「ダービー馬はダービー馬から」という言葉。
秀でたスポーツ選手が引退後、そのまま優秀な指導者になるとは限らない。もちろん合致する場合もあるものの、選手と指導者が使わなければならないスキルは別次元のものだというのが個人的な考えだ。
競走馬の世界に置き換えてみても、すべての名馬が名種牡馬になれるわけでも、名牝全てが名繁殖牝馬になれるわけでもない。反対に種牡馬、繁殖牝馬となってから脚光を浴びた馬たちも多数いる。
現役選手と指導者、競走馬と種牡馬。条件も環境も全く違うので比べても意味が無いが、ついついそのような視点で馬たちを見てしまう自分が可笑しい。
月曜のスポーツ紙の競馬欄を開くと飛び込んでくる「親子二代同一G1制覇!」の見出し。
G1レースで馬券が外れても、この見出しに合致するレースを見た時は、何故か心をあたたかくして帰路に就ける。
競走馬としても種牡馬としても成功を収めたディープインパクト、キングカメハメハ以降はその例が多くなった。
しかし、90年代前半に活躍した牡馬たちは、種牡馬になっても輸入種牡馬と同じ土俵での戦いで苦戦し、同一G1でなくても「親子二代G1制覇」ですら「夢のまた夢」という時代だった。
オグリキャップ、ミホノブルボン、ウイニングチケット、ビワハヤヒデ……。産駒がG1制覇するシーンを見たかった名馬たちが、多数いた。
そんな厳しい環境下でもがんばって達成した数少ない名馬の1頭が、トウカイテイオーだろう。
トウカイテイオーは皇帝シンボリルドルフの初年度産駒で、トウカイテイオー自身が「親子二代ダービー制覇」の偉業を達成した名馬である。1995年より社台スタリオンで供用され、産駒の活躍に期待が膨らんだ。
しかし産駒は晩成型のタイプが多く、初年度の牡馬牝馬の三冠レースでは、出走馬にその名を刻むことができなかった。それでも初年度産駒が5歳になった初夏、2001年マーメードステークスでタイキポーラが優勝。トウカイテイオー産駒として初の重賞制覇を成し遂げる。翌年春には6歳になった初年度産駒の中から、2月の中山記念をトウカイポイント、6月の愛知杯をトウカイパルサーが制し、ようやくトウカイテイオー産駒の存在が認められ始めた。
そして2002年晩秋、京都競馬場のマイルチャンピオンシップで、トウカイポイントが優勝。親子2代、いや祖父シンボリルドルフからの「親子3代G1制覇」を達成する。
サンデーサイレンス全盛期、内国産種牡馬不遇時代での「親子3代G1制覇」。今ではよくある出来事なのかもしれないが、当時は「偉業」だったと言える。
「出会いの春」は、中山記念。
トウカイポイントがマイルチャンピオンシップを制した瞬間、私は京都競馬場のゴール前に居た。
──とはいえ、トウカイポイントという馬をデビュー時から知っていたわけでは無い。トウカイポイントが「私のお気に入り馬」となったのは中山記念優勝以降の事である。
2002年2月24日。春の到来を告げる中山開催第1週のメインレース、中山記念。毎年ほぼ欠かさず観に行っている楽しみなレースのひとつだ。出走してきたサイレンススズカの弟ラスカルスズカを楽しみに現地へ行く予定だったものの、仕上げなければならない案件が日曜になっても片付かず断念する羽目に。
日曜の15時30分、ラジオのイヤホンを耳に付け、誰もいないビルのエントランスのソファに腰かけて出走を待っていた。
人気は60kgを背負うエイシンプレンストン、注目のラスカルスズカは3番人気。
ラジオの電波が届きにくいのか、雑音混じりの実況でスタート以降の展開が良く聞き取れない。できるだけ窓際に近づいて、ようやくアナウンサーの実況が聞こえるようになったと思ったら、各馬は4コーナーを回っている。直線は各馬一斉の横並びになったようで、断片的に馬名が連呼される。トラストファイヤーが伸びて来て、エイシンプレンストンは伸びない。外からラスカルスズカ……。
アナウンサーが取り上げる馬名を繋ぎ合わせて、スズカが来たか──と思っていた。しかし「優勝は内からトウカイポイント、外で粘ったトラストファイヤーか~。ラスカルスズカはその後3着」という無情のアナウンスでラスカルスズカの惜敗を知り、そこで初めてトウカイポイントの名を記憶に刻み込むことになる。
