”そよ風”は今も胸の中に。 - 魂の馬、ヤマニンゼファー

「ゼファー魂」
水色地に記された力強い5文字は大きな存在感を放ち、彼の血を引く者に力強くエールを送った。
ファンの熱量がダイレクトに伝わる横断幕が私は大好きだった。

ヤマニンゼファー。

サンデーサイレンス以前、競馬が今よりもう少しだけ泥臭かった90年代初頭にニホンピロウイナーの仔として産まれ、ダイイチルビー、ダイタクヘリオス、ニシノフラワー、サクラバクシンオー、シンコウラブリイ、そしてセキテイリュウオーら個性的なライバルと鎬を削り、若き日の田中勝春騎手や柴田善臣騎手を相棒にマイルと中距離の最高峰を制した。

ギリシャ神話に謳われた西風の神、ゼピュロス(Zephyros)の名を戴いた彼は、疾風の如く駆け、強い意志を以て、更なる高みへと挑戦しつづけた。

四半世紀が過ぎた今も、”ヤマニン”の爽やかな水色の勝負服とともに、私の心に焼き付いている。


錦岡牧場。

オーナーブリーダーとしても知られるヤマニン軍団の本拠地は、日高の海岸線から山間の奥に入った丘陵地に所在し、年間20頭程度の生産馬はその殆どが「ヤマニン」の名を冠してターフに送り出される。眩しい水色の勝負服が持つ魅力ゆえだろうか。ヤマニンシュクルも、ヤマニンパラダイスも、ヤマニンキングリーも、ヤマニンセラフィムも、ヤマニンアラバスタも、ヤマニングローバルも、皆、”爽やかな風”を纏って駆け抜けていたように思える。

オーナーブリーダーにとって、血統の導入と更新は牧場の命運に直結する。

1980年、土井宏二氏は繁殖牝馬としてもベテランの域に達していたヤマホウユウを米国に送りこみ、スタッドインから間も無いブラッシンググルームを交配した。後に名種牡馬として名を馳せることとなるブラッシンググルームもこの時点ではまだ新参種牡馬。本邦に導入され僅か1世代28頭を残して早世した全兄ベイラーンの産駒が活躍する少し前の段階である。

古くはニジンスキーの直仔で種牡馬として大成したヤマニンスキー、90年代には名種牡馬DanzigとアメリカG1馬のAltheaの間に産まれた世界的良血馬のヤマニンパラダイスやケンタッキーオークスを制した名牝ティファニーラスが血を繋いだヤマニンシュクル、直近では米G1オークリーフステークスの勝ち馬ワンオブアクラインを祖に持つヤマニンウルス……今も昔も錦岡牧場は費用を惜しまずに海外の血を貪欲に取り入れ、根付かせ、幾多の花を咲かせてきた。

帰国後に産まれた牝馬・ヤマニンポリシーは1勝を挙げるに留まったが、繁殖としての可能性を信じた土井氏は同馬を繁殖として迎え入れる。繁殖入り3年目のシーズン、マイル王者の称号を引っ提げてスタッドインしたニホンピロウイナーを交配され、この世に生を受けた幼駒がヤマニンゼファーであった。


当初のヤマニンゼファーは、決して脚光を浴びる存在ではなかった。

3歳(旧馬齢)の夏に一度は入厩を果たしたものの、脚元はパンとしない。心身の成熟に時間を要した彼は、満足に仕上げきることができないまま、秋を迎え、年を超え、暖かくなり始め、新馬戦も最終盤となろうかという4歳の3月にようやく競馬場に姿を現した。

クラシック戦線では同期のトウカイテイオーが無傷の3連勝で頭角を現し、弥生賞でイブキマイカグラがマル外のリンドシェーバーとの3歳王者対決を制していた。いよいよ春本番を迎える同期の俊英を横目に、彼は表街道からは遠い中山ダート1200m戦でひっそりと船出の時を迎えた。

単勝12番人気は後の活躍からは意外過ぎる評価だが、脚元への不安をなんとか乗り越えて「ようやく間に合った」ような調整過程を踏まえれば無理からぬことだったかもしれない。

