[オルフェーヴル伝説]試練の春、希望の秋へつなぐ仁川にかかる金色の虹 - オルフェーヴルの宝塚記念

三冠達成や阪神大賞典での逸走、凱旋門賞での連続2着──。
あの個性派名馬の歩んだ現役時代を振り返り、父として活躍する現在の日々を紹介するファン必読の一冊、競馬書籍『オルフェーヴル伝説 世界を驚かせた金色の暴君』(星海社新書)。池江泰寿調教師や森澤光晴調教助手をはじめとした当時の関係者インタビューも多数掲載されているほか、栗山求氏による血統解説、治郎丸敬之氏による馬体解説など、バラエティ豊かなライター陣がオルフェーヴルの強さ・魅力を語り尽くす充実の内容となっている。

今回は、執筆者の一人である勝木 淳さんに、オルフェーヴルが凱旋門賞に向けて希望を繋げた宝塚記念について振り返っていただいた。

※本記事は『オルフェーヴル伝説 世界を驚かせた金色の暴君』には収録されていないオリジナル原稿となります


前年、三冠を達成し、有馬記念では勝負所、最後方から直線一気とそのスケールたるや文句なしの現役ナンバーワンに躍り出た。もうオルフェーヴルには逆らえない。そんな空気が当時のウインズを支配していた。さしも馬券オヤジたちもオルフェーヴルから買う。だが、勝って当然の存在が負けるのも競馬。4歳初戦阪神大賞典の逸走には、さすがの熟練ファンたちも驚くばかり。声もロクに出やしない。しかもだ、完全に終わったはずのオルフェーヴルが猛獣のごとくレースに戻り、2着となり、ギュスターヴクライとの馬連が当たったとわかると、ウソみたいな的中に喜ぼうにもどうしたらいいかわからない。なにか見てはいけないものを見たような雰囲気すらあった。

そして、天皇賞(春)。あれだけやらかして2着に入ったオルフェーヴルにはますます逆らえない。もはや常識の尺度で測れない、異次元の存在になりつつあった。それだけに見せ場がほぼなく、11着に敗れたレース後、ウインズは荒れた。お手上げ状態の相手の謎の凡走が理解できないからだ。人は理解不能なものを目にしたとき、さまざまな反応を示すものだが、2着だった阪神大賞典とは対照的で大敗を喫した天皇賞(春)には怒りの反応が巻き起こった。負けるはずがない。そんなことはあり得ない。信じられない。信じたものに裏切られるのは悲しい。人は悲しいから怒りの感情を表に出すものかもしれない。悲しみ、失意を胸のうちに引っ込めるには、表に怒りを出す必要があるようだ。

そんなウインズを取り巻く怒りの先、オルフェーヴルには彼なりの事情があった。秋の凱旋門賞を意識した陣営は、オルフェーヴルに「普通の競馬」を試していた。さすがにロンシャンで後方一気は難しい。有馬記念のような競馬では太刀打ちできないという考えは至極まっとうで、その試みはなにひとつ間違っていない。ただし、相手がオルフェーヴルだったため、これがこの春の迷路の入り口となってしまった。なにせ気に入らなければ振り落とす、わざとラチに突っ込んでいこうとするという父ステイゴールドの聡明さ、人を見下ろすような気性を色濃く受け継いだ馬だ。自分の走りを変えられようなものなら、拒否するのは、オルフェーヴルにとっては、自然のなりゆきだったにちがいない。それが阪神大賞典の逸走でもある。

そして、あの逸走によってオルフェーヴルには平地調教再審査が課されることになった。安全な競馬を施行する上で、やはりどこへ飛んでいくかわからない馬を出走させるわけにはいかない。三冠馬とて例外ではない。もっとも、そんな危なっかしい三冠馬は過去にいなかった。その意味でもオルフェーヴルは唯一無二の存在かもしれない。平地調教再審査に際し、いよいよ普通の馬のように走る必要に迫られた。これがどうもオルフェーヴルにはとんでもないストレスだったようだ。それも当然で、自分の走りで何度も勝利を重ね、周囲の人たちを歓喜させてきたわけで、いまさらなぜ、その走りを打ち消さないといけないのか。成功したものをある日、突然捨てろといわれ、素直に肯定できる人間はそうはいない。そして、普段、発散するタイプがストレスをかけられると、しゅんとしてしまうもの。やはりステイゴールドの血は人間っぽさが濃い。普通の馬になるための調教を重ねるうちに、覇気がなくなり、どんどん大人しくなっていったという。栗東ダートコースで行われた平地調教再審査に合格したものの、黄金色の馬体がしぼみ、らしさは消えていた。

闘争心がないと生き残れない競走馬の世界、それもGⅠでそれを取り戻せないとなると、いくら三冠馬といえど、戦いに勝てない。ウインズが怒りの感情に支配された向こう側には、こんな事情があった。やはり外ラチのこちら側と向こう側では、繰り広げられる物語が違う。だが、それでいい。これも競馬の魅力なのだ。変に外ラチを取っ払わなくていい。あのラチが結界のような役目を果たしているから、私たちは競馬を心から楽しめる。そんな面はある。さて、大敗を喫した直後、陣営はしぼんでしまった心を回復させるためにも、一旦、休養に入り、立て直す時間が必要ではないかと考えたという。

