[追悼記事]沈黙の北國王冠〜園田の総大将・タガノゴールド〜

11月8日。
前日にしっかりと雨が降り、金沢は、この日も晴れたり曇ったりとはっきりしない、いかにも北陸の秋冬らしい空模様になっていた。
金沢競馬場では、全国地方交流の重賞「北國王冠」が行われる。北國王冠は、全国でも珍しい2600mの長距離重賞。全国に門戸を開いて4年目の2020年、全国から5頭の精鋭が集った。

川崎からは、このレース前年2着の牝馬アッキー。大井からは、今年の金沢・イヌワシ賞2着馬スギノグローアップと、ニーマルサンデー。さらに船橋からはクインザヒーロー。

──そして、前年の優勝馬タガノゴールドも、連覇を狙って金沢の舞台にやってきた。

昨年の北國王冠も、その前の金沢遠征であるイヌワシ賞(1着)も現地で見られず、僕がタガノゴールドを実際に見るのはこれが初めてのことだった。

「中央でもオープンまで出世し、六甲杯連覇など重賞8勝を重ねた園田の総大将はどれだけ立派な馬なのだろう」と、パドックで待ち構えた。

Photo by すとんこ

1枠1番の彼は真っ先にパドックに入ってきたが、他の馬はなぜか入ってこなかった。
まるまる1周ほど、一頭だけで周回する時間があった。
まるで入場制限で数少ないファンに自分をしっかりと見てもらおうとするように、悠々とパドックを回った。

そんな彼の姿を写真におさめながら浮かんだのは、ひとつの感情だった。

──可愛い馬だなあ。

9歳の牡馬に使う表現ではないと思うが、487kgの馬体重で均整の取れた鹿毛の体。
厩務員に素直に引かれながら、観客の方を見るように顔を向けている、なんだか愛想を感じるようなパドック。

こんな可愛い馬が重賞を──しかも長距離の重賞をいくつも勝っているのかと思うと応援したくなるな。
生粋の金沢競馬ファンである僕にすら、そんな事を思わせた。

それは僕だけではないようで、5か月ぶりの久々の出走、相手も前走で苦杯を舐めさせられたアッキーなど強豪が揃っているにもかかわらず、単勝1.8倍の圧倒的1番人気に押されていた。

そして、曇り空から日が差し込みだした頃、いまや名コンビとなった下原理騎手を背にして、タガノゴールドは金沢最終11レース、北國王冠の馬場へと出て行った。

Photo by ヨドノミチ

レースは2周目のスタンド前で一気に先頭に出たスギノグローアップを前々で進めていたタガノゴールドが追いかける形に。
向こう正面から最終コーナー、直線まで、この2頭のマッチレースとなった。

Photo by すとんこ

コーナー出口から直線に入ってタガノゴールドが先頭に出るもスギノグローアップが粘って食い下がる。直線の中ほどからは差し替えしてスギノグローアップが先頭に立ち、アタマ差抜き出たところでゴール。初重賞を飾った。

Photo by haruka

カメラを構えながら2頭の熱い叩き合いを見て「三連単外れたか、三連複は当たっているけど安いなあ」と思いながら、そのままゴール板を見ていた。
シンガリの馬がゴールするのを必ず見届けると言うのが、僕のルールだ。
前の馬から2.9秒、勝ち馬から8.5秒経ってジャーニーマンがゴール板を駆け抜けるまでを(買い目に入っていたのもあって)見届け、今年の北國王冠は終わった。

──その時、誰かのぼそっとした声が聞こえた。

「……タガノゴールド……?」

すぐに、コーナーの方を見た。
そこにはコースに倒れるタガノゴールドと、傍らに立つ下原騎手の姿があった。

場内には、馬券を当てた歓喜も、勝者を称える歓声も、馬券を外した悔恨の呻きもない。

あったのは、ひたすらに沈黙だった。

場内のファンはただ立ち尽くし、茫然と目の前で起きる事を見ていた。タガノゴールドを救おうと慌ただしく動く関係者、職員、下原騎手。
立っているのに全身に力が入らない……棒立ちの僕を含めた多くのファンは、祈る事と助かる事を信じるしかなかった。
声を出さず、持っているカメラも動かさず。視線を逸らす事なく様子を眺めながら、ただじっと沈黙の中でひたすらに念じるだけ。

無観客開催の時よりも静かで、どの時よりも重い時間が流れた。

沈黙を解くようにピンポーン、と場内へのお知らせのチャイムとタガノゴールド故障の為に後検量をせずに確定する旨の放送が流れた。
すると下原騎手がタガノゴールドのそばを離れ、コースの外ラチ沿いをこちらに向かって歩き出した。
金沢は検量室前とスタンドが金網一枚でしか仕切られておらず、レース後はファンが騎手や厩務員に直接おめでとう、と言えるほど近い。しかし、コースから検量室へと向かう下原騎手に声をかけるファンは皆無だった。

下原騎手が検量室の方へ消えていく姿を見て、僕は我に返って初めて周りを見た。

涙を拭う人、声を上げて泣く人、ベンチに座り込んで頭を抱える人。
沈黙が破れて押さえていた感情があふれ出している人が多くいた。
僕は気力を振り絞って、友人たちと馬場に背を向けて歩き出すしかなかった。

競馬場で見る競馬は、楽しい。

しかし、こんな結末の──こんな沈黙に包まれて悲しい喧噪が膨れる競馬場は、楽しくもなんともない。馬券を当てても嬉しさはなく、外しても悔しさがない。全ての感情が固まって動かなくなる。そんな競馬は、本当に経験したくない。

今までは、出走する全馬の『無事完走』を願っていた。
この北國王冠を経験して思う。
これからは、全馬の『無事帰厩』までを願おう。
……そう、心に誓った。

タガノゴールド、長い現役生活お疲れさまでした。
金沢の一ファンはここで見せたあなたの最後の走りを忘れません。

Photo by cry
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