美しく青きドナウの涙。妹の先を進むドナウブルーの関屋記念

ウィーンフィルのニューイヤーコンサートの定番曲でもあるヨハン・シュトラウス二世作曲「美しく青きドナウ」はワルツの名曲として知られている。この曲の誕生には、ハプスブルク家が統治するオーストリア帝国がプロイセンとの戦争に敗北したという背景がある。当時、意気消沈していた国民を鼓舞する曲を作るよう、シュトラウス二世は依頼を受けた。シュトラウス二世は何度かそれを固辞したものの、最後には重い腰をあげ、この不朽のワルツは完成した。

その舞台であるドナウ川はドイツのシュヴァルツヴァルトに端を発し、ヨーロッパ10カ国を抜ける全長2,850キロの大河だ。流域には多くの世界遺産が存在し、ヨーロッパ文化に多大なる影響を与えた。それと同時に、ドナウ川は国境でもあった。大河が国境を形成するのは珍しいことではないが、中央ヨーロッパの歴史はドナウ川の岸辺で書かれたとも言われるように、ドナウ川は特筆して多くの歴史の舞台になってきた。「美しく青きドナウ」の誕生背景に戦争があったように、かつて戦と文化は背中合わせであり、多くの民にとって戦はすぐ目の前で繰り広げられる日常だった。そして、ドナウ川の東端にあるウクライナのオデーサは穀物輸出の拠点であり、いまもロシアの攻撃に遭っている。21世紀の今も、ドナウ川は戦争の舞台。優雅な風景の奥底に哀しみを抱き込んでいる。

「美しく青きドナウ」

ドナウの青はこれまでの歴史に溶け込んだ人々の涙の色でもある。歴史という書物に押し込められた声なき声に耳を傾ける作業を、我々は地道にやり続けないといけない。

涙の数だけ美しく。

ドナウの青を由来とするドナウブルーもそんな馬だった。母ドナブリーニの長女として生まれ、次女はあの牝馬三冠馬にして、国内外GⅠ7勝馬ジェンティルドンナ。偉大すぎる妹と姉は年がひとつ違いということもあり、現役時代が重なる。ディープインパクトの初年度産駒でもある姉は、2歳10月のデビューからわずか1カ月で連勝し、オープン入り。ディープインパクト初年度産駒のなかでも、大物感漂う船出だった。

はじめての重賞出走は3歳1月シンザン記念。当然、1番人気に支持された。だが、将来を考え、スピード任せにならず、前半はゆったり走り、後半の爆発力により多くのスタミナを活かすような競馬を試みるも、鞍上のそんな意図を汲みとることができず、反抗してしまい、リズムが乱れた。ディープインパクト産駒は連勝できれば問題ないが、一度、壊れたリズムをそう簡単には元に戻せない。以後、ディープインパクト産駒の常識にもなる法則めいたものは、初年度のドナウブルーの頃にはなかった。シンザン記念5着、フィリーズレヴュー4着、抽選になった桜花賞は除外、ニュージーランドトロフィーも6着に敗れ、とうとうリズムを取り戻せず、3歳春のGⅠ出走は叶わなかった。

夏休み明けのローズSは5着で牝馬三冠路線最後の秋華賞出走も断たれたドナウブルーがその暗闇から抜け出したのは、3歳11月の1000万下平場戦。連勝した2歳秋から1年、ようやく3勝目をあげた。だが、ひとつ勝つと再び軌道に乗るのもディープインパクト産駒の特色だった。4歳初戦、格上挑戦の京都牝馬Sまで勝ち、あれだけ手が届かなった重賞タイトルまで一気に駆けあがった。その少し前、妹ジェンティルドンナは姉が負けたシンザン記念であっさり重賞初Vを達成した。チューリップ賞こそ4着だったが、本番前の試走といった意味合いが強く、リズムが乱れることはなかった。そして、姉が走れなかった桜花賞、オークスを圧倒した。連勝中のディープインパクト産駒はそうは止められない。2世代目にあたる妹は、姉とセットでディープインパクト産駒の法則めいたものを示す形になった。

