スーパーホーネット。
父ロドリゴデトリアーノ、母ユウサンポリッシュ。
ガーベラパークスタッド生産、矢作芳人厩舎所属。
この馬は私にとって本当に思い入れが強い馬で、自分を競馬に誘ってくれた馬といっても過言ではありません。
今回は、そんなスーパーホーネットについての思い出を振り返っていきたいと思います。
2~3歳シーズン
実はあの騎手のG1初騎乗はこの馬だった
スーパーホーネットのデビューは札幌。その時の鞍上は岩崎祐己騎手でした。そこで追い込み4着に食い込んだところから、スーパーホーネットの競走馬としての現役生活がスタートします。四位騎手とのコンビで未勝利戦を勝ち上がると、デイリー杯2歳ステークス3着、くるみ賞1着ときて、朝日杯フューチュリティステークスに駒を進めることとなりました。
朝日杯フューチュリティステークスでの鞍上は、内田博幸騎手。
そこで最後鋭く追い込みフサイチリシャールを追い詰めましたが惜しくも2着に敗れます。
──私は元々、競馬は見ていましたが「当時までは1頭に思い入れをもって見る」ということはしていませんでした。
しかし当時の私は、このレースを見て「あの強いフサイチリシャールにここまで迫っていけるなんて強い!」と感激。そして「この馬を応援してみよう!」と考えたのでした。
フサイチリシャールは、言わずもがなの超良血。それを負かしに行く姿に心を打たれました。
3歳シーズンになると、春は弥生賞→皐月賞→ダービーとクラシックの王道を進みましたが5着→10着→15着結果は残せず。後々の活躍を考えると、この敗戦には距離の壁があった可能性もあるでしょう。
ちなみにダービーで手綱を取ったのは川田将雅騎手。これが川田騎手のG1初騎乗かつダービー初騎乗になっています。スーパーホーネットに川田騎手が乗ったのはこの一回限りでしたが、その後の川田騎手の飛躍にも、もしかすると一役買っているかもしれませんね。
秋は、富士ステークスで復帰したスーパーホーネット。ここで14着と大敗を喫したものの、中1週で挑んだカシオペアステークスで鋭い脚を使って勝利をあげました。この時の鞍上は安部幸夫騎手(現・名古屋競馬調教師)。様々な騎手とコンビを組みつつも、毎レース頑張って走っている姿に、また心を打たれます。
そしてマイルチャンピオンシップに挑み9着となったところで、3歳シーズンが終了。
G1に複数回出るなど、世代上位の実績をあげていたものの、スーパーホーネットにとっては決して満足のいく結果ではなかったことでしょう。
4歳シーズン
運命のパートナーとの出会い
4歳になると、スーパーホーネットは阪急杯から始動。そこを7着に敗れると、大阪城ステークスに駒を進めました。
この時についに、スーパーホーネットの主戦となる藤岡佑介騎手との初コンビを組みます。
レースでは鮮やかに差しきりオープン2勝目をマーク。初めてながら、しっかりと手の合うところを見せました。
ここからスーパーホーネットと藤岡佑介騎手が紡ぐ物語が始まっていくのです。マイラーズカップ15着と負けたことで秋まで休ませることとなったのですが、これが劇的な成長につながります。
秋の始動戦は、ポートアイランドステークス。鞍上はもちろん、藤岡佑介騎手でした。そこでスーパーホーネットは今までにないくらいの切れ味を見せ、差しきり勝利。これを見て「ついに本格化してきたのでは?」とワクワクしたことを、今でも覚えています。
その次のスワンステークスでは、中団からレースを進め粘り込みを図るフサイチリシャールを外からあっという間に交わして、ついに重賞初勝利をあげました。
朝日杯フューチュリティステークスの時は敵わなかったフサイチリシャールに、1年10か月越しに雪辱を果たしたのです。この頃にはすっかりスーパーホーネットの大ファンだった私は、テレビの前でとても興奮して声を出していました。
そして満を持して挑んだマイルチャンピオンシップ。この時の1番人気は、マイル路線で絶対的な強さを誇っていたダイワメジャーです。対するスーパーホーネットは5番人気という評価に落ち着きます。
スタートを決めると、ダイワメジャーを見ながらのポジションを確保。
「今のスーパーホーネットなら.ダイワメジャーにも一泡ふかせられないだろうか……」と思っていた私は、そのポジション取りですでにテンションがMAXに。
直線に向くと切れ味を見せ、ダイワメジャーに迫ります──そして、並びかける!