だが初めての実戦を迎えたヤマニンゼファーは、鮮烈な風となって何もかもを吹き飛ばした。後方に控える形から直線だけで前を行く各馬をゴボウ抜き。上がり3ハロンで他馬を1秒3以上も上回る圧倒的な脚力だった。

一転して人気を集める形となった次走の自己条件戦を快勝してダートで2戦2勝としたヤマニンゼファーは、皐月賞前日に初芝となるクリスタルカップに参戦した。快速馬カリスタグローリとユウキトップランに次ぐ3着と好走し、僅か一か月足らずであっという間にスプリント路線のスター候補に名乗りを挙げた。

ひと夏を超えて3勝目を挙げた彼に陣営は次の試練を課す。まだ準オープンの身でありながら、暮れの大一番であるG1スプリンターズステークスへの挑戦を決めたのだ。

格上挑戦のうえに、芝も2度目。常識的には如何にも厳しい臨戦過程である。だがヤマニンゼファーの高い才能を確信していた陣営は、「ひょっとするかもしれない」と密かな期待と色気を持って送り出していた。

1番人気のケイエスミラクルを襲ったアクシデントに悲鳴が上がり、ダイイチルビーが先頭でゴールを駆け抜けた直線。懸命に脚を伸ばしたヤマニンゼファーは7着に終わった。国内のトップスプリンターたちに正攻法で挑み、勝負処で進出し、勝ち馬から1秒も離されずに食らいついた内容は秀逸。来春に控える一線級での戦いに向けて大きな展望が開けた。


年が明けた。身体面の不安もいよいよ無くなり、強い攻めを課すことができるようになってきたヤマニンゼファーに開花の時が訪れようとしていた。

羅生門ステークスで後の最優秀ダートホース、メイショウホムラを下してオープン入りを果たすと、ヤマニンゼファーは大きなタイトルを目指して芝路線へと矛先を向けた。まだフェブラリーステークスも高松宮記念もG1に昇格する前の時代、父も掴んだ芝マイルの王座への挑戦が始まった。

緒戦の京王杯スプリングカップでは快速ダイナマイトダディにこそ僅かに及ばず3着に敗れたものの、現役2トップのダイイチルビーとダイタクヘリオスに先着を果たした。スプリンターズステークスから半年、ヤマニンゼファーは一回りも二回りも成長を果たしていた。

それでも本番の安田記念において、ヤマニンゼファーは11番人気と伏兵の評価に留まった。

捲土重来を期すダイタクヘリオスとダイイチルビー。メジロマックイーンとトウカイテイオーの頂上決戦に割って入ったカミノクレッセとイブキマイカグラ、愛すべき個性派ホワイトストーン、前年のグランプリでアッと驚かせたダイユウサク……この年の安田記念は短距離から中長距離まで、多様な路線から実力と個性を兼ね備えた有力馬が集まった。賞金順でギリギリ出走枠に滑り込んだヤマニンゼファーに注目が集まらなかったのも無理からぬことだった。

マイネルヨースが彼らしいハイペースの逃げを刻み、スプリントで真価を発揮してきたトモエリージェントが後に続いたことで、レースは締まったハイペースとなった。大外枠から飛び出したヤマニンゼファーはダイタクヘリオスとダイイチルビーを射程に捉える絶好位で進める。

消耗戦の様相を呈する4角。快調に飛ばした他馬の脚勢が徐々に衰える中でヤマニンゼファーは唸るような手応えでポジションを上げる。ダイイチルビーの河内洋騎手の手は既に激しく動いている。漸くスイッチの入ったダイタクヘリオスが一歩遅れて追撃態勢に入る。

直線入り口で一杯となったマイネルヨースを呑み込み馬場の真ん中で単騎先頭に立ったヤマニンゼファーに、短距離戦線でスピードを磨いたライバルと中長距離で地力を蓄えた強豪が内外から襲いかかる。だがヤマニンゼファーの脚色は衰えず、新緑の風に乗って直線を駆け抜けた。

ゴールの瞬間、田中勝春騎手は高々と右手を上げた。ヤマニンゼファーは見事マイル王の座に就いた。

王座を奪取したのも束の間。ヤマニンゼファーの前に強力なライバルが新たに現れる。

一つ下の世代の新星、シンコウラブリイが、ニシノフラワーが、そしてサクラバクシンオーが綺羅星のように表舞台に現れた。ダイタクヘリオスは健在。中長距離路線からは同期の実力派、ナイスネイチャも乗り込んできた。