携帯してきたスポーツ紙の馬柱に目をやると、トウカイポイントの父はトウカイテイオー。
「トウカイテイオーの牡馬が、ついに重賞を勝った!」
ほとんど印のついていない馬柱に再度目を向けると「騙6歳」の活字。「牡馬でなく、セン馬なんだ……」と思った。
何となくトーンが下がったものの、トウカイテイオーの仔の優勝がうれしく、ラスカルスズカが惜敗した悔しさも吹っ飛んだ。
「トウカイポイント……。優勝シーンを見たかったなぁ」
エントランスのガラス窓から見える澄み切った早春の青空をボーっと見上げながら、トウカイポイントという馬を想像していた。
──トウカイポイントはセン馬で、マル地馬だった。今でこそ気性難からセン馬になってそこから活躍する馬も多くいるし、未勝利期間に勝ちあがれず地方競馬に転出してからの再入厩でオープン馬になる馬も見かける。
しかし2000年当初は、セン馬やマル地馬と言えば、1ランク下のどこか問題児的な馬に見てしまう時代だったように思う。少なくとも、当時の私はそうだった。トウカイテイオーの仔なのにオープンに昇格後も気に留めていなかったのは、そんな色眼鏡をかけていたからなのかもしれない。
トウカイポイントは1998年5月に盛岡でデビュー。4戦1勝で中央転入し、コツコツと出走し勝ち星を積み上げていく。2000年5月にはステイゴールドが悲願の重賞制覇を果たした、あの目黒記念にも出走(8着)している。6月の降級後、条件戦を2勝して再びオープンクラスに戻ったのは2001年10月。カブトヤマ記念2着を経て、翌年の金杯(8着)白富士ステークス(4着)出走後、中山記念制覇につながった。
マイルチャンピオンシップ制覇への道。
トウカイポイントのG1初出走は、中山記念制覇から4か月後の宝塚記念。阪神競馬場まで遠征して4コーナー寄りの最前列に陣取っていた私の前を、トウカイポイントが元気よく通り過ぎていった。
スタート後、3歳馬ローエングリーンを追いかけて2番手にトウカイポイント、その直後に1番人気ダンツフレーム2番人気エアシャカール。
その隊列が崩れたのは3コーナー手前だった。人気の両馬が仕掛け、ツルマルボーイが大外を捲る。各馬、団子状態で第4コーナーを迎えた。
直線半ばまで上位でがんばったトウカイポイントは力尽き、優勝したダンツフレームから1.2秒差10着で初G1チャレンジは終わった。トウカイポイントにとって2200mの距離は長かったのかもしれない。それでも直線半ばまでがんばった先行力で、初G1出走ながら、しっかりと爪痕は残せたように見えた。
夏場は函館記念(14着)、札幌記念(2着)と北海道シリーズを転戦し、秋の初戦に選んだのはマイルの富士ステークス。蛯名正騎手に鞍上スイッチ、距離を縮めてマイルチャンピオンシップに照準を合わせた形で登場した。
前残りのレース展開の中、優勝のメイショウラムセスと共に後方から追い込み、届かずの5着。古馬になって初めてのマイル戦でも充分に対応できることが分かったトウカイポイント。2度目のG1チャレンジに向けて準備は整ったように思えた。
2002年11月17日、秋晴れの京都競馬場。
透明な秋の空気をいっぱい吸い込んで、背中に陽射しのぬくもりを感じながら、メインレースに登場する出走馬たちを待つ。10レース終了後、パドックには行かず自分の観戦ポイントでメインレースの本馬場入場をじっと待つひとときこそ、私の幸せ時間だ。
入場行進曲サラブレッド・マーチと共に、各馬が本馬場に登場する。誘導馬に続いてテレグノシス、続いてエイシンプレンストンが登場。武豊騎乗のモノポライザー、1番人気アドマイヤコジーンも素晴らしい馬体で返し馬に入る。
トウカイポイントが本馬場へ向かう。気分良さそうに、蛯名騎手のリズミカルな動きに合わせて1コーナーへ駆けていく。
霞がかかったようにユラユラして見える向正面のスタート地点。ターフビジョンにスターターの歩く姿が映し出される。ざわめき始める場内に合わせたようにスターターの旗が振られ、G1のファンファーレが鳴る。
