ミルコがいなくなった夏競馬…。渡米するM.デムーロ騎手へ送りたい、応援と激励

M.デムーロ騎手が、七夕賞のリフレーミングの騎乗(15着)を最後に、アメリカの西海岸での騎乗のため、日本を旅立った。M.デムーロ騎手のインタビュー記事などを見ていると、渡米期間は当面3か月、それ以降もアメリカに残り、継続して騎乗することもあるとか…。彼が渡米して騎乗する理由について、あれこれ並べてコメントするつもりは無い。ただ、福島、函館が終わり、夏競馬が後半戦に入るタイミングで、彼の姿を見られないことが限りなく寂しいのである。

 「ミルコはほぼ日本人」という友人の言葉通り、春夏秋冬、Mデムーロ騎手が各地の競馬場で、いつも通り騎乗しているのが「あたりまえの景色」だったのだ。炎天下のパドックでも、涼やかな表情で騎乗馬の項を撫でながら、楽しそうに厩務員さんと会話しているのがMデムーロ騎手。パドックで声がかかると、何らかのリアクションをする。カメラを向けると、気づいたときはこちらを向いてくれる…。ファンにやさしいMデムーロ騎手は、我々には無くてはならない存在だった。

私にとってM.デムーロ騎手は、お気に入りの騎手のひとりである。彼は2015年3月1日からJRA所属騎手として騎乗している。しかしそれ以前、1999年に短期免許制度を利用して初来日し、今のモレイラ騎手やレーン騎手のように何度も来日しては強烈なインパクトを残して帰って行った。

2003年春のクラッシックシーズンは、「ミルコ・デムーロ」の存在を誰もが認める活躍を見せる。皐月賞でネオユニヴァースを擁し、大本命サクラプレジデントをゴール前で捉え差し切った。興奮したM.デムーロ騎手は、サクラプレジデント騎乗の田中勝春騎手(現調教師)の頭をポカリと叩き話題となった。

続く日本ダービーもネオユニヴァースに騎乗して優勝、二冠制覇するとともに、外国人騎手としては史上初となる日本ダービー制覇を達成してみせた。ウイニングランでネオユニヴァースとM.デムーロ騎手が戻ってくる時に、場内から湧き出た「ミルコ」コールに彼は感涙した。ヘルメットを取り、スタンドに向かって何度もお辞儀するMデムーロ騎手を見て、誰もが彼の魅力に惹かれる。そしていつの間にか、「短期で外国からやって来る騎手」ではなく、「日本で騎乗する騎手」として認めるようになった。

翌年の皐月賞は1勝馬のダイワメジャーに騎乗し、コスモバルクの夢を打ち砕くヒール役になったものの、「ミルコの皐月賞連覇」をスタンドの観客たちは称えた。

そして、M.デムーロ騎手が「日本のミルコ・デムーロ」になったのは、2011年のドバイワールドカップだろう。レースの2週間前に起きた東日本大震災。日本全体が悲しみに打ちひしがれる中、ネオユニヴァースの仔ビクトワールピサで、日本馬初のドバイワールドカップ制覇を成し遂げた。M.デムーロ騎手が表彰式で右肩の喪章を何度も掴み、日本国旗を両手で持ち翻してみせたというニュースは、競馬ファンだけでなく、多くの人々に勇気と希望を与えた。

また翌年の秋、天覧競馬として行われた天皇賞(秋)で、エイシンフラッシュに騎乗して優勝したM.デムーロ騎手。ウイニングランを終えた直後、メインスタンド前の馬場で下馬し、跪座の形で最敬礼を行ったシーンは、M.デムーロ騎手を更に有名にした。

M.デムーロ騎手の人間味溢れるシーンは、JRAの通年免許を取得してからも随所で見られた。JRA所属騎手になった年の2015年、ドゥラメンテと共に皐月賞、日本ダービーの二冠を制覇。日本ダービー優勝後のウイニングランで優勝馬ドゥラメンテを称え喜びを爆発させたシーン。対照的にドゥラメンテのラストランとなった翌年の宝塚記念で、ゴール後にドゥラメンテから下馬するM.デムーロ騎手の悲しげな様子が忘れられない。下馬したM.デムーロ騎手が、ドゥラメンテを宥め歩行を止めようと必死になるシーン。立ち止まったドゥラメンテから鞍を外す時に、馬体に手を当てたまま、首を振るM.デムーロ騎手の悲しげな背中がテレビの画面を通して伝わってきた。彼は馬を勝たせようと強引なレースもするが、同時に馬を労わる気持ちは溢れ出ている。そんなM.デムーロ騎手の振る舞いが、私は大好きだ。

M.デムーロ騎手の人間味溢れるシーンは、騎乗中のシーンだけではない。真偽は定かではないが、「ミルコ目撃情報」は、競馬場以外で度々耳にする。

「新潟空港からタクシーに乗って競馬場に向かう際、必ず途中にコンビニへ立ち寄る」

「ミルコさんを東京駅の大丸百貨店の地下の弁当売場付近でみかけた…」

「ミルコさんがデットーリ騎手を従えて東京駅の構内を楽しそうに歩いていた…」

いずれも、本当かどうか分からない都市伝説である。しかし、M.デムーロ騎手ならありえそうだな…と思えるのが、彼の魅力だと思う。M.デムーロ騎手は、日本で騎乗する外国人ジョッキーではない。間違いなく、日本にメッチャ馴染んだ、日本のトップジョッキーである。彼の関西弁を潤沢に含んだインタビューやコメントを聞いていると、関西在住の日本人のおっさんとしか思えない…。

ミルコがいなくなった夏競馬。ミストまみれになる灼熱のパドックで、彼の姿を見ることが出来ないのは、本当に寂しい。しかし、今はアメリカで納得のいく騎乗で、熱く燃えていた頃の「ミルコ魂」に、再び火を灯して欲しい。我々ミルコ推したちは、彼がもう一度日本の競馬場で騎乗する日を待つだけだ。

7月18日よりデルマー競馬場で騎乗をスタートするというニュースが、ネットニュースで流れているのを目にした。アメリカでの勝利のニュースを早く聞きたいものである。M.デムーロ騎手の「空気を変えたい。頑張るしかないです」という意気込みが実ることを祈って、ミルコがいなくなった夏競馬を見届けたい。

M.デムーロ騎手の笑顔をパドックで再び見る時…それが、秋が深まった府中のGⅠレースなら一番うれしいと思う。

Photo by I.Natsume

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