[シンザン記念]シーキングザパールにアーモンドアイ……。後にG1レースを制した牝馬たち。

1964年に皐月賞・日本ダービー・菊花賞の「牡馬三冠レース」を制し、翌年の1965年には天皇賞・秋と有馬記念を制し「五冠馬」として歴史に名を残したシンザン。そのシンザンの功績を称える意味で1967年に設けられたレースが、このシンザン記念である。

ところがこのシンザン記念には、あるジンクスが存在していた。「シンザン記念を勝った馬は3歳限定G1レースを制した馬はいない」という、ありがたくないジンクスである。シンザン記念を制した馬で3歳限定競走(皐月賞・日本ダービー・菊花賞・桜花賞・オークス・エリザベス女王杯)の最高着順は長らく、1983年の勝ち馬メジロモンスニーによる皐月賞・日本ダービーでミスターシービーの2着という戦績であった。

1996年には外国産馬が出走できる3歳のG1レース・NHKマイルカップが創設。エリザベス女王杯が4歳以上の牝馬にも開放されるのに伴い、3歳牝馬限定のレース・秋華賞が創設された。

そしてその翌年、1997年にシンザン記念のジンクスを覆す馬が登場するのである。

※馬齢はすべて現在の表記に統一しています。

シーキングザパール(1997年)

2歳(1996年)の7月に小倉競馬でデビューしたシーキングザパール。2着に7馬身(1.1)秒差を付ける圧勝を演じた。続く新潟3歳ステークス(現在の新潟2歳ステークス、1996年は中山競馬場・芝1200mで開催)ではスタート直後に外側へ逃げてしまったが、それでも直線で猛然と追い込み3着に入り、大物感あふれるレースを見せた。

リベンジの舞台となったデイリー杯3歳ステークス(現在のデイリー杯2歳ステークス 当時は芝1400mで開催)では2着のメジロブライトに5馬身(0.8秒)差を付けて優勝。しかも、3歳の芝1400mのJRAレコードタイムをマークした。こうして挑んだ阪神3歳牝馬ステークス(現在の阪神ジュベナイルフィリーズ)は単勝オッズ1.5倍の圧倒的な支持を得たが、そこではメジロドーベルの4着に終わった。

強さと脆さを見せた2歳のシーキングザパール。3歳(1997年)の年明け初戦に選んだのは、1月のシンザン記念であった。デイリー杯3歳ステークスの圧倒的な強さを考えると断トツの実力を秘めているはずだが、一方で阪神3歳牝馬ステークスの敗因がハッキリしていない。結局は1番人気に支持されたものの、単勝オッズは2.0倍と、やや落ち着いたものになっていた。2番人気にはラジオたんぱ杯3歳ステークス(現在のホープフルステークス)2着のブレーブテンダーが3.0倍、未勝利・500万下(現在の1勝クラス)を連勝しているダイタクヤマトが7.2倍と続いた。

ゲートが開くと、好スタートを切ったシーキングザパールを制してワンダーワイズリーやエイシンマンダン、それにダイタクヤマトが先団争いをする。ハナを主張する馬たちを見る形で、ブレーブテンダーら3頭が続き、シーキングザパールは7,8番手で脚を溜めていた。

京都競馬場の外回りの3コーナーの坂を活かして、シーキングザパールが上昇する。残り600mの標識を通過する辺りで先頭に立った。武豊騎手の手綱はがっちりと押さえたままで4コーナーを先頭で回る。直線に入ると、後続との差が開いていく。ムチを軽く放った以外、武豊騎手は特に何もしない。ゴール前は流す余裕を見せて、2着のホッコ―ビューティに3馬身(0.5秒)差を付ける圧勝で、重賞競走2勝目を挙げた。

シンザン記念で阪神3歳牝馬ステークスのリベンジを果たしたシーキングザパール。2月に入り、佐々木晶三厩舎から森秀行厩舎に所属が変更されたが、シンザン記念に続いて出走したフラワーカップ、ニュージーランドトロフィー4歳ステークス(現在のニュージーランドトロフィー)と、重賞3連勝を飾った。その勢いは衰えず、本番のNHKマイルカップを制し、シンザン記念勝ち馬として遂に3歳馬限定のG1レースを制したのだった。

