「さよならは言わない」。真夏の思い出に残る快速牝馬、サンアディユ 。

新潟競馬夏の開幕を飾る重賞、そして今や夏競馬の風物詩となった重賞「アイビスサマーダッシュ」。
新潟競馬場改修後に作られた1000m直線コースを駆け抜ける、年に1度のG3競走です。

21世紀に入ってから創設された比較的新しい重賞競走ながらも、現在では「夏競馬と言えば」という代名詞的なレースとしてあげられるほど。そしてこのコースでこそ輝く馬が現れるのも、アイビスサマーダッシュの特徴でしょう。

このレースを2007年に勝利し、この歳のスプリンターズステークス2着まで駆け抜けた競走馬、サンアディユ。
彼女もまた、真夏の新潟から芝スプリント路線で輝きを見せた競走馬です。

サンアディユに関しては「さよならは言わないで」という馬名由来と悲しい最期が語られることが多いですが、2007年のアイビスサマーダッシュ・セントウルステークスを勝利して、スプリンターズステークスも逃げるアストンマーチャンを追い詰めての2着、そして京阪杯勝利と、2007年の夏から秋の活躍も素晴らしい牝馬でした。

3歳デビューから5歳春までダート路線を一歩ずつ

サンアディユは父フレンチデピュティ、母シェリーザの牝馬。1歳下の半妹ノンキの産駒には、ビックリシタナモー(名前の通りの驚く末脚でダート戦線で走った後に乗馬へ)やウナギノボリらがいます。

オーナーは「サンライズ」の冠名で知られる松岡隆雄さん。G1馬サンライズバッカス、サンライズノヴァを筆頭に重賞級の競走馬を所有してきたオーナーです。

サンアディユのデビュー戦は2005年4月17日、ディープインパクトが皐月賞を制覇して「まず一冠」を手にしたその日でした。
競走馬としては遅めのデビューでしたが、ダート1400mの未勝利戦で既走馬相手にも4番人気に支持され、人気通り4着でデビュー戦を終えます。

続く未勝利戦では2番人気に支持されるも中団から伸びきれず10着に敗れますが、4か月の休養を挟んで9月の未勝利戦を逃げ切って初勝利。以降ダート戦では逃げを基本的な戦術としてレースに挑み続けます。

10月の500万下クラスでは逃げを打てずに敗れますが、再び休養を挟んで4歳春の500万下クラスで逃げ切ると、続く1000万下クラスでも逃げの競馬で2着に好走。続く1000万下クラスの御嶽特別ではこれまで挑んできた1400m戦からの距離延長に挑戦したものの、ここでは逃げ切れずに16着に大敗してしまいます。結局、中距離戦への出走はこのレース限りでした。

2006年の夏に500万下クラスに降級してから、秋にかけて500万→1000万→1600万クラスと3連勝でオープン入りを果たすも、2007年年明けのG3ガーネットステークスでは最下位、同じコースのオープン戦京葉ステークスでも12着と大敗。オープンクラスではスピードの差でハナに立つことが出来なくなってしまい、ここで引退することも検討されたそうです。
たしかに、既にダート戦で12戦5勝2着1回という成績なので、仮にこの時点で繁殖入りしても十分と言えるでしょう。

──しかし、芝ダート兼用の名種牡馬フレンチデピュティの産駒であるサンアディユ。2007年、5歳夏シーズンを芝短距離路線へのチャレンジャーとして迎えることになります。そしてこの選択こそがサンアディユの激動のドラマの幕開けでした。

アイビスサマーダッシュからスプリンターズステークスへの挑戦

2007年夏シーズンの初戦、彼女は重馬場の芝を踏みしめてスタート地点へと向かいます。
アイビスサマーダッシュ史上初のフルゲートの一戦。7枠13番から出走したサンアディユは先行馬たちを前に置いて、ちょうど中段あたりの位置でレースを進めました。

前日からの雨の影響か、蹴り込みで芝がめくれる馬場で先行馬の脚色が鈍り、2006年の勝ち馬サチノスイーティーが伸びあぐねます。大外枠のアイルラヴァゲイン、斤量51キロを活かして外目に進路を取っていたクーベルチュールらが前にいましたが、サンアディユは村田騎手に導かれて馬場の真ん中あたりへ。

まさに「勝ち筋」のように空いた進路を上り最速の32.9秒を叩き出して一気に抜け出したサンアディユ。アイルラヴァゲインの後ろから抜け出してきたナカヤマパラダイスの追撃も振り切って1着でゴールを果たします。
新潟出身、この後に1000m直線コースの名手と呼ばれる村田一誠騎手(現調教師)の手腕が光ると共に、ここまでダートを走っていたパワーも存分に活かしたレースで、芝初挑戦・初勝利を重賞の舞台で達成したのでした。

人気薄での勝利だったこともあり、次走の北九州記念では5番人気にとどまり、結果も7着まで。
続くセントウルステークスで川田騎手に乗り替わると、アイビスサマーダッシュで前にいたアイルラヴァゲインの真横にポジションを取って2番手からレースを進めます。
後方には昨年の高松宮記念を制したオレハマッテルゼや、この後円熟味を増してスプリンターズステークス連覇を果たすキンシャサノキセキらが構えていましたが、直線を向いて抜け出すと後方から差してきたカノヤザクラに5馬身差をつけて圧勝。重賞2勝目と同時に、2007年のサマースプリントチャンピオンになりました。

そして迎えたスプリンターズステークスでは、ここまでの重賞2勝の勢いで1番人気に支持されます。

レースでは後続を3~4馬身引き離す逃げを打ったアストンマーチャンを追いかける競馬になりましたが、4コーナーを過ぎても逃げるアストンマーチャンのエンジンは止まりません。
前走同様に内にいたアイルラヴァゲインを差し切った位置がゴールで、アストンマーチャンは逃げた勢いそのままに、サンアディユの追撃も3/4馬身及びませんでした。

G1レースのその後、突然の別れ…。

そして京阪杯では牡馬も混じって57キロの斤量を背負いますが、武豊騎手に導かれ盤石の先行競馬で勝利。
芝スプリント路線に活路を見出した2007年夏~秋にかけて5戦走って3勝2着1回という素晴らしい成績でした。

そして2008年のオーシャンステークスでいわゆる「サンアディユ事件」があり、その翌日に彼女はレースから帰ってきた栗東の馬房内で心不全のため急死してしまいます。ここではサンアディユの最後について、あえて多くは語りません。

最終成績18戦8勝2着2回、素晴らしい成績でサンアディユは競走馬生を終えました。

アストンマーチャンもサンアディユの死後間もなくX大腸炎により急逝。あの夏スプリントチャンピオンを競い合った2頭がその翌年の春に共に亡くなってしまうなんて、誰も想像だにしなかったことでしょう。

「さよならを言わない」まま競馬ファンに別れを告げたサンアディユは、その悲劇的な最後が語られることの多い馬です。
しかし、もしオーシャンステークスを無事に走れていたら…そう思わせてくれるのは、サンアディユが2007年の夏を力強く駆け抜けたからにほかならないでしょう。

どうか皆さまも、夏が来たら、サンアディユのことを思い出してあげてください。
そして、強かったその勇姿こそ、語って欲しいのです。サンアディユ、私は君にさよならは言いたくありません。
これからも夏が来るたびに、思い出を語るファンがいる限り、思い出の中にあなたは生きています。

写真:Horse Memorys

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