上半期を締めくくる宝塚記念から3日後の2022年6月29日、ヴェロックスの競走馬登録抹消を伝えるニュースが流れた。今後は京都のカシオペアライディングパークにて乗馬になるという。第二の馬生が決まったのはひと安心だ。一方で、なんとなくひっそりと報じられたこのニュース、知らなかった方もいるのではないか。もっといえば、ヴェロックスって、どんな馬だったっけと記憶を手繰らなければ思い出せないという方も、中にはいただろう。薄情とはいえまい。なにせサラブレッドは年間7000頭以上生産され、そのサイクルは想像以上に早い。むしろ去就がニュースとして報じられるサラブレッドは少ない。ただ、馬の数以上に関わる人間がいる。どの馬もだれかのヒーローだということを忘れないようにしたい。
ヴェロックスの通算戦績は、20戦3勝だった。主な勝ち鞍は若葉Sで、重賞は【0-2-3-10】と未勝利。22年は重賞3走、10、12、10番人気で7、10、13着。ひっそり報じられるのは無理もない。だが、ヴェロックスの復活、初重賞勝利を願っていた人もいる。21年京都大賞典のマカヒキ、22年京都記念のアフリカンゴールド……近年、古豪が復活を遂げる場面は多い。ましてヴェロックスの父はジャスタウェイ。現役時代は2歳から重賞戦線で活躍、やや思うような成績を残せない時期を潜り抜け、4歳後半の天皇賞(秋)でジェンティルドンナに4馬身差をつける圧勝。翌年ドバイデューティーフリーでは従来のレコードを大きく更新、このレースで世界1位の評価を受け、その後は不良馬場の安田記念も勝利。古馬になって大化けした。ハーツクライは二度覚醒する、まさにその言葉を体現した一頭でもあった。
だからこそ、ヴェロックスもまた、父ジャスタウェイと同じくいつか復活するのではないか──そう願うのは自然なことでもある。さらにヴェロックス復活は馬自身がかつて見せたポテンシャルもまた背景にある。
ヴェロックスはジャスタウェイの初年度産駒としてセレクトセール1歳に上場、産駒初年度最高額の4800万円(税抜)で金子真人氏によって落札された。預けられたのは栗東・中内田充厩舎。その初陣は2018年8月5日小倉芝1800m。外枠からすんなり4番手で流れに乗り、4コーナーで逃げたプラネットアースを捕らえ、直線は突き放す一方。レース上がり600m11.8-11.3-11.3を楽に抜け出し、1秒3差圧勝。前日のヤマニンマヒアが記録した1.46.9には及ばないものの、センスとスピードの片りんを見せた。
その後は野路菊Sでカテドラルの2着、東京スポーツ杯2歳Sでニシノデイジーの4着と足踏みを続けたものの、3歳初戦は若駒S。このレースではじめて川田将雅騎手とコンビを組む。ヴェロックスは新馬戦と同じくスタートからスムーズに外目4番手をとる。キングリスティアが作るペースは1000m通過61.6と緩く、その分、各馬早めにスパート開始、残り800mは12.0-11.5-11.4-11.6。3、4コーナーでギアチェンジする流れにヴェロックスはやや戸惑う。前半はきれいに流れに乗れても、勝負所でのペースチェンジに弱い。ハーツクライ系の若駒特有の弱点を見せるヴェロックスだったが、川田騎手がしっかり扶助し、勝負圏内から脱落させない。ついて行かないならば、ついて行けるようにする──実戦で、ヴェロックスに教えた。馬も川田騎手のエスコートに応え、周囲に食らいつき、ちょっと遅れてエンジンに火がつく。一旦、最大出力に到達すると、どこまでも伸びる。これもまさにハーツクライ系によくみられる姿。ヴェロックスは残り200mで先頭、後続を寄せつけることはなかった。
この若駒Sはのちに超ハイレベルなメンバーだったことが判明する。3着フェアリーポルカは牝馬重賞2勝、4着ショウリュウイクゾは日経新春杯、5着リオンリオンは青葉賞、6着ロードマイウェイはチャレンジC、8着ブラヴァスは新潟記念をそれぞれ勝った。ヴェロックスが重賞未勝利であることはますます信じられなくなる。
続く若葉Sも勝利、ヴェロックスはクラシック有力候補に昇りつめた。2019年クラシック世代といえば、皐月賞サートゥルナーリア、日本ダービーはロジャーバローズ、菊花賞をワールドプレミアが勝利した。クラシック三冠を異なる馬で分けあったが、この3頭はいずれも三冠を皆勤していない。
サートゥルナーリアは日本ダービーで敗れ、二冠ならずだったこともあり、秋は古馬中距離路線へシフト、天皇賞(秋)、有馬記念へ進んだ。ロジャーバローズはスプリングSで皐月賞出走権をとれず、京都新聞杯2着から日本ダービー大逆転、その後は故障でターフを去った。ワールドプレミアは若葉Sでヴェロックスに敗れ、その後は秋まで休養。菊花賞で一矢報いた。
ヴェロックスは三冠すべてに出走した。同じように三冠皆勤はほかに5頭しかいない。そんなタフなクラシック戦線で2、3、3着、神戸新聞杯2着も含めると、ヴェロックスは半年間ずっと上位を維持し続けてみせた。三冠を勝てはしなかったが、これはそう簡単なことではなく、もっと評価されていい。
