[青葉賞]ステージチャンプからゴーフォザサミットまで。蛯名正義騎手と青葉賞を制した5頭を振り返る

競馬の祭典である日本ダービーへの出走権利を争うレースのひとつに青葉賞がある。本番と同じ東京芝2400mで行われるため、ダービートライアルとしてぴったりであるという声も多い。

だが青葉賞が設立された1984年から数えても、2025年時点で日本ダービー馬となった馬は誕生していない。そのため『青葉賞馬はダービーを勝てない』というジンクスが、日本ダービーが近くなると噂されてくるのも、毎年恒例のことである。

ところでこの青葉賞、オープン特別の時代を含め、2025年時点で歴代最多勝を挙げている騎手は誰か、皆さんはご存知だろうか。

答えは蛯名正義元騎手で、5勝である。今回は、青葉賞を蛯名正義元騎手(以下、現役時代に基づいて表記するため蛯名騎手)と共に制し、日本ダービーへ臨んだ馬達を紹介したい。

ステージチャンプ(1993年)

当時、蛯名騎手はデビュー7年目。

前年、フェブラリーハンデキャップ(現:フェブラリーS)をラシアンゴールドで制して重賞初勝利を挙げると、4月の皐月賞では18頭立て16番人気のシャコーグレイドを2着に導き、ダービーも同馬で初騎乗を果たす。全国リーディングも12位となった大躍進の1年で、周囲からは『売り出し中の若手ジョッキー』という評価であった。

そんな蛯名騎手が跨ったステージチャンプは、父リアルシャダイに母ダイナアクトレス、そして母の父はノーザンテーストと、当時の社台グループの結晶ともいえる超良血馬。デビューから2戦は柴田政人元騎手が手綱を取ったが勝ち切れず、3戦目の未勝利戦で蛯名騎手と初のコンビを組むことに。レースは1.9倍の断然人気に応えて圧勝を収め、以後、春のクラシックを目指すにあたって蛯名騎手が主戦を務めることになる。

そして春、青葉賞まで4戦し、勝ちはゼロ。もちろん、弥生賞ではウイニングチケット、ナリタタイシンという強豪相手に3着と内容は濃くとも、実績としては1勝にとどまっていた。

皐月賞でも7着となり、ダービーに出るには優先出走権が必要となったステージチャンプは青葉賞に出走。中1週というローテーションながら重賞3着の実績を評価され、1番人気の支持を受けていた。

ゲートが開くとステージチャンプは好位3番手から進め、緩めのペースを引っかかることなく落ち着いて進んでいく。逃げ馬2頭を4コーナーで射程圏に捉えると、残り400mで先頭に立つ。やや早すぎる仕掛けにも映ったが、後方から追い込んできたラリーキャップ、ロイスアンドロイスに並ばせず、そのまま突き放して快勝。青葉賞初制覇を飾った蛯名騎手は、初めてトライアルレースの勝利馬と日本ダービーへ臨むこととなった。

しかし、日本ダービーでは3強強しという内容。ステージチャンプは先団から後退して9着に終わる。そしてこの後、ステージチャンプは蛯名騎手の手を離れ、秋以降は別の騎手で大舞台に臨むこととなる。

だが、翌年のアルゼンチン共和国杯でコンビが復活すると、以降は長らく長距離路線を牽引する存在として輝きを放った。引退からかなりの月日が経った今でも、若き蛯名騎手の頼れる相棒としてその名を覚えている人も多いのではないだろうか。

ハイアーゲーム(2004年)

ステージチャンプで青葉賞を制してから11年、蛯名騎手はめきめきと腕をあげ、有数のトップジョッキーとして競馬界に名を馳せていた。

この時点で中央G1は11勝をマークし、海外G1もエルコンドルパサーで制覇。武豊騎手・岡部騎手に続いて日本人騎手では3人目となる快挙を成し遂げていた。加えて、2001年には自身初となるリーディングジョッキーの座も獲得した蛯名騎手は、まさに騎手人生で絶頂期を迎えていたと言える。

