
競馬の面白さとは何か。レースでの走りや、血統が紡いだドラマが見せる感動ももちろん素晴らしいものだ。
だが、「もしも」の話を競馬仲間と語り合う瞬間こそ、ひょっとすると一番面白い瞬間かもしれない。
■「ダービー馬より上」
時は2000年5月28日。河内洋騎手がデビュー27年目にして、遂にダービージョッキーの称号を手にした。手綱を取ったのはアグネスフライト。祖母、アグネスレディーから乗り続けてきた血脈の馬でのダービー制覇だった。
そんな頃北海道では、アグネスフライトの弟が「兄以上の逸材かもしれない」と太鼓判を押される評価を受けていた。
兄と同じく長浜厩舎に所属し、鞍上も同様に河内洋騎手を迎えたアグネスタキオンは、12月初頭の阪神競馬場にその姿を現す。
ダービー馬の弟ということもあって注目度が高いと思われそうだが、このレースでのアグネスタキオンの人気は3番人気にとどまった。なぜなら彼以外にもフサイチコンコルドの弟であるボーンキングや、南関東の名牝ロジータの息子であるリブロードキャストなどが出走。アグネスタキオンに負けず劣らずの良血馬が相手では、この評価も仕方ないものかもしれない。レースでは後方から控え、直線の末に賭ける競馬をすると思われた。
だが、勝負所で一気に外から進出して先頭を射程圏に捉えると、直線では粘るリブロードキャストを瞬く間に突き放して3馬身差の圧勝劇。
2,3着馬が先行した2頭で、4着との差は7馬身。ほとんど前残りのレースだったのにもかかわらず、後方から捲ったうえ1頭だけ33秒台の上りを使い、突き放した後も加速するというそのレースぶりはまさに圧倒的だった。
加えて、2000m以上の新馬戦でこの上り3ハロンを超える数字が記録されるのは、4年後のディープインパクトの登場まで待たなければならない。当時のファンは恐らく皆、度肝を抜かれたであろう。
そして、それは兄の手綱も取っていた河内騎手も「フライトよりも上だ」と確信するほどの手応えであった。

■「怪物」の評価、盤石へ
新馬戦を快勝したアグネスタキオンは、中3週でラジオたんぱ杯3歳S(現・ホープフルS)への参戦を決定。ここには3戦2勝の外国産馬クロフネに、朝日杯3歳S(現・朝日杯フューチュリティステークス)の1,2着馬に新馬戦で快勝したジャングルポケットがいた。既に十分すぎる程の実績を残していた2頭に対して、アグネスタキオンがデビュー戦で見せた強さが本物かどうかを試すには、絶好の相手であったと言えるだろう。
1番人気は1.4倍でクロフネが推され、アグネスタキオンはやや離された4.5倍の2番人気。差がなくジャングルポケットが4.8倍の3番人気で続いていた。
4番人気のマイネルエスケープの単勝オッズが23.4倍と大きく離れていたことからも、戦前から、「3強対決」、または「クロフネ対2強」と思われていたこのレース。
だが、そんな「3強」の評価は、レース後一転して「1強」の評価へとその姿を変えてしまうこととなる。
そっとゲートを出たアグネスタキオンは前走同様中団からレースを進め、その前にクロフネとジャングルポケットの2頭が行く。やや遅いペースの中、勝負所で新馬戦と同じようにアグネスタキオンが一気に進出。前を行くクロフネの横に取り付き、そのまま直線に向いてきた。
ここでクロフネもスパートし、その後ろにジャングルポケットがぴたりと追走。やはり戦前の予想通り3強の争いとなりそうで、このままマッチレースとなるか──。
そう思われたのは、たった一瞬の事だった。
坂の手前でクロフネに左鞭が入り、一気に加速すると思われた時、アグネスタキオンはその外で既に1馬身抜け出し、仁川の坂を上り始めていた。
追い上げてきたジャングルポケットが抵抗するクロフネを捉え2番手に上がった時、もうアグネスタキオンは坂を上り切って独走態勢。必死に追い上げるライバル2頭を尻目に、鞍上の河内騎手は手綱を緩め、悠々と重賞初制覇のゴールに飛び込んだ。
着差の表示は2馬身だった。だがその差は、どこまで行っても詰まらないように感じる2馬身。明らかに、他の馬とは次元が違っていた。
年が明け、初戦に選んだ弥生賞。初の不良馬場でもその地位は揺るがず1.2倍の断然人気に推されると、好位追走から直線で新馬戦以来の対戦となるボーンキングを突き放して5馬身差の圧勝劇。
その強さを疑いたかった人々が口々に言った初の不良馬場や関東遠征、休み明けという不安など、蓋を開けてみれば全く関係なかった。

