私は、大きなタイトルに手が届かなくても、一生懸命に走る馬が大好きです。
ましてそれが差し馬なら、なおのこと。
厳しい流れの中懸命に脚を伸ばす馬は、ついつい応援してしまいます。
2017年、秋の府中。
準オープンの奥多摩ステークス。
何気なくパドックを見ていた時、ある馬に目が行きました。
栗毛の馬体はピカピカに輝き、たてがみや尻尾の先まで丁寧に手入れされていることが、一目見ただけでもわかります。
ゼッケンの名前を見ると"ストーミーシー"とあります。
「あぁ、あのとき大穴開けた仔かぁ……」
前の年のことを。思い出しました。
それは、2016年のニュージーランドトロフィー。
14番人気ながら道中最後方近くから大外に持ち出し、豪快な追い込みでハナ差の2着に飛び込んできたのがこの仔でした。1着は2番人気のダンツプリウスにもかかわらず、馬連は221.9倍、三連単は10512.7倍の大波乱を巻き起こしたのです。
ストーミーシーがその時の立役者だったことに気がついて戦績を見てみたら、大きな故障もなく走り続けてる様子。
その日の奥多摩ステークスは、1000万条件を勝ち上がっての4戦目でした。
このクラスに慣れた頃合い……それでも、人気があるとは言えない6番人気。
「でも、重賞でも通用した決め手の鋭さを活かすならここだろうね」
そう思った私は、単勝をそっと購入します。
ゲートが開くと、ストーミーシーは行き脚のつかない様子で馬群の中団へ。
4コーナーでも馬群の真ん中。前にスペースはなし。
それでも、残り400で外に持ち出すと、末脚に火が付きました。
他が止まって見えるほどの猛烈な脚で、前を追い詰めます。
先に抜け出して逃げ込みを図る馬に体を併せ、クビ差できっちり差し切ってゴール。
馬券が当たったことよりも「良いレースを見たなあ」と感じたのを覚えています。
そして、良い馬に出会えたことを嬉しく思ったのでした。
オープンに上がった彼は、その後も走り続けます。
マイル重賞戦線に狙いを定めた彼は、ダービー卿チャレンジトロフィーでは上がり最速タイの末脚で3着に飛び込み、私を大喜びさせてくれました。
ところがマイルの重賞は層が厚く、一線級が相手だとまず掲示板も見込めません。
そろそろ力はついただろうかと思っていても、人気もなければ着順も後ろから数えたほうが早い……というのは、応援している身としては、辛いものがありました。
それでも、走り続けて少しずつ力をつけてきた彼です。
厳しい流れでも懸命に末脚を伸ばせるだけの力はつけてきました。
──いつかオープンで勝てる力がついたらいいなと、そんな気持ちで応援を続けていました。
そうして迎えた2019年、夏の新潟。
リステッド競走の朱鷺ステークスに、彼はいました。
パドックではいつものようにゆったりと歩く彼は、夏の日差しとミストを受けてピカピカに輝いていました。
メンバーにも恵まれての4番人気。広くて直線の長い新潟ですし、"もしかしたら"の期待が膨らみます。
「よし、これなら」
私は、いつもより少し多めの単勝を買って、レースに備えました。
ゲートが開くと、彼は馬群の中団の外側につけました。
ここなら多少距離のロスはあっても前が詰まる心配はありません。
4コーナーで鞍上の大野拓弥騎手に促されて、ペースアップ。得意としている"大外強襲"のパターンです。
馬群はひとかたまり。
彼の脚なら差し切れる──そう思った瞬間、握りしめた手にぐっと力が入りました。
直線に入ったストーミーシーは、エンジン全開。並み居る人気どころを次々と置き去りにします。
そうして先頭で飛び込んだ彼の上がりタイムは、メンバー最速を記録してました。
デビューから40戦目でつかんだ勝利は、これからの活躍を予感させるのにふさわしいものでした。
しかし、重賞戦線に戻ればまだまだ力不足。
自慢の末脚も、なかなか良い結果には結びついてくれません。