強力な面々を相手に王座を守ることは容易いことではない。秋を迎えたヤマニンゼファーは始動戦のセントウルステークスからマイルチャンピオンシップ、スプリンターズステークスへと歩みを進めたが、結果は2着、5着、2着。あと一歩が遠かった。


翌春。ヤマニンゼファーの大目標は勿論、安田記念連覇である。柴田善臣騎手を新たなパートナーに迎え、59キロを背負った京王杯スプリングカップでシンコウラブリイをマッチレースの末に退けて、約1年ぶりの勝利を挙げた。

競馬の国際化が進む中で、安田記念はこの年から国際競走に装いを変えていた。

フランスからはモハメド殿下が所有し前年にジャンプラ賞を制したG1馬キットウッド、アメリカからは大樹ファームが誇るカク外のロータスプールが遠征を果たした。今より海外との距離が遠く、彼我の実力差も推し測ることが難しかった時代、海外2騎は大きな脅威だった。

前年に桜花賞とスプリンターズステークスの2つのタイトルを獲得し、年明けの始動戦マイラーズカップでも盤石の強さでヤマニンゼファーの3馬身先を駆け抜けたニシノフラワーを筆頭に、迎え撃つ国内勢も同路線のトップホースが顔を揃えた。国際競走として初めて行われる春のマイル王決定戦は、前年とは様相の異なりつつも、彩り豊かな混戦模様だった。

前年と同じようにマイネルヨースが先導する展開を序盤は6番手あたりに控えたヤマニンゼファー。3角を前にじわりとポジションを上げると、栄光に輝いた前年を思い出すように直線入り口では早々に先頭に立つ。待ち構えるのは府中500mの直線。敢然と先頭に立ったヤマニンゼファーに後続各馬が襲い掛かる。

最内から漆黒の勝負服のシンコウラブリイが、背後から外国勢2騎が、外から黄色いメンコのカミノクレッセが、大外からしなやかにシスタートウショウが、馬群を縫ってイクノディクタスが追い上げる。

さながら1対15の様相。間断なく襲い掛かるライバルを絶えず打ち払い、ゴールへひた走る。先頭は譲らない。

そよ風が再び府中吹き抜けた。

伏兵の一頭として果たした初めての安田記念制覇から1年。今度は堂々たる王者のレース運びで、父ニホンピロウイナーも成し得なかった”安田記念連覇”の金字塔を打ち立てた。


「ヤマニンゼファー、秋は天皇賞へ!」

安田記念連覇の翌日、ヤマニンゼファーの新たな挑戦が報じられた。父がかつて及ばなかった距離の壁、芝中距離の最高峰への挑戦である。

この年の天皇賞・秋は、カレンダーが進むにつれて混迷の度合いを増していた。

大本命のメジロマックイーンは降着の憂き目にあった2年前の落とし物を取り戻そうと京都大賞典を7馬身差で圧勝するも、天皇賞を目前に脚部故障でターフを去った。トウカイテイオーも度重なる故障で復帰の目途は未だ立たない。

メジロマックイーンを天皇賞・春で負かしたライスシャワーはオールカマーでツインターボの大逃げを許して不安の残る始動となり、そのツインターボ自身もギャンブル性の高い大逃げから全幅の信頼は置きづらい。

ヤマニンゼファーが始動戦に選んだ毎日王冠にはナイスネイチャやセキテイリュウオー、サクラセカイオーら牡馬の一線級が顔を揃えたが、コースレコードで駆け抜けたシンコウラブリイにまとめて打ち負かされた。天皇賞の出走権を持たないマル外のシンコウラブリイが前哨戦を制したことで混迷は一層深まった。

当日、ヤマニンゼファーは5番人気の支持に留まった。府中でG12勝を挙げているとはいえ、1800mの2戦、中山記念と毎日王冠の結果から距離不安を拭えないファン心理が反映されているように思えた。