■最高到達点
そして迎えた皐月賞。アグネスタキオンは当然のように1.3倍という指示を受け、圧倒的1番人気に推されていた。
対抗馬となるはずだった未対戦組のアグネスゴールドやメジロベイリーは戦線離脱し、ラジオたんぱ杯で鎬を削ったクロフネは不在。ここまでの3戦で見せた圧倒的なまでの強さに加え、弥生賞後に長浜師から「三冠を取れる」という言葉が飛び出しており、もう誰の目にも敵わないように映っていた。
しかし、ラジオたんぱ杯で2着となったジャングルポケットが、3.7倍の2番人気からリベンジに燃えていた。前哨戦に優先出走権のかかるトライアルレースではなく東京の共同通信杯を選んだ同馬は、ゴール前でヨレる幼い面を見せながらも完勝。アグネスタキオンを倒すなら、たんぱ杯で2馬身差まで来たジャングルポケットしかいないのではないか。
そして何より、あのフジキセキが踏めなかった皐月賞の舞台に、10年の時を経て同じ勝負服と陣容で挑む──。
夢の続きを見ずにはいられない期待が、そのオッズにはほのめいて見えた。
3番人気のダンツフレームは16.8倍と大きく離れていたことからも、ファンの多くはアグネスタキオンが無敗で一冠目を事も無げに制するか、ジャングルポケットが雪辱を果たしてフジキセキの夢の続きをなぞるかというところに注目が集まっていた。
ファンファーレが鳴り響いた後、ややゲート入りを渋ったアグネスタキオン。覆面をつけられてのゲートインに、不安を抱いた人も多かったはず。
しかし、出遅れたのは最内に入ったジャングルポケットのほうだった。大歓声に驚いたか、はたまた集中しすぎたか。ややつんのめるような格好でゲートを出た同馬は、馬群から若干置かれるような格好でスタートした。
かたやアグネスタキオンはいつも通りのスタートで、5.6番手の絶好位からレースを進める。
先行争いはシュアハピネスが引っ張り、ペースが落ち着こうかという1,2コーナー中間点でシャワーパーティーが競りかけ、競られるのを嫌ったシュアハピネスの北村宏司騎手は再度ペースを上げて後続を引き離していく。
1000m通過は59秒8。タイム的にはミドルペースでも、息を入れる瞬間のペースアップによってかなり締まったレース展開になった。
普通であれば、先団にいたアグネスタキオンにはかなり厳しい展開なのは間違いない。事実、この皐月賞では前目につけた馬たちは軒並み惨敗していた。
しかし、新世紀の怪物に、そんな心配は不要だった。
──オレの馬が一番強い。
そう思っていたかはわからないが、愛馬に絶対的な信頼を持っていた河内騎手が3,4コーナーで相棒を馬群の外に回し、一気に大外から捲ってきたジャングルポケットと、後方から不気味に忍び寄るダンツフレームが迫ってきても微動だにせず、馬なりで中山の4コーナーを回る。そして2歳時のような走りとは違う、圧倒的な先行力から抜け出していったアグネスタキオンは、ただただ強かった。
淡々と先頭のシャワーパーティーを視界にとらえ交わし去ると、坂の上りで完全に抜け出す。捲ってきたジャングルポケットに実力の違いを見せつけるかのようにそれ以上のスピードでさらに突き放し、内から2番手に上がってきたダンツフレームにも、並ばせる隙を微塵も与えぬまま、一冠目のゴール坂を駆け抜けた。
その差、僅か1と2分の1馬身。しかしそれは、数字以上に圧倒的な1と2分の1馬身だった。

■「たられば」の面白さがある
だが、皐月賞制覇の約2週間後、競走馬にとって「不治の病」ともいわれる左前浅屈腱炎が発覚。一度は放牧に出され、復帰も目指す意向であったが、栄光から4か月後、正式に引退が発表され、そのままターフに別れを告げた。
たった4戦でG1は1勝という戦績。それでも彼が遺した走りは、後の重賞馬やG1馬を子ども扱いした凄まじいものだった。
彼が下した40数頭のうち、後に重賞級のレースを制した馬は10頭いる。
その中でもジャングルポケットはダービー、ジャパンCを勝ち、クロフネは芝ダート両方のG1初制覇の偉業を成し遂げた。
弥生賞で下したマンハッタンカフェは菊花賞、有馬記念、天皇賞春を制し、ダンツフレームは古馬になってから宝塚記念を勝利。間違いなく強い世代であった。
そんな彼らを相手に、圧倒的な強さを見せつけたアグネスタキオン。「ダービー馬より上」という評価は、間違ってなどいなかった。
もしも彼がダービー以降無事であったら、いったいどれほどの夢を我々に見せてくれたのか。三冠は間違いなく取れていた…いや、距離適性的に天皇賞・秋でオペラオーとぶつかって楽しませてくれた…
いやいや、凱旋門賞の制覇だって…
たらればでしかないこんな話を無限大にできるからこそ、きっと競馬は面白い。

写真:かず