──2019年1月10日、一頭の競走馬が引退しました。
その馬の名前は「クリソライト」。そして彼は海を渡り韓国で種牡馬としての生活を始めることになります。
ジャパンダートダービー(JpnI)、コリアカップ(韓国GI)と国内外2つのビッグタイトル、妹にマリアライト、弟にはクリソベリル、叔父にはジャパンカップダート勝ち馬のアロンダイトが居る良血。これだけども十分かもしれませんが、彼にはそれ以外にも語るべき要素があります。「史上初のダイオライト記念三連覇」と言う日本ダート界に残る記録のことを……。
1,ダイオライト記念の歴史
まず、彼の記録を振り返る前に、ダイオライト記念自体に触れておこうと思います。
1956年に4,5歳・牡馬限定(当時の表記:現3,4歳)のダート2000mの競走として船橋競馬場でスタートしたこのレースは、元々戦前戦後の時期に活躍した下総御料牧場の種牡馬ダイオライトを記念して作られたものになります。その後、牝馬も走れるようになったり4歳以上に条件が変更になったりしたのち、1976年より2400mという現在の距離体系となりました。
ダイオライトについても説明しておくと、1935年に日本に輸入されたイギリス生まれの種牡馬で、イギリス版皐月賞と言っていい2000ギニーの勝ち馬。初の三冠馬であるセントライトを輩出するなど、黎明期の日本競馬界を支えた大種牡馬の一頭にあたります。
また、この競走の特徴は交流重賞の中では2番目に長い2400mという距離だけでなく、JPNIIでありながら定量戦であるという点です。ということもあってか、後に天皇賞春を勝ったイングランディーレが出走していますし、歴代の勝ち馬にはアブクマポーロやヴァーミリアンなど、全盛期にこのレースを使ったGI級競走勝ち馬も多数います。
※2022年からは名古屋競馬場の移転に伴い名古屋グランプリが2100mに短縮されるため、日本で一番距離の長い交流重賞になります。
2,三連覇への道のり
さて、クリソライトの競走生活に目を移しましょう。
彼は2010年生まれで、同期のダート馬にはGI級競走10勝のコパノリッキーをはじめサウンドトゥルー、アウォーディー、さらには一個上の世代にホッコータルマエとそうそうたるメンバーが並びます。後々になって考えてみると、決して実力で大きく見劣りするとは思いませんが、少し生まれた世代が悪かったように思えてしまいます。
それでも彼が当代屈指のダート馬であったことに変わりはありません。3歳時にはJDDを勝ち、その後4歳夏までは低迷したものの秋には日本テレビ盃1着、JBCクラシック2着と実績を上げていました。ただ、JDDを勝利していることからGI馬として斤量が厳しくなることが彼にとって重大な悩みでした。
ということで、5歳春の初戦には前述の定量戦というメリットからダイオライト記念に武豊騎手を背に参戦。前年に浦和記念を勝ち、東京大賞典、川崎記念とJPNIレースで連続3着と勢いの乗るサミットストーンに1番人気は譲りますが、3コーナーで先頭に立つと2着のトウシンイーグルに2馬身半差をつける快勝を収めました。
ですがその後は不完全燃焼が続きます。
かしわ記念は4着に終わり帝王賞は2着と善戦するも、秋は連覇を目指した日本テレビ盃はハイペースが祟って差されて2着、JBCクラシックも3番手から伸びず4着。その後は浦和記念に出走予定も骨折のため断念し、2015年のシーズンを終えることになりました。
年が開けて6歳となった彼は、骨折も癒えて2016年の初戦をダイオライト記念に定めました。単勝オッズは1.3倍と圧倒的な1番人気に押された彼は、出足こそ今一つでしたが押しながら最初のコーナーまでには先頭を奪い切ります。そして、そのまま逃げ続け、直線で追いすがるクリノスターオー以下を押し切り連覇を達成しました。その後アンタレスS,平安Sは4着、3着とそれなりの着でまとめたものの、帝王賞は8着と惨敗。こうなると衰えが見え始めたように思えましたが、秋初戦となったコリアカップでは2着のクリノスターオーに5馬身弱、3着馬には10馬身弱の差をつけての圧勝をするも次走のJBCクラシックでは11着に敗れ、浦和記念でもケイティブレイブと4馬身差の2着……と、今一つ安定しない結果に終わりました。
