ダートでも強さを見せた"二刀流"桜花賞馬、キョウエイマーチ。その挑戦の旅を振り返る

1.これぞ競馬の醍醐味! 孫のマルシュロレーヌがアメリカで輝いた!

2021年、キョウエイマーチの孫であるマルシュロレーヌがブリーダーズカップ・ディスタフを制した。国際レベルで最高峰のひとつと言えるダートG1レースを日本の馬が勝った事に驚かされ、さらに、その血統表に自分が競馬を始めて間もない頃のサラブレッドの名が刻まれていることに感慨を覚えた──。

しかも、マルシュロレーヌの父系に目をやれば、父は2011年の三冠馬・オルフェーヴル、そしてその父は2001年の香港ヴァーズ勝ち馬・ステイゴールド。このステイゴールドとキョウエイマーチは同世代、1997年のクラシック戦線を彩った二頭だった。

個人的な話になるが、この頃は、私の競馬ファン歴の中でも、特に足繁く競馬場に通っていた時期でもある。そのため、この世代には特別思い入れが深く、好きな馬ばかり(ちなみに今は家族サービス優先の日々で、気ままに競馬場へ…という訳にはいかない身分となってしまった)。

キョウエイマーチとステイゴールドは、性別が違い、距離適性も異なるので同じレースで相まみえることはなかったが、なんと不思議な巡り合わせか、両馬の血を受け継いだ馬が1997年から数えて24年後に遥か米国の地で大仕事をやってのけたのである。

マルシュロレーヌの偉業を知っての驚きと興奮は、ここ数年で一番のものだった。

これぞ、競馬ファンにとっての醍醐味と言っていいと思う。

2.快速"圧勝"時代を経て、桜花賞制覇へ

さて、キョウエイマーチの現役時代を振り返ってみよう。

今になって分類してみると、キョウエイマーチの現役生活は、新馬〜4歳牝馬特別までの"快速圧勝時代"、メジロドーベルやシーキングザパールなどと鎬を削った"同世代対決時代"、当時1200〜1600mで敵知らずだった王者・タイキシャトルへの"挑戦時代"と3分割出来るように思う。

"快速圧勝時代"は、持ち前のスピードを活かした競馬を披露。2着以下を大きくちぎっての圧勝ぶりがとにかく爽快だった。新馬戦と、2勝目を挙げた寒梅賞は、ともにダート戦。他馬をまったく寄せ付けない圧勝だった。のちのダートレースへの再挑戦も、これらデビュー間もない頃のダートでの圧勝ぶりが、関係者の決断を後押ししたのではないだろうか。

つづく"同世代対決時代"では、エルフィンステークス、報知杯4歳牝馬特別と連勝し、桜花賞という大きな勲章を勝ち取った。

距離適性で分の悪かったオークスと秋華賞ではメジロドーベルの後塵を拝したものの、シーキングザパールを下したローズステークスで見せた直線での二枚腰・逃げ切り勝ちも見事だった。

キョウエイマーチは秋華賞までに9戦6勝、2着1回、3着1回という素晴らしい成績を残し、古馬を交えての戦いに挑むことになる。

──しかし、その戦いは彼女にとって簡単なものではなかった。

3.王者・タイキシャトルへの挑戦と、挫折。

秋華賞2着後、スピードを最大の武器とするキョウエイマーチの主戦場は、1200m〜1600m戦となる。そこでは、同世代のタイキシャトルが強力なライバルとして立ちはだかった。タイキシャトルに勝たないことには、再びG1の栄冠をもぎ取ることはできない。

1997年のマイルチャンピオンシップで、タイキシャトルと初対戦を迎えたキョウエイマーチ。同レースではサイレンススズカとの先行争いに注目が集まったが、キョウエイマーチは先手を取り果敢に逃げた。タイキシャトルには敗れたものの、0.4秒差の2着に食い下がってみせる。つづくスプリンターズステークスは芝1200mに初エントリーした一戦でもあった。タイキシャトルへの雪辱を期したが返り討ちにあい、11着とキャリア初の大敗を喫してしまった。

年が明け、古馬となった1998年。始動戦となった3月のマイラーズカップでビッグサンデーの3着と格好はつけたが、その後不振に陥る。4月のシルクロードステークスはシーキングザパールの11着と惨敗。春はここまでで休養に入り、10月のスワンステークスで復帰したが、ロイヤルスズカの6着に敗れた。

つづくマイルチャンピオンシップでは、同年の安田記念、フランスのジャック・ル・マロワ賞を勝ち国際的なマイル王に上り詰めていたタイキシャトルと再戦。
このレースでもキョウエイマーチはスピードを活かしマウントアラタとの逃げ争いを制し、ハナを主張。直線残り200mあたりまでは先頭を死守した。しかしタイキシャトルに交わされた後は、2着争いの混戦の中で踏ん張ろうとしたものの、結果は6着に終わってしまった。これが、タイキシャトルとの最後の戦いとなった。

タイキシャトルとの最初の戦いだった前年のマイルチャンピオンシップからこの年のマイルチャンピオンシップまで、キョウエイマーチは6戦するも未勝利、2着1回、3着1回。タイキシャトルには3度挑戦するも、一度も先着することができなかった。

