[連載・馬主は語る]If you build it, he will come.(シーズン1-24)

ノーザンファーム繫殖牝馬セールに行こう! とゴーサインが出たのは、碧雲牧場の長谷川滋明さんからの1本の電話でした。かつてお伺いの電話をしたときは、「その時々によって、馬房が空いているかどうか分からないので……」という慎重な返事でしたが、10月に入って話してみると、「1頭なら入れられそうです!」という前向きな答えをもらえました。牧場であればどこでも良いというわけではなく、僕は碧雲牧場で馬を生産したいと思っていましたので、馬房が空いているのであれば今がチャンスです。

実は彼のお父さまである長谷川敏氏が9月26日にお亡くなりになりました。1、2年ほど前から病床に伏せていらっしゃったので、突然ということではなかったそうですが、僕にとっては予期せぬ出来事でした。そんなこと露知らず、「ノーザンファーム繁殖牝馬セールの名簿が届きました。4頭ほど良さそうな馬がいますね」と滋明さんに呑気なメールを送り付け、「ちょうど出先ですので、また明日連絡させていただきます!」と返ってきたその日に、お父さまは亡くなられました。何というタイミングの悪さと反省しましたが、もしかするとこれが虫の知らせというやつなのかもしれません。しばらくして、落ち着いてからもらった電話で先ほどの会話をしたのですから、お父さまは全てを知っていたのでしょう。

お父さまとの思い出として、最も印象に残っているのは、寒空の星たちです。僕が初めて碧雲牧場に泊まった夜、夕飯を食べ、お酒を飲んで、気持ち良くなったお父さまが急に、「治郎丸さん、ちょっと馬房を見にいこうか?」と誘ってくれました。真冬とまではいきませんが、秋から冬にかけての時期でしたので、ご家族は「お父さん、寒いからやめておきなよ」と制そうとしましたが、お父さまは「まあいいから」と言って僕を連れ出しました。

北海道の冬の夜はさすがに寒く、ダウンジャケットに包まれながら、早足で馬房へ向かうお父さまの後を僕はついて行きました。馬房をひとしきり回って、案内してくれました。眠りに落ちている馬もいれば、まだ起きてせわしく首を振っている馬もいました。たしかに夜の馬房なんて見ることはないな、良い経験をさせてもらったなと思っていると、帰り道でお父さまが突然立ち止まってこう言いました。

「ほら、星がきれいだろ」

僕は寒空を見上げてみました。そこには数えきれないほどの星々が、手を伸ばせば届くのではと思わせるほど近くにありました。お父さまはこれを見せたかったのだなと思ったのです。シャイだけどロマンティックなホースマンでした。

あの夜から10年近くが経ち、僕はノーザンファーム繁殖セールに臨むことになりました。「碧雲牧場からダービー馬を出す」という理念を掲げつつ、僕自身の新しい事業として、父の夢を引き継ぐ形で社長となった長谷川滋明さんと共に強い馬をつくっていきたいと思います。そんなに甘くない世界であることは百も承知ですが、壮大なビジョンがあるからこそ、大きく考えることができ、大胆に行動できるのだと常に僕は考えています。

そもそも僕たちがこうして夢を追えるのは、滋明さんのお父さんが牧場をつくってくれたからです。僕の大好きな映画のひとつである「フィールド・オブ・ドリームス」の中に、「If you build it, He will come」という言葉が登場します。神からの言葉を聞いた主人公は、自分のトウモロコシ畑に野球場をつくってしまいます。そこに集まったのは、今はあの世にいる往年の野球のスター選手たちという幻想的なストーリーです。この映画を観たのは僕が小さい頃でしたから、当時は分からなかったのですが、今はこの映画が伝えたかったことが分かります。あなたが勇気を出して何かをつくれば、誰か(何か)がやってくる。裏返すと、あなたが何もつくらなければ、何も起こらないし、誰もやってこないということです。この言葉の意味が腑に落ちて以来、僕は何かを立ち上げるときは、いつもこの言葉を頭の中で唱えています。「If you build it, He will come」今回の場合は、お父さんが苦労して碧雲牧場をつくってくれたからこそ、滋明さんと僕は出会い、こうして同じ夢を追いかけているのです。

そしてもう一人、強力なサポーターがいます。社台ファームの獣医師である下村優樹さんです。彼とはオータムセール後の生産者たちとの飲み会で知り合い、自然と仲良くなって、拙著「馬体は語る」のインタビュー記事にも登場してもらっています。彼はとにかく人柄が素晴らしく、どこからどう切り取っても信頼できる人間であり、しかも馬を見ることにかけては卓越した見識を持っています。僕なんかと比べて、圧倒的に多くの実馬を見てきているので経験値がと違います。獣医師として馬を看たり、ときには社台ファームのバイヤーとして海外に買い付けに行ったりと、総合的に競馬界を見られるオールラウンダーです。アドバイスをしてもらうのはもちろん、あーでもないこーでもないと言いながら、一緒に仲間として馬を作って楽しみたいと思い、彼にも仲間に入ってもらいました。

まだ始まってもいないのに、こんなことを言うのは何ですが、ダービー馬を目指して馬を生産する過程において、仲良く楽しく遊ぶことができれば良いのです。僕にとっても、競走馬の生産は事業のひとつであり、多額の投資をする以上はビジネスとして成り立たせたい想いは強いのですが、それは後からついてくるものであって、その過程を楽しめなければ意味がありません。もちろん、楽しむためには成功しなければならないことも分かっていますし、ソロバンも弾かなければならないのですが、どちらが先かというと楽しく真剣に遊ぶことです。そうすることが結局、事業としても成功する秘訣なのではないでしょうか。

(次回に続く→)

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