競馬界で最も世に名が知られている人物といえば、武豊騎手をおいて他にはいないだろう。「ターフの魔術師」と呼ばれた武邦彦元騎手の三男として1987年にデビューし、翌年の菊花賞で早くもGI初制覇。以後、中央競馬の騎手にまつわる、ありとあらゆる記録を更新し、先日は前人未到の通算4300勝を達成した。
その武騎手が得意としているレースが、ダート競馬の祭典JBC競走。JBCデーは、GI級のレースが1日に複数開催される国内では唯一の機会で、2001年の創設以来、これまでに51レースが行なわれてきた。そのうち、武騎手は35レースに騎乗して10勝と驚異的な勝率を誇っており、「ミスターJBC」といっても過言ではない。
今回は、そんな天才ジョッキーに導かれ、ともにJBCを制した名馬たちを振り返っていきたい。
マイネルセレクト(JBCスプリント)
父は、米国のGIを4勝し、種牡馬となってから一大系統を確立したフォーティナイナーで、母方には、「華麗なる一族」のハギノトップレディやイットーがいるという良血。サラブレッドクラブ・ラフィアンから、総額4400万円の高額で募集されたマイネルセレクトの競走生活は、脚元との戦いでもあった。
第1回のJBCを3日後に控えた10月福島の新馬戦。ここを6馬身差で圧勝したマイネルセレクトは、4戦2勝2着1回で2歳シーズンを終えるも、そこで脚部不安を発症。休養を余儀なくされると、翌秋、武騎手とのコンビで戦線に復帰し、3戦して1勝するも、再び脚部不安を発症。あえなく、2度目の休養となってしまった。
復帰は、翌年の7月。休養中、1000万クラス(現・2勝クラス)に降級していたマイネルセレクトは、復帰予定の岩室特別を除外され、翌週のオープン、北陸Sに出走することとなった。
すると、そのレースで、なんと2段階の格上挑戦を跳ね返して勝利すると、1ヶ月後のBSN賞はレコードで完勝。さらに、当時1400mだったシリウスSも制し、長期休養の鬱憤を晴らすような3連勝で、一気に重賞タイトルを手にしたのだ。
続いて出走したのは、GI初挑戦となるJBCスプリント。ライバルは、東京盃を制した大井のハタノアドニスに、東京盃で敗れるまで重賞6連勝だったサウスヴィグラス。さらには、2001年のフェブラリーSを勝ったノボトゥルーに、前2年のJBCスプリントを制した、スターリングローズとノボジャックまで。今なお、レース史上最高のメンバーが揃ったといってもよい一戦だった。
そんな豪華メンバーの中でも、目下の勢いを買われ2番人気に推されたマイネルセレクトは、自慢の先行力を武器に強豪たちと真っ向勝負。迎えた直線、逃げ粘るサウスヴィグラスをギリギリのところまで追い詰めたものの、最後はわずかにハナ差及ばず惜しくも2着。あと一歩のところで、GIタイトルはおあずけとなってしまった。
それでも、この結果によってトップクラスの実力を有していることは十分に証明され、5歳シーズンは、再び武騎手とコンビを結成。年明け初戦のガーネットSを快勝し、続くドバイゴールデンシャヒーンと帰国初戦のさきたま杯は5、6着と敗れたものの、東京盃に勝利。続くJBCスプリントの舞台に、今度は単勝1.3倍という圧倒的な本命馬として戻ってきたのである。
レースは、3番人気のヒカリジルコニアが大きく出遅れる中、的場文男騎手騎乗のカセギガシラが逃げる展開。ディバインシルバー、マイネルセレクト、アグネスウイングのJRA勢がそれに続き、この年の高松宮記念を制したサニングデールも、スタートしてすぐ後方に下がったものの、勝負所で5番手まで盛り返し、レースは最後の直線勝負を迎えた。
直線に向くと、真っ先にマイネルセレクトとディバインシルバーがカセギガシラに並びかけたが、勢いの差は歴然。武騎手の左鞭を合図にマイネルセレクトがスパートをかけると、あっという間に後続を突き放して、アグネスウイングとサニングデールの追撃を問題にしない。
最終的には2馬身半差をつける完勝で、武騎手もゴール後、左拳を握る会心の勝利。脚元との戦いを乗り越えたマイネルセレクトが待望のビッグタイトルを獲得し、武騎手にとっても、これが記念すべきJBC競走初勝利となった。
