

長くも短い人生において、「ここしかない!」というようなチャンスが来るときが稀にある。とくに忙しなく慌ただしい日々を送っている最中に好機が訪れたときの高揚感は言葉に言い表せないほどだ。
週2日の休みとはいえ、当時の私の勤務先では自分から申し出ない限り、3連休になることはまずない。ところが、この物語は、2年に一度ぐらいのペースで訪れる、滅多にない3連休の真ん中の日に、メルボルンCが行われる日程と重なったことから始まる。
2017年の11月、珍道中の幕が上がった──。
1週間前に急遽決定した2泊5日、弾丸メルボルン行き
メルボルンCは、オーストラリア・ビクトリア州のフレミントン競馬場で、11月の第一火曜日に行われる。芝3200mで争われるオーストラリア最大のレースは、2026年に第166回目を迎えるという歴史を誇り、ビクトリア州では祝日となり、「国を止めるレース」と呼ばれ、大いに盛り上がる。
その大イベントの1週間ほど前、小生はシフトとレースの開催日を確認しておきながら、旅行をためらっていた。航空券や宿泊費などを合わせると、当時のレートでどうしても20万円近くはかかってしまう旅費の問題に直面していたからだ。「う~ん、行きたい。けれど生活もかかっている」この心の中の押し問答に終止符を打つ奇跡が起こる。
10月の下旬、出発するとして逆算すると1週間前ちょうどぐらいの夜であった。「オーストラリア行きはどうしようか。金銭面の算段がつかない…」と考えながら、いつものように、インターネットで地方競馬の南関、大井のレースを買っていた。そしてメインレースだったか、買った3連単馬券が的中。手にした払戻金はなんと「15万円弱」であった。「これは、天から行って来いとの思し召しだな」勝手にそう決めつけた自分の腹は決まった。
日程は連休前、日曜の最終出勤日を終えたその足で空港へ向かい、夜行便に搭乗。そして11月7日のメルボルンCを中心とした日取りでオーストラリアを観光し、連休最終日の水曜昼に現地を発つ。そうすれば、連休明けの木曜朝からの出勤日に直行で間に合う──。機内泊を除く2泊5日の、まさに弾丸ツアーが現実のものとなった。
てんやわんやの出発…早くも訪れた空港での一悶着
さあ、行くと決まったら、早速旅行プランの検討だ。現地の移動手段や、宿の手配などを熟考しながらテキパキと進めていった。準備万端、そう思いつつも搭乗手続きの締め切りぎりぎりの時間に窓口にたどり着いた。
ところが、そこでまさかの展開が待っていた。渡航書類の一式を提示してすぐ通過かと思いきや、何やら受付窓口担当と奥に控える責任者らが協議を重ねている。「書類が不十分だったのか?」そんな不安に駆られていたが、身分証明書やクレジットカードの提示を行い、責任者は現地各所などに確認の電話をしているのだ。長いやり取りの末、ようやくゴーサインが出た。ホッとひと安心の瞬間を迎えたころには、すでに出発予定時刻を回っていた。
冷や汗をかきながら、慌ただしく搭乗を済ませると、機内の多国籍な人々は出発の見えない事態にやきもきしていた模様。特段悪いことをしたわけではないと開き直っている小生は、のうのうと自分の座席へと着いた。
大男や自分より遥かに逞しい女性らに囲まれながら、搭乗便はほどなくして羽田空港を飛び立った。原因は定かではなく、なにやら不安なスタートとなったが、気持ちはまだ見果てぬ南半球の大陸での大イベントに傾いていた。
現地酒場で常連客とコミュニケーション
翌日の昼前に現地シドニー国際空港に到着。日常から離れる開放的な気持ちと、春を迎えた広大なオーストラリアの空気に酔いしれながら、空港内を見回す。時間に余裕もないため、シドニーを満喫することもできないまま早速、旅の目的地であるビクトリア州へ向かう。まずは手配している旅客ジェットの予約を確認しつつ、ジェットスター航空便機内の予約席に座った。
時間にして1時間半ほどだったか、シドニー国際空港から飛び立った旅客機は、ビクトリア州の中心から少し北に逸れたメルボルン空港に降り立った。ここからシャトル便と電車を利用してメルボルンのど真ん中に構える、州議事堂のすぐ西側「イースト・エンド」という、割ときれいで治安の良さそうという印象を抱いた街の宿「シティ センター バジェット ホテル」に着いた。