そんな2004年に蛯名騎手が主戦を務めた3歳馬が、ハイアーゲームである。セレクトセールで1億5750万円という高値で取引された良血馬で、デビュー戦は1.2倍の支持に応えて快勝。噂に違わぬ実力だという評判も立った。

だが、その後は道営の雄コスモバルクに2連敗を喫し、条件戦の勝利を挟んでの弥生賞も皐月賞の優先出走権に届かない4着。陣営は皐月賞を諦め、ダービーに照準を絞る事となった。是が非でも出走権が欲しいハイアーゲームは、青葉賞当日を弥生賞から10キロ絞って迎える。

1コーナーでコスモステージとスマートストリームに挟まれ、位置を下げざるを得なくなったハイアーゲーム。これに追い打ちをかけるように、3コーナーから4コーナーで包まれ、勝負所で前に行けない厳しい展開となる。だが、蛯名騎手は冷静だった。

4コーナーでスペースを見つけて大外に持ち出すと、混戦になった2番手以下を尻目にぐんぐん加速。追いすがるホオキパウェーブやシェルゲームを突き放し、最後は流す余裕まで見せてゴール坂に飛び込んだ。

直線、ハイアーゲームが繰り出した上り3F・33.7秒という数字は、2025年現在もレース史上2位の上り3Fタイムを記録している。馬場の高速化が進んだ現在でもなかなか見ることのできない数字だけに、当時としてはかなり強烈なものだっただろう。そして本番でも3番人気に推されたハイアーゲームは、キングカメハメハ、ハーツクライに次ぐ3着に入線。蛯名騎手もキャリア初となる、ダービーで馬券圏内の入線を果たした。

フェノーメノ(2012年)

2010年、アパパネと共に牝馬三冠を制覇し、翌年のヴィクトリアマイルでもブエナビスタを下すなど、常にG1戦線で主役級の活躍を見せていた蛯名騎手。牝馬三冠を制したのだから、次は当然、まだ勝てていない春の牡馬クラシック、それもダービーを…という機運は高まっていた。

しかし、2012年は京成杯を勝ったお手馬ベストディールが、体調が整わず春の二冠を回避。弥生賞、皐月賞と出走すれば騎乗する予定だったが叶わず、青葉賞を直前に春全休宣言が出されたことで、ぽっかりと騎乗予定に穴が開いた形となってしまう。

そこに舞い込んだのが、素質馬フェノーメノの依頼であった。ホープフルS、弥生賞と着外に敗れ、皐月賞への出走を期待されながら断念。背水の陣で臨む青葉賞で、これまで鞍上を務めていた岩田康誠騎手からの乗り替わりを打診された。自身の騎乗馬がいなくなったところに巡ってきたチャンス。モノにしたいとの思いは並々ならぬものだったのではないか。

レースは中団から構え、やや遅いペースで進んでいく。仕掛けどころの3,4コーナーで外に持ち出されていくと、そのままぐーんと加速し直線へ。そしてフェノーメノはGOサインが出されると、一気に外から弾けた。一瞬、内でエタンダールらが抵抗の姿勢を見せたが、並ばせずにそのまま置き去りにし、その差を2と1/2馬身まで広げたところがゴール。過去負けた2戦はいずれも中団から進めていたことで道中は不安に思ったファンもいたかもしれないが、そんな杞憂を全て吹き飛ばす、気持ちのいい快勝劇であった。

そして当然、蛯名騎手はフェノーメノと共にこの年はダービーへ臨んだ。「チャンスはある」「勝って1面を飾りたい」と報道陣に語り、気合を入れて臨んだその結果は──僅かに勝ち馬、ディープブリランテに及ばず2着。その差はたった23センチ。ほぼ勝ちに等しい2着だったが、ダービージョッキーの称号は1名にしか与えられないのだから、勝負は非情だ。レース後、ディープブリランテに騎乗していた岩田康誠騎手が歓喜の涙を流すその裏で、蛯名騎手は悔し涙に暮れたという。

ヒラボクディープ(2013年)