「差せ! スーパーホーネット!」
と画面に向かい叫んでいた、残り200メートル。
しかしそこからダイワメジャーはスーパーホーネットをまるで子供扱いするかのように、悠然と突き放しにかかりました。結果は、ダイワメジャーに敵わず2着。しかし強い強いダイワメジャーに真っ向から挑んだそのレースはとにかく強く、そして感動しました。
そのレースを見て、確信したことがありました。
──これならいつかスーパーホーネットはG1をとれる!
スーパーホーネットが戴冠する日を楽しみに、4歳シーズンを見送ったのでした。
5歳シーズン・春
遂に見せた、G1での輝き
そして5歳シーズンを迎えたスーパーホーネット。ぶっつけで挑んだ高松宮記念は初の1200mが響いたか伸びきれず5着。
その次走は京王杯スプリングカップで、2番人気に推されました。1番人気は高松宮記念を勝ったばかりのスズカフェニックス。道中は中団で脚を溜めて直線はスズカフェニックスより先に動けると一気に伸びて差しきります。
スーパーホーネットはこれで重賞2勝目をあげました。
これを見た私は「ついにG1への道が開けた!」と喜びます。
──G1で敗れた相手に、G2の舞台でしっかりと雪辱を果たす。
今思い返せば、ここにもスーパーホーネット『らしさ』があったのでしょう。
迎えた安田記念では.ついにG1で1番人気になります。
これが感慨深いものでした……。
しかしレースでは外を大分回らされたことで本来の末脚が発揮されず、8着となってしまいました。勝ったのは内を完璧に立ち回り弾けたウオッカ。
「やはりG1では……」と思わされた瞬間でもありました。しかし、秋になるとその様相が一変します。
5歳シーズン・秋
私が涙した、あの日
秋の始動戦は毎日王冠。
ここでウオッカと再戦することとなりました。スタートを決めるとまさかの逃げの手に出たウオッカ。スーパーホーネットは、彼女を見るように、インで脚を溜めました。
直線に向くと鋭く反応し、一完歩ごとにウオッカに迫ります。このとき私は無我夢中に「差して! お願い!」と叫んでいました。
そして残り50メートルくらいでついにウオッカを捉え差しきったのです。
一度は完膚なきまでにやられてしまった馬に雪辱を果たすとともに、すごいパフォーマンス(1.44.7で駆けて、上がり33.3)。
何度目かわかりませんが、これで私は「マイルチャンピオンシップは絶対勝つ!」と確信します。
そして芽生えたのが「スーパーホーネットの勇姿を現地で見たい」という想いでした。
それまでは自宅でしか見ておらず、G1開催日の競馬場は行ったことがありませんでした。そんな私を、なにかが突き動かしてくれたのです。
そしていよいよ、マイルチャンピオンシップを迎えます。毎日王冠が評価されたスーパーホーネットは、2.3倍の1番人気に推されました。
17番枠から。私は京都競馬場へと赴き、スーパーホーネットがG1馬になる瞬間を見届けようとしてました。パドックでも抜群の気配で、私は「これは勝てる!」と、確信を深めてしまいました。レースが近づくにつれ、緊張と興奮が高まっていくのも感じられました。
いよいよレースがスタート。
スーパーホーネットは、いつも通り中団でじっくり脚を溜めていました。それも、絶好の手応えで。
4コーナーでも、藤岡佑介騎手の仕掛けにしっかりと反応!
直線は、伸びる伸びる!
伸びる!
──そして先頭についに立つ!
この瞬間、自分はガッツポーズします。
しかし内から忍び寄る、ある馬がいたのです。
実況の中野アナウンサーの声が響きます。
「内からブルーメンブラットが忍び寄る!」
──え?
