリカ三冠か、ドバイか」と世界に目を向けさせるほどのポテンシャルを示したルヴァンスレーヴ。年明け初戦の伏竜Sこそ2着と、初めての敗戦を喫するが、ユニコーンSでは「ここでは力が違いました」とアナウンサーが実況するほどの大楽勝に、ジャパンダートダービーでは後に東京大賞典4連覇を果たすオメガパフュームらに1馬身半差の完勝。

秋の南部杯では前年のJRA春秋ダートGI制覇のゴールドドリーム相手に1馬身半差の完封。さらに続くチャンピオンズCでは課題だったゲートを決め、2馬身半差で優勝。不安要素のなくなったルヴァンスレーヴなら、世界でも……と、多くのファンが思った。

しかし運命は残酷だった。4歳は脚部不安を繰り返し、1度もレースに出走できず。チャンピオンズカップから1年半後のかしわ記念で復帰するも、勝ち馬から大きく離された5着に終わる。続く帝王賞10着を最後に種牡馬入りが発表された。

2021年に国内最多の223頭、2022年は196頭と順調な種牡馬生活を送っているルヴァンスレーヴ。来年には産駒がデビューする予定で、産駒から父譲りの豪脚を持った馬が誕生することを願いたい。

写真:Horse Memorys、かず

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