©OpenStreetMap contributors
ここで間違いないとチェックインを済ませ、部屋内にあったコンセント変換器を用いて、命綱ともいえる携帯電話を充電。パソコンで会社関係の仕事をひと通り終えた後、こんどは勢い勇んで、景気づけに繁華街にあったスポーツバー風の酒場へ。ご挨拶がてらに現地アルコールと軽食を注文し、常連客に片言の英語で恐る恐る話しかけては、コミュニケーションが成り立ったのか、否かはさておき、メルボルンCについてや他のスポーツ関連の話をして場を楽しんだ。
宿舎に戻り、シャワーなど身辺整理を済ませると、翌日に迫る旅の最大目標に向けて睡眠に入った。
いざフレミントン競馬場へ!
翌日の早朝、電車を乗り継ぎ競馬場付近の駅へ着くと、大きなスタジアムのようなモニュメントが視界に入った。周りは田園というより、バカでかい草むらが生え揃う野原に囲まれており、歩いてもなかなか競馬場の全容が見えてこない。多くの人々がその方角に歩いていくのが見えたので、周りの警備員に道を聞きつつ、人波に付いていくように会場へと足を運んだ。いつも行き慣れている東京競馬場や中山競馬場などとはかなり印象が違うが、ついに立派な門構えの入り口が現れた。周囲では厳重な警備が敷かれていたものの、ボランティアスタッフと思しき人々に話しかけられ歓迎ムード。ようやくたどり着いた先は、紛れもなく由緒正しきフレミントン競馬場であった。
感動のあまり、現地スタッフに入場門をバックに写真をパシャリ。入場するなり、まずは記念グッズの購入だ。いろいろと売り場を聞いたが、自分の知っている日本の競馬場のそれとは違っていた。しかし、少し高価ではあったが、記念の品は見事に並んでいる。ちなみに小生はここでヴィクトリアレーシングクラブのオフィシャルダウンベストを購入した。今でもその品は宝物として、秋から冬シーズンに愛用させてもらっている。
その後は、もちろん競馬場の散策。一般客が利用できそうな指定席は見当たらなかったので、場所取りなどもとくにせず、入場チケットを購入したのみで済ませた。まだ1レース目も始まらない時間帯ということもあって、パドックから離れた位置ではなく、観衆の視界にも入るところにある厩舎や装鞍所では、関係者が出走馬の準備を進めていた。馬に対する丁寧な扱いと、干し草をなん遍もほうきで掃き出し、厩舎を常に清潔に保つ工夫をしていたのが印象的であった。

おしゃれにドレスアップした現地の方々に紛れ、日本人の姿も散見された。数レースが終わり、馬券もなんとなく買い方がわかってきて、少額のベッティングをして楽しんだ。日本とはかなり趣が異なるが、ワイドや馬連のような馬券も的中し、それぞれオッズが違い、複数ある馬券売り場の窓口に出向いては払い戻しを受ける。なかには、どう考えても的中していると思っていた馬券を見せても、「当たってない。ハズれてます」のように言われて、抗議もしたが、向こうは一歩も引かない様子だったので諦めた。
少し時間が経った昼過ぎだったろうか、日本人と思われる女性2人組と遭遇した。2人は日本語で、馬券の買い方などに戸惑っている様子。こちらから話しかけてみると、日本で働く社会人ではあるが、一定期間の研修がてらにこちらに留学中なのだという。近所ということもあり、せっかくだからこの大イベントを楽しみに来てみたそうだ。そうした縁から、2人の女性と行動をともにすることにした。レジャーシートまで敷いて場所まで確保してくれて、こちらのことも受け入れてくれた。
たわいもない話しかできなかったが、ある種の新鮮な感覚を味わった。あのときの2人はいまどこでどうしているのだろう。ときどきそう思うこともある。
自分はというと実は、競馬場に来た時点ですでに手持ちの現金がわずかであることを自覚していた。ベストを購入してしまったし、残りの旅日数などを考えるともう使えるお金は無いに等しかった。それでも、なけなしのお金でちょこちょこと馬券を買って楽しんでいたところで、ついにメインレースであるお目当てのメルボルンC発走が近づいてきた。
しかし、文化の違いは歴然で、観客はワインなど飲み物を片手に、今までと変わる様子もなく、会話に夢中だったのは本当に意外だった。私がいた一般エリアでは日本のGⅠ前に感じる張り詰めた空気とはずいぶん違う。気づけばレースはスタートしており、白熱するビッグレースとはまったく異世界の中、一向に会話を止めようとしない現地の観衆。もちろん場内すべてがそうだったわけではないだろうが、私には競馬そのものと同じくらい、その場で人と時間を共有することを楽しんでいるように映った。