シーキングザパールの偉業は、これに留まらなかった。4歳(1998年)の夏にフランスのG1レース・モーリス・ド・ギース賞を制覇。これは日本調教馬初の欧州G1レース初制覇という快挙だった。モーリス・ド・ギース賞の後はG1レースには勝てなかったものの、スプリンターズステークスでは直線で猛追し、マイネルラヴの2着に入るなど、トップレベルでの活躍を続けた。

5歳(1999年)の夏にアメリカへ移籍し、アメリカで引退したシーキングザパール。2005年に死去するまでに3頭の子供を送り出した。最初に生まれたシーキングザダイヤはG1タイトルこそないものの、ニュージーランドトロフィーを母子制覇するなど、芝ダート問わずに活躍した。シーキングザダイヤは2022年現在、南米のチリで種牡馬生活を送っていている。

ジェンティルドンナ(2012年)

1月における3歳馬限定の重賞レースは、2歳時に結果を残した馬の出走が少ない。逆に言えば、それまで馬の成長に合わせてレースを選んできた馬が、いよいよシンザン記念をステップにクラシック戦線に名乗り出ようとする場合も多い。2012年に桜花賞・オークス・秋華賞の牝馬三冠を達成したジェンティルドンナもシンザン記念を勝って、クラシック戦線に名乗りを上げた馬である。

2011年11月にデビューしたジェンティルドンナ。デビュー戦は勝ちタイムが1分40秒6だった事が示す通り、不良馬場で持ち味の切れ味が発揮できず2着に終わった。2戦目の未勝利戦では単勝オッズ1.6倍の圧倒的な支持の中、初勝利をあげる。

未勝利戦の内容が良かったのか、続くシンザン記念では朝日杯フューチュリティステークス4着のトウケイヘイローに次ぐ単勝オッズ4.0倍の2番人気に支持された。

ゲートが開き、先頭に立ったのはシゲルアセロラ。人気のトウケイヘイローは、3番手の一角を形成する。ジェンティルドンナは、トウケイヘイローを見るような感じで続いていた。ジェンティルドンナが行きたがるのをルメール騎手が宥める場面もありながら、レースは進む。

3コーナーの坂の下り。シゲルアセロラは2番手一団と4~5馬身の差をつけて逃げる。トウケイヘイローは馬場の外側4,5番手につけるが、インコースにはジェンティルドンナがピッタリとマークしていた。

4コーナーを回って最後の直線に入るシゲルアセロラ。インコースからジェンティルドンナが上がって来た。残り200mの地点でシゲルアセロラを交わして先頭に立つジェンティルドンナ。最内からマイネルアトラクトが伸びてくるが、ジェンティルドンナの脚色が衰えない。結局ジェンティルドンナはマイネルアトラクトに1馬身1/4(0.2秒)差を付けてゴールイン。ラスト800mのラップは11秒台が連続して続いたように、瞬発力勝負となったこのレースを制し、一躍牝馬クラシックの主役候補に名乗りを上げた。

シンザン記念を制し、桜花賞への出走に必要な獲得賞金を大幅に伸ばしたジェンティルドンナ。後に、この勝利が彼女の命運を分けることになる。シンザン記念から1ケ月後に、ジェンティルドンナは熱発(急に体温が上昇すること)を発症してしまうのである。そして桜花賞トライアルのチューリップ賞に出走したものの、4着に終わり、桜花賞の優先出走権を逃してしまった。もし、シンザン記念でジェンティルドンナが賞金を獲得できず、桜花賞に出走できなかった場合、2012年の牝馬クラシック戦線は全く違うものになっていただろう。

前記の通り牝馬三冠を達成したジェンティルドンナは、2012年のジャパンカップも制し、翌年には連覇を達成した。2014年にはドバイシーマクラシックを制覇。引退レースとなった有馬記念も制し、G1レースを7勝挙げた名馬として記録にも記憶にも残る名馬になった。母馬としては現オープンクラスのジェラルディーナらを送り出している。

アーモンドアイ(2018年)

シンザン記念と同じ週には、中山競馬場で牝馬限定のフェアリーステークスがある。関東に所属する牝馬であれば、多くは輸送に負担のないフェアリーステークスを選ぶのだが、あえてシンザン記念に進む馬もいる。2018年に牝馬三冠馬となるアーモンドアイが3歳初戦に選んだのも、シンザン記念であった。

2歳(2017年)の夏の新潟開催での新馬戦でデビューしたアーモンドアイ。デビュー戦はスタートで出遅れ2着に敗れたが、2戦目の未勝利戦でラスト600m(上がり3ハロン)のタイムが33.5秒と驚異的なタイムを出して初勝利をあげた。しかも、スタートで出遅れたが、4コーナー付近で進出し持ったまま抜け出すと、ルメール騎手は殆ど追うことなく2着の馬に3馬身(0.6秒)差を付けての勝利である。