翌6歳シーズンは、フェブラリーSを感冒で取り消し、その後のドバイ遠征も取りやめとなったが、59kgを背負った高知の黒船賞を完勝。この年も順調なスタートを切ったかに思われたが、5月のかしわ記念を回避すると、夏場に屈腱炎を発症。全治1年以上と診断され、脚元との戦いを繰り返してきたマイネルセレクトも、ついにここで引退となってしまった。
その後、種牡馬入りを果たし、2011年の種付けシーズン終了後からは、韓国で種牡馬生活を送っている。
ヤマニンアンプリメ(JBCレディスクラシック)
JBC競走の中でも、他の2レースに比べて歴史が浅いのがJBCレディスクラシック。武騎手も、これまでの騎乗は5回のみとなっているものの、ラヴェリータとプリンシアコメータで2着の実績を残している。その武騎手が、ヤマニンアンプリメとの初コンビで出走したのが、2019年、初の浦和開催となったJBCレディスクラシックである。
ただ、このヤマニンアンプリメ。当初は、決して順風満帆なキャリアを歩んできたわけではない。デビュー戦で、スタート後すぐに寛跛行を発症して競走を中止すると、2戦目は、勝ち馬から3秒8も離された11着に大敗。初勝利までに、実に5戦を要したのだ。
それでも3歳夏に2勝目を挙げると、冬に条件戦を連勝してオープンに昇級。特に、3勝目を挙げてからは大敗がなくなり、安定して好走するようになった。その反面、オープンでは勝ちきれないレースが続き、準オープン(現・3勝クラス)に降格後も、もどかしいレースが続いてしまう。
再び浮上のきっかけを掴んだのは、前回の勝利から1年後の門松Sで、そこを勝利すると、根岸Sの7着を挟み、大和Sでオープン初勝利。すると以後は軌道に乗り、交流重賞を連続2着とした後、岩田康誠騎手とのコンビで、北海道スプリントカップとクラスターCを連勝。浦和のオーバルスプリントで3着となった後に出走したのが、冒頭のJBCレディスクラシックだった。
この時、岩田騎手はレッツゴードンキに騎乗するため、白羽の矢が立ったのが、米国のブリーダーズCから帰国してすぐの武豊騎手。これ以上ない相棒を得たヤマニンアンプリメは、最終的に3番人気でスタートの時を迎えた。
ゲートが開くと、スタンド前の先行争いでモンペルデュが落馬するアクシデント。そんな中ハナを切ったのは、ヤマニンアンプリメと同じシニスターミニスター産駒のゴールドクイーンで、ヤマニンアンプリメは7番手。落馬の影響を受けたレッツゴードンキは、最後方からのレースを余儀なくされてしまう。
3コーナーに入ると、ゴールドクイーンがリードを大きく広げ、ヤマニンアンプリメも仕掛けて、人気のファッショニスタをかわして2番手へ。続く4コーナーからは、完全に2頭のマッチレースとなった。
直線に入り、懸命に抵抗するゴールドクイーンを、勢いで勝るヤマニンアンプリメが残り150mで捉え先頭。そのまま徐々にリードを広げると、最終的にはゴールドクイーンに2馬身差。3着のファッショニスタには8馬身差をつける完勝で、武騎手が鞭を掲げながら1着でゴールイン。見事、同馬に初のビッグタイトルをもたらしたのだ。
そのヤマニンアンプリメを2月まで管理していたのは、前述のマイネルセレクトや、武騎手のキャリア最初の重賞制覇となったトウカイローマンも管理していた中村均元調教師。中村師が定年引退となったため、3月から長谷川浩大調教師が同厩舎を引き継いだのだが、ヤマニンアンプリメは長谷川師が調教助手時代から携わっていた馬。開業1年目でのGI級制覇は、まさに厩舎一丸で掴み取った勝利でもあった。
また、この勝利で交流GI完全制覇を達成した武豊騎手。レース後のインタビューで、翌2020年からJBC2歳優駿が新設されることを知らされると、ずっこけるようなお茶目な仕草を見せたシーンもまた印象的だった。
この後、6戦するも未勝利に終わったヤマニンアンプリメは、2021年のフェブラリーSを最後に引退。今は、オーナーが所有する錦岡牧場で繁殖生活を送っている(2021年現在)。
ヴァーミリアン(JBCクラシック)