皐月賞では好位で流れに乗り、若駒Sで見せたような勝負所での反応の悪さもなく、むしろ自ら先行勢を飲むこまんとする勢いで直線に向くも、道中からずっとサートゥルナーリアに背後をとられ、スパートのタイミングを計られてしまう。早め先頭に立ったヴェロックスはサートゥルナーリアの標的になってしまい、2着。結果的には積極策がアダとなった形だが、この攻めの姿勢はヴェロックスのひとつの形として確立された。
日本ダービーは皐月賞の攻めの競馬、サートゥルナーリアにタイム差なしで食い下がったことを評価され、2番人気。ジャスタウェイが得意だった東京、ハーツクライの先にあるトニービンの血への期待も大きかった。
サートゥルナーリアがスタートでわずかに遅れるなか、東京芝2400m、フルゲートのGⅠでカギを握る第1コーナーの入りを理想的に通過したヴェロックスは外目からスムーズにクラージュゲリエの真後ろにつけ、折り合う。サートゥルナーリアを背負う形は皐月賞と同じではあったが、レース序盤の形ではヴェロックスは負けていない。完璧な運びだったといっていい。
しかしながら、レースの流れはリオンリオンが飛ばし、前半1000m通過57.8と淀みなく、離れた2番手にロジャーバローズがいる超がつく縦長。変則的な展開になり、さらにキツい流れでも2番手にいたロジャーバローズが驚異の踏ん張りを見せ、脚色が衰えない。それを察知したサートゥルナーリアは外を回って先に動き出し、ヴェロックスに馬体を併せる。ヴェロックスも懸命に抵抗を試みるも、残り400mではサートゥルナーリアに交わされる。その前を行くロジャーバローズとダノンキングリーが激しくつばぜり合いを演じるなか、それを追いかけるサートゥルナーリア。残り200m、ひたすら前を追うサートゥルナーリアの視界に先に交わしたはずのヴェロックスが入る。ヴェロックスが驚異的な粘り腰でファイトバック、猛然とサートゥルナーリアに迫る。
鬼気迫る鞍上に応えるヴェロックスもまた迫力たっぷり。父ジャスタウェイが大雨の安田記念でグランプリボスと競り合い、弾き飛ばすように走る姿が重なる。トニービンの血は東京の直線、それも坂をあがった残り200m足らずでその真価を発揮する。長い直線の最後の200m、みんなが苦しいゴール前で最大出力で走れる。これこそがトニービンの底力だ。またサートゥルナーリアより序盤で無駄な力を使わなかったことも差しかえす力につながった。先を行くロジャーバローズ、ダノンキングリーには及ばなかったものの、サートゥルナーリアを捕らえての3着はヴェロックスの底力によるものだった。
最後の一冠菊花賞はロジャーバローズ、ダノンキングリー、そしてサートゥルナーリアも不在。ヴェロックスは春二冠が評価され、ついにクラシックで1番人気に支持された。相手は春すでに先着を果たした馬たちばかり。当然といえば当然だった。
これまでレース序盤でセンスある走りを見せていたヴェロックスだが、はじめての長距離戦、これまでとは明らかに違うゆったりした流れと密集した馬群に入ったことで、序盤、ややエキサイト。行きたがる素振りを見せる。しかし先行集団がばらけはじめた正面スタンド前ではまた落ち着きを取り戻したヴェロックスはまたも申し分ない形で勝負所にさしかかる。
残り800m、京都の下りを使い、勢いよく進出するヴェロックス、視界良好、あとはゴール板まで押しきるのみ。だが、これを背後のインにいたワールドプレミアが狙っていた。ヴェロックスのスパートにひと呼吸遅らせたワールドプレミアはコーナーリングで巧みにヴェロックスとの間合いを詰め、内から抜けてきた。瞬く間に1馬身ほど差をつけられたヴェロックスは食い下がろうとするものの、長丁場の影響か、日本ダービーのような迫力ある走りができない。最後は後ろにいたサトノルークスにも交わされ、3着敗退。クラシックは無冠に終わった。
4歳シーズン初戦の小倉大賞典で圧倒的な1番人気に支持されるも、9着。突如ヴェロックスはレースで力を発揮できなくなった。その原因について、我々外野の人間にはわからない。それでも日本ダービーでサートゥルナーリアを差しかえした走りを見せた以上、期待せずにはいられなかった。トニービン、ハーツクライ、ジャスタウェイとつながる豊かな成長力でいつか重賞を勝てると。
しかし、結果としてその願いは届かなかった。みんながみんな期待通り復活できるわけではないからこそ、古くはステイゴールド、最近だとマカヒキやアフリカンゴールドのような復活劇が際立ってくる。みんな輝きたい。みんな勝ちたい。競馬は勝たなければ前に進めない。それが勝負の世界。だからこそ、ときには残酷な顔を見せる。
生きるために戦うサラブレッドの姿が美しく、尊いのは、そんな競争原理に身を置いているからでもある。我々が競馬に自己を投影するのは、辛い現実を生き抜く勇気をもらうためでもある。
ある人が言った。「努力したものがみな、成功するわけではない。しかし、成功したものはみな努力している」。この言葉に先があるとすれば、「たとえ努力して成功しなかったとしても、努力の価値は変わらない」。負けられない世界だからこそ、どこか負けにも価値はある。改めてヴェロックスの競走生活を振り返ると、そう感じざるを得ない。
写真:かぼす