下見をさせてもらった白老ファームの馬たちが登場し、さすが110番のゴールデンドックエーは17歳にして1375万円の値をつけました。1頭でも取れたら回収できると考えるならば安い買い物なのかもしれません。ファナティックは2035万円、アルスフェルトは3300万円です。これぐらいの値がつくとは分かっていましたが、あまりに自分の予算と欲しい馬との価格がかけ離れすぎて、理想と現実の違いを見せつけられているようで辛くなり、僕は席を立って一旦外に出ました。
紅葉が始まっている山々を眺めながら、ひと息ついていると、前野牧場の前野さんが「なんとか買えたよ~」言いながら、満面の笑顔でやってきました。いつの間にか、別の場所から77番のバーベードス(モズアスコットを受胎中)を902万円で買ったようです。生産者にとっては、このセリのためにお金を稼ぎ、貯めてきて、未来に向けて投資しようと言う気持ちが強いので、買えなかったというのは最悪の結末です。それを回避できたという安堵の表情と、「ここから先は(馬を買ったあとは)良いことしか考えない」という彼の言葉が印象的でした。
僕もあきらめずにもう少し頑張ろうと思い、セリ会場に戻りました。こちらも目をつけていた119番のキタイが登場し、1870万円の値をつけています。120番は欠場で、続いて121番のレベニューシェアが出てきました。ディープインパクト産駒ですが、やや馬体が小さく、地方で2勝したのみで競走成績にも物足りなさを感じていた馬です。ところが、目を疑うほどに競り上がってゆき、なんと3410万円で落札されたのです。もう苦笑いしか出ません。
ついに122番スパツィアーレの番がやってきました。あれだけの時間をかけて、両セールのカタログを読み込み、調べ上げて検討したのに、一度も手を挙げることなく、僕にとって最後の候補馬が目の前に登場しました。リザーブ価格の300万円からのスタートです(受胎中のルーラーシップの種付け料が当時300万円だったため)。またあっという間に上がっていくのかと思いきや、誰も手を挙げていないようです。会場にしんとした静寂が広がりました。誰も行かないことを察知し、一瞬だけ後ろに座っている慈さんの方を振り返ってから、僕は手を挙げてみました。
ひと声で落ちろと心の中で叫んでいると、どこかから手が上がったようです。ジュイエス繁殖馬セールは、単位が10万円ずつなので、まだまだ競ることができます。400万円を超えて、410、420,430と競り合いが続きました。どこの誰が手を挙げているのか、何人で競っているのか、そんなことを考える余裕はありません。ただひたすら、目の前に提示された金額を上回るために手を挙げるだけ。
何回手を挙げたか分かりません。いつの間にか500万円に近づいてきました。また会場の誰かが490万円で手を挙げたようです。予算が500万円であることを悟られないためにも、僕は間髪入れずに500万円で手を挙げました。こっちはまだまだお金を出せるよと相手に知らしめて、あきらめてもらうためです。僕の迷いなさを感じたのか、ここでピタリと競り合いが止まりました。何分にも感じられる数秒の空白のあと、カーン!というハンマーが降りる美しい音が聞こえました。
拍子抜けしたような、まるで僕の予算を運営側が知っていたかのように、ちょうど500万円で落札できて不思議な気持ちがしました。隣に座っていた下村獣医師と握手をして、後ろを振り返って慈さんとも手を握り合って喜びを伝えていると、その隣に座っていた男性が僕に向かって「ごめんね、競り上げちゃって」と謝ってくるではないですか。どうやらその彼はナカノファームの中野さんと言って、慈さんの友人だそうです。中野さんもスパツィアーレを落とそうと、僕の真後ろで競り合いに参加していたようで、自分が競らなかったらもっと安く落とせていたかもしれないのに、という意味で謝ってくれたようです。僕は慈さんの友人が買いたかった馬を横取りしたようで逆に申し訳なく、「こちらこそすいません」と返してしまいました。社交辞令ではなく、生産者にとっての繁殖牝馬を買うことと僕にとってのそれは少し意味合いが違うからです。僕は手ぶらで買えることができても、彼らはそれができません。しかもあとから聞くと、中野さんも500万円の予算でスパツィアーレの購入を考えていたそうです。僕が先に500万円で手を挙げ、しかも慈さんの友人であることも分かっていたので、そこで降りてくれたそうです。もし順番がひとつ違って、僕が490万円で手を挙げ、その次に中野さんが500万円で手を挙げたら、僕はあきらめていたはずです。今年は、それ以上は行かないと決めていたからです。まさに紙一重で手に入れたことになります。
逆に考えると、たとえ中野さんが運良く500万円のターンを引いていたとしても、僕がもうひと踏ん張りして、510万円を提示していたら相手は折れていたはずです。限界を突破したもう1歩先に勝利は待っているということです。勝負とはこのようなものなのでしょう。あとから手札を見せ合って、振り返ってみると、わずか一枚の差し合いで勝敗が分かれていたと知るようなものです。普通は競り合った相手と手札を見せ合うことなどないので現実は曖昧なままですが、実際はこのような紙一重のところで馬は僕たちの元に来たり、相手のところに行ってしまったりしているのでしょう。そう考えると、余計にスパツィアーレに運命を感じて愛しくなります。
(次回に続く→)