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『25歳』の出会い
25歳、となると50代での活躍も多い騎手界においてはまだまだ若手として分類される年齢であろう。しかし、一般社会で考えるなら大卒社会人の3年目。色々な仕事を任されるようになる年齢と言える。近年で言えばキャリアアップのために転職を考える人も多いかもしれない。騎手を見ても、25歳頃に出会った名馬が後のキャリア形成に大きな影響を与えた例は多く見受けられる。
例えば武豊騎手の場合、25歳になった1994年にムーラン・ド・ロンシャン賞をスキーパラダイスで制覇。これが日本人騎手にとって初の海外GⅠ勝ちである。蛯名正義騎手がフジヤマケンザンで香港国際カップを勝って初の海外重賞勝利を挙げたのが26歳、福永祐一騎手がエイシンプレストンで香港マイルを勝って初海外GⅠ勝ちを収めたのが25歳である。海外実績抜群のレジェンドたちのキャリア形成に大きく影響を与えた名馬との出会いと言えよう。これより上の世代でも、田原成貴騎手がダイアナソロンで桜花賞を勝ったのが25歳の時、河内洋騎手がアグネスレディーでオークスを勝ったのが24歳の時。大舞台で勝負強さを見せた名手のクラシック初制覇がこの時期になる。
そういう意味では、「25歳頃にどのような馬に出会っているか」はその後の活躍を予測する一つのバロメーターになるのではないか。この意味で、坂井瑠星騎手が25歳でレモンポップに初騎乗したことは注目すべきだろう。レジェンド級ダート馬と言えるレモンポップとコンビを組んだことは、坂井騎手が先ほど挙げたレジェンドジョッキーたちのような存在になっていくことを予感させる。
本稿では、「国内GⅠ無敗」を成し遂げたレモンポップの素晴らしい競走生活を振り返っていきたい。
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1番人気のプレッシャーを跳ね除ける快勝
レモンドロップキッド産駒のレモンポップが戸崎圭太騎手を鞍上にデビューしたのは2020年11月。ここを勝利すると続くカトレアステークスも勝って2連勝を飾った。しかし脚部不安が発生し、長期休養に入る。
3歳の12月に復帰したレモンポップは、そこから2戦連続2着とまずまずの成績。そして戸崎騎手が鞍上に戻るとそこから4連勝と快進撃を見せる。重賞初挑戦となった武蔵野ステークスこそギルデッドミラーの2着に敗れるが、年明け5歳初戦となった根岸ステークスでギルデッドミラーに雪辱を果たして重賞馬に。いよいよ狙うはGⅠのタイトルとなった。
しかし、ここで問題が発生する。主戦の戸崎騎手にはドライスタウトというお手馬がいるため、フェブラリーSで騎乗できなかったのだ。そこで田中博康調教師が白羽の矢を立てたのが、若手有望株の坂井瑠星騎手だった。
大井競馬の名手・坂井英光騎手(現・調教師)を父に持つ坂井瑠星騎手は2016年にデビュー。世界の舞台で活躍する矢作芳人厩舎の所属ということもあり、デビュー翌年にはオーストラリアで武者修行するなど海外でも多くの経験を積んでいた。2019年に重賞初勝利、2020年にJpnⅠ初勝利、2022年にGⅠ初勝利と順調に実績を重ねていたところに舞い込んできたのがレモンポップの騎乗依頼である。
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田中調教師はGⅠ未勝利、GⅠ級3勝の坂井騎手も古馬GⅠは未勝利、そしてレモンポップはGⅠ初挑戦。フレッシュなチームでフェブラリーSに臨むことになった。
この年のフェブラリーSは浦和から女王スピーディキックが、カナダから芝GⅠ馬シャールズスパイトが参戦するなど、多彩なメンバーが顔をそろえた。その中でレモンポップは単勝オッズ2.2倍の1番人気。つづく単勝3.2倍の2番人気が戸崎騎手騎乗のドライスタウト、9.0倍の3番人気レッドルゼルと10.7倍の4番人気メイショウハリオがいずれもGⅠ馬ということを考えると、どれだけレモンポップの実力が見込まれていたかが分かる。
若いジョッキーにはプレッシャーのかかる場面と言えるが、坂井騎手は冷静だった。好スタートを切るもショウナンナデシコにハナを譲り、好位4番手を追走。直線に入っても追い出しを我慢し、残り300m辺りでスパートをかけるとレモンポップもこれに応える。難なく先頭に立ち、レッドルゼル・メイショウハリオの追い込みを完封。1馬身半差の快勝を見せた。GⅠ初挑戦にして歴戦のGⅠ馬2頭を退けた走りからは今後の活躍が期待された。
