大歓声が聴こえた日 - 阪神競馬場とグランアレグリア

天皇賞(秋)の翌日。大井競馬場のL-WINGでスモモモモモモモモの初勝利を見届けたころに電話があり、マイルチャンピオンシップ現地取材の依頼があった。

ふたつ返事で引き受けたはいいが、根っからの出不精の私は阪神競馬場に行った経験がなく、関西圏も超がつくほど久しぶり。さて、どうしたものか。まずはスマホで経路案内。便利なもんで、時刻表をめくることもない。7時間半と表示されて、そんなにと卒倒。よくみたら移動手段のマークが車だった。そりゃそうだ。東海道新幹線を使えば競馬場までは4時間かからない。のぞみ最強。

そんなこんな遠征の支度を進めるうちに天皇賞(秋)3着グランアレグリアのマイルチャンピオンシップ参戦が報じられた。それも引退レース。なんとも記念すべき日の取材になった。ちょっとプレッシャーだ。

梅田の地下で迷子になり、ようやくたどり着いた阪急電車。宝塚方面に行けばいいと乗り込んだ宝塚行きは競馬場に行かないことを知り、十三で慌てて下車。これが三路線が同時に停車するというちょっと信じられないぐらい便利な駅。十三万歳。神戸本線に乗り換え、特急で園田を通過、西宮北口へ。そこで今津線の宝塚行きに乗り換える。車内は競馬新聞を広げる人、グランアレグリアに勝てる馬はどの馬なのかと話し込む人でいっぱい。関東圏では久しく見られなかった競馬場への「通勤風景」に懐かしくなる。そりゃあ、混雑はちょっと気になるけれど、それでもやっぱり、みんな競馬の話しかしない電車は競馬場へ向かう高揚感の演出には不可欠だ。

仁川駅からサンライトウォークなる地下通路を通り、競馬場へ向かう。入場門から入ると目の前がパドック。阪神競馬場は新しく、パドックを囲むようにスタンドが設計されており、東西がわかりやすい。梅田の地下で迷子になった自分でも現在位置の把握が簡単、ありがたいほどに親切な競馬場だ。おかげで競馬場内の取材は順調。すっかり居心地のいい空間になった。

さて、この日の主役、グランアレグリアにとって阪神競馬場は思い出の地だったにちがいない。はじめて挑戦したGⅠは阪神。新馬戦で下したダノンファンタジーが勝った阪神JFではなく、あえて牡馬相手の朝日杯FSだった。陣営はサウジアラビアRCでみせた激しいまでの前進気勢からペースが緩みやすい牝馬限定戦ではなく、少しでも間隔がとれるその翌週を選択。このころのグランアレグリアはいつでも懸命に走りすぎる、マジメ女子。だからこそ普段から走らせすぎない藤沢和雄厩舎はピッタリだった。

朝日杯FSは最後の直線でラチを頼る素振りをみせ、3着。敗因はレース選択でも阪神競馬場でもなく、自身の内側にあった。だからこそ、陣営は精神面の成長を促すべく、年明けのトライアルレースをパス、中111日という異例のローテで桜花賞に出走した。ゆったり過ごした甲斐があり、グランアレグリアは前半800m47.7の緩い流れに惑うことなく、4コーナー先頭の積極策。追いすがるダノンファンタジーを振り切り、追い詰めるシゲルピンクダイヤ、クロノジェネシスを退けた。珍しく遅咲きだった仁川の七分咲き桜のもと、グランアレグリアははじめてGⅠタイトルを手に入れた。満開はまだまだ先、彼女の未来を暗示するようだった。

つづくNHKマイルCは5着降着。その後も陣営は無理はしなかった。夏から秋を休養にあて、復帰戦に選んだのは暮れの阪神C。ふたたび阪神競馬場に出走したグランアレグリアは2着フィアーノロマーノに5馬身差。再始動を圧倒的なパフォーマンスで勝利した。

翌年4歳シーズン。グランアレグリアの前向きすぎる気性から陣営は短距離路線に舵を切る。高松宮記念は後方から差して2着、そしてマイルの安田記念へ。ここで女王アーモンドアイと激突する。その主戦はクリストフ・ルメール騎手。グランアレグリアには高松宮記念でコンビを組んだ池添謙一騎手が騎乗した。マイルに距離が延びて行きっぷりを取り戻したグランアレグリアはアーモンドアイより前で応戦。大外を通り、完封。年上の絶対女王を退けてみせた。