ですが、コツコツと努力を重ねて出走を続けてきているのです、私は「きっとどこかで結果を出してくれるだろう」と、たとえ大敗しても見限ることはできませんでした。
そうして迎えた3月の中山、東風ステークス。
映像で見るパドックの彼はいつもどおりに見えましたが、それを見ているわたしは心中穏やかではありませんでした。
というのも、レース前に「ある程度前に出して行って」という厩舎のコメントが出ていたのです。
確かに後方待機策だけでは展開に左右されてしまいますし、ある程度前に行けた方が良いのは確かです。
ですが、彼が先行策を取ったことは何度かあったのですが、どれも良い結果とはなっていません。
どのくらい「前に出して行って」レースをするのかがどうにも気になって仕方がありません。
そろそろ馬場入りの時間になろうかというところまで悩んでいた私も、最後には「……どんな結果でも買わずに後悔だけはしたくないもんな」なんてことを言いながら、単勝を買いました。
ゲートが開くと、彼は好スタートを決めて逃げ馬を追いかけます。
ある程度どころか、完全に先行策。
「こんなに出すって、聞いてないよ!」
思わず、画面に向かって叫んでしまいました。
彼も、もう7歳。
この歳で脚質転換がうまく行くとは思えませんでしたし、そんな簡単に決まるとも思えません。
中山の急坂で馬群に沈む姿が脳裏をよぎります。
「頼むから持ってくれよ……」
そんな言葉が、つい口から出てしまいます。
ところが、彼は実に気分良さそうに先行ポジションをキープしていました。
3コーナーから後ろの馬が押して外から交わして行きますが、彼も逃げ馬を交わしてペースアップ。
そうして内ラチから一頭分だけ空けたところをスイスイと進みます。
「あれ、もしかして……」
そんなことを思ってるうちにもう直線の入り口。
彼はこの段階で先頭に躍り出ていました。
後はゴールまで、粘り切るだけです。
中山の急坂も先頭でクリアして、あとはゴールまでもう少し。
後続が追い上げて来ますが、彼の脚にも疲れは見えません。
そのまま、先頭でゴール。わたしは勝った喜びよりも、呆然としてました。
7歳にして脚質転換に成功してしまうほど、彼は頑張ったのです。
それを目の前で見せられていたのですから。
「頑張ったんだなあ、ホントに……」
そう言うしか、出来ませんでした。
頑張ることの大切さを、彼に教えられた気がしたのです。
その後の彼はまた後方からの競馬に戻りましたが、追い込みではなく差しの形を身につけていました。
重賞で勝つにはまだもう少しというところでしたが、リステッド競走ではまずまず良い競馬が続いています。
オーロカップで3着に来て「さあ、次はどこだろう」と、私は楽しみにしていました。
しばらく音沙汰がないのが気になってましたが「頑張り屋の彼のことだから、きっとまた、みっちり練習してるのだろう」と。
そうして出走を待ってたところに、思わぬ知らせが飛んできました。
屈腱炎を発症し、引退だというのです。
頑張り屋の彼の姿がもう見られないとわかって、一気に力が抜けました。
重賞を勝てなかった牡馬の行く先を思うと、目の前が暗くなるのが自分でもわかります。
「あれだけ頑張ったのにこんな終わり方ってなぁ……」
そう言いながら知らせをもう一度見ると、最後にもう一文、添えてありました。
「種牡馬になることが決まりました」
この一文で、真っ暗だった目の前がぱあっと明るくなりました。
もちろん競走実績では他の種牡馬にはかないませんが、大きな故障もなく頑張り抜いた彼を気に入ってくれる方がいるはずです。
──あと何年かしたら、彼の仔に会える。
それが今、一番の楽しみです。
きっと彼に似て、頑張り屋さんの仔が見られるはずです。
コツコツと頑張って52戦。
大きな勲章は手に出来なかったけど、5年も現役でいられた彼は文句なしの名馬だと思います。
それに、大きな勲章は、きっと彼の仔が取ってくれる。
ストーミーシーに惚れ込んだ私は、そう信じています。
写真:かぼす