[連載・馬主は語る]これから絶対に良いことありますから(シーズン1-36)

2021年11月18日の朝、「014」から始まる番号からの着信履歴が僕の携帯に残っていました。日高の関係者からかなと思いつつ、忙しくて折り返しもできずにいると、今度は碧雲牧場の長谷川さんの携帯から電話がかかってきました。嫌な予感というか、良い予感はしなかったのですが、電話を受けると、「おはようございます!」と元気な声が聞こえてきました。いつもの明るさに少し安心しつつ、余計な話をせずにいると、「僕からこの時間に電話がかかってくるということは、良い知らせではありません」と長谷川さんが切り出してくれました。このひと言で覚悟は決まりました。そういうこともあると思っていたからです。

「残念ながら、ムーアの仔が流れてしまいました。今、原因を究明しているところですが、さいたいねんてんかイーアルヴイだと思います。下村獣医にも写真を送って見てもらったところ、胎児の色や状態からイーアルヴイや胎内の病気などではなさそうですが、保健所に預けて見てもらっています」

ダートムーア自身は大丈夫だったのかと気にかかりつつも、さいたいねんてんやイーアルヴイという聞き慣れない言葉の意味を想像するだけで僕は精一杯でした。さいたいねんてんは、「胎児が母馬のお腹の中で動くこの時期にはよくあることだから…」という話の文脈から、ねんてんという言葉が捻転と変換され、捻じれて死んでしまったダートムーアの仔のことが想われて、僕は胸が張り裂けそうになりました。こういう時ほど冷静に対応しなければと思い、僕は「仕方ないですね」という言葉をひたすらに繰り返しました。

電話を切ったあと、ひとまずは喪失感を振り払うように、さいたい捻転とイーアルヴイについて調べてみました。さいたい捻転とは、臍帯捻転と書き、臍帯つまりへその緒が捻じれすぎてしまい、胎児に十分な血液が行かなくなり、その結果として胎児が死んでしまう現象のことです。ダートムーアは2月26日と早めに種付けを済ませており、早ければ2022年の1月には産駒が誕生する予定でした。出産まであと3か月ぐらいのこの時期は、これからお腹の中の仔がグッと大きく成長する一歩手前でありつつも(体が大きくなってしまうと窮屈で逆にあまり動けなくなる)、胎内で良く動けるほどに育ってきているからこそ臍帯捻転は起こりやすいそうです。良く動く元気な仔であるゆえに臍帯捻転が起こりやすい、とも書いてありました。これを読んだとき、ダートムーアとニューイヤーズデイの仔は、元気で活発な赤ん坊だったのだなと何だか嬉しくなりました。そしてすぐに、彼もしくは彼女が僕の目の前で跳んだり走ったりすることはもうないのだと思うと、ただ悲しくなります。

イーアルヴイは、スペルもそのままERVと聞き間違っていませんでした。日本語にすると馬鼻肺炎ということで、いわゆる馬の風邪というか感染症の一種です。ERVが牧場に蔓延してしまうと、他の繁殖牝馬も流産してしまったりすることもあり、寝藁なども消毒しなければならないなどと恐ろしいことが書かれています。僕が買ってきた繫殖牝馬のせいで碧雲牧場の他の馬たちにも迷惑をかけてしまうのではないかと少し心配になりました。ただし、長谷川さんと下村獣医は臍帯捻転という見立てでしたので、それを信じることにしました。臍帯捻転であれば、誰のせいでもない不慮のアクシデントであり、しかも他の馬たちにも被害を及ぼすことはありません。臍帯捻転であってくれと願うのはおかしな話ですが、臍帯捻転であってほしいと思ったのは本心です。

しばらくすると、ノーザンレーシングの担当者から僕の携帯にショートメールが入りました。「お悔み申し上げます」と始められたメールは、保険等の手続について決まりましたら追って連絡しますと終わっていました。長谷川さんが保険の手配をしてくれたのでしょうし、ノーザンレーシングの担当者から迅速に連絡が来たのは安心でした。繫殖牝馬だけではなく、仔馬の保険もかけておいて良かったと思います。生まれてくるはずだった仔馬の価値と比べると微々たるものですが、ニューイヤーズデイの種付け料である250万円は保険金として返ってきます。保険はこういうときの気休めにはなりますね。

下村獣医も電話をかけてきてくれました。彼はこのような現場を多く見てきているでしょうから、日常茶飯事であるにもかかわらず、僕に寄りそうように話してくれました。社台ファームでも毎年、臍帯捻転で命を落とす仔馬は1パーセントほどいますとのことで、人間と違って馬は口がきけないのでそうした事故を防ぐのは難しいとも教えてくれました。100頭に1頭ぐらいの割合であれば、十分に起こり得るアクシデントです。運悪く僕の馬だけに起こった珍しい事故というわけではありません。こうした形で流産した馬の体内には、羊膜などが残留していることがあるため、胎内を綺麗にするなどのケアは必要であり、ダートムーア自身の様子もしばらくは観察した方が良いと教えてくれました。

「でも、治郎丸さん、これから絶対に良いことありますから」と下村獣医は言いました。それは友人としての励ましであり、また彼自身も期待をかけていたダートムーア×ニューイヤーズデイの仔がこのようなことになってしまった落胆を振り払うための言葉でもあったと思いますが、それ以上に、彼がこれまで生産の現場で見てきた浮き沈み、良いこともあれば悪いこともある、禍福は糾える縄の如しであることを経験的に知っているからこその、深みのある言葉でした。

(次回に続く→)

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