モーリス~遅れて咲いた、メジロの大輪~

人がやれていることができず、失敗を繰り返しながら成功する。
人生はトライ&エラー。
ハナから成功するような人はほんのひと握りであり、大抵の場合、挑戦しては失敗し、そこから学んだことを次の挑戦に生かす。それでも、別の問題で失敗する。
生き続けている以上、トライ&エラーは終わらない。

だが、その繰り返しはいつか必ず実を結ぶ。大事なことは挫折しても歩み続けるということ。歩みを止めたいときは、一旦止めてみるのもいい。無理はしないほうがいい。だが、その止めた歩みも疲れが癒えたら必ずリスタートすることが大切なのではないだろうか。
でなければ、それまで積み重ねたエラーが報われない。人生を始めたからには、最後まで走りぬくこと。
走りぬいた先には必ず何かが待っている。
それを信じることだ。

若いうちの苦労を忘れてしまうほどの栄光をつかんだ馬がいる。

その名はモーリス。

4歳春の転厩を契機に、眠っていた力が覚醒。GⅠ3勝を含む6連勝でマイル王者に輝いた。翌5歳シーズンもGⅠ3勝をあげ、マイルから2000mのGⅠ6勝は圧巻の成績だった。
しかし、実際は覚醒までに数多くのトライ&エラーを繰り返した馬でもあった。

モーリスは、解散したメジロ牧場から戸川牧場が引き継いだ繁殖牝馬・メジロフランシスから生まれた。
初陣は2歳秋の京都開幕週・芝1400m。1番人気1着と順調な滑り出しだった。ところがその後、1勝クラス(当時500万下)こそ勝ったが、重賞戦線では壁に跳ね返された。シンザン記念、スプリングS、京都新聞杯と3連敗。
なかでも皐月賞への優先出走権をかけたスプリングSでは3着に0秒2差4着と惜敗。続く京都新聞杯では7着で、クラシック出走は叶わなかった。

若さゆえに500キロ近い雄大な馬体と能力がかみ合わず、疲れがたまりやすい体質だったモーリスは、白百合Sを最後に3歳シーズンを休養に充てられた。
そしてその間に、美浦の堀宣行厩舎に転厩となる。
堀厩舎といえば、馬を急かさずにじっくり育てる方針で知られている。この方針を実践する馬なり主体の調教が、モーリスの眠っていた力を目覚めさせた。

3歳シーズンの「あと一歩足りない競馬」を覆したレースが、4歳初戦の若潮賞(2015年1月25日中山芝1600m、1000万下)だった。
スタートで出遅れたモーリスだったが、フランシス・ベリー騎手が半ば強引に先行するよう促すと、トリッキーな中山芝1600mにも関わらず馬は瞬時に反応。2角で5番手まで押し上げた。絶好の手ごたえで直線に向くと、ベリー騎手の仕掛けにさらに反応したモーリスは、後続を急坂であっという間に置き去りにして後続に0秒5差つける快勝を収めた。
3歳までは後方を走り、最後の直線でいい脚を使うも届かず……という競馬を繰り返していたモーリスの覚醒は、次戦でさらに証明される。

昇級したモーリスはスピカS(2015年3月7日中山芝1800m、1600万下)に出走。
前走と同じく出遅れたモーリスは1角をドン尻で回る。逃げたサムソンズプライドが作るペースは1000m通過63秒4、超がつくスローペースだった。中山1800mでこのペースでは……と、後続各馬が早めに動くなか、モーリスは4角まで最後方のまま、まったく動かない。
やがて、画面からモーリスが消えた。
カメラが先行集団の叩きあいにズームしたそのときだった──見切れた大外から、モーリスが矢のように飛んできた。
たった310mの中山の直線で、止まっていない先行馬をドン尻強襲で差し切ったのだ。
流れとは無関係な競馬ですべてを逆転した。やがて東京で京都で香港で見せつける完璧なレース運びを予感させるレース、それがスピカSだった。

以後のモーリスの活躍は語るまでもない。
国内GⅠは安田記念、マイルチャンピオンシップ、天皇賞(秋)の3勝。香港では香港マイル、チャンピオンズマイル、香港カップの3勝。そして、2015年年度代表馬の受賞。すべては若い時に繰り返したトライ&エラーと血が成したものだった。
父スクリーンヒーローは4歳秋に覚醒、アルゼンチン共和国杯とジャパンカップを連勝して一気にトップランクに躍り出た。
父譲りの成長力と、メジロモントレー・メジロクインシー・メジロボサツ・メジロクインまでさかのぼる、母メジロフランシスに脈々と注ぐメジロ血統の底力。この相乗効果がモーリスの原動力だった。

もしもモーリス産駒のなかに、若い頃はどうも煮え切らない成績の馬がいたら、目を離さないほうがいいだろう。
いつか必ず、覚醒するはずである。
トライ&エラーの賜物を手に。

写真:がんぐろちゃん、ゆーた、Horse Memorys

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