シンザン記念では、ルメール騎手が騎乗停止処分となり戸崎圭太騎手とのコンビ。未勝利戦の好内容から単勝オッズ2.9倍の1番人気に支持された。2番人気には同じく関東馬のファストアプローチが3.1倍、以下カフジバンガード(6.6倍)、カシアス(7.5倍)と続いた。

京都競馬場に強い雨が降る中、シンザン記念のゲートが開いた。人気のファストアプローチ、カフジバンガード、そしてアーモンドアイの3頭が出遅れる。特にアーモンドアイのスタートの悪さには、京都競馬場に駆け付けたファンから悲鳴が上がるほどだった。一方、スタートを上手く切ることができたツヅミモンとカシアスがそのまま先行。ファストアプローチ、カフジバンガードは後方3,4番手を進み、その直後にアーモンドアイが進んだ。

前半の800mのタイムが49.0秒。スローペースの中でカシアスがツヅミモンをリードして3コーナーの坂を下る。アーモンドアイは依然として馬群の後方にいた。戸崎騎手は馬場の良い外へ、アーモンドアイをエスコート。対して、ファストアプローチのミルコ・デムーロ騎手は開催3日目で芝がそれほど荒れていないのを見たのか、内側へファストアプローチを寄せる。

4コーナーを回り、最後の直線。馬群はほぼ固まったまま。カシアスが依然としてリード、2番手にツヅミモンが続く。そして大外からアーモンドアイが凄い脚でやってきた。しかし、残り100mを切るところであり、前を行くツヅミモンとカシアスの200mごとのラップが11秒台と上げてきたため、アーモンドアイの位置取りはかなり厳しそうにも見えた。

たが、残り50mで一気に加速したアーモンドアイはツヅミモンとカシアスを交わし、逆にツヅミモンに1馬身3/4(0.3秒)差を付けて先頭でゴールイン。実況したアナウンサーも「これは、恐ろしい馬だ!」と思わず叫んでしまったほど、アーモンドアイの瞬発力は凄まじかった。それを象徴したのは、レース後に出た上がり3ハロンのタイム。トップはアーモンドアイの34.4秒である。2番目に速かったカフジバンガード(5着)が35.1秒だったので、0.7秒も速いタイムであった。

2018年の開幕週は、戸崎騎手と馬主の有限会社シルクレーシングは絶好調であった。このコンビで中山金杯(セダブリランテス)、フェアリーステークス(プリモシーン)に続き3日連続重賞制覇という快挙を達成。金杯から3日続けての重賞競走制覇は騎手並びに馬主では史上初の事である。そして、この年の3歳世代が初年度の父ロードカナロアにとっては、初の重賞制覇でもあった。管理する国枝栄調教師は、かつて管理していた牝馬三冠馬アパパネと比較して、アパパネは力比べに強いタイプだったのに対し、アーモンドアイは切れるタイプだと絶賛した。

シンザン記念で賞金獲得に成功したアーモンドアイはチューリップ賞をはじめとした桜花賞トライアルには出走せず、桜花賞へと直行。鞍上には再びルメール騎手を迎えた。人気はラッキーライラック(1.8倍。アーモンドアイは3.9倍の2番人気)に譲ったが、最後の直線では後方2番手からラッキーライラックを楽々と差し切った。

その後のアーモンドアイの活躍は、ご存じの通りであろう。芝のG1級競走で9勝マーク。シンボリルドルフやジェンティルドンナなどがあげた7勝の壁を遂に乗り越えた馬となった。また、総獲得賞金も、キタサンブラックを上回り19億1526万3900円と史上最多獲得賞金記録を更新。ジェンティルドンナと同様に、記録にも記憶にも残る名馬となった。他にも競走馬としては初めてとなる朝日スポーツ賞を、国枝調教師と共に受賞。さらに、町の名を全国に広めた事で、生まれ故郷の北海道安平町の特別栄誉賞を受賞した。

2021年3月にエピファネイアの子を受胎。今年の春にも初めての子供が生まれる。祖母フサイチパンドラがエリザベス女王杯を制し、母アーモンドアイはG1レース9勝。生まれてくる子供にも母仔3代のG1レース制覇の夢を見たい。

写真:Horse Memorys、かず

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