1998年のラストレースには、彼女が最も輝いた桜花賞と同じ舞台である阪神競馬場のマイル戦・阪神牝馬特別が選ばれ、ファンも1番人気に支持した。2番人気はひとつ歳下のオークス馬、エリモエクセル。3番人気は同い年のランフォザドリーム。

私は『ここはキョウエイマーチの得意舞台、負けられないだろう──いや、間違いなく勝てるだろう』と思ってレースを見ていた。

しかし、好スタートから楽に逃げているように見えたが、直線に入ってからの脚色にかつての軽快さがない。直線中ほどでエガオヲミセテ、アドマイヤサンデーにつかまってしまう。さらにゴール線手前ではスギノキューティーにも差されてしまい、4着に敗れた。

王者・タイキシャトルに敵わないのはある程度しかたないと思えていたのが、タイキシャトルがいないレースでも勝つことができなかった。かつての輝きが失せてしまったようにすら感じられた。正直、私はこのレースで『キョウエイマーチの強い時代は終わった』と思ってしまった。『そろそろお母さんになりたいのかな?』とも思った。

古馬となって最初のシーズンが終わり、ここまでの通算成績は16戦6勝、重賞はG1桜花賞含め3勝。十分過ぎるほど一流の競走成績を残してきていて、繁殖牝馬としての仕事も待っている。ここで引退でも、多くの競馬ファンは拍手で彼女のここまでの功績を讃えたことであろう。

4.新たな挑戦と復活。"二刀流挑戦"の夢は、後世に引き継がれた

キョウエイマーチは現役をつづけるのか、それとも桜花賞の栄誉とともに母となる道へと進むのか──陣営が下した決断は、現役続行だった。

迎えた1999年。陣営が初戦に選んだのは、2年ぶりとなるダートレースへの挑戦、G1フェブラリーステークスへの出走だった。

キョウエイマーチの新たな挑戦は、今で言うところの"二刀流"への挑戦だった。

フェブラリーステークスでの人気は単勝9倍の5番人気と、信じたい気持ちと信じていいものかという不安のあいだで揺れるファンの心理を表したものだった。

いざレースが始まると、キョウエイマーチは久々の砂に戸惑うことなく、軽快に逃げてレースの主導権を握った。結果は水沢の雄・メイセイオペラの5着に終わったが、競走馬としての闘志は失っていないように見えた。というのも、最後の直線、内から迫ってくる1番人気のワシントンカラーに抜かせずゴールまで凌ぎ切ったのだ。まだ勝利への執念を持っていることを感じることができたファンは多かったことだろう。

つづくマイラーズカップでは、前年12月の阪神牝馬特別につづきエガオヲミセテには差されてしまったものの、軽快な逃げで0.1秒差の2着に粘って見せた。

キョウエイマーチの闘争心はまだ残っていた。

そしてその闘争心は、ついに次走の阪急杯(当時は芝1200mのハンデ戦)で証明される。
人気はひとつ歳下の上がり馬・ブロードアピールにつづく2番人気。ブロードアピールが斤量53kgだったのに対し、キョウエイマーチは実績を見込まれ牝馬としては酷量とも思える56.5kgの斤量を背負わせれた。

このレースでキョウエイマーチはサウンドワールドにハナを譲り、道中は2番手につける。かつてのスピードを失ったのか──いや、違う。キョウエイマーチからは、やる気十分の前進気勢を感じることができた。

直線に入ると、逃げ切りを狙うサウンドワールドを猛然と追いかけ、並びかける。ゴール手前で交わし、先頭に立った。直後にブロードアピールが迫っていたが、1馬身の差をつけたまま、危なげなく押し切ってみせた。斤量差を感じさせない堂々とした勝ちっぷりだった。キョウエイマーチにとって、実に約1年7ヶ月ぶりの勝利となった。

阪急杯以後、キョウエイマーチは芝のレースを6戦、ダートのレースを3戦した。

10月にはダートの交流G1南部杯でニホンピロジュピタの2着に入り、2000年1月の京都金杯で勝ち星を挙げるという、まさに"二刀流"の活躍を見せる。


彼女は同年限りで約3年半の競走生活に別れを告げた。通算28戦8勝、桜花賞を含む重賞5勝の堂々たる成績を残し、繁殖生活へと入ったのだった。

そして2002年には父フレンチデピュティの牝馬・ヴィートマルシェを出産。ヴィートマルシェの仔、マルシェロレーヌがブリーダーズカップ・ディスタフを制したことは、冒頭に記した通りである。

まるで、祖母の"二刀流"の夢を引き継いでくれたかのような勝利だった。マルシュロレーヌの直線の粘り腰は、祖母が数々のレースで見せた直線での頑張りそのものに思えた。

キョウエイマーチは2007年5月に13歳の若さで天国へ旅立った。残した子供はヴィートマルシェ、1999年皐月賞2着のトライアンフマーチを含む4頭と、決して多くはない。しかしマルシュロレーヌ以外にも、昨年のマイルチャンピオンシップを制したナミュールなどが血を繋いでくれそうだ。

キョウエイマーチの血はこれからも、ターフの上、ダートの上で、まばゆく輝きつづけるだろう。

写真:かず、かずぅん、Breeders’ Cup

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