二番人気に花束を。三冠牝馬スティルインラブが戦い抜いた3歳シーズンの蹄跡を振り返る

──スティルインラブ。

2000年5月2日生まれの彼女は、日本競馬の歴史を塗り替えた大種牡馬・サンデーサイレンスを父に持つ。母はプラダマンテ(母の父ロベルト)、半兄に1996年のラジオたんぱ賞を勝ったビッグバイアモンがいる血統である。生産者は北海道・下河辺牧場、馬主は㈱ノースヒルズマネジメント。管理は栗東の松元省一厩舎で、主戦は幸英明騎手が務めた。

2002年11月30日、スティルインラブは阪神競馬場の牝馬限定新馬戦に出走。単勝1.7倍の一番人気に推された彼女は、2着キタノスザクに3馬身1/2差をつけて快勝する。年が明けて2003年1月19日、今度は京都競馬場にて、出世レースの一つとされる紅梅ステークスに出走。KBSファンタジーステークス2着で阪神ジュベナイルフィリーズにも出走したシーイズトウショウなど実績馬が轡を並べる中で、彼女は1戦1勝馬の身でありながら単勝4.1倍の二番人気に推された。レースは好発からマイペースで逃げ粘るモンパルナスにゴール前で半馬身の差をつけて快勝し、一躍クラシック候補に名乗りを上げる。

しかし次走に選んだ桜花賞トライアルのチューリップ賞で、早くも試練が訪れる。
シーイズトウショウ、チアズメッセージ、オースミハルカとタレントが揃った中、単勝1.7倍の一番人気に推されたスティルインラブであったが、阪神競馬場の最後の直線で行き場を失ってしまったのである。そこから外に立て直す不利が響き、残り100mで追い上げるもオースミハルカの粘り腰を交わすこともできないまま2着に終わってしまった。初めての敗戦。自らの騎乗ミスを悔いた鞍上の幸騎手は乗り替わりを覚悟したという。デビュー以来のコンビ解消の危機。しかし、スティルインラブの馬主サイド及び厩舎サイドは騎手の乗り替わりには動かなかった。松元省一調教師と幸騎手の師弟関係もあったのだろう。スティルインラブは、自身をよく知る相棒を失うことなく、牝馬三冠路線へと歩みを進めることとなった。

2003年の桜花賞戦線は、チューリップ賞組のスティルインラブ・オースミハルカ・シーイズトウショウらに加えて、別路線を歩んできた馬たちの争いとなる。そして2003年は、その別路線組にひときわ輝く超新星のような有力馬が出現。無敗のまま、桜花賞の冠に手を伸ばそうとしていたのだった。

──アドマイヤグルーヴ。

牝馬として17年ぶりに天皇賞・秋を制して、1997年の年度代表馬にも輝いたエアグルーヴの初年度産駒である。父はスティルインラブと同じくサンデーサイレンス。セレクトセールにおいて当時最高価格であった2億3千万円で落札された超のつく良血馬として、早くから大きな期待と注目を集める。

そんなアドマイヤグルーヴは2002年11月に武豊騎手とのコンビでデビュー。新馬戦を当然のように一番人気で快勝すると、12月にエリカ賞、休養をはさんで翌3月には若葉ステークスと、いずれも牡馬相手に勝利し、無敗のまま桜花賞の舞台に立つこととなっていた。

そして迎えた桜花賞当日。
スティルインラブの単勝オッズは3.5倍で、ライバルと目される無敗のアドマイヤグルーヴの単勝オッズと奇しくも同じであったが、単勝支持率の差で二番人気とされた。

阪神競馬場の桜は満開。向こう正面の桜並木の下に置かれたゲートに、最初の一冠を求めて優駿たちが一頭、また一頭と歩みを進める。

ゲートが開いた。
…と同時に、大きなどよめきが起こった。
なんと一番人気のアドマイヤグルーヴが出遅れたのである。

馬群の最後尾に取り付こうとする武豊騎手・アドマイヤグルーヴを尻目に、モンパルナスがハナを切る。スティルインラブは好発から、先行馬群を行くシーイズトウショウの後ろ、5,6番手につけていた。レースはよどみなく進み、4コーナーを回って直線へ。アドマイヤグルーヴが内目から徐々に位置を上げていく。一杯になったモンパルナスに、好位に位置していたスティルインラブが襲い掛かる。鞍上の幸騎手はチューリップ賞の失敗を踏まえ、直線半ばでゴーサインを出す。それに応え、スティルインラブが馬群を割って抜け出した。最内をついたシーイズトウショウ。外に出して凄まじい伸び脚を見せるアドマイヤグルーヴ。しかし、スティルインラブには届かない。