4つのカテゴリーがあるJBC競走の中でも、最高峰に君臨するのがJBCクラシック。そのJBCクラシックの歴史=天才・武豊騎手と歩んだ歴史といっても、決して大げさではないだろう。過去20回のうち、18回騎乗して8勝。さらに、2着2回3着3回の成績で、勝率は40%、複勝率に至っては70%を超えており、驚異的な数字といえる。
その武騎手が初めてJBCクラシックを制したのは、タイムパラドックスとともに挑んだ2005年。しかし、「ミスターJBC」としての実績を残し始めたのは、ヴァーミリアンとのコンビで挑んだ2007年からではないだろうか。
デビュー当初は芝のレースに出走し、ラジオたんぱ杯2歳S(現・ホープフルS)を勝利するなど、クラシック候補にもなったヴァーミリアン。ところが、同期にはディープインパクトがおり、自身は3歳シーズンに4戦連続2桁着順と大敗を重ね、順調だった2歳シーズンから一転、スランプに陥ってしまう。
そんな中、陣営は菊花賞を諦めダートへの路線変更を決断。すると、久々に武騎手とのコンビ復活となったエニフSを快勝し、続く交流重賞の浦和記念も連勝。ダート適性の高さを、十二分に証明して見せたのだ。
4歳シーズンは、フェブラリーSで5着、ジャパンCダート(現・チャンピオンズC)4着と、GIでは勝ちきれなかったものの、5歳初戦の川崎記念でGI級初勝利。続くドバイワールドCでは、勝ったインヴァソールから大きく離された4着に終わるも、半年以上の休養を挟み出走したのが、4度目の大井開催となるJBCクラシックだった。
この時、人気はブルーコンコルドがやや抜けたものの、ヴァーミリアン、フリオーソ、サンライズバッカスのGI級勝ち馬4頭が単勝10倍を切り、まさに卍巴の様相でスタートを迎えた。
ゲートが開くと、愛知のキングズゾーンが逃げ、4強の中ではフリオーソが最も前に、その直後にヴァーミリアンがつける展開。さらに、ブルーコンコルドとサンライズバッカスが、中団より後ろを1馬身間隔で追走した。
16頭が一団となって進む中、真っ先に動いたのはブルーコンコルド。馬群の外側からポジションを上げると、連れてサンライズバッカスも上昇を開始し、フリオーソも仕掛ける。一方、ヴァーミリアンだけが動かないまま4コーナーを回ったが、2番手の外にいたクーリンガーが躓き、ブルーコンコルドとサンライズバッカスが外に振られてしまう。
直線に入ると、その隙を見てフリオーソが抜け出し、立て直した外の2頭がそれを追うも、ギリギリまで我慢していたヴァーミリアンが、馬場の内から末脚一閃。ダートのレースとは思えないほどの驚異的な瞬発力で抜け出すと、あっという間に差を広げ、最後は4馬身差の独走で1着ゴールイン。本格化した馬の実力に武騎手の好騎乗が相まった完璧な勝利。
5歳秋、ヴァーミリアンはついに日本ダート界の頂点に立ったのである。
その後も、中央・地方のGI級レースを次々と勝ちまくり、4歳12月の名古屋グランプリから、国内では2年近くも無敗を誇ったヴァーミリアン。翌年、園田で行なわれたJBCクラシックで連覇を達成したが、この日は、伝説のウオッカvsダイワスカーレットの名勝負があった天皇賞・秋の翌日。武騎手にとっては地元・関西のレースで、二日連続で大きなレースを勝ちたかったこともあり、最も記憶に残るJBCだったという。
さらに、次の年もJBCクラシックを制して史上2頭目の3連覇を達成し、最終的にヴァーミリアンが手にしたGI級タイトルは9つ。これは当時の新記録で、現在でも3位タイの記録。他にも、7年連続重賞勝利や、ダートの獲得賞金歴代1位の記録を保持するなど、天才ジョッキーとともに頂点へと駆け上ったヴァーミリアンは、ダート史上最強クラスの名馬中の名馬だった。
アウォーディー(JBCクラシック)
父は、2001年のダービー馬ジャングルポケット。母は、2005年の天皇賞・秋を制したヘヴンリーロマンス。そんな父母を持つ良血馬が、後にダートで活躍するなどとは、デビュー前に一体誰が予想しただろうか。
