2024年3月5日をもって調教師生活に幕を下ろした安田隆行さん。1995年に厩舎を開業すると、地方競馬・海外競馬を含めて998勝という記録を残した。2019年には年間62勝を挙げリーディングトレーナーにも輝いている。安田隆行厩舎に所属でした馬と言えばトランセンドやダノンザキッドなどがいるが、ダッシャーゴーゴーやダイアトニックなど短距離のレースで活躍した馬の印象も強いはずだ。送り出している。そんな安田隆行厩舎の事を『短距離王国』と呼んだファンは多い。
2024年で54回目を迎える高松宮記念。芝2000mのG2レース時代を含めた過去の歴史を辿ると、最多勝利調教師は安田元調教師(3勝)である。その3勝全てが、芝1200mで行われたG1時代以降での勝ち星だ。
今回は安田元調教師のもと高松宮記念を制した馬たちを振り返ってみたい。
カレンチャン(2012年)
安田隆行厩舎の特徴のひとつが、(長期休養など)馬の成長に合わせた調教スケジュールではないだろうか。2012年の高松宮記念を制したカレンチャンも、『もし、安田隆行厩舎に所属していなかったらG1ホースになれたのであろうか…』と考えてしまうことがある。
2歳(2009年)の12月にデビューしたカレンチャン。3歳(2010年)の1月に初勝利を挙げると、その後もコンスタントに走り続け、6月の函館競馬場で行われた1000万下(現在の2勝クラス)の潮騒特別を制するまで6戦3勝の戦績であった。函館開催の早い時期での勝利となると、その後は北海道の夏競馬を使う陣営が多い中で安田調教師はカレンチャンを休養に出した。無理のない自然な曲線でカレンチャン自身の成長を待ったとも言える。
カレンチャンは、4歳(2011年)の1月に復帰。復帰初戦こそは敗れたものの、その後は重賞3連勝を含む4連勝を挙げた。無理して使うより馬の成長に合わせていく安田調教師のスタンスがカレンチャンと上手く合っていたのだろう。そしてスプリンターズステークスでは当時における世界最強スプリンターと言われていたシンガポールのロケットマンらを撃破。初のG1レース制覇となった。
続く香港スプリントは5着に敗れるが、日本から香港への輸送で15時間も足止めされるアクシデントが発生したことも影響したのだろう。更なる飛躍を狙っていたカレンチャンだったが、5歳(2012年)初戦のオーシャンステークスでは4着に終わった。
一方、スプリンターズステークス後、同じ安田厩舎所属で1つ下の牡馬ロードカナロアが急成長していた。
当初、カレンチャンは香港スプリントの後は高松宮記念に直行する予定だったが、馬体に余裕があったためオーシャンステークスを挟むなど軌道修正をする。そのオーシャンステークスは、馬がイライラしての敗北。一度使っての一変が期待されていた。
迎えた高松宮記念。安田隆行厩舎からはカレンチャン、ロードカナロア以外に2010年のセントウルステークスなどを制したダッシャーゴーゴーと2011年の北九州記念を制したトウカイミステリーも参戦した。1番人気はロードカナロア、2番人気はカレンチャンだった。前々日の金曜日に降った雨で高松宮記念の前日の芝コースは重馬場スタートとなった。その後晴れて良馬場に回復したが、スピードも問われるがそれ以上にパワーも問われるレースとなった。
レースはエーシンダックマンが逃げ、好スタートを切ったカレンチャンは2番手に控える。1番枠を引いたロードカナロアはカレンチャンを見ながら4,5番手のインコースに待機した。最後の直線に入り、インコースからエーシンダックマンを交わしにかかるカレンチャン。カレンチャンの外では、ロードカナロアが追い出しのタイミングを窺っていた。
残り200m手前でカレンチャンが先頭に立つ。インコースからロードカナロアが追い込もうとするが、伸びてこない。逆に大外から3番人気のサンカルロが上がってくる。しかしカレンチャンはサンカルロの追撃をクビ差凌ぎ切ってJRAスプリントG1レース連覇を果たしたのであった。
ロードカナロア(2013年)
日本馬にとって『鬼門』とも言われていた香港スプリントを連覇し、JRA顕彰馬(俗にいう競馬の殿堂入り)を果たしたロードカナロア。
実を言うとロードカナロアは2008年のセレクトセール当歳馬部門に出ていたが、買い手がつかず主取りとなっていた。その後、一口クラブのロードホースクラブで募集され、安田隆行厩舎に預けられた。
2歳(2010年)の夏に入厩したロードカナロア。しかし、ここではデビューせず、一旦牧場に戻される。秋に体が逞しくなり再度入厩したロードカナロアは、2歳の12月にデビューして快勝した。
しかし、騎手との折り合いの面で課題があったロードカナロアは、2戦目と3戦目で連敗をしてしまう。これを受けて、3歳春のG1路線は回避し、放牧することに。これが功を奏したのか復帰初戦で2勝目を挙げると、続く葵ステークスも快勝したのであった。
その後、3歳時のカレンチャンと同様に夏場は休養に充てたロードカナロア。休養から戻ると破竹の勢いで勝ち進んだロードカナロアは4歳(2012年)の高松宮記念では1番人気で出走する事となったが、ここではカレンチャンが優勝。ロードカナロアは3着に終わった。ロードカナロアのキャリアで3着以下になったのはこのレースが唯一である。
その後は函館スプリントステークス、セントウルステークスと2着に終わったが、ひと夏を超してロードカナロアが成長。スプリンターズステークスではカレンチャンに1番人気を譲りつつ、初のG1レース制覇となった。
さらに続く香港スプリントも制覇したロードカナロア。スプリント大国である香港スプリントの勝利は「凱旋門賞制覇にも匹敵する歴史的勝利」と讃えられた。
