メジロ牧場、最後の輝き・ユーロビート

2011年4月27日。衝撃のニュースが競馬界を駆け抜けた。

──メジロ牧場、解散へ。半世紀に亘る歴史に幕。

メジロアサマ・メジロティターン・メジロマックイーンによる父仔三代の天皇賞制覇、メジロラモーヌによる史上初牝馬三冠、メジロライアンとその仔メジロブライト、メジロドーベルが果たした記憶に残る数多のG1制覇、そして個性派メジロパーマーが成し遂げた春秋グランプリ連覇……。

稀代のオーナーブリーダーとしてメジロ牧場が成し遂げた偉業は枚挙に暇がない。「白、緑一本輪、袖緑縦縞」のシンプルでスタイリッシュな勝負服は一際眩しく、北野豊吉・ミヤ夫妻とそのご子息・雄二氏、そして岩崎伸道氏という名ホースマンらが造り上げた「メジロ」のブランドは、時に主役として、時に名バイプレイヤーとしてターフを彩り続けてきた。

メジロの馬たちはあっという間に新たなオーナーの元へと向かっていく。衝撃のニュースから僅か2週間後、メジロドーベルの孫娘にあたるメジロコウミョウが未勝利戦を制したのを最後に、メジロの勝負服は競馬場から姿を消した。メジロ牧場で生産されてデビュー前だった2009年・2010年世代はメジロの冠名を付されることなく、新たな馬主の元でデビューの時を迎えることとなった。

その中の一頭が本稿の主役、ユーロビートである。激動の時代に於いて、メジロ牧場最後の雄として存在感を示し続けた競走生活であった。

ユーロビートがこの世に生を受けたのは2009年3月11日。メジロ牧場解散の(あるいは日本列島に今なお癒えぬ大きな傷を与え、メジロ牧場解散の最後の契機となったあの震災の)二年前のことである。

メジロ牧場に於いて本馬の祖となったのはアサマクイン。小岩井農場牝系の代表格でもあるビューチフルドリーマーのファミリーに属し、メジロ牧場創業時からの大切に育まれてきた基礎牝系の一つである。アサマクインの子孫から重賞勝ち馬は誕生していないものの、様々な種牡馬に適合して堅実に走る馬を世に送り、重賞戦線を賑わせた個性派メジロディッシュらを輩出していた。そのアサマクインにシャトーゲイ、トニービン、エリシオ、そしてスズカマンボと、スタミナに富む名馬を歴々と配して誕生したのが本馬であった。

メジロの冠を戴き競走生活を送るはずだった彼は吉田和美氏に譲渡され、「ユーロビート」という名を与えられた。

デビュー戦は3歳1月の中山戦。単勝オッズ100倍を超える低評価ながらも中団から渋太く脚を伸ばして6着と善戦する。一転して上位人気に支持された2走目の東京ダート2100mの未勝利戦では森泰斗騎手を鞍上に、不器用さの残る荒削りな走りながらもあっさりと初勝利を挙げた。

……余談だが、森泰斗騎手にとって本レースがJRAでの記念すべき初勝利である。今でこそ押しも押されぬ南関東のトップジョッキーだが、当時の彼はデビュー13年目にして南関東のリーディング3位と大躍進したばかりの気鋭の存在であった。後に南関東の屋台骨を長く支えるユーロビートと南関東を背負って立つ森泰斗騎手がこのような形で邂逅を果たすのだから、競馬の紡ぐ縁はつくづく不思議なものである。

その後のユーロビートは去勢を挟んで惜敗を続けた後、中山ダート2500m、中山ダート2400m、東京ダート2100mというJRA屈指のスタミナ比べの条件で3連勝を挙げ、一気にオープン入りを果たす。

その勝利はいずれも軽やかな一瞬の速力で突き抜けるのではなく、勝負処から鞍上の叱咤を受けて追っつけ追っつけで追い上げ、尽きることのない末脚でサバイバルを懸命に生き抜くような、汗と涙にまみれた泥臭い勝利であった。

それは現代の高速化が進んで洗練された日本競馬において、些か時代遅れな姿だったかもしれない。だが競馬ファンを魅了した「長距離のメジロ」のDNAと脈々と受け継いだ底力は、芝と砂の違いはあれども確実に受け継がれていた。

オープン競走で2走して降級したユーロビートは、そこから準オープンで5戦、安定して掲示板こそ確保するものの勝ち切れない競馬を続ける。彼の泥臭さを活かせるダート長距離の条件は限られており、適条件のハンデ戦では58kgを課されるもどかしい戦いが続いた。


最後の勝利から1年が経過した5歳夏。陣営は南関東移籍という大きな決断を下す。

昨今、盛況な売り上げに下支えされた地方競馬の賞金増とJRAでの出走の過密化と取引市場の活性化に伴い、若馬が更なる躍進を期して地方競馬への挑戦するケースは増加しているように思える。まだ若く活気あふれるユーロビートが歩んだ道のりはそんな彼らの先駆者となるものであったと言えよう。

この英断は、彼の馬生を大きく切り開いた。

美浦・高柳瑞樹厩舎から大井・渡辺和雄へ移籍したユーロビートは南関東の認定外厩でもあるミッドウェイファームに拠点を構えた。移籍初戦となったオーガスト賞競走を完勝すると、返す刀で挑んだ東京記念では、同年の浦和記念を制すサミットストーンを競り落として優勝。僅か2戦で南関東のトップホースの一角を占める存在となった。

その後はトリッキーな浦和コースや小回りの笠松コースに惜敗を続けたユーロビートだったが、その力に陰りは無く、翌年の帝王賞では南関東代表としてJRA勢を迎え打ち、7番人気の低評価ながらJRAのG1馬・重賞馬にも先着を果たして4着に好戦した。