前年、フェノーメノで惜しくも2着に終わった蛯名騎手だが、この年は弥生賞でエピファネイアやキズナを下し、皐月賞でも4着となったカミノタサハラという相棒がいた。だが、皐月賞の後に同馬は屈腱炎を発症。戦線を離脱せざるを得ない状況となってしまい、蛯名騎手は前年に続いてダービーの騎乗予定が無くなってしまった。

しかし、まるで競馬の神様が蛯名騎手をダービーの舞台に向かわせるかのように、再び青葉賞で1頭の馬の手綱を取ることとなる。

その馬はデビュー戦を自身の手で勝利に導き、2月の水仙賞を勝って青葉賞に臨むヒラボクディープ。とはいえ、条件戦を勝ったばかりと言うことや、評判馬レッドレイヴンに1倍台の人気が集中していたということもあり、ヒラボクディープの単勝オッズは24.6倍の7番人気にとどまっていた。

レースは好スタートから番手を取り、4番手の好位置からレースを進めて行く。直線、外に持ち出して粘るアポロソニックを捕まえに行くが、同じ位置にいたラストインパクトも一気に迫ってくる。坂を上り、3頭が横並びになろうかという瞬間、真ん中にいたヒラボクディープだけがグイっと伸びて抜け出した。それはまるで、『ダービーへ行け』と背中を押されるかのような伸びで、そのまま先頭でゴール坂を駆け抜けた。

蛯名騎手はこれが青葉賞4勝目。2年連続でお手馬がダービーを前にして離脱するというアクシデントに見舞われながら、また新たなパートナーと競馬の祭典へ臨めるというのは、『運』にも恵まれていないと叶わないはず。こういうところでも、蛯名騎手が国内有数のトップジョッキーであった理由が、少しわかる気がした。

ゴーフォザサミット(2018年)

この前年である2017年、蛯名騎手は26年ぶりに全国リーディングTOP20から姿を消した。それでも大舞台では流石の手綱さばきを見せ、2016年にはディーマジェスティで皐月賞を制覇。ダービーでもマカヒキ、サトノダイヤモンドに次ぐ3着に入り、そのタイトルが『あとすこし』のところまで、確実に来ていることは感じさせていた。

そんな蛯名騎手がこの年出会ったのは、美浦の名伯楽・藤沢和雄調教師が手掛ける素質馬、ゴーフォザサミットだった。デビュー戦、2戦目と手綱を取り、同馬を初勝利に導いた後は手元を離れたが、ダービーを見据えて青葉賞で再度コンビを結成する。

レースでは番手を取り、直線で外に持ち出すという、これまで蛯名騎手が青葉賞で幾度も見せてきた必勝パターン。そしてゴーフォザサミットは鞍上のGOサインに応え鋭く脚を伸ばすと、追い込んでくるエタリオウ、スーパーフェザーを封じ込めての快勝劇を演じて見せた。シンプルかつ、強い競馬。蛯名騎手が青葉賞を勝つときの全てを詰め込んだような走りで、正式にダービーへ駒を進めた。

次のダービー、蛯名騎手には当然悲願のダービー制覇への期待が賭けられていた。

その年、『感動的なダービー初制覇』があった。しかしそれはは蛯名騎手ではなく、福永祐一騎手・ワグネリアンのもとに訪れたのだった。

蛯名騎手とゴーフォザサミットは7着。そして結果的に、これが蛯名騎手にとって最後のダービー騎乗となった。

月日が流れ、ゴーフォザサミットはダービーのみならず、自身が騎手生活にピリオドを打つ最終レースの騎乗馬となり、調教師となった後、管理馬としても出走。蛯名騎手にとって、どこか運命を感じずにはいられない愛馬となった。

2025年現在で青葉賞史上、歴代最多となる5勝を誇る蛯名騎手は、現在は調教師として競馬界に携わっている。騎手時代は惜しくも手が届かなかったダービーのタイトルに、いつか手が届いてほしいと願う人はきっと多いはずだ。

あなたにおすすめの記事