有馬記念を連覇したグラスワンダー。
スプリンターズSでタイキシャトルを撃破したマイネルラヴ。
英仏のG1を制覇したアグネスワールド。
有馬記念でも2着に食い込んだ重賞4勝馬、アメリカンボス。

1995年生まれの「マル外」は、本当に素晴らしい馬が多かった。

「マル外」がクラシック競走に参戦できなかった当時、外国生まれの3歳馬(現表記)たちが春に目指すG1といえば、NHKマイルCだった。外国産馬に門戸が開かれた現在とは異なる意味合いを持つG1として、存在感を放っていた。

──ダービーには出られない。ただ、自身の強さの証明をするために。
各陣営の意地と誇りがかかった、もうひとつのダービーだったとも言えるだろう。

1998年のNHKマイルC開催日、東京競馬場には例年以上に多くの素質馬が集まっていた。
そしてその日、2頭の「マル外」が注目を集めていたことを、これからも記憶に残していきたい。

NZT4歳S勝ち馬・エルコンドルパサー。
夕刊フジクリスタルC勝ち馬・トキオパーフェクト。

その2頭の全勝馬は、どちらも輝かしい未来を約束された、才能溢れる馬に映っていた。

レースがはじまり、ハナを切ったのは、米国産馬アマロだった。

先行して勝利した前走・ゆきつばき賞の再現を狙う同馬の鞍上は、佐藤哲三騎手。デビューから5戦全てでコンビを組んでいた。

その後ろの2頭──トキオパーフェクトとエルウェーサージュも、スピードを緩めずに強気の先行策をとる。2連勝中の英国産馬・エルウェーサージュはデビューからコンビを組んでいた武豊騎手がマイネルラヴと組んでいたため、福永騎手に乗り替わっていた。

さらにその後ろには、エルコンドルパサーがいた。
人気の中心となった2頭による真っ向対決。しかし後続各馬も負けてはいられない。

重賞フラワーCに加え、バイオレットS・クロッカスSという2つのオープン競走を勝利している米国産牝馬スギノキューティーは5番手。

2戦全勝中の米国産馬シンコウエドワードは中団にポジションをとる。
3戦全勝でラジオたんぱ杯3歳Sを制覇していた米国産馬ロードアックスと岡部幸雄騎手は、さらにその後方で、先行勢を睨んでいた。

各馬淀みのないペースで、一団となってレースを作っていた。
そして、スムーズかつ淀みない動きで、それぞれの鞍上は互いの相棒の呼吸を探っていた。




トキオパーフェクトは、それまで4戦して全てを1番人気で快勝していた。
倒した相手もシンボリスウォードやアメリカンボスといった素質馬で、絶対的なスピードで先行しながらも直線で突き放すレースは安定感抜群。負ける姿は容易に想像がつかなかった。

エルコンドルパサーもそれまで4戦全勝。そのうち3戦はダート戦だったが、全てが印象的な勝ち方だった。初の芝レースである前走NZT4歳Sも全く問題なく勝利していて、どうやら芝でも一線級の力を持っているということに、観衆たちは気が付き始めていた。その評価の高さが、彼を1番人気に押し上げていた。

トキオパーフェクトか?
エルコンドルパサーか?

ファンにとって、それは大きな議題だった。
このレースが終わっても、その議題がいつまでも熱を帯びているような、そんな予感と期待さえあった。
2頭が満を持して並びかけたのは、最終直線の入り口手前だった。

──そして2頭が並走したのは、ほんの僅かな時間だった。

膨らみながらもコーナーを曲がりきったエルコンドルパサーが他馬を置き去りしていくのを、トキオパーフェクトは馬群に沈みながら見送った。

無敗のG1馬・エルコンドルパサー誕生の瞬間だった。

エルコンドルパサーが2着馬シンコウエドワードにつけたタイム差は0.3秒。
タイム差以上の快勝だった。
彼がその後どれだけ大きく飛翔するかは、想像に難くなかった。

サイレンススズカ・グラスワンダーと火花を散らした毎日王冠。
同期のダービー馬スペシャルウィークを撃破したジャパンカップ。
サンクルー大賞・フォワ賞の連勝と、凱旋門賞2着。

引退後はヴァーミリアン・ソングオブウインド・トウカイトリックといった名馬たちを送り出した。
名馬としても名種牡馬としても、大きな足跡を残した偉大な馬・エルコンドルパサー。
そして、2002年7月16日、あまりにも早くに彼は急逝した。7歳だった。

エルコンドルパサーが天に昇った2002年の夏といえば、トキオパーフェクトが中央競馬から岩手競馬への移籍をして、セン馬となる手術を受けた頃でもある。

あの日2頭についた1.5秒の差は、エルコンドルパサーの死をもって、永遠に追いつかないものとなった。
NHKマイルCを15着に惨敗したトキオパーフェクトは、その後重賞で1勝、オープン競走で2勝を収めた。
初の敗北以降、当初ほどのインパクトを残したとは言い難いレースぶりが続いたが、それとあの敗北がどれほど密接に結びついていたか──今となってはわからない。

しかし彼は諦めなかった。コツコツと出走を重ね、現役を続行。あくまで現役場として挑戦を続けた。

15着→14着→14着→16着と出走するたびに大敗が続いていたG1でも、同期のキングヘイローが勝利した高松宮記念でようやく5着に食い込んだ。

そんな彼が、7歳になって岩手に移籍。
しかもそれはトキオパーフェクトにとって、長い現役生活の折り返し地点でしかなかったのだ。

地方競馬で69戦12勝という戦績を残した彼が13歳で引退する時、既に競馬界ではディープスカイといった次世代──いや、次々世代とでも言うべきか──が活躍を始めていた。エルコンドルパサーのラストクロップは、すでにデビューし終えていた。
トキオパーフェクトの地方登録抹消日である2008年12月13日の翌日には、阪神JFでスペシャルウィーク産駒ブエナビスタがG1初制覇を達成。
その前月にはグラスワンダー産駒のスクリーンヒーローがジャパンカップを制覇していた。

それほどの長い期間を、彼は走り続けていたのだ。
10年以上現役を続けた彼は、『平成』の3分の1以上を、現役競走馬として過ごしたことになる。

2014年に岩手で開催されたJBCでは、誘導馬としても登場。
令和になっても尚、彼は生き生きと、岩手で余生を過ごす。

あのレースで人気を二分した両雄が、これほどまでに異なる馬生を送るのも興味深い。まるで2頭がセットのように感じられたあの瞬間と、その後の異なる道のり。どちらが幸せなのかは、周りの人間に走る由も無い。ただ、我々は彼らの戦いを目撃し、伝え、そして記憶していくことができる。

のちの「凱旋門賞2着馬」と、のちの「岩手競馬の大ベテラン」。
──2頭の功労馬が激突したあのレースを、忘れない。

写真:かず

あなたにおすすめの記事