もう「アラフォー」を名乗れるタイムリミットが近づいてきた私。
最近はなんだか涙腺が緩みやすくなっているらしく、これも齢のせいか、と感じることが多い。
参観日で真っ直ぐ手を挙げて真剣に黒板を見据える子の姿にこみあげ、このご時世で久方ぶりに会った老父が急に小さくなったように見えてはこみあげ、TVロードショーで身軽になったラピュタが上空を漂うエンディングを見てはこみあげ──そして先日は、突然虹の彼方に駆けて逝ったオーシャンブルーを悼んでは泣き明かしていた。
そんな時に次の寄稿のテーマが決まった。
アルコセニョーラ。
アルコセニョーラ!
思わず口角が上がった。アルコセニョーラの名前を聞くと、どんなに沈み込んだ時でも自然に笑みがこぼれてくるのだ。
それは一体、なぜだろう。
まず思い出すのは初めてオープン特別に挑戦した2007年、彼女が3歳秋の紫苑ステークスだ。当時はまだ、オープン特別だった。
2歳10月のデビュー3戦目、府中・芝1400mの未勝利戦で武豊騎手を背に初勝利を挙げたアルコセニョーラ。430キロ弱の小さな馬体でその後ほぼ月1走のペースで走り続け、重賞やトライアルにも挑み続けたが、2歳暮れのGⅠ、そして3歳春のクラシックには縁がなかった。桜花賞をダイワスカーレットが逃げ切り、苦杯をなめたウオッカがその悔しさを牡馬にぶつけてダービーをぶっちぎった、あの2007年のクラシックだ。
ようやく2勝目を挙げたのは夏の福島・織姫賞。初コンビとなる中館英二騎手に導かれ、最終週の荒れ尽くした芝を全く苦にせず大外から堂々3馬身差をつけた。鮮やかだった。
そして新潟、信濃川特別2着を挟んで迎えた秋初戦(走り続けていたアルコセニョーラにとっては夏も秋もなかったかもしれないが)、彼女の姿は中山競馬場にあった。
……一方で、私の姿はウインズ札幌にあった。
平日で擦り切れた独り身の、数少ない週末の娯楽だった。
メインレースの馬券を買って券売機の列を離れると、視線の端に、競馬好きな当時の上司の姿を捉えた。捉えてしまった。
私は抜き足差し足、その場を離れようと試みた。
「枝林じゃないか!」
……あえなく確保されてしまった。
「お前、土曜日からウインズか、ん? 朝日チャレンジカップか?」
「ん?」が相変わらず嫌味だ。
「……はい、あとは中山も」
「どうせまたステイゴールドの仔、買ってるんだろう?」
内心では(好きなんだから、いいじゃないか)と思いつつも「……そうですね、今日は両方出ますから」と、必死に口角をあげながら答える。そして紫苑ステークス・アルコセニョーラと、朝日チャレンジカップ・コスモプラチナのがんばれ馬券を、私は元上司に差し出した。
「アルコセニョーラか。去年からほぼ休みなしで使われて、上がり目ないだろ」
「まぁ、ステイの仔はタフですから、大丈夫だと思いますが……(好きなんだから、いいじゃないか)」
「デビューより体重減ってるじゃん。成長してないんじゃないの?」
「……まぁ、ソリッドプラチナムもドリームジャーニーも、こんなもんでしたから(好きなんだから、いいじゃないか)」
「こないだ福島で勝ったときって、最終週の荒れ馬場だろう? 開幕週でついていけるか?」
「す、好きなんだから、いいじゃないですか!」
……本音が出てしまった。
「……失礼します。」
「お、おう……」
「当たったらどうしようかな……」「勝ったら秋華賞でウオッカ、ダイワスカーレットと戦えるのか!」
結果の出ていない馬券を手に、ごく近い未来に訪れるかもしれない幸福を夢想する、貴重な時間。そんな至福の時を削られてしまった私の心に突き立ったトゲは、そのわずか十数分後にきれいさっぱり全部抜けきっていた。
ウインズ札幌1階、大型ビジョンに映る中山競馬場、開幕週。緑一色の3・4コーナーの一番外を、アルコセニョーラは抜けた手ごたえで、実にスムーズに上がっていった。
直線入り口で前に並びかけると中館英二騎手のゴーサインが出る。まるで大本命馬の如く堂々と先頭に立ったアルコセニョーラは力強く急坂を駆け上がり、馬群を縫ったオークス3着ラブカーナの急襲をきっちりと抑え込み、1着でゴール。秋華賞への挑戦権を手にした。
オークス4着ミンティエアー、フラワーカップ勝ちショウナンタレント、さらには2年2か月後に淀で世紀の逃避行をやってのけるクィーンスプマンテらを下してのオープン特別制覇だった。
15戦目での紫苑ステークス勝利は、同レース史上、最も多いキャリアである(2022年現在)。
──ふと、視線を感じた。
振り向くと元上司が人混みの向こうから笑いかけていた。
親指を上に突き立てた握りこぶしを、向けてきた。
(好きなんだから、いいじゃないか)
私は自然に口角が上がった満面の笑みでサムズアップを返した。親指を下に向けてやろうかと一瞬よぎったが、アルコセニョーラの快勝が、それを思いとどまらせた。
軽く会釈し、向けられた笑顔に背を向けて、私はその場を後にした。
その後もアルコセニョーラは私に笑顔をくれた。それは喜怒哀楽で言うと「喜」よりも「楽」の成分が多く、英語で言うと”smile”というよりも”laugh”に近いものだったように感じる。
秋華賞完敗の後、勝手知ったる福島でものの見事に馬群を縫いあげ、重賞初制覇を遂げた福島記念を思い出す。
16番人気をあざ笑うかのような直線大外一気で、がんばれ馬券を買っていた私の懐につかの間の潤いをくれた愉快痛快新潟記念を思い出す。
そしてその後の競走生活の過半を二ケタ順位が占める中、思い出したように福島で2着に激走すること3度。「忘れたころのアルコセニョーラだ!」手をたたいて快哉していたことを思い出す。思い出す度今でも自然と笑みがこぼれてくる。いや、時には吹き出してしまう。
最後の2着は柴田善臣騎手が「宝塚記念でも見せなかったガッツポーズを七夕賞で見せた」と一部で話題になった3週連続重賞制覇のトリを飾った「どうにかなったドモナラズ!」の名実況も忘れ難い、2010年七夕賞のことだった。
父ステイゴールドを超える51戦目となった2011年新潟大賞典、直線でその歩みを止めた時には流石に肝が冷えたが、繁殖牝馬として生まれ故郷の牧場に戻ることができたアルコセニョーラ。リーゼントアイリス、エンカンタドーラ、リスカムといった中央勝ち馬も輩出している。
元気だろうかと恐る恐るSNSを検索してみたら、アルコセニョーラが放牧地で元気にゴロゴロしている姿がアップされていた。
「アルコセニョーラ、元気そうだ……」それを見た私は、口角が上がるよりも早く、こみあげてきてしまった。
やはり最近はなんだか涙腺が緩みやすくなっている。これも、齢のせいか……。
写真:Horse Memorys