一口馬主の楽しさ〜自然と強まる出資者同士の一体感〜

ウマフリ読者の皆様、こんにちは。
徳澤泰明と申します。

私は現在8つの一口馬主クラブに入会しており、これまで50頭以上の馬に出資してきました。
その馬たちは、残念ながらデビューする事なく引退した馬から、海外GⅠで勝利した馬まで、活躍の大小や歩んだ道のり、さらには性格までそれぞれ違う馬たちでした。
色々な体験をするほど、そして様々な馬を知るほど日々深まり続ける「一口馬主の楽しさ」のうち、今回は「自然と強まる出資者同士の一体感」というテーマで記事を書かせていただきます。
これから一口馬主を始めようと思っている方の参考に、或いは、既に始めている先輩方の美味しいお酒の肴にでもなれば幸いです。

口数の小分け≠喜びの小分け

ご存知の通り、一口馬主は口数を分けて多くの人で一頭の馬に出資する仕組みになっているので、一人で所有するよりも圧倒的に低リスク・低予算で始められます。
もちろん、手元に入る配当金は口数に応じて分けられたものです。しかし、得られる情報や、喜びや感動の量まで単純に口数分で割られるわけではありません。むしろそれらは、同じ体験を共有する人が多いほど、掛け算で高まっていくものだと思っています。

競馬場によく足を運ぶ人なら、勝ち馬の出資者同士がゴール前で抱き合って喜ぶ様子や、勝てなかったけれども出走までの道のりやレースでの健闘を称え、帰っていく馬に労いの声をかけている様子を見た事があるかもしれません。
はたまた、ちょっと引いてしまうほど号泣している人も見た事があるかもしれません(それはもしかすると、私、徳澤かもしれませんが……)。

一体、(徳澤達は)何に対してそこまで感動しているのでしょうか——。

その答えを一言で書いてしまうと、「無事にデビューするのが当たり前ではない世界で、出資した馬が元気に走る・活躍するのを喜んでいる」だけなのですが、これが、実際に自分で体験を重ねるほどに、想像では到底及ばない域にまで深みを増していく事なのです。

レース以外の様子を見てきた者同士だからこそ共有できる、レース当日の喜び

競走馬は機械ではなく常に動いている生き物なので、クラブで募集馬としてラインナップされてからデビューするまでの長い期間だけでなく、レースとレースの間の調整中にも怪我や病気等で頓挫する事が多くあります。
また、たとえ心身の状態を上手く整えられたとしても、同じ厩舎に所属する他の馬との兼ね合いや抽選の結果によって、目当てのレースに出られなかったり……さらにはそうして予定がズレる事で、手配していた騎手が乗れなくなったりと、本当に様々な事があります。

恥ずかしながら一口馬主をするまではレース以外の事など大して気にかけませんでしたが、実際は、レース以外のあらゆる側面に「実力馬が優遇される、勝負の世界の厳しさ(ルール)」や、レースの展開さながらの「ほんの少しのタイミングの差で全てが変わってしまうような、瞬間的かつ圧倒的な流れの恐ろしさ」が確かに存在し、馬がゲートに入るまでの間にも多くのドラマが繰り広げられていました。

出資者は、それら全てを知れるわけではないにせよ、クラブが更新する情報や、牧場などでスタッフから聞ける話に触れることで、まさに一喜一憂しながら日々を過ごしています。

「その馬がその日競馬場で走るまでに何があって、どんな風に乗り越えてきたか」を知ってきたからこそ、無事に(いや、厳密に書けば「無事ではなく様々な困難な出来事を乗り越えてきて」)デビューを迎えるだけで、それまで知らなかった多くの感情に身を包まれます。
新聞の馬柱に馬名が載る事を感慨深く感じ、パドックに出てきたり返し馬で名前を呼ばれたりするだけで全身に電気が走り、レースが行われる数分間の出来事一つ一つや結果の一つ一つに心臓を締めつけられ、急に温められ、どうしても泣いてしまったり、その場に居合わせた人が「出資者として同じものを見てきた人」というだけで気がつくと抱き合っていたり、同馬の話だけで何の気まずさもなく朝まで呑めてしまったり……少なくとも私の場合は、そんな事ばかりが当たり前に起こり、戸惑いながらも、大変刺激の多い日々になっていくのです。

他にもあった「こんな気持ちになるなんて」

まるで恋のような小見出しですが、一口馬主を始めてみて、自分でも驚いた事例を他にも少し紹介します。

  • 民放で放送されるメインレースのGⅠよりも、出資馬が進退をかけて走る午前中の未勝利戦の方が気になって眠れない。
  • 登録馬(相手関係)や枠順が分かる度に一喜一憂で、眠れても夢に出てきてしまう。
  • どうにか起きて会社に向かう電車の中で、「◯◯(馬名)、今1着でゴオオオルイン!」なんて妄想の実況を頭の中で繰り返している。
  • お昼休みも、とにかく莫大なワクワクと不安に襲われている。けど、まだ木曜日。
  • ゲート試験で苦戦していた馬が、レース当日、他の馬と同じようにゲートに入って、ごく普通にスタートを切るだけで目頭が熱くなる。
  • (スリーアウト制やタイムオーバーといった、一口馬主をするまでは知らなかったルールにより)馬券に全く関係の無い「8着か9着か」「勝ち馬から何秒離れてゴールしたか」で、またまた一喜一憂する。
  • 次のレースがいつなのか、帰りの電車の中で番組表を見ながらもう必死に妄想している。

一口馬主をしている人なら、きっと分かってくれるはずです。

まるで、沼のように……

そして、それらの出来事や感動には「慣れ」はなく、とどまる事を知りません。

前半に書いた「無事にデビューするのが当たり前ではない」という言葉についても、一口馬主を始めて以来、何度も何度も痛感し続け、多くの出資馬で様々な事を繰り返し体験するたびに、「この言葉の重みについて分かっているなんて、まだまだ言えない」という念が深まり続けている感覚さえあります。

もちろんその分、一頭一頭が勝利を掴んだ時の喜びも増していき、仲間達と喜ぶ際にも全ての経験が一層の深みを演出してくれるのです。

どんどん日々の刺激が増えていき、これから一体どうなってしまうのか。私も心配です。ただ、間違いなく楽しいです。

一口馬主を通じて、ここに書いているような、或いは、まだまだ私が知らないような楽しさを日々体感している方々と、またいつかウィナーズサークルやお酒の場などでご一緒できれば幸甚です。

末筆ながら、皆様の一口ライフ、競馬ライフが、これからも楽しいものになる事を願っております。

写真:Horse Memorys

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