「私の競馬仲間」について考えてみる。
一緒に仕事をしているうちに、趣味の一致ということで競馬仲間になる。あるいは、馬の話をしているうちに興味を持った仕事仲間を引っ張り込む。これらは、一緒に競馬場で競馬観戦するというより、仕事の合間に競馬の話をして盛り上がったり、仕事終わりの居酒屋でG1レースの予想を楽しんだりするパターンが多い。
競馬場で集合して、朝からメインレースまで一緒に観戦する私の競馬仲間たちは、「氏素性のよく知らない」連中が多数を占める。
一口馬主として同じ馬に出資し優勝時の記念撮影や、募集ツアーで出資馬を通じて話すようになった連中。最近ではツイッターのリプライやDM等でコミュニケーションを取ったことがきっかけで私の競馬仲間に組み込まれた連中もいる。
今から20年以上も前、SNSが今のように盛んでなかった頃は「face to faceのコミュニケーション」が中心。毎週ほぼ同じ場所に陣取ってカメラを構えていたら、自然に同じ競馬の楽しみ方を持つメンバーが集まることになり、レース直後の「写真の撮れ高」の話がきっかけで会話が始まる。そのコミュニケーションはどんどん発展し、レース後の反省会という名の飲み会から、関西圏のG1レースへの遠征や引退馬の牧場見学に一緒に行くような仲間も増えてくる。実際、付き合いだして20年以上経過しても、未だに観戦活動を継続している競馬仲間が居るのはうれしい限りだ。
競馬観戦仲間とのコミュニケーションで一番良い事は、「仕事の話をしなくて良い」の一言に尽きる。仕事で繋がっている連中と競馬の話をしていてもそれは業務中の会話であり、仮に終業後の居酒屋での競馬談義であっても、仕事の話が必ず割り込んでくる。
競馬場で知り合った仲間はOFFタイム上で知り合った仲間。彼らのO Nタイム上でのプロフィールは、競馬を通じて繋がった仲間のため知る由もなく、また知る必要もない。必要なのは、競馬を見てきたキャリアとか好きな馬とか思い出のレースぐらいだ。ネット上でのハンドルネームがあれば本名を確認する必要も無いし、とりあえず携帯電話の番号とLINEで繋がっていればほぼ事足りる。あいつは銀行に勤めている、あいつは商業カメラマンだとか、会話の中で職業が垣間見えてもOFFタイム上にそれは必要ではない。だからこそ、仕事のことを口にすることなく競馬を楽しむことに没頭できるから、一緒にいると楽しく、また長く付き合っていけるのかも知れない。
「氏素性のよく知らない競馬仲間」こそ、競馬観戦を何倍も楽しませてくれる最高の仲間だと、私は思っている。
競馬仲間の"カズ君"
2000年初頭に競馬場で濃密な時間を一緒に過ごした、"カズ君"という競馬仲間がいた。
カズ君とはステイゴールドが走っていた頃、中山競馬場の今は無きゴール板先の旧スタンドで知り合った。
2001年弥生賞の日。注目馬アグネスタキオンの登場で、普段は比較的余裕のある旧スタンドの席も午後になると埋まり始めた。
「ここ、座わってもいいですか?」
私たちが陣取っている通路側の空いている席に座ったのがカズ君。見た目では私と同世代で、スポーツ紙とペットボトルのお茶を抱えていた。
アグネスタキオンの堂々とした本馬場入場に湧き立つ。
レースは4コーナーを回りアグネスタキオンがモノの違いを見せつけるかのようにボーンキングを突き放してゴール。堅い決着に大笑いしながら、カメラ越しに見たアグネスタキオンの凄さに盛り上がっている時、カズ君が私に声をかけてきた。
「枠連200円は買えませんね。今日はタキオンの凄さを見たから充分ですけれどね」
「皐月賞はアグネスタキオンで間違いないですね」
「いつも皆さんで観に来られるのですか?」
「毎週このあたりで観ているので、来られたら寄ってください。一緒に観戦しましょうよ」
「よろしいのですか? 喜んで来ますよ」
カズ君は、前日深夜にドバイシーマカップ(当時G2)を優勝したステイゴールドの話題で盛り上がったマーチステークスの日も私たちと一緒に観戦していた。
「僕、ステイゴールドが大好きです」
カズ君の応援馬はシルバーコレクターが多いようだ。
ナイスネイチャ、オフサイドトラップ、そしてステイゴールド。物静かなカズ君が、目を輝かせて好きな馬の事を語っている。
いつの間にかカズ君は私の競馬仲間となり、ステイゴールドを介して最も親しい仲間となって行った。
ドバイシーマクラシック優勝の後、カズ君と観たステイゴールドは相変わらず「善戦マン」を繰り返す。国内最後となるジャパンカップはステイゴールドらしいレースを見せてくれたものの、彼の持つ粘りが失せ始めているようにも思えた。
それでもラストランとなる50戦目の香港ヴァース。直線で勝利の神様から羽根を授かり、ペガサスと化したステイゴールドがエクラールを急追、最後の最後でG1タイトルを手繰り寄せた時は、新橋の居酒屋で終電ギリギリまでカズ君と祝い酒をあおった。
