豪州から来た若手、レーン騎手とともに制したグランプリ。リスグラシューが強豪牡馬たちを撃破した2019年の宝塚記念

宝塚記念……それは春のG1開催を締めくくる伝統のグランプリレースだ。
専用のファンファーレによって送り出される精鋭ぞろいの競走馬たちによって、いくつものドラマが生み出されてきた。

例えば、不慮の事故により数少ない世代しか残せなかった父の産駒の代表として、脚部不安を抱えながらも7歳で宝塚記念を勝利した、スズパレード。例えば、メジロライアンと若き日の横山典弘騎手が6度の敗北を乗り越えて初めて掴んだ栄冠、1991年の宝塚記念。例えば、テイエムオペラオー急逝直後に、彼とともに勝った2001年の天皇賞(春)以来のG1を勝った和田竜二騎手と、中々結果の出ない苦しい時期が続くも、その鬱憤を晴らすかのようにワーザーの郷愁を退けたミッキーロケット…。

そんなドラマの多い宝塚記念から、今回は、初来日したオーストラリアの若き名手と頂点まで駆け上がった、リスグラシューと2019年の宝塚記念について語らせて頂きたい。


よくハーツクライ産駒の特徴として、父と同様に「晩成」で「大舞台で大駆けする」ことがあげられるが、リスグラシューはまさにそれに当てはまる馬だった。

初勝利をあげた未勝利戦では当時の阪神芝1800mの2歳レコードを叩き出し、3歳の時に挑んだ牝馬三冠ではすべて掲示板入りの結果を見せるなど、早い時期から安定した成績を出していたリスグラシュー。だが、G1のタイトルにはあと一歩のところで手が届いていなかった。

彼女にとってひとつの転換点となったのは、2018年のエリザベス女王杯だろう。短期免許で来日していた香港のジョアン・モレイラ騎手を背に挑んだこのレース。ハイペースで逃げたクロコスミアと岩田康誠騎手は逃げ切りを目指す体制を見せるが、後続はなかなか彼女らをとらえきれない。しかし、大外から一頭の馬が猛然と差を詰めてくる。この馬こそがリスグラシューだった。クロコスミアをクビ差差し切って迎えたゴール板、それは人馬共にJRAのG1初制覇という歓喜をもたらした。

リスグラシューが次に見据えたのは海外だ。エリザベス女王杯からおおよそひと月後、モレイラ騎手とともに香港ヴァーズに参戦。直線ではアイリッシュ2000ギニー3着の経験もあったExultantとの熾烈な叩き合いを演じるも、惜しくも2着に敗れた。その後は金鯱賞を挟みクイーンエリザベス2世カップに挑むも、ウインブライトと松岡正海騎手が作り上げた1.58.81のレコードタイムに惜しくも届かず3着という結果に終わった。

この挑戦を受け、リスグラシュー陣営は、次走にひとつのレースを指名した。
夏のグランプリ、宝塚記念である。


2019年の宝塚記念。
話題の中心にいたのは、間違いなく2017年クラシック世代の5歳馬たちだろう。
2017年の日本ダービーを勝ち、翌年はオールカマーをステップに天皇賞(秋)を連勝するという史上初のローテーションをこなしてみせたレイデオロ。アーモンドアイが世界レコードの中2着に粘り切ったジャパンカップなどの走りで宝塚記念のファン投票1位を獲得た17年菊花賞馬キセキ。そして、後輩の有馬記念勝ち馬ブラストワンピースやダービー馬ワグネリアンを振り切り前走の大阪杯でおよそ2年ぶりの美酒を浴びた皐月賞馬アルアイン。

これらの牡馬クラシックを分け合った3頭以外にも、前年の大阪杯勝馬スワーヴリチャード、リスグラシューを含めて2017年クラシック世代から、5頭のG1馬が顔を揃えた。

しかし、人気の中心こそこの世代に譲ったものの、他の出走馬にも粒ぞろいの個性派が顔を揃えていた。

ひとつ上の2016年世代からは、日本ダービー馬のマカヒキが初めて宝塚記念に出走。
ひとつ下の2018世代からは、主な勝ち鞍が2歳未勝利ながらも、これまでに菊花賞を含む計7回の2着入着の記録を叩き出し、父のステイゴールドに準えて「最強の一勝馬」との呼び声もあったエタリオウが出走。
出走馬12頭中、重賞馬は9頭だった。

この歴戦のメンバーたちを前に、リスグラシューの手綱を握っていたのは、彗星のごとく現れた豪州出身の若手騎手、ダミアン・レーン騎手。

ブレイブスマッシュやトーセンスターダムで日本馬との縁があった彼は、2019年に初めて短期免許を取得し来日。初騎乗は4月27日だったが、同日の青葉賞では12番人気だったマコトジュズマルを6着に入着させると、次の日にはJRA初勝利をあげる。そしてなんとJRAのレース騎乗3日目にして平成最後の重賞であった新潟大賞典をメールドグラースとともに勝利し、初重賞制覇まであげてみせたのだ。

まさに飛ぶ鳥を落とす勢いと言ってもいいほどの見せていた若武者に白羽の矢が立ち、リスグラシューとのコンビが実現した。

──曇り空の阪神競馬場。観客の熱気を尻目に、リスグラシューは最後にゲートに収まった。

一瞬の後にスタートが切られると、まず前に行ったのは6番のスティッフェリオ。それに行かせるかと言わんばかりに再内からキセキが競りかけていき、ハナを主張する。好位にはアルアインやスワーヴリチャード、スティッフェリオなどがつけ、中団にはレイデオロ、クリンチャーなどが位置を取り、エタリオウ、マカヒキは後方から足取りを進めていた。

まず観客が驚いたのは、リスグラシューの位置取りだっただろう。近走、彼女は末脚に賭ける競馬を続けていたし、この宝塚記念でも陣営の頭には当然その戦法があったように思う。
だが、彼女はスタート直後に3番手につけると、向こう正面ではキセキのすぐ後ろに位置取りをしていた。

キセキと鞍上の川田騎手が作った1000mのタイムなは60秒ちょうど。このミドルペースを見越した後続各馬が進出を開始し、レースは4コーナーから直線へと向かっていく。
一番最初に直線に入ってきたのは、やはりキセキ。逃げ込みを図った彼等だったが、そのすぐ後ろには彼女の気配が迫っていた。

残り200mのハロン棒を過ぎたところで、リスグラシューがキセキをかわし先頭に立つ。そこからはもう彼女の独壇場であった。まるで舞台の中心でアリアを歌いあげる歌手のように、鮮やかに直線を賭けぬけた彼女は2分10秒8のタイムでゴール。 念願の2つめのG1タイトルを手にしたのだった。

その後、リスグラシューは検疫規定の改定により出走可能となったオーストラリアのコックスプレートに挑戦。地元に戻っていたレーン騎手と再コンビを組んだこのレースでは、非常に短いことで知られるムーニーバレー競馬場の直線で2着に1馬身半を着けて、差し切り勝ちを見せるという離れ業を披露し、関係者やファンを驚かせた。

新たな名コンビが誕生するのか、それともかねてからの名コンビが意地を見せるのか。
次なる宝塚記念の名勝負から、目が離せない。

写真:かぼす

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