8万人以上の観衆が目撃した大脱出マジック〜2009年・安田記念〜

日本の競馬史に燦然とその名を刻む名馬ウオッカ。
ダイワスカーレットをはじめとする数多のライバルと激闘を繰り返し、勝利したG1は7つにのぼる。
2019年、惜しくも15歳の若さでこの世を去ったが、史上初となる東京競馬場の古馬GⅠ完全制覇や、牝馬初の2年連続年度代表馬選出──さらには2011年には顕彰馬に選出されるなど、その数々の栄光は今も色あせることはない。
しかし一方で、その通算成績は26戦10勝と、決して完璧なものではなかった。
生涯連対率100%と、ほぼ完璧な成績を残したライバルのダイワスカーレットとは反対に、4着以下が8回もある。これは、今までに顕彰馬に選出された馬の中では、かなり多い部類である。

それでも、ウオッカが多くの人に今なお愛される理由──見る者が心を大きく揺さぶられ、感動し、時に涙を流すような劇的な勝利が数多くあったからではないだろうか。
牝馬として64年ぶりに制した日本ダービー、ダイワスカーレットと世紀に残るデッドヒートを演じた天皇賞秋、オウケンブルースリとの2センチ差の大接戦を制し三度目の正直で栄光を掴んだジャパンカップ……。
そしてその劇的な勝利の一つに、今回振り返る2009年・第59回安田記念があげられる。

この年の安田記念の目玉は、2頭のダービー馬対決であった。
1頭は2年前のダービー馬ウオッカ。
もう1頭は前年のダービー馬ディープスカイである。
この2頭の対決はこれで3度目ではあった。

しかし注目すべきは、ダービーから800mも距離が短い1600mという距離。
安田記念にダービー馬が出走してくること自体珍しいなかで、ダービー馬2頭が出走するということは異例のケースとも言えた。実際、平成30年間で安田記念に出走したダービー馬は、この2頭のみ。
2頭は共に5歳と4歳と、競走馬としてまさに充実期を迎えている中での直接対決だった。

2009年、5歳春シーズンを迎えた1つ先輩のダービー馬ウオッカは、前年に続きドバイ遠征を敢行。
しかし、前哨戦のジェベルハッタでは終始内で包まれ5着、本番のドバイデューティーフリー(現ドバイターフ)でも7着に終わり、前年の雪辱を果たすことはできなかった。そんな中で迎えた帰国初戦、牝馬限定GⅠヴィクトリアマイルでは、文字通り捲土重来を期した一戦となったが、周囲の期待通り2着に7馬身差をつける圧勝。
「今年もウオッカここにあり」をまざまざと見せつけ、昨年に続く連覇をかけて安田記念に挑んできていた。

一方、1歳年下のダービー馬・ディープスカイ。
この年の始動戦は大阪杯だった。前年のジャパンカップ2着以来となったこの一戦で、後にこの年のグランプリ宝塚記念と有馬記念を連覇することになるドリームジャーニーに敗れて2着となったものの、その結果は安田記念に向けて決して悲観する材料ではなかった。
というのも、安田記念が行われる東京競馬場は「左回りで直線が長い」という、大阪杯が行われた右回りの阪神内回りコースとは真逆といっても良い特性をもつコースで、ディープスカイにとって前年に何度も実績を残していた舞台である。
ダービー制覇はもとより、安田記念と同じ距離のNHKマイルカップを制し、秋にはウオッカ、ダイワスカーレットと大接戦を演じて3着となった天皇賞秋や、勝つことはできなかったもののウオッカに先着し2着となったジャパンカップなど、好走を連発しているまさに自身の庭ともいえる舞台であった。

無論、単勝オッズはこれら2頭のダービー馬にある程度集中していたが、他にも実績馬は多数出走していた。前年の毎日王冠でウオッカを撃破し、マイルチャンピオンシップではダイワメジャーの2着、そして安田記念の前哨戦のマイラーズカップを快勝してここに挑んできたスーパーホーネットを筆頭に、前走の高松宮記念でGⅠ初制覇を成し遂げたローレルゲレイロ、この時点で既に重賞を6勝し秋シーズンには8歳にして天皇賞秋・マイルチャンピオンシップと2つのGⅠを制することになるカンパニー。さらには前年のダービーでディープスカイの2着となったスマイルジャックや、海外香港からはチャンピオンズマイル勝ち馬のサイトウィナー、前年の安田記念でウオッカの2着に入ったアルマダなど、多士済々のメンバーが名を連ねた。

絶好の天気のもと迎えたスタートは、特に出遅れる馬のいない、きれいなスタートとなった。
まず、8枠からダッシュの速いローレルゲレイロが先頭を奪うが、2年前のこのレースでダイワメジャーの2着に逃げ粘ったコンゴウリキシオーがすぐさま先頭を奪い返す。それに続いたのがアルマダ、タマモサポート、マルカフェニックスなど。
前に行きたい馬が真ん中より外に多く集まったこともあり、スタート直後から外の7頭ほどが内に押し寄せてきた。内枠の馬の中では最も良いスタートを切った先輩のダービー馬ウオッカだったが、それらに無理に付き合うことはせず、いきたがる素振りも見せず中団にドンと構える。対して後輩のダービー馬ディープスカイも、例によって中団よりやや後方、ウオッカからおよそ2馬身ほど後ろのポジションをとった。

