故郷に錦を。マイネルミラノと丹内祐次の函館記念

「マイネルミラノ、丹内祐次! 地元函館で重賞勝利!」

曇天の空に実況アナウンサーの声が響き、黄金色のたてがみをなびかせながら一頭のステイゴールド産駒が悠然と駆け抜けていった。

その背にはマイネルの勝負服を着た一人の男。満面の笑みを浮かべながらぐるりとコースを一周し、詰めかけた地元ファンの前で何度も天に拳を突きあげている。

――そうか、故郷に錦、なんだ。

外れ馬券をそっと折り畳み、喜び弾るウイニングランに私はそっと拍手を送った。

故郷に戻り、喝采を浴び、誇らしげなその笑顔に。


失礼な物言いになってしまうかもしれないが、丹内騎手が歩んだキャリアは決して順風満帆の華々しいものではなかったと思う。

丹内騎手は函館競馬場にほど近い、競馬界と特別の縁故はない家庭に産まれた。そして競馬場から徒歩15分の中学校に通う道すがらで触れ合った競走馬の魅力に取りつかれ、引き寄せられるように競馬学校の門戸を叩き、狭き門と厳しいトレーニングを乗り越え、馬乗りを生業とするに至った。

競馬界とは無縁の出自だったこともあって、最初から多くの乗り馬は集まらなかった。それでも師匠の清水美波調教師のバックアップを受けてコツコツと結果を出し続けた。

デビュー年は8勝、2年目は27勝。期待の若手として順調に頭角を顕そうとしていた矢先の3年目シーズンに大きな落馬事故に巻き込まれて長期離脱。怪我を押してやっとの思いで復帰した時、彼が座っていたポジションには多くの若手ジョッキーがひしめき合っていた。

毎年のように新たなジョッキーがデビューする中で、一度奪われた居場所は易々とは戻ってこない。思うようなチャンスも与えられぬまま、減量特典を失い、デビュー5年目の2008年には勝ち星はたった3つまで落ち込んだ。

同期に当たる競馬学校20期生は多士済々だった。

川田将雅騎手はポップロックやメジロマイヤーを筆頭に幾つもの重賞タイトルを手にし、キャプテントゥーレの皐月賞で待望のG1タイトルを射止め、トップジョッキーへと至る階段を着実に上っていた。

藤岡佑介騎手はナムラマースでクラシックを経験し、ローゼンクロイツを復活に導き、キャリア最初期の最愛の一頭であるスーパーホーネットと巡り合っていた。

吉田隼人騎手は70を超える勝ち星を挙げ、数多くの鞍に跨り、馬券に外せない騎手の一人となっていた。

競馬学校時代には一番の腕達者と評判だった津村明秀騎手はタマモサポートと巡り合い、馬に負担をかけない丁寧な騎乗ぶりでレギュラーとしての土台を固めていた。

華々しい同期の活躍の影で、丹内騎手の姿を見かける機会は減っていた。

本人も、周囲も、苦しい時期だったことだろう。

それでも腐ることなく日々を精力的に過ごし続けた。マイネル軍団総帥の岡田繁幸氏に見初められ、全休日には何時間もかけてビッグレッドファームに通って調教を付けた。マイネル軍団のセカンドジョッキー、サードジョッキーの立場だったかもしれない。勝ち負けのチャンスに乏しいレースも多かったかもしれない。どこかに問題を抱えた馬を注意深く駆ることもあったことだろう。

それでも丹内騎手は勝負を投げず、陣営の意を汲んで、一つでも上の着順を目指した。

厳しくて革新的だった岡田繫幸氏が丹内騎手を起用し続ける姿に、私は「真面目な人なんだろうな」と見守っていた。

一時は年間3勝まで落ち込んだ勝ち星は徐々に回復を果たした。多くの騎乗機会を得るようになり、彼の名を新聞で見る日が再び増えた。2015年にはマイネルクロップで佐賀記念とマーチステークスを連勝。同期達からは大きく遅れてしまったけれど、重賞タイトルも手に入れた。

「関東ローカルに欠かせない騎手」

それが彼の掴み取ったあの頃の立ち位置だった。相変わらず印の薄い馬にも沢山騎乗していた。有力馬の手綱が回ってくると「丹内では足んない」なんて口さがない、面白くもないダジャレで揶揄されたりもした。

それでも彼は打席に立ち続けていた。

いつか大きな華が開くその日が来ることを信じて。


マイネルミラノのキャリアもまた、決して派手なものではなかった。

2歳夏の新潟で早期デビューした彼が初勝利を挙げたのは3歳4月、7戦目の中山戦。途中から先頭を奪い、迫りくる後続勢をなんとか退けて、身体を投げ捨てて粘り込むようになりながら掴んだ初星だった。2勝目を挙げるにはそれから1年、8戦を要した。

4歳春の時点で15戦2勝。大きな休みを取ることなく走り続け、馬柱にはいくつかの二けた着順も刻み込まれている。ステイゴールド産駒らしい明るく闊達な風貌は目を惹くものがあったけれど、特別な注目を浴びるわけではない、競馬場で頻繁に見かける条件馬の一頭に過ぎなかった。

2勝目で手応えを掴んだマイネルミラノは、続く鹿野山特別を連勝。ダービーデーのむらさき賞で2着に惜敗したあと、松島特別と美浦ステークスをポンポンと連勝し、4歳暮れに一気にオープンクラスまで駆け上がった。