だが1800m戦での2度の敗戦は決して距離が原因ではない。陣営は手ごたえと野心を胸に、ヤマニンゼファーを再び府中のターフに送り出した。

天皇賞・秋を前に、ヤマニンゼファーにはもう一つの「勝たねばならない理由」が生じていた。ヤマニンゼファーのオーナーを務めていた土井宏二氏が10月に80歳でこの世を去っていたのである。

オーナーブリーダーとして自身を生み出した存在の逝去。氏亡き後の錦岡牧場の「これから」を占う大切な戦いとなった。

ゲートが開くとツインターボが前2走と同様にハナを奪い後続へのリードを広げる。1000メートル58秒6でレースが進行する中、速力に勝るヤマニンゼファーと柴田善臣騎手は距離不安を微塵も感じさせない積極的なレース運びで2番手につける。

大ケヤキの向こう過ぎたあたりで安田記念と同様早めの進出を開始したヤマニンゼファーは、ツインターボを早々に呑み込み、秋枯れの府中の直線を先頭で迎えた。

未知の距離を迎えたヤマニンゼファーは長い長い直線を単騎で突き進む。直後につけていたライスシャワーやナイスネイチャの脚色が鈍る中、外から唯一頭、かつての相棒・田中勝春騎手が駆るセキテイリュウオーが飛んできた。

水色のヤマニンゼファーと白色のセキテイリュウオー。西日で真っ赤に染まる直線で、2頭の長い長いランデブーが始まった。

残り300m。ヤマニンゼファーは進路を外に持ち出してセキテイリュウオーと馬体を接する。柴田善臣騎手の渾身の右鞭に応えてゼファーは闘志を振り絞る。セキテイの田中勝春騎手で左鞭で応戦する。セキテイの身体が前に出る。ゼファーが差し返す。再びセキテイが伸びる。ゼファーが踏ん張る。

柴田善臣と田中勝春。ヤマニンゼファーとセキテイリュウオー。二頭と二人の意地がぶつかり合う。

馬場の真ん中、長く伸びた2頭の影が府中のターフを駆け抜ける。首の上げ下げ。どっちだどっちだ。

次の瞬間。

それはヤマニンゼファーの強い意志だっただろうか、それとも天国から見えない後押しがあっただろうか。彼の馬体がほんの少しだけ前に出た。

強烈なそよ風が3度府中を吹き抜けた。父ニホンピロウイナーが届かなかった距離の壁を乗り越え、ヤマニンゼファーがマイルと中距離、二つの世界の頂点に立った。


この後、ヤマニンゼファーは三つ目の世界、スプリントの頂点を目指し、前年2着に敗れたスプリンターズステークスをラストランの地に選んだ。

イイデザオウとドージマムテキが演じたハナ争いは33秒2。スプリント戦らしい早いペースにもきっちり対応し、直線もしっかり伸びた。前年にはゴール寸前の強襲を許したニシノフラワーを何とか凌ぎ切った。

だが一頭。ヤマニンゼファー以上のうなるような手応えで抜け出した名スプリンター、サクラバクシンオーには及ばなかった。

サクラバクシンオーの最初の戴冠を見届けてヤマニンゼファーはターフを去った。スプリンターズステークス2年連続2着は、勲章はなくとも紛れもなく彼自身がスプリント界でもチャンピオンクラスにあることを雄弁に語っていた。

ヤマニンゼファーは父としてサンフォードシチーを、母の父としてドンクールを送り出したが、後継の種牡馬を得るには至らず、2017年にこの世を去った。

ヤマニンゼファーの血を引く者も希少となった。2021年産は母母父として2頭、2022年産では母母父1頭と母母母父1頭のみ。それでも2023年2月、小倉の障害未勝利でヤマニンゼファーを母母父に持つドンシャークが勝利を挙げた。血はまだ、尽きていない。


“ヤマニン”の馬はどこか爽やかな風を思わせる。その根源たるゼファーの魂は、彼がこの世を去った今も競馬場を軽やかに、爽やかに駆け抜けている。

例え彼らの血縁は無くとも、錦岡牧場とヤマニンのブランドが続く限り、私はゼファーのことを忘れないだろう。

──そよ風、というには強烈すぎた。

府中で3度吹き抜けたそよ風は、四半世紀を超えた今も、私の胸に吹き続けている。

写真:Horse Memorys、かず

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