結局、スティルインラブは2着のシーイズトウショウに1馬身1/4差をつけて勝利した。一番人気のアドマイヤグルーヴは3着。同じ父を持つ二頭の優駿たちの明暗が分かれる結果となった。スティルインラブ鞍上の幸騎手はデビュー10年目にして初めてのGⅠ勝利となったのである。

舞台は変わって東京競馬場、優駿牝馬(オークス)。阪神マイルから東京の2400mと、一気に4ハロンも延長される過酷なレースである。桜花賞からの巻き返しを図るアドマイヤグルーヴが単勝一番人気で、オッズは1.7倍。桜花賞馬となったスティルインラブは二番人気で、オッズは5.6倍だった。アドマイヤグルーヴはこのオークスで、母エアグルーヴ・祖母ダイナカールと、三代にわたるオークス勝利という記録がかかっていた。桜花賞を制しても、再び二番人気に甘んじたスティルインラブ。彼女の目には、立ち塞がるアドマイヤグルーヴの姿はどのように映っていたのだろう。

ゲートが開いた。東京競馬場のスタンドがどよめいた。アドマイヤグルーヴがまたしても出遅れたのだ。武豊騎手が挽回しようと促すと、今度は口を割って行きたがってしまう。武豊騎手が制御に苦しむ中、レースは淡々とスローペースで進んでいく。向こう正面。逃げるトーセンリリー、追うチアズメッセージ。スティルインラブは中団9番手あたりをキープしている。最後尾からスタートしたアドマイヤグルーヴは激しく入れ込み、武豊騎手の手を焼かせていた。4コーナーを回って東京の長い直線。幸騎手がステッキでゴーサインを出すと、先に抜け出したクイーンカップ優勝馬チューニーをあっさりと交わし去っていく。アドマイヤグルーヴは伸びない──。

結果、スティルインラブは、2着のチューニーに1馬身1/4差をつけ優勝。上がり3ハロンは33秒5と、メンバー最速の末脚だった。桜花賞・優駿牝馬の牝馬二冠達成は1993年のベガ以来10年ぶりの快挙。順調さを欠いたアドマイヤグルーヴは7着に終わった。

二冠馬となったスティルインラブ。秋初戦はローズステークスで、アドマイヤグルーヴと三度目の激突だった。二冠馬の勢いを重視したのか、競馬ファンはスティルインラブを一番人気に押し上げた。三度目の対決で初めての一番人気である。しかし、オークス4着のヤマカツリリーの大逃げに幻惑されたか5着と大敗。ゴール前でヤマカツリリーを差し切ったアドマイヤグルーヴに対して、初の黒星となった。これにより、もう勝負付けが済んだと思われたか、本番の秋華賞では三度目のアドマイヤグルーヴの二番人気となる。

秋華賞は京都競馬場の内回り2000m。
ひと夏を越した18頭の成長度を測る舞台でもある。
秋の柔らかな日差しの中でゲートインが終わる。

今度こそ、アドマイヤグルーヴも五分のスタートを切った。すぐさまスティルインラブをマークする位置をとりに行く。逃げたのはマイネサマンサ、チューニーが2番手。トーセン、ヤマカツの"リリー勢"がその後ろにつける。スティルインラブは中団に位置し、アドマイヤグルーヴはそのスティルインラブを一馬身後ろでマークしている。内回りの3コーナー。スティルインラブが外に出し、徐々に位置を上げていく。アドマイヤグルーヴもついていく。

4コーナーから直線。
好位勢が、マイネサマンサに襲いかかる。
その外からこれらを交わして伸びてくるスティルインラブ。さらに外からアドマイヤグルーヴが猛追。
迫るゴール。スティルインラブが3/4馬身前に出た。アドマイヤグルーヴが追うもその差は縮まらない。

