
「2歳の6月から9歳の6月まで、丸7年間も一緒に競馬場で過ごしたのだから、情も移るさ…」
日本ダービーの余韻が残る目黒記念、直線半ばで競走中止したハヤヤッコ。毎週競馬場に通っている敏さんは、ハヤヤッコが乗った馬運車が遠ざかって行くまで、寂しそうに見送っていた。
ハヤヤッコの蹄跡
白毛馬のハヤヤッコ。“ヤッコさん”の愛称を持ち、ソダシが広げたUMAJOたちの「推し馬」として、絶大な人気を誇っていた。しかし、ハヤヤッコの「推し」はそれだけでは無い。7年間で45戦、8競馬場で出走したハヤヤッコは、毎週競馬場に出没するオジサンたちからも多く支持されていた。春夏秋冬、雨の日も猛暑日でも、芝でもダートでも…。いつでも元気に走り続け、時には高配当で懐を暖かくしてくれる、働き疲れのオジサンたちにパワーを注入する救世主でもある。
「とりあえず、穴でハヤヤッコを押さえておこう」
ハヤヤッコが出走する日の午後は、押さえの一点としてハヤヤッコを買っていたコアなファンは多かったはずだ。そして、年に何度かは払戻機能のある券売機に並ばせてくれる、夢ある差し脚。たとえ馬券が外れても、ケロッとした表情でスタンドに帰って来るハヤヤッコに癒されながら帰路につく。オジサンたちにとって、ハヤヤッコは自分たちの競馬仲間みたいな存在だった。

ハヤヤッコの蹄跡を紐解いていけば、改めてその凄さを再認識できる。生涯出走数45走、3歳の秋シーズン全休(約5か月の休養)以外は、ほぼコンスタントに出走した。そして通算7勝をマークし重賞レースで3勝、芝(函館記念、アルゼンチン共和国杯)、ダート(レパードステークス)の二刀流重賞ウイナーである。重賞レースへの出走は総出走数の約半数、24走を数え(内GⅠ出走3回)、小倉、福島以外の8競馬場の重賞レースに出走した。まさしくメインレースを盛り上げる、「あなたの競馬場にハヤヤッコ」「会いに行けるアイドルホース」そのものだ。
また、ハヤヤッコの45走で騎乗した騎手は、新馬戦の三浦騎手から、目黒記念のディー騎手まで19人を数える。ルメール騎手、川田騎手も武豊騎手も、ハヤヤッコの背中を知っている。そんなハヤヤッコだが、1番人気になったのは2戦目の未勝利戦(新潟)で、ルメール騎乗で優勝した1回のみ。2番人気も5回で、特に晩年は「人気薄での好走馬」のイメージが定着していた。

ハヤヤッコの45走を振り返って、ベストレースはどれだろう?
白毛馬として初の中央競馬の重賞レース制覇となった2019年レパードステークス。ソダシと初の重賞レースで白毛馬共演となった2022年札幌記念、有馬記念史上初の白毛馬出走で盛りあがった2024年の有馬記念など。人気者のハヤヤッコだけに、“ヤッコさん推し”たちが、45のレースそれぞれに思いを込めているはずだ。私は、最後の重賞制覇となった“ハヤヤッコの復活劇!”、2024年アルゼンチン共和国杯が、思い出深いベストレースである。
晩秋の陽射しに輝いた白い馬体!
ハヤヤッコは、既に全盛期は過ぎてしまったと思っていた。2022年の函館記念を泥んこになりながら直線先頭から押し切っての優勝以来、勝利から遠ざかる。不良馬場ならと3番人気に支持された翌年の新潟大賞典も馬群に沈んだ。2023年の7歳時は6戦して、暮れの中日新聞杯2着(13番人気)が最高着順。それでも衰えを見せず、パドックを元気に周回する姿は、スマホを向けるUMAJOたちにとってアイドルホースそのものだった。
2024年は3月の金鯱賞からスタートしたハヤヤッコ。左回りの2000m以上なら、まだまだ活躍の余地有りを思わせる4着に入線。勢いに乗ってGⅠ大阪杯にチャレンジ、12着に敗れるものの、着差は優勝したべラジオオペラから0.8秒差。8歳になってもワンチャンスあることを漂わせる、穴党のオジサンたちが喜ぶアイドルホースでもあった。
夏は函館記念(12着)から、札幌のオープン特別タイランドカップ(2600m)に転戦。58.5キロを背負うも直線鋭く伸びての3着となり、全盛期は過ぎても一発を秘めたパワーは持っているように思えた。

秋の初戦となったアルゼンチン共和国杯。飛びぬけた本命馬は存在せず混戦模様、重賞2勝馬としてハヤヤッコは58.5キロのトップハンデを課せられている。1番人気は今年に入り、GⅡ重賞で2着3着を繰り返しているクロミナンス。ハヤヤッコは時計の出そうな良馬場とトップハンデが嫌われたのか10番人気まで。しかし、パドックのハヤヤッコは、8歳秋、41戦を消化した競走馬には見えない溌溂とした動きに見える。

この日のハヤヤッコは、パドックでの周回通りの動きをレースでも見せた。晩秋の陽射しが馬たちの影を長くする府中の直線。道中最後方を追走していた白い馬体が直線半ばで弾ける。大外から西日を浴びながら、白い馬体が内の先行する馬たちを飲み込んでいく。クロミナンスがゴール手前で先頭に立ち、タイセイフェリークが並びかけたその外から伸びるハヤヤッコ。クロミナンスを捉え、クビ差出たところがゴール板だった。

青い優勝レイを掛けられたハヤヤッコは、白い馬体が一段と輝いていた。メンコを取った白い顔面にまん丸の瞳。誇らしげな表情を見せるハヤヤッコは、誰が見ても美しい白毛のサラブレッドである。
心配と安堵が交錯したラストラン
アルゼンチン共和国杯と同じような展開になった2025年目黒記念。ハヤヤッコは、後方馬群の一角から、直線は伸びてくると思っていた。しかし、ディー騎手は追うのを止め、ハヤヤッコは直線半ばで立ち止まってしまった。

一年で最も華やかなダービーデーのフィナーレで起きた、痛ましいアクシデント。誰もが下馬したディー騎手と、ハヤヤッコに駆け寄った厩務員さんの一挙手一投足に反応する。
「骨折している様には見えない」
「ハヤヤッコは歩けている」
「馬運車には自力で乗った」
スタンドに残る“ヤッコさん推し”たちは、固唾を呑んでハヤヤッコの動きを見守った。
走れなくなってもいい。でも命だけは助かって…推したちは、最悪の事も覚悟していたと思う。
当日夜にXへポストされた「ハヤヤッコが美浦に無事帰宅」のコメントを確認できた時、推したちは一斉に安堵の投稿を始めた。やがてそれらは、「#ハヤヤッコかわいい写真選手権」、「#ハヤヤッコありがとう」などのハッシュタグにより、Xはハヤヤッコの画像で溢れかえった。
誰からも愛されたハヤヤッコは、推したちの「白毛伝説」に組み込まれ、この先さまざまな機会で語られるだろう。ソダシとは異なり、輝かしいキャリアを持たないハヤヤッコ。それでも、45の蹄跡の中で作られた様々な記録、コンスタントに各競馬場で走り続けた実績は記憶に刻まれる。そして「会いに行けたアイドルホース」として、推したちのスマホの中で、いつまでもパドック周回しているはずだ。
ハヤヤッコ。
多方面の競馬ファンから長く愛された、白毛のアイドルホースである。
Photo by I.Natsume