輝かしいほどの妹ほどではないにせよ、姉も自分のリズムを取り戻し、妹が二冠を達成した一週間前、同じ東京で、その秘める力をのぞかせる。ヴィクトリアマイルは先に牝馬三冠を成し遂げたアパパネや姉がゲートには入れなかった桜花賞を勝ったマルセリーナに注目が集まっていた。姉は7番人気の伏兵にすぎなかったが、外枠からダッシュを効かせ、2番手へ。序盤600m34.4の流れに余裕でついていく。若いころの経験を踏まえ、無理に抑え込むことはない。姉の最大の武器であるスピードを活かし、リズムを整えてレースを進める。前後半800m46.4-46.0。小細工なんていらないスピード勝負のマイル戦らしい均衡のとれた流れが姉の素質を解放する。背後のインに潜んだホエールキャプチャに最後まで食い下がり、ゴール寸前は差しかえすほどの勢いで迫った。後ろからやってきたマルセリーナもアパパネも寄せつけない。これまで流した涙の分、姉は確実に逞しくなっていた。

妹が牝馬三冠に備え、英気を養っていたその夏、姉は関屋記念へ駒を進めた。舞台の新潟外回りマイル戦は、向正面が600m近くあり、最後の直線は658.7m、高低差2.2mのスピードトラック。ヴィクトリアマイルで見せたスピード能力を発揮するにはこの上ないコースだ。

1番人気に支持されたドナウブルーは、前年、関屋記念を逃げ切ったレッツゴーキリシマがじわりと先頭に立つと、その背後2番手をとる。まるでヴィクトリアマイルの再現のような並びであり、これぞもっと輝ける形だ。ただ、老獪なレッツゴーキリシマと柴田善臣騎手はドナウブルーの2番手をキープしたいという意図を見越し、ハナを奪い返される心配はないと、次第にペースを緩め、前半800m47.0のスローペースを作りだす。残り800m標識を通過した地点から、11.7-11.1とレッツゴーキリシマがドナウブルー以下を振り切りにかかる。当然、ドナウブルーも前半がゆったりした分、力は残っている。もはやリズムを乱し、自らスタミナを削ってしまうようなことはない。レースの作法を身につけたドナウブルーは背後にいたエーシンリターンズに併せ、自分の力を引き出せる形をつくった。残り400~200m10.4はスピードの究極値に近い数字だ。この地点で、ライバルたちは白旗をあげるよりほかにない。もはや相手はエイシンリターンズしかいなかった。前半は背後のインに潜んでいたエイシンリターンズは、ヴィクトリアマイルのホエールキャプチャの再現を狙うかのように、内からとらえにいく。だが、最後は涙を流したヴィクトリアマイルを経験したドナウブルーは、その涙の分だけ強くなっていた。ゴールが近づくにつれ、一旦は前に出たエイシンリターンズと脚色で逆転していき、きっちりゴール板でクビだけ前へ出て、関屋記念を勝ちきった。

決着時計1.31.5は、新潟マイルのコースレコード。この記録を破るには、ドナウブルーのように前半からスピードに乗せて走り、後半の瞬発力勝負でスピードの究極値を叩き、さらにそこからゴールまでしっかりとお釣りを残していなければならない。なかなかできることではないだろう。このレコードタイムはたくさん涙を流したドナウブルーの象徴といっていい。

その後、妹は姉の走りに導かれるように三冠を達成し、ジャパンCで姉と同期の三冠馬オルフェーヴルを相手に最後まで一歩も譲らない競り合いを演じ、5連勝を達成した。競馬史に残るだろう「火の出るような」な競り合いの伏線に、姉ドナウブルーの関屋記念があった。そんな気がしなくもない。

その後、妹も姉のようにたびたび涙を流しながら、さらに逞しくなり、引退レースの有馬記念まで走り切り、GⅠ7勝をあげた。姉の流した涙は妹に伝わり、その強さを引き出すことになった。競馬に限らず、兄弟姉妹は比較の的となり、ちょっとネガティブな意見を発生させがちだが、当人たちにそんな意識はないことが多く、むしろポジティブに高め合う関係だったりする。偉大なる業績を築くためには、前向きという要素は欠かせない。兄弟姉妹どちらかが偉業を成し遂げたのであれば、必ずそこにはポジティブさが存在するものだ。それも周囲が発するようなネガティブを振り切るほどのポジティブさだ。ジェンティルドンナの偉業だってそうだろう。

多くの文化を育み、同時に多くの哀しみも底にたたえるドナウ川の青は、すべてを包み込むような美しさと優しさを放ち、人々の心の中でいつまでも生きる。

写真:Horse Memorys

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