[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]万事塞翁が馬(シーズン1-39)

前を向いて進んでいくためには、今回の結果を受け止めなければいけません。そして、なぜこのような結果になったのか、これからはどうするべきかを考えることです。サマーセールを通しても指折りの雄大な馬格を誇り、脚元にも何の不安もない健康なルーラーシップの牡馬が580万円にしかならなかったのか、セリが終わってからもずっと僕は分析し続けました。セリ当日は感情的になっている面もあるので、数日置いて、頭を冷やしてから客観的に見直してみました。

ひとつは、サマーセールはダート馬を求めて買いに来る馬主さんがほとんどなので、芝の中距離馬らしさが嫌われたことでしょうか。小回りの利く日本産の軽自動車を求めてやってきたファミリー層に対し、重厚な見栄えは素晴らしいけれど、家の近くでは乗りづらくて燃費も悪そうな大型外国車を提供しても食い違いが生じてしまうように、地方競馬で走らせる馬を買いに来た客層にとって、ルーラーシップ産駒は候補にも挙がりづらかったのではないでしょうか。

スパツィアーレの23がどれだけ伸びのある雄大な馬格を誇り、体全体を大きく柔らかく使った歩きを見せても、むしろ緩さがあって芝向きを強調するばかりで、ダート馬を買いたい馬主さんにとっては逆効果です。芝向きの馬を購入する層が多いセレクションセールに上場できていれば、スパツィアーレの23の特性はニーズとマッチしたはずですが、審査に通らなかった以上は仕方ありません。

最大の理由は、種牡馬としてのルーラーシップのイメージです。サマーセールでも芝向きの馬が全く買われなかったかというとそうではなく、キタサンブラックやエピファネイア産駒は1000万円以上で取り引きされていました(それでも種付け料と比べると安価でしたが)。ルーラーシップ産駒がダメというわけではなく、競馬関係者のルーラーシップに対して抱くイメージが、「芝の中長距離」の種牡馬の典型なのです。ルーラーシップ産駒は馬格があるため、ダートでもそこそこ走っていたりするのですが、重賞クラスの馬がいないのもあって、完全な芝馬と認識されているのです。

最近はソウルラッシュやマスクトディーヴァなどマイル路線で活躍する馬も多く、ヨシノイースターのようにスプリント戦で台頭する馬も出てきているにもかかわらず、キセキやメールドグラースといった初期の産駒たちのイメージから変わっていないのです。ルーラーシップ産駒を見れば、緩い、時間がかかる、距離は長いところが良い、ダートは走らないと思われてしまうのです。

今回のサマーセールを通して学んだことは、お客さんが求めているものを提供しないと高く売れないということです。ごく当たり前の話ですが、エスキモーに氷を売るのが難しいように、ダート馬を買い求めに来た人たちにルーラーシップ産駒を売ることはできないのです。実は母スパツィアーレは、アメリカの名牝ステラマドリッドを祖母に持ち、そこにハーツクライ、シンボリクリスエスと重ね合わせてきた、重厚なゴリゴリのダート血統です。馬格もあって幅は分厚く、節々も太く、いかにもダート馬といったパワフルな馬体を誇っています。芝で走らなければ、ダートに転向したら大成するなんて可能性も十分にあるはず。でもそういうことではないのです。購買者が見ているのは父、どの種牡馬の産駒なのかということなのです。セレクションセール以降は、基本的にはダート馬が求められる市場であり、ルーラーシップ産駒よりもモーニンやダノンレジェンド、バンブーエール産駒が高値で取り引きされる世界線なのです。

そうは言っても、売れる馬はどこに出しても高く売れるはずですから、スパツィアーレの23自身に課題があったのではという意見はごもっともです。母スパツィアーレが1勝馬ではなく、3勝、4勝と挙げていれば箔が付いたでしょうし、上の姉たち2頭が中央競馬で1勝でもしていれば、話は全く違ったはずです。

ただそれにしてもです。スパツィアーレの初仔の牝馬(父ラブリーデイ)はセレクトセールにて1650万円で落札され、2番仔(父ルーラーシップ)の牝馬は千葉サラブレッドセールにて5830万円で取り引きされました。2番仔とスパツィアーレの23は父も同じ全兄弟であり、かつスパツィアーレの23は牡馬、しかもギュッと詰まったボリューミーな馬体であった全姉と比べてそん色ないというか、スパツィアーレの23は全体的に伸びがあって、牡馬ということもあって馬格はさらに大きく、馬体的には上を行っていたはずです。

全姉が高すぎたという面は否めませんが、社台ファームというブランドがないことを差し引いたとしても、スパツィアーレの23がお買い得だったのも事実です。以前、「高く買われて走らないよりも、安く買われても走る方が良い」と慈さんが言っていたことを信じるしかありません。これから先は、スパツィアーレの23がターフで活躍することで、僕のこの呪詛のような言葉たちが昇華されてゆくことを願います。

もうひと晩、碧雲牧場に泊まり、翌日、慈さんに新千歳空港まで送ってもらいました。車中で慈さんがふと思い出したように、「そういえば今朝、スパツィアーレの23を買ってくれた馬主さんから電話があって、北海道にいるうちにスパに会いにきたいと言っていました。それから、ダートムーアの23がセレクションセールで主取りになったことも知っているみたいで、今の状況を詳しく説明したところ、金額に折り合いがつけばそちらも買いたいと言っていましたよ。そこは治郎丸さんと相談してくださいと言っておいたので、あとで電話してあげてください」と言いました。

