誇り高き岩手の皇帝 - 漆黒の雄・トーホウエンペラー

漆黒の馬体が凍てついた地面を力強く蹴る。砂塵が舞いあがり、蹄音が響く。

厳冬を乗り越えた四肢は、しなやかで逞しく、美しい。ひとつ、またひとつと確かな軌跡を刻んでいく。

東北の雄、トーホウエンペラー。

幾度の冬を超え、皇帝としての才を開花させた。そして地方に在りながら、中央の強豪と渡り合い、その名が示すように、砂の頂へと駆け上がった。

岩手の大地は、名馬を育む。

雪解けの水が沁み込み、冷たく透き通った風が、肌を裂く。その厳しさが心身を鍛え、寒風に抗った者にはやがて、春が訪れる。

例えば、トウケイニセイ。

完璧な戦績を誇った岩手の英雄は、地方交流の黎明期に現れ、数多の「もしも」を残した。

例えば、メイセイオペラ。

地方馬として初めて中央の頂を射止めた伝説は、明るく輝く栗毛と強靭な肉体で、観る者全てを圧倒した。

そして──。

トーホウエンペラーは、その魂を確かに継ぐ者として現れた。


1999年12月31日、世紀末の大晦日。白い吐息が凍る水沢競馬場で、彼の物語は幕を開けた。

デビューは遅れた。同期たちがクラシックを駆け抜けた頃、彼はまだ門出すら迎えていなかった。中央の舞台には立てず、岩手の地に降りたった。

だが初陣を飾るや、破竹の9連勝。戦場を去るメイセイオペラの背を追い、時代の終焉と始まりを繋ぐように、彼は走り続けた。

「岩手に、とんでもない馬が現れた」

そんな噂は、静かに、しかし確かに広がっていった。デビューから1年後の大晦日、岩手のグランプリ・桐花賞で彼は初戴冠を果たした。寒さの中でも燃え続ける炎を胸に、確かな実績を積み重ねていく。

5歳を迎えて赤松杯、シアンモア記念を連勝したトーホウエンペラーは、いよいよ檜舞台へと足を踏み入れる。

初戦は上半期の総決算、帝王賞。9番人気の伏兵ながら、全国の強豪たちに食らいつき、5着に飛び込んだ。

地元のマーキュリーカップは僅かに及ばず3着。青函トンネルを超えて臨んだ札幌のエルムステークスもあと一歩の2着。水沢の重賞・青藍賞を制して迎えた地元の最高峰、マイルチャンピオンシップ南部杯では、アグネスデジタルを迎え打ち、地元ファンの声援を背にあと一歩の2着。

公営新潟の交流重賞・朱鷺大賞典でダートグレード初制覇を果たすと、浦和記念でも僅差2着。

実直に歩みを重ねその名は全国へ響いた。希望を背負い、エンペラーは栄光を求めて走り続けた。

迎えた第47回、東京大賞典。昨年のダート王ウイングアロー、無敗の南関東三冠馬トーシンブリザード、フェブラリーステークス覇者ノボトゥルー。いずれ劣らぬ時代のトップに囲まれながら、トーホウエンペラーは3番人気の支持を集めていた。

茜色に染まる夕陽の中、ゲートが開いた。

一斉に飛び出す16頭の影。砂塵が舞い、蹄の音が響く。

最内から飛び出したのは逃げ馬を見つつ、トーシンブリザードは3番手を確保する。トーホウエンペラーは5、6番手、中団で悠然と、確かな足取りを刻む。

誰が頂点に立つのか。誰が栄光を掴み取るのか。レースは淡々と進む。

4角を迎え、一気にピッチが上がる。馬群が凝縮し、逃げ馬が力尽きる。その横からトーシンブリザードが楽な手応えで抜け出す。故障を乗り越えた南関3歳王者の力強い走りに「ブリザード!ブリザード!ブリザードだ!」と実況アナの声が飛ぶ。

このまま押し切るかに思えた次の瞬間だった。

外から漆黒の影が飛ぶ。すべてを薙ぎ倒し、トーホウエンペラーは覇道を突き進む。鞍上の菅原勲騎手がステッキで二度、三度叱咤すると、あっという間にトーシンブリザードを飲み込む。

ウイングアローもノボトゥルーも馬群に沈んだ。大外からリージェントブラフが追いすがるが決定的な脚は無い。舞い上がる砂が夕陽に煌めく。その中で、なおも力強く、速く、世界を統べる皇帝が進撃する。

ゴールの瞬間、菅原勲騎手は拳を突き上げ、歓喜を全身で表した。

蹄音が大井の空にこだまする。岩手のエンペラーが、岩手の誇りを胸に、王者の座を掴んだ。

その栄光は遠く岩手の空へ、そして未来へと、響き続けていた。


物語は、ここで終わらなかった。

この年のNARグランプリ年度代表馬に選出されると、翌年も全国を駆けた。

名古屋大賞典と地元・岩手の青藍賞を制覇し、フェブラリーステークスやジャパンカップダートでも主役の一角を担った。

そのハイライトとなったマイルチャンピオンシップ南部杯では全国の強豪を迎撃し、これを撃破した。同郷の雄・バンケーティングとの岩手勢ワンツーに地元ファンは大いに沸いた。

岩手の誇りを宿した漆黒の馬体は相変わらず逞しく、力強かった。エンペラーは最後まで皇帝として、岩手の大地にその名を刻んだ。

2年連続のNARグランプリ年度代表馬の称号を胸に、彼はアロースタッドで父になった。

決して恵まれた環境ではなかった。産駒も決して多くは無かった。だが、彼の血を受け継いだ仔は全国各地競馬場を力強く駆け、地元の重賞を勝ち取った。

2024年10月25日。トーホウエンペラーは静かに28年の生涯を閉じた。

東北の地を駆け抜けた、誇り高き王。

中央勢に屈せず、地方の雄として戦い抜いた闘志。その走りは、決して色褪せることはない。

蹄音は未来へと響き続ける。

たとえ、彼の姿が見えなくなっても。

岩手の風は知っている。

あの雄大な馬体が揺らした、大地の鼓動を。

あの力強い一歩が、いくつもの夢を乗せていたことを。

そして今も、その名は刻まれ続けている。

日本を統べた、東北の雄。皇帝・トーホウエンペラーの、漆黒の輝きを。

写真:I.Natsume

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