「猛暑の初秋」に咲いた可憐な花・パッシングスルー/2021年紫苑ステークス

暑ければ、どこまでも夏競馬?

──どこまでが夏競馬で、どこからが秋競馬だろう?
ここ数年、そんな疑問を抱くようになった。

地球温暖化による、異常な猛暑と長く続く夏。秋の中山開幕週、昔の開門待ちは半袖では寒いくらいだったという長老たち。今は開門と同時にダッシュして、ゴール前のポールポジションを確保したらTシャツが汗まみれになるという開幕週の若者たち。灼熱の新潟記念から中山開幕週に連闘観戦しても、暑さも太陽の照りつけもほとんど変わらない。日焼けは進行し摂取する水分量に変化の無い現状では、秋競馬はまだまだ先のように思ってしまう。

 「サマースプリントシリーズとサマーマイルシリーズの最終戦が秋競馬の開幕週にあるくらいだから、秋の中山開幕週は夏競馬だ!」という友人の持論に賛同し、私も中山の開幕週は夏競馬の領域で観戦することにしている。そうすれば、猛暑下の観戦も苦にならなくなった。

秋の中山開幕週初日のメインは紫苑ステークス。「紫苑」とは夏の終わりから秋の初めに淡紫色の小さな花を咲かせるキク科の植物。この時期に相応しい花の名をレース名にした紫苑ステークスは、2000年に関東圏の秋華賞トライアルレースとして制定された。それまではクイーンステークスが関東の秋華賞トライアルだったが、札幌開催への移設に伴い誕生したレースである。創設当初はオープン特別だった紫苑ステークスは、2016年に重賞(GⅢ)に格上げされ、3着(それまでは2着)までに秋華賞の優先出走権が付与される今のレース体系が確立した。更に2023年からはGⅡに昇格している。

「紫苑」という涼しげなレース名とは反比例して、中山開催の初日は毎年残暑が厳しい。初日ということで毎年現地観戦しているが、紫苑ステークスがスタートする頃に32℃を記録した2019年。炎天下のコースで繰り広げられた、秋華賞を目指すゴール前のデットヒートはいつまでも残る名勝負だった。

優勝馬はルーラーシップの仔、パッシングスルー。
夏の終わりに一瞬だけ輝いた、紫苑の花のような控えめな牝馬だった。

パッシングスルーのクラッシックへの挑戦

英語で「抜き去る」の意味を持つ名のパッシングスルーは、決して目立つ馬では無かった。6月初旬のゲート試験で早々に合格したものの、脚元に弱さを見せてデビューが遅れた。ようやく目途が立ったのは10月の府中新馬戦。池添騎手を背に2番人気で登場したパッシングスルーは、上がり3F33秒5の末脚を駆使して中段大外からまとめて差し切る。逃げ込みを図った2着のワイドファラオは、後にかしわ記念、ニュージーランドTなどを勝つ重賞3勝馬。脚部不安を抱えるものの、来春に向けて上々のスタートを切った。

脚元に弱さを持つ馬は連続して戦うことは難しい。出走間隔を開けつつ春のクラッシック戦線から逆算したローテーションで、2戦目に選んだのは年明けのシンザン記念。陣営のパッシングスルーへの期待から選んだ重賞挑戦。収得賞金を積み上げることが出来れば、クラッシックロードが一気に開ける。しかし、2戦目の重賞挑戦は厚い壁に跳ね返された。レースはスタートを決めて好位から運び、いい手応えで勝負どころに差し掛かるものの、追い出してからがジリジリとした脚になり4着に粘るのが精一杯。賞金加算はならなかったが、それでも素質の片鱗を見せることができたパッシングスルー。この後、オークストライアルのフローラステークスに駒を進める。