秋はまたも短距離戦のスプリンターズS。中山特有の早い流れに一切、付き合おうとせず、4コーナー15番手。たった310mの直線で異次元の末脚を繰り出し、ごぼう抜き。その切れ味はまさに妖刀デュランダルのごとく。

GⅠ連勝後は、ロードカナロア以来史上2頭目のJRA短距離GⅠ年間3勝目をかけ、京都ではなく、阪神のマイルチャンピオンシップへ。ここでも短距離戦を使った効果か、スローペースでも折り合いよく先行集団に入って流れに乗る。しかし、最後の直線、目の前にはインディチャンプとアドマイヤマーズ。ライバルたちも緩い流れで手応えは十分。背後のグランアレグリアに進路を譲るようなことはない。そんなピンチでもグランアレグリアは動じない。ギリギリのところで進路を外に切りかえ、視界を確保。貯まりに貯まった末脚は前を行くライバルたちが止まって見えるほどのインパクトがあった。

この勝利でGⅠ4勝目。この勝利で最優秀短距離馬に選出された。

そして5歳を迎えたグランアレグリアに対し、陣営は2000mのGⅠへ挑戦させる。若い頃の走りすぎる気持ちを制御できるいまならという公算だった。スプリント、マイル、中距離の三階級制覇。それは陣営のグランアレグリアの秘める能力への信頼の証だった。その舞台は大阪杯。またも阪神競馬場だった。

しかし、春の雨によって重馬場まで悪化した馬場。グランアレグリアは自慢の瞬発力を削がれ、4着。今度は阪神の道悪特有の極度に力を要する馬場に泣かされた。2度目の中距離挑戦は天皇賞(秋)。コントレイル、エフフォーリアといった年下のチャンピオン級相手に堂々と直線先頭の場面。だが、積極的な競馬はエフフォーリアの目標となり、最後は距離適性の差もあってコントレイルにも差され、3着。三階級制覇の夢は惜しくもこぼれ落ちた。

そしてラストラン。舞台は運命の阪神競馬場。かつては走ることに前向きすぎる気性のため、間隔の詰まったローテだと力を出せないことがあった。マイルチャンピオンシップは天皇賞(秋)から中2週。競馬場へ向かう今津線の車内でも中2週への不安を根拠にシュネルマイスターが勝つという推理がささやかれた。

だが、そんな心配は杞憂に終わった。3年あまりの競走生活のなかで、グランアレグリアは心身ともに大きく成長したからだ。好位で落ち着き払った走りをみせ、最終第4コーナーではダノンザキッドの内側を狙い定めたようにきれいに抜け、最後になる阪神の直線コースを華麗に躍動した。自然とスタンドから鳴り響く大きな拍手に送られ、グラアレグリアは阪神競馬場のゴール板を先頭で駆けていった。

そのとき、私の耳にはルメール騎手の歓喜の叫びが届いた。よほどその乗り心地がよかったんだろう。検量室前で出迎える藤沢和雄調教師も笑顔とともに大きく手を広げ、グランアレグリアの顔を優しく愛撫。定年が間近に迫った師にとっても言い尽くせないほどの幸せなひと時だったにちがいない。定年前にいい緊張感を持たせてくれた存在とのちに師は愛馬を表現したが、そんなプレッシャーがあるからこそ、歓喜のときは訪れる。仕事とはそうでなくてはならないと師は私たちに教えてくれた。

最後のレースを終え、検量室前に引き上げてくるとき、口取り式、この日から再開された表彰式、何度も何度も阪神競馬場から温かい拍手が沸き起こった。それはグランアレグリアを見送る別れであり、声を出せないという制限下、阪神競馬場に駆けつけたみんなが送った惜しみない声援でもあった。私は温かい拍手のなかにありったけの大歓声を聴いた。

後日、中山競馬場で開かれた引退式。寒空の下に姿をあらわしたグランアレグリアは、いかにも走りたそうな仕草をみせる。それは、どんなときでも前向きに走りたがる彼女の原点だった。

写真:かぼす

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