だが、ノーザンファームしがらきで自然を満喫したオルフェーヴルは精神的なリフレッシュに成功した。自由を得たことで、ストレスはみるみる消えていった。この切りかえは心底見習いたい。なにかイヤなことがあると、なにをしても、前を向く気になれず、負の感情を引きずりがちな私。まるで負の感情に閉じこもっているのが心地よくさえあり、いつまでも前をみない。その時間がいかに無駄か。オルフェーブルは宝塚記念までの8週間でそれを教えてくれた。

失意の天皇賞(春)から立ち直ったオルフェーヴルの前に新たなライバルがあらわれた。ひとつ上のルーラーシップだ。GⅠ惜敗が続いた前年とは一転し、香港のクイーンエリザベス2世Cを圧勝し、そのポテンシャルの高さを世界に示した。まさに本格化というやつだ。対してオルフェーヴルはストレスから解放されつつあるとはいえ、前走GⅠ大敗。ウインズのオヤジたちも天皇賞(春)でその視線の意味合いを完全に変えた。疑ってかかるべき存在。人は簡単に意見を変える。それは人の良さでもあり、短所でもある。柔軟性と頑なさは表裏一体であり、意見を変えることも変えないことも否定できない。復調途上のオルフェーヴルはルーラーシップに敵わない。その見立ても立派な意見だ。それでも最終的には単勝オッズはオルフェーヴル3.2倍、ルーラーシップ4.4倍。この数字はオルフェーヴルと池添謙一の復活への願いも込められていた。

日経賞であっといわせたネコパンチが先手を奪い、スタートは五分だったが、ルーラーシップは促し気味に前をとり、オルフェーヴルは周囲の馬たちを壁がわりに抑えにかかる。対照的な立ち回りで最初のコーナーへ飛び込んでいく。先行集団のインにルーラーシップ、中団後ろの外にオルフェーヴル。両馬の関係は変わらないまま、勝負所を迎える。先に動いたルーラーシップは先行集団を支配し、飲み込みにかかる。対してオルフェーヴルは馬群でスパートのタイミングを待ち、ルーラーシップより遅れて4コーナー出口で仕掛けていく。直線に向くと、ルーラーシップは思い切って馬場の外へ進路を求める。そして、いつの間にかインに潜り込んだオルフェーヴルが一気にその差を詰めていく。四肢を目一杯伸ばし、頭がやや高く見えても、姿勢を低く見せる彼にしかできない独特のフォームが戻ってきた。ウインズではルーラーシップを鼓舞する叫びとオルフェーヴルに託した祈りの言葉が交錯する。これが競馬だ。外ラチの向こうを疾走する馬たちそれぞれに声で背中を押す。勝者も敗者も、みんな誰かの声援を糧にゴールを目指していく。その美しさはなにものにも変えられない。

オルフェーヴルは宝塚記念を制し、GⅠ4勝目をつかんだ。普通の馬になるための試行錯誤、それを耐え抜き、もうひとつ成長を遂げた姿は、春の試練を乗り越えたことを意味する。さあ秋だ。宝塚記念のゴール後、私たちはオルフェーヴルに新たな願いを託し、未来へ向けて声援を送った。

凱旋門賞、勝ってくれと。


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※本記事は『オルフェーヴル伝説 世界を驚かせた金色の暴君』には収録されていないオリジナル原稿となります

第一部 オルフェーヴルかく戦えり

最強を証明し続けた遥かな旅 文・構成/手塚瞳

2010ー2011 新馬戦│スプリングS
2011 クラシック三冠│有馬記念
2012 阪神大賞典│凱旋門賞│ジャパンC
2013 大阪杯│凱旋門賞│有馬記念

第二部 一族の名馬と同時代のライバルたち
[一族の名馬たち]
ステイゴールド
メジロマックイーン
ドリームジャーニー
オリエンタルアート
8号族

[同時代のライバルたち]
ウインバリアシオン
ゴールドシップ
ジェンティルドンナ
ホエールキャプチャ
グランプリボス
レッドデイヴィス
トーセンラー
ギュスターヴクライ
ビートブラック
ベルシャザール
サダムパテック
アヴェンティーノ

[主な産駒たち]
マルシュロレーヌ
ウシュバテソーロ
ラッキーライラック
エポカドーロ
オーソリティ
シルヴァーソニック
メロディーレーン

第三部 オルフェーヴルを語る

血 統 競馬評論家/栗山求
馬 体 『ROUNDERS』編集長/治郎丸敬之
育 成 Tomorrow Farm 齋藤野人氏に聞く
厩 舎(前・後編) 池江泰寿調教師に聞く
海外遠征 森澤光晴調教助手に聞く
種牡馬 社台スタリオンステーション 上村大輝氏に聞く

第四部 オルフェーヴルの記憶

震災の年の三冠馬は「希望の星」
オルフェーヴル産駒の狙い目
穴党予想家が振り返る「オルフェの印」
記者席で見た「阪神大賞典の逸走」
国内外で異次元名馬が生まれた世代
歴代三冠馬を生まれ月で比較する

座談会 語り尽くそう! オルフェーヴルの強さと激しさを

書籍名オルフェーヴル伝説 世界を驚かせた金色の暴君
著者名著・編:小川隆行+ウマフリ
発売日2024年02月19日
価格定価:1,350円(税別)
ページ数192ページ
シリーズ星海社新書
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