間違いなく、彼はその場に帰ってきた。
2013年の有馬記念。クラシック三冠馬であり、凱旋門賞でも二度の2着を経験した稀代の名馬オルフェーヴルの引退レースとして今も語り継がれる一戦で、その8馬身後ろの2着に入ったのがウインバリアシオンだった。
影を踏むことすらできない、ぐうの音も出ない完敗。
それでも彼にとっては大きな価値があった。脚部不安による1年半もの休養から復帰し、生涯の宿敵に再び挑戦できたこと。そして、またも返り討ちには遭ったものの、他の強敵相手には互角以上に渡り合い先着を果たせたこと。それはまさに、幾多のG1レースで常に上位争いを演じてきたウインバリアシオン本来の姿だった。
G1レースで勝者としての喝采を浴びることはできなかったが、長期にわたるブランクを克服し大舞台で再び高いパフォーマンスを発揮した名脇役の偉大さを、その足跡とともに語り継いでいきたい。
ウインバリアシオンのデビューは、2歳の8月。
小倉の芝1800mで行われた新馬戦を制すと、続く野路菊Sでもメイショウナルトらを退け勝利。いずれも高い将来性を感じさせる内容で、早くも翌年のクラシック候補の一頭に挙げられることとなった。
しかし、その後は重賞の壁に阻まれ3連敗。単勝1番人気に支持されたきさらぎ賞では後の三冠馬オルフェーヴルとも初めて対戦するが、双方ともトーセンラーの豪脚に屈することとなる。
こうして賞金加算に失敗したウインバリアシオンは皐月賞への参戦を断念。目標を日本ダービーに切り替え青葉賞に出走すると、後方から豪快に追い込む競馬で重賞初制覇を達成する。
足踏みが続いていた素質馬が本格化の兆しを見せると、日本ダービーでも単勝10番人気の低評価を覆し2着。
不良馬場を力強く駆け抜けるオルフェーヴルに対し、ただ一頭だけ最後まで抵抗を見せたことで、この世代でも上位の実力馬として認識されるようになった。
──しかしオルフェーヴルは強い。あまりにも強かった。
秋初戦の神戸新聞杯で再び相まみえるも2着。
そして、三冠阻止を目指した菊花賞も2着。
どちらも単勝2番人気と「打倒オルフェーヴル」の旗頭としての期待を集めたが、影を踏むことすらできない。それほど、同期の怪物は次元が違った。
その後はジャパンCにも挑戦し5着。
古馬相手でもG1で互角に戦える能力は示しながら、3歳シーズンを終えた。
年が明けても、善戦は続く。
京都記念6着、日経賞2着を経て臨んだ春の天皇賞では、再びオルフェーヴルに次ぐ単勝2番人気に支持されるも3着。ここでは大本命の三冠馬が本来の力を全く発揮できず馬群でもがく中、レース途中から後続を大きく引き離す大胆な策に出たビートブラックの逃げ切りを許し、またもG1初制覇はお預けとなった。
さらに、続く宝塚記念は4着。天皇賞の大敗から見事に立ち直ったオルフェーヴルにまたしても完敗を喫することとなる。これでG1レースには5回出走して2着、2着、5着、3着、4着……。
着差は離されるレースも多いものの、常に大崩れすることなく走れる安定感がある。
このままチャレンジを続ければ、きっといつかビッグタイトルにも手が届くはず。
──しかし、ウインバリアシオンはここで屈腱炎を発症してしまう。
屈腱炎といえば現役続行すら危ぶまれる重度の故障。たとえ戦線に復帰できたとしても、元通りの能力を発揮できるかどうかもわからない。それでも陣営は、ウインバリアシオンの可能性に賭けた。トップクラスのメンバーに混じって奮闘を続けてきた彼ならば、きっと復活を果たせるはずだと。
ブランクは1年半にも及んだ。復帰戦となったのは、13年11月末に中京競馬場で行われた金鯱賞。G2のメンバーであれば実績は一枚も二枚も上なのだが、いかんせん休養が長かったこともあって、馬券の面では低評価に甘んじてしまうのも仕方のないことである。だからこそ、単勝8番人気という伏兵扱いも、やむを得ないところだろう。
だが、ウインバリアシオンの脚力も闘志も、まるで衰えてなどはいなかった。
好位を追走するカレンミロティック、ラブリーデイが1・2着に入る展開で、ただ一頭だけ後方から猛然と追い上げ3着に入ったその末脚は、かつてG1で上位を争った威力と何ら変わらなかった。懸命の治療とトレーニングを積み重ねることで、その実力が色あせることのないままターフに戻ってくることができたのだ。
恐らくレース後、陣営は今後について慎重に考えを巡らせたことだろう。何しろ脚元に爆弾を抱えた状態。今度もし故障を再発するようなら、ほぼ確実に競走馬としてのキャリアは終わりを迎える。そんな状況で下した決断が、1ヶ月後の有馬記念への参戦だった。
そう、冒頭にも記したオルフェーヴルのラストラン。そこで8馬身の差をつけられたとはいえ堂々の2着に入り、「名脇役」の座に返り咲いたのである。故障を乗り越えての力走は、有終の美を飾った同期のスーパースターにも劣らないだけの輝きを放っていた。
さらにウインバリアシオンの奮闘は続く。オルフェーヴルがターフに別れを告げた翌年も現役を続行し、年明け初戦の日経賞で約3年ぶりの重賞勝ちを収めると、続く春の天皇賞ではフェノーメノの2着。またしてもG1勝利には手が届かなかったが、上位人気に支持されたキズナやゴールドシップには先着した。また、これまではオルフェーヴルやビートブラックらに離されての2着3着が多かったのに対し、このレースでは勝ち馬にクビ差まで迫ったことで、いよいよ悲願達成の日も近いのではないかと予感させた。
しかし、残念ながらそれ以降は宝塚記念7着、金鯱賞15着、有馬記念12着と思わぬ大敗続き。そして翌春の天皇賞ではレース中に故障を発生したこともあって12着に敗れ、結果的にこれがラストランに。挑戦を続けた肉体が、ついに限界を迎えた瞬間だった。
現役生活を振り返ると、G1での2着が4回、3着が1回。ビッグタイトルにはあと一歩及ばなかったが、彼はただ惜敗を重ねただけではない。挫折を乗り越えながら、強敵を相手に頂点を目指し続けた道のりには、自らの運命に打ち勝った勝者の姿があった。
そんな名脇役・ウインバリアシオンに、改めて喝采を。