両者がゴールに飛び込んだ。その瞬間、メジロラモーヌ以来17年ぶりの牝馬三冠が成し遂げられた。レース後の口取りで、幸騎手は高々と三本の指を突き出した。それはまるで、「一番人気よりも、この栄冠が欲しかったのだ」と宣言しているかのようだった。


スティルインラブの牝馬三冠は、1996年にエリザベス女王杯が古馬に開放され、秋華賞が三冠目と位置づけされてから初めての達成であった。それは三歳古馬牝馬の混合GⅠとなっているエリザベス女王杯において現役の最強牝馬を決定するというルートが定まったため、三冠牝馬vs歴戦の古馬牝馬という今までにない構図が、競馬ファンの心を湧き立てた。

そして迎えたエリザベス女王杯。前年のオークス馬スマイルトゥモロー、一昨年のオークス馬レディパステルなどの古馬の有力馬を差し置いて、三冠牝馬スティルインラブが単勝一番人気で3.0倍、アドマイヤグルーヴが二番人気で3.6倍となり、馬券の人気は三歳馬が分け合った。そしてスティルインラブのそれは押し出された一番人気ではなく、実力で勝ち取った人気なのだ。鞍上の幸騎手ともども、晴れがましい気持ちでレースを迎えたものと思われる。

京都競馬場芝外回りの2200m。スタンド前に置かれたゲートに15頭の牝馬が歩みを進める。ゲートイン、そしてスタート。一斉に飛び出す15頭。アドマイヤグルーヴも良いスタートを切る。メイショウバトラーが出を窺うも、1コーナーまでにスマイルトゥモローがハナを奪った。ぐんぐんと加速していくスマイルトゥモローが、後ろのメイショウバトラーに5馬身の差をつける。オースミハルカ、ヤマカツリリーの三歳勢が続き、さらにその5馬身後ろにスティルインラブとレディパステル、それらを見るようにアドマイヤグルーヴ。向こう正面で、先頭から最後方まで20馬身近い隊列となっていた。3,4コーナーの中間の坂の下りで徐々に後方勢が差を詰めていく。4コーナーを回って直線。オースミハルカが先頭に立つ。人気のスティルインラブとアドマイヤグルーヴが馬群の外から脚を伸ばす。押し切ろうとするオースミハルカを交わして、2頭は互いを敵手と見定めて末脚を繰り出す。

スティルインラブ、アドマイヤグルーヴ。京都競馬場のボルテージは最高潮となった。馬体を合わせて叩き合う2頭。スティルインラブ、アドマイヤグルーヴ。アドマイヤグルーヴ、スティルインラブ。死力を尽くした2頭の意地の張り合い。僅かにアドマイヤグルーヴがハナの差前に出たか。永遠に続くかとも思われる一瞬が終わる。

軍配はアドマイヤグルーヴに上がった。クラシックの大舞台で強烈なプレッシャー、「勝って当然」といった圧力に晒され続けてきたアドマイヤグルーヴにとって、これが嬉しい初めてのGⅠ勝ち。同時にダイナカール、エアグルーヴと続いてきた母仔2代のGⅠ勝ちに続く、母仔孫3代のGⅠ勝ちの達成だった。

スティルインラブの物語も終わりが近い。実は彼女は、牝馬三冠のラスト・秋華賞の勝ち星を最後に1勝も挙げることなくターフを去っているのだ。「スティルインラブは牝馬三冠を達成して燃え尽きてしまった」というファンもいる。

──しかし、僕は思う。
こうして彼女の蹄跡を振り返ってみると、彼女は決して燃え尽きてはいない。アドマイヤグルーヴという無二の好敵手を得て、二番人気に甘んじることなく、いやむしろ二番人気であることを誇りにして立ち向かい、立ち塞がり、叩き合った。レースを重ねるにつれアドマイヤグルーヴとの力差は徐々に縮まっていき、そしてそれは結果にも表れてきた。ついにアドマイヤグルーヴがスティルインラブをつかまえた時、スティルインラブの胸の内はどうだったろう。善き後継者を得た満足感に満ち溢れていたのではないだろうか。そしてその時、真の二番人気となったスティルインラブにぼくたちができることは、彼女に大きすぎず、小さすぎない、慎ましい花束を差し出すことだ。彼女はその花束を見て、はにかんだような微笑みを浮かべるだろう。

そして競馬は、今日も続いていくのだ。

写真:RINOT

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