ノド鳴りの持病を持ちながらも現役時代を走り抜き、種牡馬としても大成したダイワメジャー。
ダイワメジャーの名馬たる記憶は、やはり"アンカツ"として親しまれる安藤勝己元騎手を切り離しては語れない。インタビューで"アンカツ"がダイワメジャーを振り返って発した言葉は、やや意外なものだった。
競馬を愛する執筆者たちが、ゼロ年代後半の名馬&名レースを記した『競馬 伝説の名勝負2005-2009』(小川隆行+ウマフリ/星海社新書)。その執筆陣の一人、五十嵐有希が名馬ダイワメジャーについて振り返る。
ノド鳴りの持病と闘い続けた競走生活
皐月賞を人気薄で勝った馬は〝一発屋〟で終わりがちなイメージがあるが、一度はそんな気配を見せつつも、古馬になって大成したのがダイワメジャーだ。社台の名血、スカーレット一族のサンデーサイレンス産駒。最終的には、天皇賞・秋やマイルチャンピオンシップ連覇など5つのG1タイトルを獲得した、紛う方なき名馬である。
「名馬」と綴ったが、ダイワメジャーにその印象は薄いかもしれない。それはひとえに、戦績が安定感に欠けるためである。国内成績は27戦9勝で勝率33%、連対率は48%と5割に満たず、掲示板を外したレースも6回。3つ下の半妹ダイワスカーレット(父アグネスタキオン)が連対率100%で抜群の安定性を誇ったのとは対称的である。
波がある戦績の裏には、気性の難しさや、ノド鳴りの持病と闘い続けた競走生活があった。
ダイワメジャーの気性といえば、なんと言ってもデビュー戦での一幕が忘れられない。中山競馬場の装鞍所で興奮して立ち上がるなど大暴れ。その激しさはJRA側から出走取消を打診されるほどだったという。さらにパドックでは、地面に寝転がってしまうという珍行動に出てファンの笑いを誘った。上原博之調教師はのちに『優駿』誌上で、「あんなに暴れる馬を見たのははじめて」「(パドックでは)ここまで暴れすぎて疲れてしまったのだろう」と振り返っている。いまとなっては微笑ましいエピソードだが、当時の関係者たちのヒヤヒヤぶりは想像に難くない。しかも1番人気。馬券を買ったファンも同じ気持ちだったことだろう。
レースでは、後方から猛然と追い込みクビ差の2着を死守。スタート前の経緯を考えるとマトモな競馬ができたとは思えず、ほとんど器の違いだけで格好をつけた形であった。続く2戦目を9馬身差で圧勝するも、次走、単勝1・4倍に支持された500万下でコロッと4着敗退。皐月賞トライアル・スプリングSで11番人気3着に入り、辛くも本番への切符を手にする。
2004年の皐月賞は、地方馬として初の中央クラシック制覇に挑むコスモバルクが注目を集めていた。ダートで1勝を挙げただけのダイワメジャーは実績不足から10番人気の低評価であったが、M・デムーロを鞍上に、2番手から早めに先頭に立つとそのまま押し切る強い内容で勝利。母スカーレットブーケや姉ダイワルージュなど、これまでに一族が届かなかったクラシック制覇を見事に果たした。上原厩舎と、ダイワの冠号で馬主歴の長い大城敬三オーナーにとっても、これが初のG1タイトルであった。
当然、ダービーにも期待がかかったが、この頃からノド鳴りの症状が出ていたという。「喘鳴症」とも呼ばれる、咽頭の筋肉や神経に障害が生じて気道が狭くなる病気である。馬は全力疾走のときに多量の空気を必要とするが、喘鳴症になると呼吸機能が低下し、競走能力が落ちてしまう。この影響もあってか、ダービーを6着、距離不適の菊花賞を避けて挑んだ天皇賞・秋を17着など、不本意な敗戦が続いた。
獣医師の所見によるとダイワメジャーのノド鳴りは重症で、競走能力が戻る見込みも低いことから一時は引退も検討されたという。しかし陣営は、再起をかけて外科手術での治療に踏み切った。3歳秋の手術から翌年春まで休養し、4歳を迎えた2005年4月にダービー卿チャレンジトロフィーで再始動。休み明けながら、後続に2馬身差をつける完勝で復帰を遂げた。
その後もしばらくは人気を集めつつ勝ち切れないレースが続いたが、2006年、安藤勝己とのコンビが定着した6歳秋に本格化する。毎日王冠を3番人気1着、天皇賞・秋を4番人気1着、マイルチャンピオンシップを1番人気1着と、一気呵成の3連勝である。
なかでも秋の盾は、のちにドバイデューティーフリー、宝塚記念、ジャパンCを勝つアドマイヤムーンや、秋華賞、宝塚記念、エリザベス女王杯勝ち馬のスイープトウショウ、それにダンスインザムード、アサクサデンエン、ハットトリックなど並居るG1ウイナー、そして同期の実力馬コスモバルクらを抑えての価値ある勝利。単なるマイラーではないことを示した。
ダイワメジャーを勝利に導いた〝気負わず、楽しむ騎乗〟
そんなダイワメジャーの名馬たる記憶は、やはり名手アンカツと切り離しては語れない。
安藤勝己が騎手を引退した2013年、筆者は、雑誌の企画でインタビュー取材を申し入れたことがある。競馬界きっての酒呑みとして知られたアンカツに「37年間の現役生活、お疲れさまでした」の意味も込め、新宿三丁目の魚が旨い居酒屋に招いて現役時代を回顧してもらったのだ。ダイワメジャーについては「乗りやすい馬だった。俺にいちばん合っていたと思う」と、思いがけぬ評価にすこし驚いたことを思い出す。
〝勝てる騎手〟でいるための条件を訊ねると、「楽しんで馬に乗ることだろうな。ニコニコってして。競馬に乗れるのがうれしいっていう気持ちが大事だと思う」と語ってくれた。
「勝たなきゃいけないという重圧は、地方競馬にいたときのほうが中央のG1に乗るよりずっと大きかったよ。外国人の騎手が来日してパッと結果を出すのは、気楽やからというのもあると思う。乗っているのを見ているとすごく楽しそうやもん。気難しい馬でもキャッキャッ言いながら乗ってさ(笑)」
ダイワメジャーが躍進した2006年は、安藤が中央に移籍して4年目。脂の乗りきった騎乗でファンを沸かせていた時期である。アンカツ流の〝気負わず、楽しむ騎乗〟が、気性面でやや神経質なところのあったダイワメジャーにとってプラスに働いたことは間違いない。
翌年、6歳時も安藤とのコンビで安田記念Vとマイルチャンピオンシップ連覇を成し遂げ、春秋マイルG1を制覇。06年、07年と2年連続でJRA最優秀短距離馬に選出されている。
(文・五十嵐有希、写真・ふわ まさあき)
(編/著)小川隆行+ウマフリ
星海社サイト「ジセダイ」
https://ji-sedai.jp/book/publication/2021-11_keibameishoubu2005-2009.html
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