「広いコースで自らのスタミナを最大限活かす競馬さえできれば、国内トップ層にも引けを取らない競馬ができる」

敗北の経験は、陣営に確かな自信を与えたのだろう。そしてその思いは、次走、盛岡のマーキュリーカップの舞台で結実する。

日本列島が続々と梅雨明けを迎える中で薄い雲に覆われた空の下での施行となった第19回マーキュリーカップ。

ダートグレード2勝の1番人気メイショウコロンボを筆頭に、勢いにのるテイエムダイパワーや8歳になった古豪・ソリタリーキングらが人気を集めた一戦。G1級と言うべき絶対的な馬は不在な中、ユーロビートはJRA勢に続く6番人気での出走となった。

ゲートが開いた。

ジワリ促して逃げの手に出たのはメイショウコロンボ。名古屋からの遠征馬・アイファーキング、テイエムダイパワー、トウショウフリークらが続く中、ユーロビートは泰然自若と後方に構える。

「まずはじっくり行こう。チャンスは必ず来るのだから」

まるでそう言っているかのように自らのペースを守り、一歩一歩を確かめるようにじっくりとホームストレッチを駆け抜け、後方三番手で1コーナーに入る。

向こう正面に入ると、逃げるメイショウコロンボは大きくペースダウンする。ダートグレード2勝を逃げ切りで挙げていた同馬にとって今回は初の2000mの長丁場。隊列が定まり、しかし仕掛けるにはまだまだ早いこの瞬間は、息を入れて終いの力を蓄えるのが定石である。後続各馬もここから仕掛けては到底最後まで保たない。残り1200m。序盤の攻防が終えた各馬は後半に向けて緊張を少しだけ解いた。

その刹那、ユーロビートは動いた。大外から唯一頭、進出すると、余力を残させぬと言わんばかりにメイショウコロンボ以下の先行勢へのプレッシャー強める。自らの流れを手放すまいとペースをじわりと上げるメイショウコロンボ、それに置かれまいと呼応するように追撃を開始する後続勢。レースは我慢比べの様相を呈し始める。

迎えた四角。ユーロビートは敢然と先頭に立つ。メイショウコロンボに再加速の余力は無く、トウショウフリーク、タイムズアロー、ソリタリーキングらにも鋭さは無い。有力各馬が力尽き伸びを欠く中、メジロの血に根差した無尽蔵のスタミナを発揮したユーロビートは最後まで足取り確かにOROパークの直線を駆け抜ける。6馬身差の圧勝で悲願のダートグレード競走制覇を挙げ、水沢の雄・メイセイオペラ以来17年ぶりの「地方所属馬によるマーキュリーカップ制覇」を成し遂げた。

この年から本馬とコンビを組んでいた吉原騎手にとっても、デビュー15年目でのダートグレード初制覇。地方競馬を代表する名手のメモリアルをも演出したユーロビートは、地方に確りと根を下ろし、地方競馬の発展に貢献していた。

優勝レイをかけ誇らしげな表情のユーロビートと殊勲の吉原騎手。長年の思いを遂げ、快哉を叫んだ瞬間であった。


その後の彼の蹄跡にも触れたい。

マーキュリーカップ制覇後は地方代表として、JBCクラシックや東京大賞典で覇を競う戦いに果敢に身を投じた。

翌年、7歳になった彼は、連覇を狙ったマーキュリーカップこそ4着に敗れたものの、ダイオライト記念3着、帝王賞5着等南関東の看板として活躍を重ね、東京記念で3つ目の重賞タイトルを手にする。

明けて8歳になってもなお健在。金盃を制し、ダイオライト記念では再び2着に好走した。以降、ダートグレード競走に名を連ねることは無かったが、南関東の重賞の常連として上位争いを繰り広げた。

少しずつ年齢を重ねて衰えが忍び寄る中での戦いだったかもしれない。フレッシュな新世代との戦いは困難の連続だったかもしれない。数多の強豪と鎬を削った肉体は幾重にも分厚く硬くなり、無数の傷を負っていただろう。それでも彼は歴戦の雄として勝負のリングに上がり続けた。

12月を迎え、勝島王冠で6着に敗れた翌日にはJRA最後のメジロ牧場生産馬であるサトノノブレスが現役を引退した。翌1月には同厩舎にメジロ牧場の一頭、グランディオーソも引退したことで、ユーロビートはJRA・地方を含め”メジロ牧場”の看板を掲げる最後の現役馬となった。

10歳初戦、新春の報知杯オールスターカップでは3着と気を吐き、存在感を示す。メジロの魂は最後まで激しく燃え盛り、一線級でその輝きを放ち続けた。

メジロ牧場はレイクヴィラファームと名前を変え、岩崎伸道代表の下、マーケットブリーダーとしてグローリーヴェイズを筆頭に数多の世に活躍馬を輩出している。メジロ牧場の場長をかつて務めた武田茂男氏はインティを手掛け、ホースマンとしての高い手腕を示している。

様々な牧場へと引き継がれたメジロの牝系は新天地で輝きを取り戻し、メジロ牧場解散の2か月前にこの世に生を受けたモーリスは父系として新たな時代を作ろうとしている。

メジロのブランドが持つ底力は、時代が移り変わり令和の今もファンを魅了する。そこにはこの国に土着した生命力のようなものなのかもしれない。


蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山の麓、洞爺湖のほとりにかつて存在したメジロ牧場。例えその名は消えたとしても、そこに根付いた魂は生き続ける。

そんなメジロ牧場の長い歴史の中で、最後の一頭として競馬場で輝き続けたユーロビート。彼の雄姿もまた、確かに語り継いでいきたい。

写真:s.taka

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