2着までに入れば、オークスの出走枠に滑り込める!
出走間隔を開け、準備万端の状態で登場したパッシングスルーは、3戦目に勝負を賭けた。

勝負どころまでは先頭集団を進み、6番手をキープしていたパッシングスルー。1番人気の芦毛馬セラピアが逃げるジョディ―を追う展開。2番人気のシャドウディーヴァは、パッシングスルーのすぐ後ろに付け、3番人気のウィクトーリアは更にその後方を追走。4コーナーから直線に入る時に、馬群に閉じ込められたパッシングスルー。馬群を割ろうとしても、バテたセラピアが前でふらついて蓋をされた状態。それでも鞍上の藤岡康太騎手が外へ進路を変え、追撃態勢が出来た。逃げ込みを図るジョディ―に大外からウィクトーリアが伸びてくる。パッシングスルーはウィクトーリアと併せて急追する。ジョディ―の内から伸びるシャドウディーヴァが抜け出し、それを外から捕まえたウィクトーリアが先頭でゴールイン。パッシングスルーは伸びるも、ジョディ―に迫ったところがゴール板。ハナ、1/2馬身、クビの0秒1差の4着でパッシングスルーがフィニッシュした。

残念ながら、オークスへの参戦は叶わなかった。それでも脚元に不安を抱えながら、オープン馬相手にしっかりと対応できたことは、キャリア3戦目を考えれば立派なもの。一度気持ちが切れかかったにもかかわらず再び伸びて来た根性は、素質の片鱗を示したと評価できるチャレンジだった。

パッシングスルーは、最後の一冠、秋華賞に照準を定め直して、夏を過ごすことになる。

紫苑ステークスから秋華賞へ

ラヴズオンリーユーとカレンブーケドールがクビ差の死闘を繰り広げたオークスが終わり、各馬が秋に備える長い夏。パッシングスルーは、心配されたフローラステークス激走のダメージも少なく、7月の福島・1勝クラスの条件戦に登場する。戸崎騎手を背に単勝1.3倍の支持を得たパッシングスルーは、3番手から直線抜け出し、3馬身差の完勝。適鞍ではモノの違いを見せて、2勝目をマークし、秋華賞へのローテーションがしっかりと見えてきた。

秋華賞に向かうトライアルレースは、関西のローズステークスと関東の紫苑ステークス。パッシングスルーは2勝クラスの身、トライアルで権利を取っておかないと出走が確定しない。

有力馬の動向は、オークス馬ラヴズオンリーユー、桜花賞、オークス共に3着のクロノジェネシスは秋華賞直行。桜花賞馬グランアレグリアは秋華賞に向かわず短距離G1路線を進むことが発表された。トライアル出走組では、阪神ジュベナイルフィリーズ優勝のダノンファンタジーと、フローラステークスを勝ったウィクトーリアがローズステークス、オークス2着のカレンブーケドールが紫苑ステークスを選択している。

パッシングスルーは、秋華賞を想定して関西遠征というプランもあった。しかし出走ダメージからの回復が早くなってきたとはいえ、気性面等の課題を考慮し、関東圏で開催される紫苑ステークスに決まる。紫苑ステークスなら当面のライバルはカレンブーケドール。上位3頭までに優先出走権が与えられることを思えば、チャンスは大きいと思われた。

2019年9月7日。木曜から厳しい残暑となった首都圏は、週末が一段と厳しい暑さとなる。朝から容赦なく照り付ける夏の太陽は、32℃を超える気温を作り出していた。炎天下のパドックで出走馬を待ちながら、ペットボトルのお茶が瞬く間に減っていく。

紫苑ステークスの出走は15頭。8枠にカレンブーケドールとパッシングスルーが入って1番人気と2番人気。ルメール騎乗のレッドベルディエス、フェアリーステークスを勝ち、春のクラッシック戦線に乗ったフィリアプーラなど、どの馬も良く見える。

芝の上を熱風が通り過ぎるように揺らいでいる。4コーナーの付近からスタートする15頭。ゲートが開くと同時に飛び出したのはメイクハッピーとフェアリーポルカ。外からカレンブーケドールが上がって来る。パッシングスルーは、カレンブーケドールをピッタリとマークする形ですぐ後ろに付ける。

メイクハッピーを先頭に15頭がほぼ一団となって1コーナーに向かっていく。メイクハッピーが快調に飛ばす後ろにカレンブーケドール。先行から押し切る「勝ちに行く」レース運びを展開。そのカレンブーケドールの後ろに、「相手はこの1頭」と狙いを定めたパッシングスルー。3コーナーのカーブを過ぎるとカレンブーケドールが仕掛ける。メイクハッピーにじわりと並びかけ、外から先頭を伺う形で4コーナーをカーブする。カレンブーケドールの仕掛けに合わせてパッシングスルーも更にその外につける。内からフィリアプーラとフェアリーポルカ、ルメール騎乗のレッドベルディエスも追い出しにかかった。