こうして、捲土重来と再びの国内GI制覇を期して臨む2017年シーズン。彼は3年連続でダイオライト記念を初戦に選びました。
3,三度目の参戦。
3度目の出走となる2017年のダイオライト記念、今回も武豊騎手を背に参戦しました。今回も単勝2倍を切る一番人気に押されたものの、2番人気のマイネルトゥランは3.9倍、続くグレナディアーズが9.2倍、ユーロビートが9.3倍に押されていたことを見ると、過去の実績を見て圧倒的支持に押されたというよりは、むしろ条件戦を勝ち上がって勢いに乗るマイネルトゥランと人気を分け合ったという印象でしょうか。
レースが始まるとマイネルトゥランが好スタートから逃げ、2番手に同じ勝負服のマイネルバイカが追走、クリソライトは2頭を前において3番手からレースを進めることになりました。クリソライトの後ろには同じキャロットファームのグレナディアーズが続き、中央勢4頭を見ながらユーロビートなど地方勢が追走する形でレースが進みます。
ゴール板を過ぎたあたりでクリソライトが外を回しながら少しずつ前へ前へと進出していきます。そして向こう正面中程から3コーナー手前でペースを上げながら必死に食いつこうとするマイネルトゥランを楽々競り落とすと、4コーナーからは独走状態に。最終的には2着のユーロビートから6馬身、3着のウマノジョーからは11馬身の大差を着けて快勝しました。
1度目、2度目も強い競馬でしたが、3度目の勝利の時の勝ち方は非常に鮮烈でした。
果たして、その理由は何だったのでしょうか。2着のユーロビートは交流重賞を勝っている馬ですし、3着のウマノジョーも2走後に南関重賞を勝っているように、決してメンバーに恵まれた感もないですし、展開的に楽だったとも言えない内容に見えました。強いて言うならこの日(2017年3月15日)は鞍上の武豊騎手の誕生日。鞍上をお祝いするため、クリソライトが頑張ったのかもしれませんね。
何はともあれこの勝利で再び勢いに乗った彼は、次走の平安Sは最後方から追い込み2着、帝王賞は早め先頭から2着と昨年末よりは安定した成績を残し、連覇がかかるコリアカップへ臨みます。しかし、今回は同じ日本勢のロンドンタウンをとらえきれず連覇はなりませんでした。その後、靭帯を痛めて1年以上休養し、翌年のJBCクラシックで復帰するも15着と大敗、次走の浦和記念は3着で復調の兆しを見せるも年末の東京大賞典は11着と惨敗。そして8歳シーズンの終了をもって現役を引退することになりました。
4,最後に
現役時代はJPNI1勝を含め、数多くの重賞タイトルを取り、その勲章とともに海を渡った彼ですが、個人的にはその後のクリソベリルの活躍を見ていると、やはりもう少し生まれるタイミングが違えば……と思ってしまいます。世代という点だけでなく、4走以上連続して騎乗した騎手がいないことが示すように、通算39戦で13人の騎手が騎乗するという主戦騎手を固定できない状況も、彼の競走生活に大きなマイナスだったのかもしれません。彼のことを熟知した騎手がいないだけでなく、ライバル馬の鞍上にクリソライトに騎乗経験がある騎手がいて対策を取ったりしたこともあるかもしれません。
3連覇を達成したダイオライト記念は3回とも武豊騎手の騎乗。
競馬にタラレバは禁物ですがもし彼の鞍上が固定できていたら……当時のダート競馬界の勢力図が変わっていたかもしません。
2022年からは全弟のクリソベリルも日本国内で種牡馬として活動することが決まりました。もしかしたら何年か後には、コリアカップでクリソライトとクリソベリルの産駒が対決する、そんな日が来るかもしれませんね。
写真:s.taka、umanimiserarete