その良血馬、すなわちアウォーディーのデビュー戦はもちろん芝、阪神1800mの新馬戦。そこで4着に敗れると、以後、掲示板は確保すれども勝ちきれないレースが続き、ようやく初勝利を挙げたのは、5戦目の未勝利戦だった。
その後も、勝ったり負けたりのレースを繰り返しながら、4歳春に準オープンまで出世を果たしたアウォーディー。一方で、たとえ格上でも相手なりに好走するのがこの馬の長所。格上挑戦で出走した目黒記念で4着と善戦したのは、その最たる例といえるだろう。
その2ヶ月後、降級して迎えた阿賀野川特別で7着と敗れたのも、この馬らしいといえばらしいが、転機のきっかけは、5歳秋のオークランドRCTから。3戦ぶりにコンビを組んだ武騎手とともに、初ダートのこの一戦をしぶとく勝ちきってから、アウォーディーの快進撃は突如として始まったのである。
続くシリウスSを3馬身差で完勝し、重賞初制覇と武騎手のJRA重賞300勝に花を添えると、トモの状態が良くなるまで待った翌3月の名古屋大賞典は、なんと2着に2秒4差をつける大差勝ち。その後も、アンタレスSと日本テレビ盃を制して5連勝。重賞は4連勝で、初めてGIに挑戦したのが、2016年、川崎開催のJBCクラシックだった。
ライバルは、当時2位タイのGI級9勝を目指すコパノリッキーに、この年の川崎記念で、新記録となるGI級10勝目を達成していたホッコータルマエ。さらに、前年の東京大賞典を制したサウンドトゥルーなど、歴戦の猛者たちが集結したこの大一番。そんなメンバー相手でも2番人気に推されたアウォーディーは、堂々としたレースぶりを見せつける。
当初から左回りのほうが実力を発揮できると感じ、自信を持って騎乗した武騎手は、レース序盤。中団のゴチャつかない馬群の外に、相棒を誘導した。
レースが動いたのは、2周目の向正面に入ってすぐ。逃げるサミットストーンをホッコータルマエがかわすと、コパノリッキーとアウォーディーも素早く反応。3強が一団となって、サウンドトゥルーとノンコノユメもそれを追い、勝負所ではこの5頭が圏内だった。
その中でも手応えの良さが際立つアウォーディーは、直線に向くと、すぐに先頭へと躍り出た。そこから、ホッコータルマエのさすがの抵抗と、末脚を伸ばすサウンドトゥルーの追撃も同時に封じなければならなかったが、それでも、最後はやや余裕を持って抜け出し、武騎手のガッツポーズとともに1着でゴールイン。
それは、アウォーディーにとって待望のGI級初勝利。そして、武騎手にとっても、JBCクラシック8勝目が達成された瞬間だった。また、このとき咄嗟に出たガッツポーズは、芝で結果が出なかった頃、武騎手も、もどかし思いを抱いており、その時のことを思うと本当に嬉しかったからだという。
このあと、中央のGI勝利と、連勝街道をさらに伸ばせるかに注目が集まったアウォーディーは、チャンピオンズCに出走。すると、前走に続いてゴール前で抜け出し、勝利目前と思われたが、なんとそこでソラを使って急激に止まってしまい、サウンドトゥルーに差し切られて2着に敗戦。思わぬ形で連勝が止まり、同時にこの頃から気難しさを見せるようになってしまう。
3つ下の半弟ラニが典型かもしれないが、一度好調期に入ると、手をつけられないほどの強さを発揮する反面、嫌なことがあると、たちまち走らなくなってしまうのもまた、この血統の特徴。その後も現役生活を続けたものの、勝利を挙げられなかったアウォーディーは、8歳夏、放牧先の大山ヒルズで右飛節を骨折。予後不良となり、突如、その馬生に幕が下ろされてしまったのだ。
ここまで、武騎手とともにJBCを制した4頭の名馬を振り返ってきたが、武騎手自身も、華やかでお祭り的な雰囲気の中で騎乗できることに乗り甲斐を感じているそうで、それと同時に、JBCを盛り上げるため、多大な貢献を果たしてきた。
前述したヤマニンアンプリメの勝利騎手インタビューでの出来事や、前走の日本テレビ盃に続き、アウォーディーで勝利した後にインタビューで発した「次は中京競馬場でアウォーディー」といったフレーズも、JBCを彩る名言、名場面といえるだろう。
写真:かぼす、Horse Memorys、s.taka