スタートは出遅れの無い一斉スタート。まず飛び出したのは幸騎手のミデオンビット、追って内からゼンノエルシド外を人気のブレイクタイム。中段からやや前寄りに、白い馬体アドマイヤコジーンがつけ、エイシンプレンストンはそこから更に後方から。トウカイポイントは前のアドマイヤコジーンを確認するような位置で内に付けている。
逆光で各馬の判別ができない3コーナーの坂の上、下りに向けて馬群がかたまり始めると各馬が一斉に動き始めた。トウカイポイントは第2集団内側のポジションでデュランダルと並んでいる。馬群の中の蛯名騎手はアドマイヤコジーンの動きを意識するかのようにじっとしたままだった。
600m標識通過でもミリオンビット、ゼンノエルシドの先頭は変わらず、仕掛けたのがブレイクタイムと最内のリキアイタイカン。直線に入ってペリエ騎乗のゼンノエルシドが先頭に立つ。アドマイヤコジーンと並んでいたトウカイポイントは白い馬体を振り切り先頭を追い始める。残り200mで外から伸びてきたのがエイシンプレンストン。
蛯名騎手は、伸びてきたエイシンプレンストンを見るようにラストスパートをかける。
みるみるうちに2頭が抜け出し、内トウカイポイント、外エイシンプレンストンのたたき合い。
エイシンプレンストンが一完歩ずつ伸びて差が詰まって来る中、先に仕掛けて貯金のあるトウカイポイントが踏ん張る。
トウカイポイントの鼻先が残ったまま2頭がゴール板を通過。蛯名騎手の左手が大きく挙がった。
勝ちタイム1分32秒8。2着のエイシンプレンストン以下、5着のメイショウラムセスまでが0.1秒の中に雪崩れ込んだ。
夕日を浴びてトウカイポイントが帰って来る。蛯名騎手が何回も何回もスタンドに向けて手を挙げる。
あのトウカイテイオーの息子がG1を制覇した瞬間を現地で見届けた事、春の中山記念でその存在を記憶に留めたトウカイポイントが、G1馬としてスタンド前に戻って来る姿を目に焼きつけた事が、限りなく嬉しかった。
オレンジ色になったターフに優勝レイを掛けたトウカイポイントが再登場する。
誇らしげな堂々とした姿。栗毛の可愛らしい流星も、この時は凛々しく見えた。35戦もの道のりを走り続けてついに辿り着いたG1馬の称号。
場内の拍手が彼の蹄跡を讃えているかのように感じられる。私も拍手を贈り続けた。
帰りの新幹線のビールの味は本当に美味しかったと、今でも時々思い出す。
「別れの春」も、中山記念。
マイルチャンピオンシップ制覇後は香港へ遠征。香港マイルでも0.1秒差の3着と健闘し、2つ目のマイルG1制覇も夢ではないと確信した。
トウカイポイント7歳の始動は、再び中山記念。
調教も上々のタイムで、スポーツ紙の馬柱もローエングリンと◎を分け合う評価。2つ目のG1安田記念制覇に向けて、良い形でスタートが切れそうに感じられた。
昨年は仕事中にラジオで聞いた中山記念を、今年は競馬場で見ることができる、そしてそのレースに昨年覇者のトウカイポイントがいて、昨年見られなかったラスカルスズカも出走している──。春の開幕レースとして豪華なメンバーが集まり、満足いく1日になりそうと期待が膨らんだ。
レースが始まる。マイルチャンピオンシップを勝った時の「トウカイポイントのポジション」は、蛯名騎手により確立されたように思える、先頭から5~6番手の第2集団に今日もポジションを置いている。トウカイポイントの勝ちパターンだ。
4コーナーでラスカルスズカと並んでいたところまではターフビジョンで確認していた。
直線に入ってもローエングリンの脚色は衰えず快調に飛ばし、この逃げ馬を追う第2集団の中にトウカイポイントがいる。最後は差してくるものと思っていた。
しかし、私が構えていたゴール前のファインダーに、トウカイポイントは映り込むことは無かった……。
「……トウカイポイントは何着だ?」
カメラから目を離し、ターフビジョンに目を向けたときに飛び込んできたのは、ゴール前で止まっているトウカイポイントの姿だった。
蛯名騎手が下馬し、厩務員さんたちが駆け寄っていく。トウカイポイントは立ち止ったままだ。遠目には痛ましい骨折しているようには見えないが、大変なことが起こった事には違いない。
やがて馬運車が来て、トウカイポイントが乗せられる。
自分から乗って行ったから、大丈夫なのか?