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若武者と歩んだ無敗街道
初の海外遠征となる挑んだドバイゴールデンシャヒーンは10着と大敗して連勝も途切れることとなったが、その後、田中調教師がしっかりと立て直した。秋初戦のマイルチャンピオンシップ南部杯は後にJBCスプリントを勝つイグナイターを全く寄せ付けない大差圧勝を飾る。距離不安が指摘されていたチャンピオンズカップも逃げ切って春秋ダートGⅠ連覇を成し遂げると、最優秀ダートホースに選出された。コンビを組んだ坂井瑠星騎手はこの年初の年間100勝をマーク。若武者はトップジョッキーの仲間入りを果たした。
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翌2024年、レモンポップは海外GⅠのタイトルを狙ってサウジカップから始動するも12着大敗。前年に続き、海外では結果を残すことができなかった。しかし国内では無敗街道を突き進む。イグナイターとの再戦となったさきたま杯を快勝してGⅠ級4勝目を飾ると、秋は南部杯→チャンピオンズカップと連覇を達成。全てのレースの鞍上は勿論坂井騎手だった。どれほど強い馬でも何かの拍子に敗れることが常の競馬の世界で、国内無敗での引退に導いた。坂井騎手自身もこの年にさらなる飛躍を遂げている。シンエンペラーとのコンビでは日本ダービーとアイリッシュチャンピオンステークスで3着、ジャパンカップで2着。フォーエバーヤングとのコンビではケンタッキーダービーとブリーダーズカップクラシックで3着し、ジャパンダートクラシックと東京大賞典に勝利。世界の大レースで見事な成績を収めた。
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レモンポップと歩んだ「青春」
文筆家・寺山修司は、騎手と名馬の出会いについて、次のような文章を残している。
一人の騎手と一頭の馬とが、青春をともに過ごすということは珍しいことではない。彼らは、晴れた日も雨の日も、同じ屋根の下で、あるいは緑の芝生の上で、お互いに励ましあいながら成長してゆくのである。だが、多くの場合、騎手はそのまま青年でいられるのに、馬の方は先に老いて競馬場から去ってゆくことになる。
──寺山修司「騎手伝記」(『競馬への望郷』角川書店、1979年)より引用
レモンポップと坂井騎手の関係も、まさに「青春」と言えるだろう。乗り替わりによって生まれた縁は、引退まで続くこととなった。栄光だけでなく、屈辱もともに味わった。坂井騎手は、引退レースとなるチャンピオンズカップの直前に、レモンポップをこう表現していた。
「ヒーローです。去年の2月に急に現れたヒーロー」(中略)「牝馬だったら“遠距離恋愛の彼女”だったかもしれないですけど」(中略)「乗せてもらっている間は自分の中心にいた馬なので、いなくなるのはとても寂しいですが無事に引退してほしいです」
──【チャンピオンズC】コンビで国内負け知らず!坂井瑠星が語るレモンポップが「勝ち続けられた理由」(『東スポ競馬』2024年11月26日)より引用
「ヒーロー」と言えるほどのパートナーと共に歩める機会は、騎手人生でもそう多くないだろう。「青年」と呼ばれる期間に巡り会う機会に限れば、なおさらである。
折しも、本稿の執筆を進めている最中に、エイシンプレストンの訃報が入ってきた。25歳の時、ともに海外GⅠを制した福永祐一調教師は、エイシンプレストンについて次のように語っている。
自分を作り上げてくれた一頭です。この馬に教えてもらった過程をこれからも生かしていきたい。
──福永祐一調教師がエイシンプレストンを惜別…騎手時代に全32戦に騎乗 「自分を作り上げてくれた一頭です」(『サンスポZBAT!』2025年2月4日)より引用
「青春」をともに過ごした名馬は、自分を作り上げる教師のような存在になるのだ。名馬との出会いと別れを経て、坂井騎手はこれからどのような騎手になっていくであろうか。
レモンポップは競馬場を去り、第二の馬生を歩み始めた。現役時代の実績からしても、人気の種牡馬となるだろう。彼の血を継ぐ馬に坂井騎手が騎乗して大レースを勝利する。そういった光景が見られることを夢見ながら筆を擱きたい。
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写真:s1nihs、水面