復活を果たした王者スーニ。悔し涙から1年後、2011年のサマーチャンピオン

2021年からは晩夏に行われるようになった佐賀の名物重賞・サマーチャンピオン。文字通り「夏の王者」を決める戦いであり、暑さを忘れるような熱戦が毎年繰り広げられる。本稿で取り上げるのは2011年の当レースで復活の勝利を挙げたスーニ。現在も佐賀のレコード一覧に燦然と名が輝いている。

4歳時までの同馬を表す言葉は「天才」だろう。だが、全43戦を振り返るならば「不屈」という言葉がよく似合う。まずは、そんな彼の血統と戦績をご紹介させて頂きたい。

父Soto、母Enabru、母の父Roanoke。ピンとくるファンはなかなか少ないはずだ。それもそのはず、父はアメリカでデビュー5連勝を飾り、その間に重賞2勝を挙げたが、続く米GIIスーパーダービー2着を最後に引退。母は現役時代に9勝したが重賞勝ちは無く、何れもGIは勝っていない。本馬はアメリカのセールで購買されたのち、日本に輸入。いわゆるマル外の一頭としてデビューを迎えることになった。

初陣は08年10月の京都競馬場ダート1200m。1番人気に支持されたスーニは、いきなり7馬身差という圧巻のパフォーマンスを披露し、続く11月の東京ダート1300mで行われた2歳500万下も2馬身半差+レコードで勝利した。2戦の圧巻の内容から重賞初挑戦となった兵庫ジュニアグランプリでは1.1倍と人気を集めたが、ここも2馬身半差で快勝。全日本2歳優駿にあたっては5馬身差を付けて、無敗のままダート2歳チャンプに輝く。

3歳時は兵庫チャンピオンシップ2着、ジャパンダートダービー6着、レパードS2着など勢いに陰りが見えたものの、彼に中距離は長かっただけだった。秋の東京盃で2着に入ると、続くJBCスプリントでJpnIタイトルを獲得。2023年現在、3歳で同競走を制した馬は本馬だけということからも凄さがお分かり頂けることだろう。まさに「天才」。ダート短距離界に現れたニューヒーローだった。

だが、勢いはそう長く続かない。4歳春に重賞2勝したが、かきつばた記念で連勝がストップ。2010年のサマーチャンピオンでは単勝1.1倍に推されたが4着に敗れ、その後も精彩を欠く走りが続いた。重賞だけでなくオープン特別にも出走したが、なかなか遠い白星。気づけば1年以上も勝利から遠ざかり、連敗は12まで伸びていた。JpnIホースがどうしてしまったのか――。

そんな中、迎えたのが2011年のサマーチャンピオンである。スーニは58.5の最重量ハンデを背負い、4番人気で出走。人気を背負ったのは牝馬の2頭で、OP勝ち実績のあるトーホウドルチェと、地方転入後に重賞3連勝でここに臨んだエーシンクールディであった。

レースは前述した牝馬2騎が馬群を引っ張る形になったが、スーニの行きっぷりが、これまでと明らかに違う。目が違う。闘志が違う。好ダッシュから3番手に付けて1、2コーナーを通過したが、鞍上の川田将雅騎手が抑えきれんといわんばかりに向正面から先頭に立ったのだ。かかっているのか? いや、違う。きっかけは正直分からないが、強いスーニが戻ってきたのだ。

4コーナーを真っ先に駆け抜けると、直線は「栄光まであと132m!」という中島英峰アナウンサーの名調子に送られながら、みるみるうちに加速。後続を4馬身突き放す圧勝劇で「ジーワンホース、復活の勝利」を果たした。思い返せば1年前のサマーチャンピオンでは、単勝1.1倍の支持を受けながら4着。そこから大きな着順が目立つようになっていき、苦しい1年間を過ごしていた。まさに忘れ物を取り返した、悔し涙を晴らした……そんな勝利と言っていい。もしかしたら、スーニが1年前のことを覚えていたのかも。まぁ、流石にそれは考えすぎか。

何はともあれ、この白星は鞍上にとっても非常に嬉しい勝利となった。川田将雅騎手といえば佐賀県出身で、何を隠そう曽祖父や祖父、父が佐賀競馬の騎手や調教師という関係。地元に錦を飾る勝利にもなった。

不屈の闘志で復活果たしたスーニは再び連勝街道に乗り、同年の秋には2度目のJBCスプリント制覇。しかも勝ち時計の1:10.1はレコードタイムのおまけ付きだった。2011年サマーチャンピオンでの復活劇がスーニに自信を取り戻し、王者返り咲きへのきっかけになったのである。

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