蛯名騎手が大事故になる前に馬を止めたのか?
「どうか、大事に至りませんように……」
私はただ、成り行きを見守るしかなかった。
馬運車が目の前を通り過ぎて行く。
通過する馬運車の窓から、トウカイポイントと厩務員さんの姿が偶然確認できた。
呆然とした表情の厩務員さんの横で、キョトンとした顔のトウカイポイントが去り行くスタンドを見ている。
完走できなかったことに対するお詫びだろうか、それとも、いままで応援してくれたことへのお礼だろうか──。
「今年は中山記念に来れてよかったね。もう僕は走れないけど、来年も必ず見に来いよ~」
ゆっくり走る馬運車の窓が正面に来た時、彼が私に向かってそう言ったような気がした。
「右前浅屈腱不全断裂のため競走能力喪失」
最悪の事態は避けられたが、トウカイポイントは引退を余儀なくされた。
その後のトウカイポイントは、幸せな余生を過ごしているようだ。
「親子四代G1制覇」はトウカイポイントがセン馬である以上、そこから繋いでいくのは不可能な話である。だからと言って成し得た「親子三代G1制覇」の偉業が色褪せるわけでも無い。
でも、トウカイポイントにとってはもう過去の話。親子三代G1制覇のシーンより、のんびり1日を過ごせる今が、彼にとって一番の幸せなひとときだと思う。
繋養先の牧場スタッフさんのツイッターで紹介されるトウカイポイントの近況を、いつも楽しく見ながら、温かい気持ちで癒されている。
どうか、トウカイポイントの『幸せ時間』が、いつまでも続きますように。
Photo by I.natsume
テイエムオペラオーの世代にスポットライトをあてた新書『テイエムオペラオー伝説 世紀末覇王とライバルたち』が2022年10月26日に発売。
製品名 | テイエムオペラオー伝説 世紀末覇王とライバルたち |
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著者名 | 著・編:小川隆行+ウマフリ |
発売日 | 2022年10月26日 |
価格 | 定価:1,199円(本体1,090円) |
ISBN | 978-4-06-529721-6 |
通巻番号 | 236 |
判型 | 新書 |
ページ数 | 240ページ |
シリーズ | 星海社新書 |
内容紹介
君はあの完璧なハナ差圧勝を見たか!
90年代後半に始まるサンデーサイレンス旋風。「サンデー産駒にあらずんば馬にあらず」と言っても過言ではない時代にサンデー産駒の強豪馬たちと堂々と戦いあった一頭の馬がいた。クラシック勝利は追加登録料を払って出走した皐月賞(1999年)のみだったが、古馬となった2000年に年間不敗8戦8勝、うちG15勝という空前絶後の記録を達成する。勝ち鞍には、いまだ史上2頭しか存在しない秋古馬三冠(天皇賞、ジャパンC、有馬記念)という快挙を含む。競馬ファンのあいだで「ハナ差圧勝」と賞賛された完璧な勝利を積み重ね、歴史が認める超一流の名馬となった。そのただ1頭の馬の名をテイエムオペラオーという。