驚くのも束の間、どんどん差が詰まっていきます。もう、祈るしかありません。どうか勝ち切ってくれ、と。
しかし残り50メートル。
無情にも、内からブルーメンブラットが差しきりました。
この瞬間、私は京都競馬場で膝から崩れ落ちました。そして目には自然と涙が……。
初めて泣いたのかと思うほどで、自分でもビックリしました。
スーパーホーネットへの想いが、いつしかそんなにも深くなっていたのです。
そして、5歳シーズンの最後は香港マイルへ。懸命に走り力を出しきり5着。雑草魂で海外遠征まで行けたことは、本当にすごいことです。
6歳~引退まで
最後に訪れた、G1でのチャンス
6歳になったスーパーホーネットはマイラーズカップから始動します。堂々の1番人気に推され、中団やや前から横綱相撲で勝ちきりました。
「今年こそ!」という意気込みを感じます。
そして挑んだ安田記念はウオッカ、ディープスカイというすごいメンバーが相手。結果は、外を回らされ7着に敗れまし。ウオッカ、ディープスカイには敵いませんでした。
ここから怪我をしてしまい、6歳シーズンはここで終わり。
7歳になり復帰となりましたが、初戦はなんとフェブラリーSでした。
驚きつつも「なんとかならないか……」と思って応援してました。結果はダート適性を見せることなくなく15着。そして芝に戻したマイラーズカップでは9着と敗れます。
ファン歴も随分長くなっていた私も「もう限界か……」と諦めムードに。
そして挑んだのは安田記念。
この年は例年よりやや手薄だったのか、近走ら不振だったにもかかわらず、スーパーホーネットは6番人気の評価を受けます。
そして、後方からじっくり脚を溜めての競馬。直線に向くと以前のスーパーホーネットらしい鋭い反応を見せて、大外からぐんぐん伸びます。
伸びる!
伸びる!
ついにこれは、悲願達成か──。
しかし、前にはショウワモダンがいました。
結果は、届かず2着。またもG1制覇はお預けとなりむす。この時も相当悔しく、私は涙を流していました。
天皇賞(秋)は惨敗し、ここで競走馬生活にピリオドが打たれました。
この先、スーパーホーネットはどうなる? と思っていたら、なんと種牡馬入りが発表されます。本当に嬉しかったのを覚えています。
種牡馬として
そこであった、出会いと別れ
スーパーホーネットの代表産駒の1頭が、シゲルノコギリザメ。
シゲルノコギリザメはとにかくスピードに長けていました。ダートで勝ち上がり。2勝目は阪神芝1200メートルであげます。
そこからファルコンステークスに挑戦すると、超ハイペースでハナを奪いながら粘って3着。そしてなんとNHKマイルカップに駒を進めました。レースでは逃げられず18着となりましたが、これからどこまで活躍するのか、と思った矢先──。
秋になり厩舎に戻り調教を続けていたある日、調教中に怪我をしたとの報道がありました。
そこに書かれていたのは、安楽死処分という悲しい言葉でした。
これからと思ったのに……。
スーパーホーネットの名を、また世に知らしめることができたはずなのに……。
生き物だから仕方ないとはいえ、またもや涙が溢れました。それだけ思い入れがすごかったのです。
終わりに
私にとっって、スーパーホーネットは今でも元気をもらえる存在です。
健気にいつも全力で走る姿に、心底惚れてました。
血統は超一流とはいえませんが、それでも強敵相手に立ち向かいどこかで負かしてくれる……こんな彼の現役時代の生き様が、たまりませんでした。
また矢作先生も藤岡佑介騎手も、それぞれがインタビューなどで「今の自分があるのはスーパーホーネットのおかげ」と言ってくれています。そんな、関係者にも愛される馬でした。
私はここから1頭を好きになる楽しさ、喜びが、競馬の醍醐味だと思いました。
そして応援するため競馬場に足を運び応援することこそ、最高の幸せだと感じました。
皆さんも好きな馬を見つけて、こころゆくまで応援してみてください!
そうするとさらに深い、競馬の魅力が見られるかもしれません。
写真:Horse Memorys