ステイゴールドの仔
「ステイゴールドの仔は走るのかな?」
種牡馬になったステイゴールド。その子供たちが再び中山競馬場に帰って来る日を一番待ち望んでいたのはカズ君だったような気がする。
ステイゴールドの初年度産駒は、カズ君の願いが叶う活躍を見せる。エムエスワールドが朝日杯フューチュリティステークスとNHKマイルカップに出走、ソリットプラチナムが3歳ながらマーメイドステークスに出走してステイゴールド産駒として初の重賞初制覇を成し遂げた。
そして、2年目の産駒の中から登場したのが、ドリームジャーニーだった。
秋の中山開催を前に、夏のローカル競馬の打ち上げをしようと集まったのがWINS浅草。最終日の新潟2歳ステークスをメインに久々に競馬仲間が集結した。仲間が集まり始めた6レースの新馬戦。出走馬の中に見つけたステイゴールド産駒、ドリームジャーニーが目に留まった。カズ君は、発表された馬体重のモニターを見ながら、「小さいな~」とつぶやきながら新聞に印をつける。
7枠15番ドリームジャーニー、母オリエンタルアート、426キロで蛯名騎手が騎乗。圧倒的人気の外国産馬デスコベルタについで2番人気。
カズ君の強い推しで7.1倍の単勝馬券をみんなで握ってレースを待つ。
レースは、新馬戦特有の緩い流れから直線は人気馬同士の一騎打ち。ドリームジャーニーがデスコベルタをねじ伏せ、クビ差でドリームジャーニーが勝利した。
2戦目は中山の芙蓉ステークス。
パドックで見たドリームジャーニーは新馬戦からマイナス10キロの416キロ、他馬と比べて一回り小さく見える。それでも堂々とした歩様で周回し、カズ君は満足そうにドリームジャーニーを見ていた。
スタートでドリームジャーニーは出遅れ、トーセンラピュタの逃げを後方からの追走で展開する。直線で外に持ち出すと一気に加速、先に抜け出そうとした1番人気ローズオットーを余裕で捉えて2連勝を飾った。大外からの差し脚は父ステイゴールドの切れ味を彷彿させた。
「早くもステイゴールドの代表産駒が出てきたね。小さい馬体もお父さんそっくり!」
カズ君が嬉しそうに喋りながらウイナーズサークルのドリームジャーニーを見ている。
ドリームジャーニーは父の歩んだ戦績とは異なり、新馬⇒オープン特別の2連勝。苦労してG1まで辿り着いたステイゴールドとは違う道で、G1制覇まで昇り詰める最初の1頭になるかも知れない。私はそんな予感を抱きながら、カズ君とドリームジャーニーを見ていた。
3戦目に選んだのが、東京スポーツ杯2歳ステークス。
レースはフサイチホウオーに次ぐ2番人気に支持され、ドリームジャーニーは後方待機から直線で内を突いて急伸。ゴール前、フサイチホウオー、フライングアップルとの激しいデットヒートを繰り広げ、1/2馬身、ハナの3着に惜敗した。
「朝日杯ならホウオーが来てもきっと逆転するよ」
カズ君との会話はこれ以降、ドリームジャーニー一色になっていく。
「あいつがG1獲ってくれたら、もう何も思い残すことが無い」
居酒屋でビールを飲みながら、カズ君は自分に言い聞かせるように同じフレーズを繰り返す。会社のパソコンのデスクトップ画面もドリームジャーニーになってしまったと、照れたように笑っていた。
知り合って何年も経つが、普段どんな仕事をして生活しているのか未だ全くわからない「カズ君」という競馬仲間。ステイゴールドをこよなく愛し、その息子の2歳G1制覇を夢見ている彼は、OFFタイムでの夢時間を共有する仲間であり、生活空間で活動するカズ君とは違う人のようにさえ思っていた。
「朝日杯にはどんなことがあっても中山に行くぞ!」
目をつぶって自分に言い聞かせるように呟くカズ君は、いつもと違うような気がした。
カズ君から衝撃的な話を聞いたのは、朝日杯フューチュリティステークスの2週前、府中最終週のジャパンカップからの帰り道でのこと。
「朝日杯が終わったら、今の会社を辞めて東京を離れることにしたんだ」
「…………」
「色々事情があって、仙台に帰る。今度の朝日杯を最後の競馬観戦にする……」
「どうして? なんで?」
「もう決めてしまった事だから……。だから最後にドリームジャーニーがG1獲るところを見たい」
カズ君に何があったのかはわからないが、これ以上の話はしてくれなかった。いつものようにジャパンカップの反省会をしようと誘っても、首を横に振ってそのまま帰ってしまった。
別れの朝日杯フューチュリティステークス
「本当にこれが最後になるのだろうか……」
朝日杯フューチュリティステークス当日、冬の青空が広がる中山競馬場。いつも仲間が集まる場所にカズ君もやって来た。
普段と変わらない振る舞いで楽しそうに競馬新聞を見ている。
2006年の朝日杯フューチュリティステークスは15頭立て。