だがオープンの壁は高かった。

大きな野心を胸に挑んだ5歳初めの中山金杯15着以降は自分の形で走れない日々が続き、掲示板の端っこを掴み取るのがやっとのレースが続いた。夏の巴賞でオープン特別を制したものの、以降も大きな飛躍を遂げることは無く、ほどほどの人気とほどほどの着順が積み重なっていった。

「いつもローカル2000を走っている馬」

それが彼の辿り着いた立ち位置だった。逃げれば強いが絡まれると脆い、ステイゴールド産駒らしい気分屋なところが彼の強みであり弱みだった。

それでも丈夫な馬だったから、兎に角、出られるレースを求めて東奔西走し続けた。

いつか大きなチャンスが巡って来る、その日を信じて。


2016年7月17日。函館記念。

13年目の夏を迎えた丹内騎手にとって、これが12度目の函館重賞挑戦。6歳を迎えたマイネルミラノにとって、これが34度目のレース。

前走エプソムカップで長い直線を一杯一杯に粘って好走したことが評価され、マイネルミラノと丹内騎手は3番人気の支持を集めていた。

格上挑戦のバイガエシが1番人気で巴賞を制した6歳馬レッドレイヴンが2番人気。傑出馬不在の混戦模様の中で、彼ら自身にとっても大きなチャンスだった。

期するものもあっただろうが、いつもどおり競馬場に現れ、いつものようにパドックを周回し、気負うことなくいつもの素振りで本馬場へと駆け出して行った。

多くのキャリアを重ね、信頼と経験を積み上げてきた人馬は、この大一番を前にしても冷静なように見えた。

ポンとゲートを飛び出したマイネルミラノと丹内騎手は、ダッシュを利かせて迷いなく先頭を奪い取る。

直後を務めたのはかつて重賞で大万馬券の立役者になった経験のある2頭、15番人気のオツウと16番人気のマデイラ。マイネルミラノとの共存を狙いたい先行2騎を引き連れて、マイネルミラノは快調に一人旅を楽しんでいる。後方に控える有力馬に対し、じわじわとアドバンテージを築いていく。

向正面から3角を過ぎたところでレースが動く。ここが好機と勝負を掛けて、内からスルスルとマデイラが、外目を手応えよくケイティープライドが進出する。1番人気のバイガエシは大外に進路を求めて勢いをつけている。レッドレイヴンの手応えは芳しくない。

差が詰まり始まる4角。ライバル達に並びかけられるより前に、丹内騎手は抱えていた手綱をそっと緩め、マイネルミラノにGOサインを送る。

次の瞬間、差を詰めてきた後続勢との差が再びじわりと開き始める。

マイネルミラノは独走状態で直線を迎える。

懸命に粘るマデイラを交わしてケイティープライドが2番手に上がる。馬群を割いてツクバアズマオーが伸びてくる。バイガエシの勢いが止まる。

どの馬もマイネルミラノに迫る勢いはない。

それは、数多の敗北を重ね、その中で磨いてきた馬自身の能力、そして苦しい日々を乗り越えた鞍上が積み上げてきた経験の為せる業だったのかもしれない。

訪れると信じて打席に立ち続け、ついに巡ってきた好機を経験豊富な人馬は逃さなかった。

丹内騎手はここ一番で最高の走りを引き出し、マイネルミラノは最高の走りでそれに応えて見せた。

これまでの苦労が嘘のような鮮やかな走りで後続を完封し、この日、マイネルミラノと丹内騎手は函館の短い直線で後続を大きく引き離し、ゴール板を駆け抜けた。


G3では異例のウイニングラン。

丹内騎手は相棒を労いながら、ほんの数分前に全速力で駆け抜けたホームストレッチを、今度は勝利の味を噛みしめるようにゆっくり、ゆっくりと駆けている。

彼らを見守る群衆の中には、彼の旧友がいたかもしれない。疎遠になっていた知人がいたかもしれない。幼少期を知る人がいたかもしれない。

中学校を卒業してすぐに過酷な勝負の世界に飛び込んだ旧友の晴れ姿を、きっと多くの方が見ていたはずだ。そしてきっと多くの方を勇気づけたはずだ。

故郷に錦。

それは本人にとっても、周囲にとっても、特別なこと。かけがえのない誇らしいこと。

丹内騎手を、函館のファンは暖かい拍手で称えていた。


あれから時が流れた。

マイネルミラノは今、ビッグレッドファームに戻り、時に当て馬として、時に若いスタッフに馬乗りを教える先生役として、忙しい日々を送っているという。

積み上げた経験は第2の馬生でも存分に活かされていることだろう。それは間違いなく、タフに戦い抜いたマイネルミラノ自身が掴み取った『生きる道』だ。

丹内騎手はリーディングの上位を賑わせる存在となった。

1万回騎乗を超え、ローカルでは若手たちに胸を貸しながら、一枚上の技量と経験を見せている。もう「足んない」だなんて揶揄されることはない。競馬の日常に欠かせない、頼れるベテランの地位を確立している。

そんな彼はUMAJOの騎手紹介ページにて「夏は函館に来てください」と笑顔で語っている。今も毎年のように函館に滞在し、故郷のファンの目の前で活躍する姿を見せている。

マイネルミラノと丹内祐次。愚直な人馬が掴み取った栄光。

それは60回を超える函館記念の長い歴史の中のメモリアルの一つとして、函館の地に、私の心に、確りと刻まれている。

写真:横山チリ子

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