直線に入って、先頭に躍り出るカレンブーケドール。あっと言う間に他馬との差が広がる。それに反応したのがパッシングスルー。坂の手前で、カレンブーケドールを射程圏に入れたように見えた。

坂を上ると、激しい先頭争いが展開される。先頭を行くカレンブーケドールをパッシングスルーが捕まえにかかる。並ぶ間もなく先頭に出ようとするパッシングスルー。ところがその内からフェアリーポルカの末脚が爆発、二頭の先行争いに内から割り込む。

カレンブーケドールを挟んで外にパッシングスルー、内にフェアリーポルカ。ゴール前の攻防は、カレンブーケドールがまず脱落。フェアリーポルカが替わって先頭に立つところへパッシングスルーが並びかける。内と外、離れて並走する二頭の鼻面が揃った位置がゴール板だった。

どっちが勝ったのか?

着順掲示板の着差表示の一番上に「写」の表示。3着にカレンブーケドールの馬番14が点滅した。写真判定で15が一番上に点灯し、着差ハナ差でパッシングスルーが紫苑ステークスを制した。

パッシングスルーは初の重賞制覇を達成するとともに、秋華賞の優先出走権を確保。念願の秋華賞に向かうこととなった。

検量室に引き上げてくる、戸崎騎手とパッシングスルー。戸崎騎手のホッとした表情が印象に残るシーンだった。

パッシングスルーの秋華賞とその後

秋華賞に向けて、パッシングスルーの課題は体力の回復と、不安のある脚元の状態。秋華賞で初となる関西遠征も考慮して、栗東調整で臨むこととなった。

秋華賞の主役と見られた、オークス馬のラヴズオンリーユーが右後脚の蹄の炎症で回避したものの、強敵はまだまだ存在する。直行組ではクロノジェネシスが健在、ローズステークスを勝ったダノンファンタジーと3着ウィクトーリアの順調に駒を進める。カレンブーケドールも巻き返してくるのは必至。

秋華賞前日に降った大雨は馬場を悪化させた。重馬場でスタートした馬場状態は9レースから稍重に回復したものの、馬場の悪い状態は変わらない。結局、想像以上に悪化した馬場と、初コースに戸惑い、パッシングスルーは10着に敗れる。道中良いポジションでレースを進め、好位置で直線を迎えたものの、最後は伸びきれず馬群に沈んだ。勝ったのはクロノジェネシス、2着にカレンブーケドール。重い馬場だったとはいえ、実力の違いを見せつけられる結果となった。

 

秋華賞後のパッシングスルーは、脚元の不安を抱えながらも、5歳夏のマーメイドステークスまでコンスタントに出走を重ねた。ダート重賞にも挑戦し、川崎の交流重賞マリーンCで3着を記録している。

そして、5歳の10月。マーメイドステークス後に発生した脚部不安が結局完治せず、引退が報じられた。


パッシングスルーは、故郷のノーザンファームに帰り繁殖牝馬となった。しかし、その名は忘れ去られることなく、度々メディアに登場する。1歳下の半弟シェダル(父ゴールドアリュール)が、中央ダートで4勝を挙げた後、園田競馬へ移籍。重賞の摂津盃を制するなど、通算で10勝をマークした。

 更に2歳下の半妹スルーセブンシーズ(父ドリームジャーニー)は、姉と同じく紫苑ステークスに出走し2着。5歳春の中山牝馬ステークスで重賞初制覇を飾ると、続く宝塚記念でイクイノックスに迫るクビ差の2着、更に凱旋門賞で4着に好走した。

来年にはアルアイン産駒の初仔(パッシングスルー23・牡)が、競馬場に帰って来るはずだ。

パッシングスルーの名を思い出すと、猛暑の紫苑ステークスが蘇る。今年も暑い秋競馬がスタートする。炎天下のパドックで、「暑い!暑い!」とわめきながら、熱いレースを楽しみたい。

Photo by I.Natsume

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