人気はOペリエ騎乗のオースミダイドウが2.1倍で1番人気。東スポ杯2着のフライングアップルを抑えて、ドリームジャーニーが6.7倍で続く。
カズ君への餞別に……と考えたわけでは無いが、ドリームジャーニーの単勝5000円を、自分の買い目とは別に買い足した。
いよいよ各馬が本馬場に登場し、各馬ゆっくりと姿を現す。
3頭目にドリームジャーニーが登場。馬体重は416キロ、カズ君が新聞を握りしめて立ち上がって見ている前を堂々と返し馬に入っていく。
一斉のスタートからドリームジャーニーは後方に下げる。
好ダッシュを見せたのがアドマイヤホクトとローレルゲレイロ、マイネルレーニアがそれを二番手で追いかける展開。
2コーナーの手前でペリエ騎手のオースミダイドウが中から抜けて二番手から先頭を伺う。緩い2コーナーのカーブを回ってオースミダイドウが先頭、ローレルゲレイロとマイネルフォームが並びかけて第3コーナーを回る。
ドリームジャーニーは、集団から4馬身ほど離れた最後方にポツンと1頭。チラリとカズ君を見ると、顔をしかめてターフビジョンの各馬を目で追っている。
オースミダイドウを先頭に各馬4コーナーを目指して動きが激しくなり、マイネルシーガルが大外から仕掛けて先頭に迫る。ドリームジャーニーはフライングアップルが内でもがいているのを尻目に、外からスパート。
残り400のハロン棒を回って直線。
真ん中からローレルゲレイロが抜けて先頭に立つ。坂を上ってオースミダイドウの外からフライングアップルが顔を出す。
その時、大外から急追する一頭、黒い帽子のドリームジャーニーだ。
カズ君の、今まで聞いたことの無いような叫び声が響く。
「ジャーニーだ、ジャーニーが来たー!」
3番手から2番手……。あっという間に先頭を行くローレルゲレイロを捕まえる。馬体が合い、半馬身ほどドリームジャーニーが出たところがゴール。
先頭のローレルゲレイロに襲いかかるドリームジャーニーのシルエットは、香港のラストランで見せた父ステイゴールドの「羽根の生えた末脚」と重複するかのようだった。
蛯名騎手の左手が軽く挙がり、今まで立ち上がっていたカズ君が座りこんでしまった。
「ドリームジャーニー、勝ったね」
「うん……。良かった、本当に良かった」
カズ君は、ただうなずくだけでターフビジョンに映し出されるゴール前のリプレイを見ている。
「やっぱり、ステイゴールドだね」
そう呟いて、ため息をついたカズ君。
優勝のレイを掛けたドリームジャーニーが再登場する姿を目で追うカズ君の姿は、満足そうでもあり、どことなく寂しそうだった。
カズ君はそこで初めて、仲間たち全員に仙台へ引っ越すことを知らせた。
「長い間、仲良くしてくれてありがとう。本当に楽しかった……」
「仙台に引っ越してもまた観に来ればいいじゃん。福島なら中間だからそこへ集合しようよ」
カズ君はうなずくことはせず、ひっそりと笑顔を浮かべている。
送別会をしようと言う仲間の誘いも断り、最終レースも見ずにカズ君は席を立った。
「いつもここで競馬見ているからね! 今日の写真渡すからまた来てねー!」
カズ君の去っていく背中が観客たちに飲み込まれていくのを、私たちはただ見送るしかなかった。
財布の中に仕舞ったドリームジャーニーの単勝馬券は、結局カズ君に渡せないままで終わる。
なぜなら、餞別として渡してしまえば、二度と彼と会えなくなるような気がしたから……。
まだ東京に居るなら、有馬記念を一緒に見ようと連絡したら、携帯はつながらなくなっていた。
唯一の通信手段となるメールを何回か送っても、一方通行で返信は無し。
その後、カズ君と競馬場で会うことは二度と無かった。
2009年の暮れ、ブエナビスタとドリームジャーニーの一騎打ちで盛り上がる有馬記念。
もしかしたらカズ君がひょっこり来そうな気がして、朝日杯フューチュリティステークスを観た同じ場所にみんなで陣取った。
レースは直線で先頭に立ったマツリダゴッホにブエナビスタが並びかけ、ドリームジャーニーが追い上げてブエナを差し切る。ドリームジャーニーの春秋グランプリ制覇の瞬間。
カズ君と一緒に喜びたかったなぁ……と、居るはずの無いカズ君を探してもう一度周りを見渡した。
カズ君もこの瞬間をどこかで見ているのだろうか?
君の愛したステイゴールドの息子が、グランプリホースとなるシーン。
ドリームジャーニーが繰り出したゴール前の末脚を、君と一緒に讃えたかった。
そして、2022年のジャパンカップ。
ドリームジャーニーの息子ヴェルトライゼンデが3着と健闘。出馬表の父親欄に記された「ドリームジャーニー」の名を見て、私は懐かしさと哀しさで胸が熱くなった……。
今でもドリームジャーニーの名前を目にすると、あの頃の楽しい時間と、「カズ君」を思い出してしまうのだ。
Photo by I.Natsume