情報量多っと思いつつ(笑)、まずはスパくんに会いに来てくれるのは嬉しいな、素敵な馬主さんに巡り合ったなと思いつつ、福ちゃんのお姉さんのことを知っていて買いたいって、一体どういうことだ? もしかすると、福ちゃんのYouTubeチャンネルを観てくれて、それでダートムーアの23のことも知ったのだろうか? などなど、クエスチョンマークが頭にいくつも浮かびました。ありがたい提案ですが、手術をしてオータムセールに向かうと決めている以上、さすがに今売るという選択肢はないかなと思いました。いずれにしても、森本さんと直接話してみたいと思いました。

新千歳空港に着いて、慈さんに感謝を伝え別れると、離陸までのわずかな時間の中、森本さんに電話をしてみました。

「昨日は買ってくださって、ありがとうございました」

「こちらこそありがとうございます」

「今朝、碧雲牧場の方に電話をいただいたそうですが、ぜひいつでもウェルカムなので見に来てくださいね」

「はい、今週まで北海道にいますので、立ち寄らせていただきます」

「ダートムーアの23の話もしてくださったみたいですが、何で知ったのですか?」

「Fさんから治郎丸さんのことを聞いて、そこでダートムーアの23も治郎丸さんの生産馬だと知ったのです。実は僕、社台グループオーナーズで募集されていたダートムーアとネオユニヴァースの仔(オークハンプトン)に出資したくて、社台の事務局に問い合わせて掛け合ったことがあったのですが、結局、出資できなかったという経緯があるのです」

「なるほど、そういうことだったのですね」

Fさんは僕の友人でもあり、おそらくセリが終わったあと、森本さんに連絡をして僕の生産馬であることを話してくれたのでしょう。その流れで、セレクションセールにて主取りになったダートムーアの話になったということですね。つまり、僕と森本さんには共通の友人がいて、スパツィアーレの23を購入してくださり、しかもダートムーアのことも昔から気になっていたという接点ばかりだったのです。

縁とは接点が重なることで生まれるものなのかもしれません。ダートムーアの23に関しては、金額の折り合いがつかず、このままオータムセールを目指すことにしましたが、僕は生産馬を売ることを通して、また新たな競馬友だちが増えたような気がしました。しかも後日、「栗東の梅田厩舎に預かってもらうことになりそうです」とメールをいただきました。スパツィアーレの23の中央競馬デビューが叶いそうで、ひと安心です。

「人間万事塞翁が馬」という故事成語があります。学校の教科書にも出てきて、使い古された格言かもしれませんが、生産にたずさわっていると、そのとおりだと思わざるを得ない場面にたくさん遭遇します。ちなみに、「人間万事塞翁が馬」は「淮南子(えなんじ)」という古典に登場する言葉です。

県境に住んでいるお爺さんが大切にしていた馬がある日突然逃げて、隣の国に行ってしまったので、友人が可哀そうに思って慰めようとすると、お爺さんは「たしかに馬が逃げたことは不幸だが、これが幸運となるかもしれない」と言います。その後、逃げた馬が隣の国から素晴らしい馬を多く連れて帰ってきました。周りの人たちは口々に「良かったね」と言いましたが、お爺さんは「たしかに馬が帰ってきて、しかも多くの駿馬を連れてきたのは幸運だが、このことが不運のもとになるかもしれない」と返します。実際に、隣国の駿馬に跨ったお爺さんの息子が落馬して足を折る怪我を負ってしまいます。それを見た人たちはまた「可哀そうに」と同情しますが、お爺さんは「これは幸運につながるかもしれない」とそっけなく返します。それから1年後に戦争が始まり、お爺さんの息子は足を怪我していたことで懲役を免れ、死なずに済んだのです。

まさに禍福は糾える縄の如しと同じで、幸運の影には不幸が忍び寄っていて、不幸は幸運と表裏一体でつながっているということですね。幸運に見えることも思っているほど幸運ではなく、不幸に見えることも思っているほど不幸ではない。つまり、目の前で起こっている出来事に一喜一憂することなく、そのままを受け入れていけば良いということですね。

今回、スパツィアーレの23はルーラーシップ産駒であったことで、ダート馬を求めるサマーセールでは嫌われ、安く買われてしまいましたが、ルーラーシップ産駒であったからこそ中央競馬でデビューすることになりました。スパツィアーレの子どもが中央で勝ち星を挙げて、名を上げるチャンスです。

この先、僕が配合する種牡馬は必然的にダート寄りになり、中央競馬でデビューするのは難しくなるかもしれません。もちろん、スパツィアーレの23が中央で活躍してくれたら、スパツィアーレの繁殖牝馬としての価値は上がり、産駒たちはたとえダート寄りの配合であったとしても中央競馬でデビューできる可能性は高まります。産駒が中央競馬で活躍できるかどうかは繁殖牝馬の評価に直結します。それほど中央競馬の1勝の価値は重く、母や兄弟のみならず、親戚(近親)にまで多大な影響を及ぼすのです。

福ちゃんが小眼球症を患って片目で生まれたのも同じです。目の前の出来事だけを見ると、どうしても禍が訪れたように思えてしまいますが、実は福と表裏一体なのです。福ちゃんは売れずに僕の元にとどまりますが、もしかすると競走馬としてデビューして、重賞をいくつも勝つような名牝になるかもしれず、繁殖牝馬として数々の活躍馬を生んでくれるかもしれません。そうではなくても、孫の世代からとんでもない名馬が誕生するかもしれないのです。競馬の世界は世代の回転が速く、人間に比べて禍福が見えやすいはずですが、それでも5年、10年、20年というスパンで物ごとを捉えていく必要がありそうですね。生産とは万事塞翁が馬、できるだけ長く待つことができる者が最後には笑う世界なのかもしれません。

(次回へ続く→)

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