この日の東京競馬場は良馬場発表だったが、この前週のダービーは大雨の中、近年まれに見る大変な極悪馬場で行われていたため、発表とは裏腹にこの日もかなりタフな馬場となっていた。それを踏まえると、前半3ハロン33秒4という通過タイムは大変に速いペースで、この先レースが消耗戦になることを予感させた。
ただ、そこからの1ハロンが11秒9と、前の1ハロンより1秒以上もペースが落ちたことにより、ディープスカイをはじめとする後続にいた馬たちは無理なく先頭との差を詰められ、4コーナー手前では馬群は段々と固まりつつあった。

そして勝負どころの4コーナーから直線入り口にかけての攻防。
ここでまず、ディープスカイに騎乗する四位騎手がマジックを魅せた。
ウオッカの内側にわずかにできたスペースにいつの間にか入り込み、ウオッカを交わして一気に先頭集団に取り付いたのだ。この展開は、前年にNHKマイルカップを制した時と全く同じもので、まるでリプレイを見ているかのようだった。さらに、バテて下がってきた逃げ馬を完璧に捌き、坂を登り切ったところで一気に先頭に躍り出る。
2年前にウオッカをダービー馬に導いたのは言うまでもなく四位騎手である。
ウオッカの実力を最もよく分かっている四位騎手だからこそ、その実力は百も承知であり、それを上回るために考えていたここ一番の秘策だったのかもしれない。

先輩ダービー馬・ウオッカの目の前には、速いペースで先行したため伸びきれなくなった馬が3頭ほど、壁のように立ちはだかっていた。いくら直線の長い東京コースとはいえ、これは痛すぎるロスで、ディープスカイとの差はみるみる広がり始めている。この展開に、東京競馬場で観戦していた8万人以上の大観衆が思わず息をのんだ。

武騎手が進路を探している間に、府中の長い直線は早くも残り200mを切っていた。
そこで、今度はこのままでは終われない武豊騎手がマジックを使う。
壁になっていた3頭の一番外に、1頭分あるかないかのスペースができた瞬間、すぐさま外の馬を軽く弾くようにしてそのスペースを一瞬にして確保。持ち前の瞬発力を道中しっかりと温存していたからこそできた技で、見事1つ目の壁を捌ききった。
しかし安心はできない。さらにもう1つ前にも「壁」があった。
それは、先に抜け出したディープスカイだった。
外には、これまたいつの間にか最後方から一気に差を詰めてきていた安藤勝己騎手とファリダットもいる。

──もはや、万事休すか。
大観衆のほとんど全ての人が、そう思ったに違いない。

しかし、諦めない武騎手はもう一度マジックを使う。そこでも一瞬わずかにできたスペースをこじ開け抜け出すと、溜めに溜めていた末脚を一気に爆発させる。それは、脱出マジックで自らに付けられた手錠を外した手品師のようだった。
ゴールまで残り100mを切ってウオッカのいたこの地点で、ようやくダービー馬同士によるデッドヒートが繰り広げられるかと思ったが、勝負は一瞬でついてしまった。勢いがまるで違うウオッカが、並ぶ間もなくディープスカイを交わしさり、逆に4分の3馬身早くゴールを駆け抜け、見事にこの脱出不可能と思われたマジックを成功させてしまったのだ。

直後、東京競馬場の大観衆から割れんばかりの拍手が起きた。
今、目の前で起きた武騎手とウオッカによる、直線での信じられないレースぶり。
その動作一つ一つに釘付けとなった。
テレビの前の競馬ファンも含め、このレースを見た全員が、かつて類を見ないほどの脱出マジック成功の証人となったのだ。そのマジックにもしタネ明かしがあるとすれば、それは武騎手の諦めない心と、ウオッカの突出した爆発的な瞬発力だろう。
その相乗効果が、また一つウオッカに劇的な勝利をもたらし、人々に感動を与えたのである。

大観衆の前に戻り、ウイニングランで大歓声に応える武騎手とウオッカ。
場内はさながらスタンディングオベーションでそれを迎える。レース後の勝利ジョッキーインタビューでは「(直線向いてからは)下手でしたね」「馬に厳しいレースをさせてしまった」「馬に助けられました」「今日は馬を褒めてください」と謙虚なコメントを並べた上で、相棒に最大限の賛辞と感謝を述べた武騎手。
一方で「向こうは残り100メートルくらいしか仕掛けていない。まともだったら5,6馬身は離されていたかもしれない」と、かつての相棒にこれまた最大限の賛辞を送った四位騎手。

確かに、このレース中のウオッカには数々の困難があった。
しかし、晴れ渡ったこの日の府中の天気と同様に、レース後は見る者全てをどこかスッキリとした清々しい気持ちにさせてくれた、そんな素晴らしい名勝負であった。

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