5歳になったロードカナロア。2013年の始動戦・阪急杯を制し、向かったのは前年3着に敗れた高松宮記念だった。実はロードカナロアの元にドバイゴールデンシャヒーンの招待が届いていたが、中東遠征のリスクをとるよりも高松宮記念の連覇を目指す判断になったという。
高松宮記念のロードカナロアの単勝オッズは1.3倍、単勝支持率は60.6% 。ロードカナロア陣営にとっては負けられない戦いだったとも言える。
スタート後ややスピードに乗らなかったロードカナロアであったが、すぐさま中団までポジションを上げる。ロードカナロアはほぼ中団の9番手、ロードカナロアを見ながら2番人気のドリームバレンチノが待機する展開となった。ハクサンムーンが前半600mを通過したのが34.9秒。スプリント戦にしては穏やかな流れでレースが進む。
最後の直線。馬群の中からロードカナロアが抜け出そうとする。残り100mでロードカナロアが先頭となると、外からドリームバレンチノが伸びてくるが、1馬身1/4馬身届かず。
これでロードカナロアは、スプリンターズステークス→香港スプリント→高松宮記念とスプリントG1レース3連覇を達成した。走破時計の1分8秒1は当時の中京競馬場芝1200mのコースレコードのおまけつきだった。
ロードカナロアとカレンチャンとの間に生まれたのがカレンモエという牝馬がいる。重賞制覇こそは無かったが、函館スプリントステークスなど重賞レースで2着が3度あった。カレンモエも母カレンチャンと同様に引退後は繁殖牝馬となっていて、2023年3月にはカレンブラックヒルとの間に牡馬が誕生している。
ダノンスマッシュ(2021年)
2014年に社台スタリオンステーションにて種牡馬になったロードカナロア。初年度からはアーモンドアイという歴史的名馬を送り出した。さらにステルヴィオが2018年のマイルチャンピオンシップを制し、マイル部門でも活躍馬を送り出す。そして、初年度からはもう1頭G1ホースを送り出した。2020年の香港スプリントと2021年の高松宮記念を制したダノンスマッシュである。
2歳時(2017年)には朝日杯フューチュリティステークス(5着)に挑戦。3歳時(2018年)にはNHKマイルカップ(7着)にも出走するなど、安田調教師はダノンスマッシュを芝1600m戦でも使っていた。しかし、ダノンスマッシュが本領を発揮したのは、父と同じ芝のスプリント路線でのことだった。3歳の秋には京阪杯を制し、重賞レース初制覇。奇しくも父も3歳のこの時期に京阪杯を制していた。
4歳になったダノンスマッシュ。2019年の初戦となったシルクロードステークスを制し、親子制覇がかかった高松宮記念には1番人気に支持されたが、ミスターメロディの4着に終わる。夏にはキーンランドカップを制し重賞3勝目を挙げるも、スプリンターズステークスでは3着に敗れた。G1レース制覇まであと一歩の所まで来ていたものの、もどかしさもある戦績だった。
5歳になったダノンスマッシュはオーシャンステークスや京王杯スプリングカップを制したが、高松宮記念はスタートで躓き10着、安田記念は8着とG1レースの壁は厚い。しかし、それまで勝ち星が無かった中京競馬場で開催されたセントウルステークスを制するなど、本格化の兆しを見せ始めていた。
スプリンターズステークスはグランアレグリアの2着に敗れるが、遂に念願の勝利を掴む時がやってくる。香港スプリントでG1レース初制覇を飾ったのである。父が初めて勝った香港スプリントから9年。同一香港G1レースの親子制覇は史上初の事であった。
6歳を迎えたダノンスマッシュ。あとは日本のG1レースのタイトルだけが欲しかった。ここで安田元調教師は前哨戦を使わずに高松宮記念にぶっつけで挑む事を決めた。レース間隔を詰めるとゲートで悪さをするなど、ダノンスマッシュが集中力を欠く癖があるのを考えての決断であったという。
だが、高松宮記念当日の中京競馬場は雨が降っていた。前年の高松宮記念が重馬場の中で行われ10着に敗れた。ダノンスマッシュはスピードを活かしたいタイプなので良馬場の方が良い。中京競馬場に降る雨は、決して追い風とは言えなかった。
2004年の騎手デビュー後、2005年12月まで安田厩舎に所属していた川田将雅騎手。そんな川田騎手を背に、ダノンスマッシュは好スタートを切った。前年覇者のモズスーパーフレアが逃げ、中団の位置に付けたダノンスマッシュの前に1番人気のレシステンシア、直後に3番人気のインディチャンプがいる展開。
前半600mが34.1秒のハイペースの中、モズスーパーフレアが快調に飛ばす。重馬場という事もあって馬群がばらける中、モズスーパーフレアと他の馬の馬群の間にスペースができると、インディチャンプが縫って出てきた。外からはレスシテンシアとセイウンコウセイが上がってくる。さらにレスシテンシアとセイウンコウセイの間を縫ってダノンスマッシュが伸びて来た。
インディチャンプを交わし先頭に立ったダノンスマッシュはレスシテンシアの追撃をクビ差凌ぎ切り、G1レース2勝目を飾った。同時に、この勝利で川田騎手はJRA重賞100勝目を達成したのであった。
ダノンスマッシュは苦手な中京競馬場をセントウルステークスで克服し、懸念された重馬場も克服してスプリント界の頂点に立ったのだった。
2022年に種牡馬入りしたダノンスマッシュ。サンデーサイレンスの血が含まれていない事、2022年の種付け料が220万円とリーズナブルな価格設定もあってか申し込みが多く、初年度となった2023年には106頭の子が血統登録された。早くて2025年には、産駒がデビューする。
写真:Horse Memorys