そうこうしているうちに、どうやら長丁場の大レースは決着。騎手として英ダービーを2度制覇するなどの活躍を見せたが、減量苦がネックで22歳時に若くして引退。その年に調教師へ転身して2年目だったアイルランドのジョセフ・オブライエン調教師が送り出したRekindling(牡、北半球基準3歳、豪州では4歳扱い)が、ジョセフ師の父で、こちらも世界的な名伯楽エイダン・オブライエン調教師の管理するJohannes Vermeer(牡、北半球産4歳)を半馬身差で退けて優勝。ジョセフ師は、レース史上最年少調教師としてメルボルンC制覇の偉業を成し遂げていた。
レース前後も会話が止まらない現地の観客たちや、2人の日本人女性との会話も印象的だったのだが、小生はそれ以上に“心ここにあらず”の状態であった。
「お金をどう工面しようか…」。
まさかの金欠!人生最大のピンチ
カード会社に電話をし、どうやったらお金を下ろせるのか、または借りられるのか…。競馬場の端にある公衆電話から繰り返し電話を行い、アドバイスを求めた。
どうやら周辺のATMは、手持ちのカードに対応していなかったようだ。競馬場を後にすると、対応するATM探しに奔走した。携帯電話に入っている位置情報マップアプリを頼りに、スーパーやデパート、コンビニなどにある、あらゆるATMを探し回った。だいぶ時間を費やした後、長い一本道を歩いていると、ATMセンターともいえるような大きめのキャッシングポイントが見つかった。「これは下ろせるかもしれない」。藁をも掴むような気持ちでパスワードナンバーなどを入力すると、ついにキャッシングに成功した。情けないが、奇跡的に見つけたATMエリアでの大願成就。九死に一生を得ることとなった。
その後は、とぼとぼとした足どりながら、飛行機でシドニーへ戻り、「クレモーン ポイント マナー」という名のホテルで安眠。久々に健やかな眠りとなった。

©OpenStreetMap contributors
翌朝になり、歩いてシドニー中心部の商店街に向かい、豪勢な街を闊歩して回った。やや暑かったため、疲労感は残っていたが、帰国便までまだ時間に余裕があったので、じっくりと街並みを堪能した。無事にシドニー国際空港へ着き、冷や汗だらけ、波乱万丈だった旅はようやく終焉を迎える──はずだったが、最後の最後でまだ大ワナが待ち構えていた。
座席指定された自分の席は前から2番目の列。問題なく座ることになった。ここまではよかった。だが、問題が発生。前列の席を横いっぱいに陣取った家族?と思われる団体の行動には、やや短気の小生には耐えられなかった。わいわいと騒ぐのはまだ許容範囲内だったのだが、席を思いっきり後ろに倒すわ、飛び跳ねるわで、直後にいる私にとってはとても安心して座ってもいられない状態。この時点でやや不愉快となった私は、その後に席へ回ってきた客室乗務員に飲み物などを聞かれたものの、パニック状態の中でとてもではないがそれどころではなかった。前列客についてのクレームをつけているうち、やや半ギレな態度を取ってしまった。その行動は逆に不快感を与えてしまい、客室乗務員は怒り気味となってこちらになにか言い渡し、それ以降、二度と話しかけてくることはなかった。
今となってはたいへんお恥ずかしく、大人げない振る舞いだったと深く反省している。できればあの客室乗務員にもう一度会って謝罪したいと心から思っている。
そんなこんなで、盛りだくさんの出来事があった豪州珍道中となったが、帰国後はケロッと気持ちが切り替わり、木曜の朝には無事出勤を果たしていた。
人生いろいろ。2006年にデルタブルースが日本調教馬として初優勝を飾り、2着のポップロックとワンツーフィニッシュを達成した光景が、いつまでも頭に残っていた。その憧れのフレミントン競馬場でメルボルンCを観戦する夢が奇跡的に叶った。しかも人づてに聞いていた「英国競馬から受け継がれてきた、競馬と社交が一体となった文化」が息づく競馬場の雰囲気を、実際に肌で感じることができたのだ。これは人生においても、競馬が繋いでくれた忘れられない思い出であり、良い教訓ともなった。その経験は、いまも競馬を楽しむ原動力となっている。
![[大狩部だより番外編] 運命の馬ゴルピーチ~大狩部の丘から見守る芦毛の物語~](https://uma-furi.com/wp-content/uploads/2026/10/goru1hyoushi-1-300x225.jpg)
![[今週の競馬]秋の福島開催がスタート!東京、京都とあわせて3場で4つの重賞が開催!](https://uma-furi.com/wp-content/uploads/2026/10/2026103104-300x200.png)