縁が紡いだ2000勝。メイショウと、牧場と、人

競馬場に一度でも足を運んだことがある人なら、その冠名を見ない日は無いはずだ。青い勝負服に桃色の襷と袖。ターフをひたむきに駆ける「メイショウ」の馬たちは、いつの時代も、どの競馬場でも、競馬の様々なシーンにその姿を見せ続けている。そしてその背後には、ひとりの馬主の揺るぎない情熱がある。

2025年8月。松本好雄オーナーはついに、通算2000勝という、個人馬主としては空前絶後の偉業を達成した。年間の競馬は約50週。毎週1つずつ勝利を重ねても、なお約40年を要する途方もない数字。けれど、積み重ねられた年月や出会いを思えば、それすらも自然な帰結のようにも感じられる。その数字はこの世界に注がれた愛情と信念の結晶だった。

思えば、メイショウ軍団はいつもの競馬の日常に寄り添ってきた。中央、地方を問わず、多くの馬が勝ち星を刻み、そのたびに馬産地の人々の汗と夢が花開いた。

「牧場と仲良くして、売れない馬を買い続けてきた」

「牝馬を購入すると牧場も喜びますし、そこから長いお付き合いができます」

松本オーナーはかつて、日本馬主協会連合会のインタビューでそのように答えている。良血や大手牧場出身の馬だけでなく、血統や馬格が目立たず、買い手がつきにくい馬であっても目を向けた。その積み重ねが馬産地を支え、ときには最後の砦となった。牧場にとって最もありがたいのは、買い支えてくれる存在。きっと「メイショウさん」に支えられた牧場は、ひとつやふたつではない。長く馬を支え続け、牧場にも競馬界にも大きな貢献をしてきたその姿勢は、まさしく競馬界の財産だ。

あなたが競馬場で見たあの「メイショウ」は、ひたむきに粘り切ったあの馬も、渋太く差し切ったあの馬も、もしかしたら牧場の片隅で「売れ残ってしまうかもしれない」と思われていた一頭だったかもしれない。その一勝に、牧場の希望と、松本オーナーの信念が宿っている。そう考えると、2000という数字はほのかに暖かさを帯びてくる。

そうした日々の先に、ときおり舞い降りる「ご褒美」のような名馬たちがいた。

野武士メイショウサムソン、オペラオーの好敵手メイショウドトウ、日本中を駆け巡ったメイショウバトラー姐さん、小倉を愛したメイショウカイドウ、幸四郎の恋人メイショウマンボ、快速メイショウボーラー、障害の雄メイショウダッサイ、砂上の王者メイショウハリオ、そして白い遺伝子を継ぐメイショウタバル…。

どの馬も華やかな栄冠をいくつも掴んだが、そこに至る物語は少し地味で、堅実な歩みの延長線上にあった。決して最初からステージの中心でスポットライトを浴びていた存在ではなかったからこそ、なんだか身近で愛すべき存在に思えた。

もし「あなたの好きなメイショウは?」とファンに問えば、きっと無数の答えが出てくる。ファンにとって、メイショウの馬は不思議な親しみを持って迎えられてきた。「応援せずにはいられない」「どこか懐かしい」。そんな思いを幾重にも投影されてきた。決して派手な血統でもなければ、セールで何億とする良血馬でもない。リーディングを争うような生産牧場や調教師の馬ばかりではない。短期免許で来日する世界のきらびやかな名手ではなく、コツコツと厩舎を支えた中堅・若手騎手にチャンスを与え続けてきた。その振る舞いはひたむきで、勝っても負けても誠実さを感じずにはいられない。メイショウの活躍は、忙しい日々を真面目に生きる人々に送られるささやかなエールのようでもあった。

思い出されるのは、今年の宝塚記念をメイショウタバルと共に制した直後の武豊騎手の言葉だ。「馬がつないでくれた人の縁。人がつないでくれた馬の縁」という一言には、メイショウの存在が積み重ねてきた歴史の重みが凝縮されている。宝塚記念の勝利を生産者として見届けた三嶋牧場の三嶋健一郎氏も「松本オーナーとG1を勝つことができて、この上ない喜び」と語った。

メイショウの馬が嫌いな人なんていない──そう言い切って差し支えないと思えるのは、勝ち星の数では計れない「縁」を、大事にし続けてきたからだろう。牧場、騎手、調教師、その縁の輪の真ん中で、メイショウは愛されてきた。

2000という数字は、終わりではない。これから先も続いていく物語の通過点だ。次の勝利を刻むたびに、また新たな馬と人の縁が生まれる。ターフを彩るメイショウの名は、これからもファンに愛され、馬産地に勇気を与え続けるだろう。

松本好雄という存在が、日本競馬にどれほどの意味を持つか。2000勝の偉業は、その答えを静かに、しかし力強く示している。私たちが競馬場で声を枯らして応援したあの一勝も、この大きな歴史の一部だ。

「ありがとう、おめでとう、メイショウさん」

そんな言葉を、多くのファンが自然と口にしているに違いない。

写真:I.Natsume

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